そこは、絶え間ない責め苦や苦痛に支配された世界。生前の贖罪を義務付けられた次元。

 悲哀や後悔、あるいは怨念のるつぼとなっている場所。

 ある者は血の池でえんえんと溺れもがき、ある者は針の山の中腹当たりで全身に穴を開け、またある者は真紅の炎にのまれて骨まで炭化する。

 しかし次の瞬間には、満身創痍だったはずの身体は、それまでの筆舌に尽くしがたい惨状が嘘のように綺麗に回復している。そして今度は別の責め苦に支配されるのだ。犯した罪の重さを思い知り、完全に償うまで。

 ここは地獄だから。

 そんな、血と絶望の匂いにむせ返りそうな世界の一角で、あろう事か地獄を取り仕切る鬼達のうちの一人を相手に、気軽に何やら話している死者がいた。

 

 「特記事項なし、平穏無事なまま変わりなし・・・・・・か。やっぱり、煙鬼大統領の統制下の内は心配無さそうだな」

 ただ、と、黒鵺は鬼から渡されたメモ用紙に目を落としながら、用心深そうな面差しを見せた。

 「第二回トーナメントの結果によっては、また情勢は変わるかもしれねぇ。まぁ・・・・・・どの道オレにはどーしようもできねぇんだけどさ」

 証拠隠滅、と呟いて黒鵺は用紙を丸め、振り返りざま炎が波打つ河に放り投げた。音も立てずに燃え尽きるのを見届けようともせず、彼は鬼の方に向き直る。

 「トーナメント開催当日になったら、霊界でも話題になって情報が一気に流れ込んでくると思うぜ。そしたら収集もやりやすいだろ。そん時にまた頼む」

 「もう慣れたが・・・・・・人づかいならぬ、鬼づかいが荒いな、あんた」

 頭に二本の角を生やし、真っ赤な肌をもつ大柄な鬼は、仕方無さそうにため息をついた。

 「腕に覚えのある死者が、地獄に馴染んでるのは時たまあることだが、鬼を仲介に現世の情報を集めるなんざ前代未聞だぜ。多分、いや確実にあんたが最初で最後だ」

 「その死者に協力する鬼も、お前が最初で最後なんじゃねーの?

 軽く切り返し、黒鵺はさて、と座っていた岩場に立ち上がり伸びをした。

 「んじゃあちょっくら、暇潰しにまたどっか飛び巡ってみるか」

 「毎度毎度、よく飽きないな。だだっ広いだけで、どこもかしこも似たようなもんなのに」

 赤鬼が露骨に呆れても、黒鵺は肩をすくめて小さく笑ってみせる。

 「一所にじっとしてるよかマシさ。もしかしたら、生前の知り合いが見つかるかもしんねぇし」

 言い終わるや否や、黒鵺は澱んだ血のような色の空に舞い上がった。

彼はもう、千年以上もこの地獄に繋がれている。その間、見知った顔を発見したことなどただの一度も無かった。魔界の全階層分以上の面積を誇る、自分が落とされた階層で、それなりに艱難辛苦は舐めてきたけれど、再会だけは経験したことが無い。

 おそらく、未経験のまま刑期が満了して、輪廻転生待機所に召集されるのだろう。

 それは別に構わない、と黒鵺は思っている。あの赤鬼に対しては、冗談半分で言ってみただけの事。

 悲運の死を遂げた彼の家族や同胞達は、きっとこんな所には来ていないだろうし、来ていてもおかしくないような知人にも心当たりはあるけれど、別に探そうとまでは思わない。

 「・・・・・・・・・?

 滑るように地獄の空を飛んでいた黒鵺が、突然怪訝そうな顔をして滞空した。今のは、空耳だろうか?

 だが確かに、地上で蠢く悲鳴や呻き声の中から、やけにはっきりした響きを持って自分を呼び止めているような声が聞こえた。

 どうも気になって地上に目を落とす。と、それをまっていたかのように、先程よりもさらに鮮明な声が飛んできた。

 「おーい、そこの蝙蝠羽根のあんた! あんただよ! 手数かけて悪いが、ここまで降りてきてくれないか?

 すぐに黒鵺の焦点が、声の主を捕らえた。骨を粉にしたような色の、寒々しく白い砂漠の真ん中。一対の目線がこちらと交わっている。頭にバンダナを巻いたその男は、見るからに妖怪だった。青白い肌と、尖った耳。しかし、鍛えられた体躯と隙の無い雰囲気を持っているあたり、彼もまた黒鵺同様「腕に覚えのある、地獄に馴染んだ死者」のようだ。

 「こんな所でずいぶん、平然としてんのな。お前さん、地獄に来て長いのか?

 降り立つついでに尋ねてみると、黒鵺の足元で純白の砂がふわりと巻き上がる。その砂漠は黒鵺にも覚えのある場所だった。何百年か前に訪れた事があったかもしれない。底冷えが酷く、弱いものなら一瞬して手足が凍傷により腐り落ちてしまう所。

 「いや、まだせいぜい五年といった所だ。この階層の環境に慣れ始めたのは、ごく最近でな」

 へぇ、と黒鵺は素直に感心した。ここは比較的罪が軽いとみなされた死者が堕ちる階層だが、地獄は地獄。お世辞にも過ごしやすい場所ではない。並の人間や雑魚妖怪だったら、堕ちて数日で発狂する。黒鵺やこの死者のように理性や自我を保っているケースは当然少ない方だ。

 五年かかったとはいえ「慣れた」といえるほどの猛者を見るのは、久しぶりだった。

 「あんたは? 地獄にきてどれくらいになる?

 逆に尋ねられて、黒鵺は自慢げに応えた。

 「これでも、ざっと千年強だ。今じゃこの程度の次元、暇潰しにもなりゃしねぇ」

 聞くと、さすがに死者は驚いた。だがそれだけでなく、手元に折り畳んで持っていた大きな一枚の紙切れを、黒鵺の目の前に広げて見せる。そこには、四人の男女が描かれていた。この死者自らが描いたのだろうか。

 「? おい、何なんだこの絵・・・・・・」

 「この絵に描いた人達に、見覚えはないか? どこかですれ違っていたりしたことは無いのか?!

 切実な眼差しを向けられ、黒鵺はすぐに察しがついた。絵の中の男女も自分達と同じく死者で、おそらくこの階層に堕ちている。男はその四人と生前関わりがあって、地獄に堕ちた今も探しているのだと。

 「・・・・・・悪いが、見かけた事は無い。少なくとも、オレの記憶にゃ残ってねぇな」

 「そうか・・・・・・」

男は僅かに落胆の色を見せたが、すぐに気持ちを切り替えたのか真っ直ぐ向き直る。

「わざわざ呼び止めてすまなかった。また別の誰かを当ってみるとしよう」

そう言って男は、キュッキュッと小さく砂を踏み鳴らしながら歩き出した。その背中に、黒鵺は思わず声をかける。

「オレは、黒鵺ってんだ。あんたは?

「・・・・・・? 画魔、という。それが何か?

「地獄はだだっ広い。一階層分の面積が魔界の全階層分に匹敵する。そんな場所でこうして関わったのは、何かの縁だと思うぜ。もうちょい詳しく話し聞かせてくれよ。・・・・・・実は、まともに人格保ってる死者と話すの久しぶりでさ」

それに、何だか他人事で無いような気がしたのだ。死してなお生前の縁者を想い探し回る画魔が、鬼を言いくるめてまでも親友の安否を確認し続ける自分と重なって見えて仕方なかった。

 

 

偶然声をかけてみた男が、かつて伝説に聞いた「瑠璃結界の黒鵺」その人だと知って、画魔は心底驚いた。

「聞いたことのある名前だと思ったが、まさかこんなところで遭遇するとはな・・・・・・」

「驚いたのはお互い様だっての、まさかお前が暗黒武術会の出場選手だったとはよ。対戦相手に関しては、名前と試合結果ぐらいしか引き出せなかったからなぁ。」

しかも、蔵馬の対戦相手。もはやこれは、天文学的確率さえもゆうに飛び越えている。霊力ゼロの人間が、闘神雷禅に小指一本で勝利するようなものだ。

砂嵐の気配を感じたため、二人は砂漠をとりあえず離れて、今度は打って変わって漆黒のごつごつした岩場に腰を落ち着けていた。黒鵺は、自分よりもやや高い岩に座った画魔を見上げながら、ばつが悪そうに頭をかいた。

「運が悪かったと、思ってる?

「何がだ?

「オレの相棒が誰だったかも、聞き覚えあるんだろ? 今は人間の姿してっけど、お前らの時代じゃ悪名高い盗賊だった事もある銀狐だぜ。・・・・・・お前と対戦した」

黒鵺の言わんとするところをすぐに察したのか、画魔はふ、と小さく笑って首を横に振った。

「過ぎたことだ。もともと、蔵馬に対して私怨は無い。奴と戦うことになったのは、試合上の組み合わせに過ぎん。そもそもあそこは戦場だ。正面切って戦ったなら、どのような結果でもお互い様だろう」

その達観した口調と表情を、黒鵺は心底感心しながらまじまじと見つめた。

「いい奴だねー、お前。何で地獄になんか来たの?

「・・・・・・あんたにだけは言われたくない気もするが・・・・・・。やはり、魔忍としての任務上、手にかけた人数が少なくないからだろう。次元が変わろうとも、その事実は不変だろうからな」

「なるほど、納得」

思い返してみれば黒鵺が地獄に堕とされた最大の理由も、同胞の仇を討つためにかの国の歩兵部隊を、憎悪の果てに呪い殺したためだった。

「話し戻すけどさ、四強吹雪・・・・・・って通り名だっけ? お前が探してる二組の夫婦ってのは。オレ、そいつらが有名になる前に死んじまったから全然知識ねぇんだよ。もうちょい詳しく教えてくれ」

「現世の情報集めてたんじゃなかったのか?

「それ、蔵馬限定。あいつが率いてた盗賊団との接点がない事に関しては、ほとんどノーマークでさ」

そうか、と独り言のように呟いて、画魔は改めて先程の似顔絵を取り出し、広げた。

「オレを含めた『修羅の怪』が選定されるよりずっと前、四強吹雪と畏怖された彼らは、風使い閃(せん)さんと飛鳥(あすか)さん、そして呪氷使い涼矢(りょうや)さんと魅霜(みしも)さんの四人からなる。オレの師匠がこの人達と何度か同じ任務をこなしていた事があって、それが縁で知り合ったんだ」

「お前は、地獄に堕ちてからずっとその二組の夫婦を探してるってのか。だがそもそも、そいつらがこの階層に堕ちてるかどうかは、確実じゃねぇだろ?

「だが、可能性はここが一番大きい。あの人達がオレより深い階層に堕ちているなどありえん。ただ・・・・・・四人がちりぢりになっているのだとしたら、全員見つけるまでに何千年かかることやら」

そこまで言ってやや表情を曇らせた画魔を見やりつつ、少々考えを巡らせてから黒鵺は口を開いた。

「なぁ、さっきその四人はある任務の際に戦死したって言ってたが、それって命日が同じって事か?

「あぁ。あれほどの使い手達全員が絶命するほどだから、相当過酷な任務だったんだろうな。極秘扱いの指令だったから、当時まだ半人前のオレが詳細を知らされることは、ついに無かったが」

「じゃなくてさ」

軽く手を振って、黒鵺は軌道修正を試みる。

「全員同じ日に死んだんなら、一緒にいるかもしれないって事。霊界に滞在してた間か、地獄階層にいたる『道』の途中で再会してる可能性は、それこそ一番でかいぜ。どちらにせよそこにとどまってられる時間は短いが、死んだ時期が近ければ鉢合わせててもおかしくねぇよ。むしろ、自然なくらいだ」

それでも結局、この階層から特定の人物達を探すのは困難の極みであることに違いは無いが、それでも画魔にしてみれば黒鵺の言葉は大きな希望となった。

「それを聞けただけでもありがたい。どちらも非常に円満な夫婦だったからな。きっと、この地獄でも互いに手を取り合い、乗り切っているだろうよ」

さて、と画魔は腰を上げた。

「オレはもう行く。捜索続行だ」

言いながら、画魔がきびすを返そうとした、刹那。黒鵺は自身も立ち上がりながら声をかけた。

「その事だけど、手伝ってもいいか?

思いがけない問いかけに、画魔は思わず驚いて目を見開く。口調の気軽さとは裏腹に、黒鵺の表情は真摯だった。

「さっきも言ったろ、何かの縁だって。しかもお前は、蔵馬と面識がある。この地獄で、間接的といえども縁が巡るなんてまずありえねぇぜ。これでも生前は盗賊だからな、珍しいモンには飛びつく性質なんだ」

 

 

突如突きつけられた無理難題に、赤鬼はもともとギョロリと大きな目玉が、今にも飛び出しそうなほど驚いた。

「あんた、オレを消す気か! 審判の門のデータベースを見て来いだなんて、死刑宣告もいいトコだぜ!!

「別に、機密情報盗めとは言ってねぇだろうが。死者四人がどの階層のどこら辺にいるのか、それを確認して欲しいだけだぜ」

何とかなんねーの? と、黒鵺は食い下がってみた。しかし目の前の鬼は「青鬼」に変化してしまいそうなくらい蒼白で、千切れんばかりに首を横に振るばかり。

「無理だ無理だ無理だ! 霊界屈指のお偉方が厳重に管理してるホストコンピューターへのハッキングだなんて、いくつの法律違反に触れるか一介の鬼に過ぎないオレになんか、見当さえつかないぞ! 大体、そのための技術自体を持ってないんだ!

「法律云々以前に、技術上の問題か・・・・・・。セキュリティに引っかからずにアクセスするのは、そんなにむずかしいのか?

「当然。冥獄界行きの死者を極楽へ送るぐらい不可能だ。よっぽどの天才ハッカーでもない限りな」

「う〜〜〜ん・・・・・・オレだったら、そのコンピューターの扱い方が分かれば、どうにかなりそうなんだけど・・・・・・」

一度地獄に堕ちた死者は、輪廻転生が許可されない限り霊界に戻ることは絶対にできない。強引に戻ろうとしても、道の途中で自動的に強制送還されてしまう仕組みだ。仕組みというか、始めからそういう「自然現象」が起きる世界なのだ。そして輪廻待ちとして霊界に戻ると、今度は逆に地獄へ行けなくなる。これも、絶対に。

「やはり、霊界を利用するのは無謀すぎやしないか?

黙って黒鵺と赤鬼の攻防を見守っていたもう一人の死者――画魔が、見かねて口を挟む。

「んな事言ったって、人探しにゃまず情報がねぇと。一番確実なのは、霊界が管理してる死者データバンクだろ」

「だから、それが無理だと言ってるだろうが!!

赤鬼の悲鳴が黒鵺と画魔の間に割り込む。らちがあかん、と画魔はため息をついた。

「黒鵺、やはり霊界を介するのは諦めよう。というかあんた、ただでさえこの鬼を通して現世の情報を集めてたんだろ? 本来ならそれだけで霊界の規律違反じゃないのか。これ以上わざわざ危ない橋を渡ることは無い」

「はっ、生きてた頃はもっとヤバイ橋の上を全力疾走してたぜ。・・・・・・とはいえ今回、おまえさんまで巻きこむわけにもいかないか」

くすんだ灰色の岩場に腰を下ろし、さてどーすっかなーと、黒鵺はあぐらをかいて考え込んだ。ようやく解放されたらしい気配を察した赤鬼は、彼の気が変わらないうちにといわんばかりに、そそくさとその場を立ち去っていく。せかせかした後ろ姿を何とはなしに見送りつつ、画魔もその場に腰を落とした。

見上げる地獄の空は、生前魔界で見たそれよりもっとずっと紅く黒く、まるで血と墨を同時にぶちまけたような毒々しい色だ。これでここはまだ罪が軽い方の地獄なのだから、さらにより下の階層は一体どんな惨状なのだろう。

「画魔の書いた尋ね人達の似顔絵をもとに聞き込みするってだけじゃ、それこそ無謀なんだよなぁ。千年以上ここにいるオレでさえ全部把握できないくらい、ここは広いし・・・・・・そもそも自我や人格を保ってる死者って、実は結構少ないし・・・・・・」

ぶつぶつと頭を抱えてしまった黒鵺に、画魔は諦めの表情を滲ませながら苦笑する。

「あんた、やっぱり手を引け。オレが妖狐蔵馬と対戦していたからといって、たかがそれだけの縁でオレの恩人探しに付き合う必要なんぞ無い」

「却下! こう見えてもオレは往生際悪いぜ。一度乗っかった船は、難破しても降りる気はねぇよ」

頑としてゆらがない言葉を聞くと画魔はさらに苦笑を重ねて、お手上げだとでもいうようにもう一度天を仰ぐ。

「・・・・・・全く、かの瑠璃結界の黒鵺が、こうまで底抜けのお人よしとはな。そんな性格で、一国の王になんぞ本当になるつもりだったのか?

「っせーな! てめぇにまでその単語言われたかねぇっての。・・・・・・とにかく、何か別の突破口が見つかるまで、やっぱ地道に捜すしかなさそうだな」

じっとしてるよりはマシだと、黒鵺は立ち上がった。画魔から借り受けた四人の若い男女の似顔絵が書かれた紙を、その手に持ったまま。と、彼は思い出したように辺りを見回す。

「あれ、あの赤鬼は?

「気付いてなかったのか・・・・・・。とっくに避難したぞ」

「何ー?! まだ話終ってねぇっつーのによ! しゃーねぇな、奴が次にこの辺巡回するまでお預けか」

「あんた、あれ以上何を要求するつもりだったんだ?

とうとう本気で呆れた画魔にかまわず、黒鵺は涼しい顔で続ける。

「別にさっき言った事ほど危険じゃねぇさ。いつもの情報収集だよ。オレじゃなく、お前のな」

「オレの? そりゃどういう意味だ」

「いや、結局お前が探してる連中――四強吹雪――の事に関しちゃ、まったく手がかり掴めなかったからよ、その代わりと言っちゃなんだけど、もし今の現世の事で知りたい事があるんだったら、引き出してもらおうと思ってさ」

これを聞いた瞬間、画魔の脳裏に生きていた頃の記憶が何重にもフラッシュバックした。その衝動にも似た感覚に突き動かされるかのように、彼はせわしなく言葉を紡ぐ。

「弟分を二人、遺してきた。そいつらが今どうしているのかを知りたい!

 

 

 三竦みの一角を担っていた黄泉の要請で、蔵馬が戦力増強のために陣と凍矢にも声をかけていた事や、魔界統一トーナメントの事は黒鵺が既に掴んでいたので、画魔の希望は拍子抜けするほどあっけなく叶えられた。

 「となると・・・・・・魔忍の里とは既に縁が切れたと考えて、間違い無さそうだな」

 画魔は我が事のように胸を撫で下ろした。暗黒武術会後、あの二人が自ら里に戻るとは考えられなかったので、四強吹雪を探しながらもずっと気にかけていたのだ。里を裏切った「抜け忍」は、処刑と相場が決まっている。しかし実際に抜け忍の道を選ぶ者はそうそうおらず、画魔自身がその末路を直接見聞きした記憶は無い。

 「安心したよ。いずれ魅霜さん達を見つけた時、胸を張っていい報告ができそうだ」

 「そうなのか? 魔忍達の中のトップクラスだった連中の息子達なんだろ? 里を抜けるなんて、不名誉な事なんじゃ・・・・・・?

 「いや、これでいいんだ。魔忍の里を離れ自由になることは、親子二代にわたる悲願だったからな」

 あっさり首を横に振った画魔に、黒鵺がハッと目を見開いた。

 「親子二代って、じゃあまさか!

 「あぁ・・・・・・そのまさかだ。四強吹雪に名を連ねた四人も、密かに里を抜ける計画を立てていた。もちろん、それぞれの息子達を連れて。実際には、計画を実行に移す直前に、件の任務で彼らは全滅してしまったがな・・・・・・」

 オレは、後になって陣と凍矢から教えられたんだ。そう付け加えて、画魔は黙り込んだ。

 あの頃の自分が遠く及びもしなかった四人の、見るも無残な亡骸を目の当たりにした衝撃と悲哀は、死した今も色褪せる事は無い。もう一度彼らに巡り会うまで、決して癒されはしないだろう。

 「んじゃ、今度こそ捜索続行といくか

と、黒鵺は白銀の鎌を内部結界から取り出し、傍らの大岩を真っ二つにした。その内の片方を断面が上になるように倒し、鎌の切っ先で簡単な周辺地図を書き始める。

「この岩場を中心に据えたとして、真っ直ぐ右へ五十キロ進んでいくと巨大な底なしの湿地帯に出る。んで、さらにこの方向へ三十キロ進むと断崖に突き当たるんだ。そこを左へ六十五キロ行った先は、オレもあんまり詳しくねぇから、とりあえずそこからな。んで、そこの捜索が済んだら今度はまた断崖に戻ってこう、ななめ左上に向かって・・・・・・」

 「・・・・・・黒鵺、ちなみにこの地図の位置関係本当に正確なのか? 方向の転換角度とか距離とかいつ測ったんだ?

 「そんなもん、わざわざ計測してるわけねーだろ。記憶力と勘で十分だよ、少なくともオレの場合は」

 「いい加減というか強引というか・・・・・・あんた本当に蔵馬の相棒だったのか? 奴の慎重さは瑠璃結界の名盗賊から受けた影響かと思ったんだが・・・・・・」

 「どーでもいいこと気にすんな! それ以上は頭皮がズル剥けんぞ、つるっパゲ」

 「なっ! 貴様! 陣にしか言われなかった事を初対面で!!

 「・・・・・・・・・言われてたのかよ、今の適当だったのに」

 画魔は四強吹雪の死後、陣と凍矢の親代わりを担っていたらしいが、やはり彼も、子育てには苦労したクチらしい。自分達がお互いを見つけたのは、偶然という名の必然だったのかと、黒鵺は密かに苦笑した。

 

 

 黒鵺が言った湿地帯を越えた先は、死者の姿もまばらな平原だった。ただし、その平原は不規則なタイミングで地割れがいくつも発生し、死者達を飲み込んだ瞬間にまた閉じてぺしゃんこに圧殺するという現象を、何度も繰り返している。

 この地表の下で、巨大な万力達が蠢いているようだと、停止状態に入ったらしい平原に画魔を下ろしてやりながら、黒鵺は思った。

 「死者が少ないな・・・・・・ただでさえ聞き込み調査が難しいというのに」

 「でも、見晴らしはいいぜ。どっかに見知った姿があったら、遠目でもすぐわかる」

 閉じられた地割れから、血まみれの手や足が覗いている。あの四人がこんなちゃちな罠にかかるとは画魔にはとても思えないが、やはりその手足が、鼓膜を穿つ悲鳴やうめき声が、記憶に存在するどれにも当てはまらない事に安堵せずにはいられなかった。

 そこに気を取られていたせいか、黒鵺がなにやら口にした言葉を、画魔はうっかり聞き逃してしまっていた。

 「? すまん、何だって? 今よく聞いていなかった」

 「ん、だからさ・・・・・・蔵馬でもきっと、同じ事やってると思ったんだ」

 まだ黒鵺の言わんとするところが分からず、画魔は重ねて聞き返す。

 「同じ事、とは?

 「今のオレと同じ事。そうならなくて良かったというか、これからもまだまだ当分はダメなんだけどさ・・・・・ここにいるのがオレじゃなくあいつでも、きっとお前と一緒に四強吹雪を探してると思うんだ」

 そう考えた時、手伝う理由が増えた。と、黒鵺は笑った。

 「きっと蔵馬も、魔界忍者の掟の厳しさは知ってる。抜け忍イコール処刑の図式くらいは、とっくに。陣と凍矢って二人に声かけたのは、そいつらが実力持ってるからってだけじゃなくて、一生追い忍から逃げ続けるかヘタすりゃ殺されるかの境遇から、助けてやりたかったからかもな」

 本当の彼は、極悪非道なんかじゃないから。故郷へ帰れなくなった二人を、他人事とは思えなかったのだろう。

 「それに蔵馬にだって、お前を殺す気なんか無かったんだろ? せめてもの罪滅ぼしって言ったらアレだけど、多分そこに近い感覚はあったんじゃねぇのかな」

 

 無駄死にはよせ。キミは死ぬには惜しい使い手だ。

 

 確かに、蔵馬からは最初から殺意は感じられなかった。画魔に負わせた深手も、あえてやったこと。彼の戦意をそぐために。

 「・・・・・・そうかもな。あんたが言うと説得力がある」

 画魔が呟くようにそう言った次の瞬間。二人の耳が、さざなみのようなうねりが足元からせり上がり押し寄せてくる気配を捕らえた。

 「まずい、また地割れだ!

 黒鵺が肩を貸し、先ほどと同じように画魔を連れ立って舞い上がった。眼下に広がる、くすんだ平原。地平線の彼方まで見渡せそうだ。この視界の中に、いつかかの人達の姿を見つけることができるのだろうか。不安と期待は、地獄の空よりも混沌として、画魔の心の奥底に横たわっている。

 

 

 地割れの平原とさらに、刃の木の葉が舞い落ちる森を抜け。その後も黒鵺さえお目にかかったことの無いような、多種多様な地獄絵図、いや地獄そのものを、黒鵺と画魔は巡り続けた。しかしその間、四強吹雪の誰かを発見する事も、彼らに繋がる情報すらも手に入れることはできずじまいだった。

死者に体力の限界は無いが、さすがに精神力は休めようかという事になって、毒々しい色の底なし沼が見下ろす丘で、二人は小休止を取っていた。と、そこへ。

あの赤鬼が、息せき切って走りながら丘を登ってくるのが見えた。

「やっと追いついた! このまま見つからなかったら、どうしようかと思ったぜ!

大きく肩を上下させてから、赤鬼は勘弁してくれとでも言いたげな、恨めしそうな目で黒鵺を睨んだ。

「何だよ、お前こそどうした? この辺、巡回経路からは大幅にはずれてるだろ? よくオレがここだって分かったな」

「今日は通常業務じゃなく、上から受けた緊急伝令だよ。あんたに朗報だ」

「オレに? データバンクのハックでもやってくれたとか?

「するか、そんな事!! そうじゃなくて、転生が決まったんだよ」

「転生って、黒鵺の輪廻転生が?

突然の事にぽかんとした本人に変わって、画魔が聞き返した。

「あぁ、そうさ。この階層に堕ちて、もう千年以上もたったしな。お勤め終了ってトコだ。輪廻転生待機所のお偉いさんが、今回の輪廻待ち死者リストをもとに、極楽や地獄に居る該当死者達の所在地を、データバンクをもとに割り出し検索して、オレをここにパシらせたってことさ」

ところが黒鵺は足早にどこかへ移動しているので、思ったより伝達に難儀したらしい。この赤鬼が息を切らして、急ぎに急ぎながらここへきたのは、そういう理由だったのだ。

「へーえ。だとすると、お前にとっても朗報じゃん。オレが待機所へ行けば、もう情報収集手伝わされる事もなくなるわけだもんな」

「全くだよ! 思いもよらず規律違反重ねる事になったが、ようやっと解放される訳だ」

皮肉っぽく笑った黒鵺に対し、赤鬼も牙をむき出しにして笑ってみせた。しかし何のかんのといいつつ、彼が黒鵺に協力していたのは、個人的に彼を気に入っていたからだ。どうも憎めなかった。地獄堕ちの死者のくせに妙に陽気で人懐っこくて、本来ならば地獄の死者達からは蛇蝎の如く忌み嫌われている立場の自分にも、気さくに話しかけてくる彼の頼みを、断りきれなかった。

「現世時間の四十八時間後に、別の鬼が案内人を連れてくる。できれば、ここを動かないでやってくれ。オレ以外の鬼を怒らせると面倒だぞ。オレはもう通常業務に戻らないとならないから、あんたとはここでお別れだな」

「・・・・・・そっか。この階層に堕ちてから、お前との付き合いも結構長いと思ってたけど、意外とあっけねぇもんだ」

 最後まで死者らしくない言動に、赤鬼は今度こそ声をあげて笑い、だけどその表情には一抹の寂しさをひそませて、それからきびすを返した。

 「じゃあな、今度生まれ変わったら、極楽へ行けるような人生にしろよ」

 別れなんて、あっけなくていいのだ。生まれ変わる直前に、全ての記憶を抹消されるのだから。せいせいするではないか。もう何も頼まれずに済むのだから。

 何度も何度も自分に言い聞かせながら、振り返りそうになる己を叱咤しながら、赤鬼は丘を降りていった。

 その背中が見えなくなるまで見送ってから、黒鵺はふっと短い息を吐き出した。

 「千年振りの娑婆だとさ。さーて、今度は魔界と人間界どっちに生まれ変わるかなぁ。どの道、妖怪になるんだろうが。その時も魔界統一トーナメントが続いてたら、参加してたりして。あ、ってかそれよりも、恩人探し手伝うとかいっといて、結局途中離脱でごめんな。いつ刑期満了なのか、こっちは知らされてなかったしよ」

 などと、やたらに増えた明るい口数で振り向く黒鵺を、画魔は静かな眼差しで見返した。そして、一言。

 「あまり、嬉しく無さそうだな」

 抑揚のあまり無い、低い穏やかな声だった。しかしその響きは、黒鵺の動揺を誘うには十分で。急に引っ込んだ言葉が、わずかに泳ぐ目線が、画魔の言葉を肯定している。

 「・・・・・・何を、急に」

 「盗賊としては天才だったんだろうが、それでも魔忍に嘘をつけると思うな。目の前の相手の本音、心の機微を、逐一正確に読み取る事は朝飯前だぞ」

 まるで諭しているかのような言葉の前に、黒鵺はごまかす術など無いと知る。降参、と苦笑いしながら両手を挙げて見せるしかなかった。

 「そうだな・・・・・・まず生まれ変わるだなんて、考えた事もなかった。意識したくも無かったさ・・・・・・オレは・・・・・・そう、輪廻転生なんざ、さらさら望んじゃいないんだ」

 少しでも意識のはっきりしている死者達は、いつか生前の罪を許されて輪廻転生待機所へ呼び出される時を、それこそ一日千秋の思いで待っている。それを、すり潰されそうな心の支えとしている。だが、黒鵺は違った。

 「画魔も聞いたことくらいあるだろ。転生するにはまず、霊体情報を消去されるって。生前の記憶は、何一つ残されないって。つまりオレは、『黒鵺』だった頃の事を全部忘れて、次の誰かに生まれ変わる。そしたら、現世のどっかでもし蔵馬とすれ違う事があったとしても、オレは・・・・・・あいつを思い出せないんだぜ。同時にあいつも、オレの事が分からないんだ。そんなのって・・・・・・」

 その光景を想像する事は、黒鵺にとって地獄に勝る恐怖だった。引きつった唇が、それでも続きを紡ぐ。

 「・・・・・・永遠に逢えないより、寂しくね? それ以前に、逢いたいと願う事さえできなくなるなんてよ。オレは・・・・・・未来永劫地獄に繋がれたままでもいいから、蔵馬を忘れたくない!

 新たな命への期待よりも、親友と分かち合った想い出の方が、黒鵺の魂を千年以上もの長きにわたって支えていたのである。それがあったからこそ、地獄でも自分を見失う事はなかった。

 「現世と縁が切れたオレ達にとって、この記憶だけが全てじゃねぇか。霊界の掟や都合なんぞ知ったことか! 誰にも何にも、ここにだけは立ち入られたくねぇんだよ」

 そう言って黒鵺は、固く握った拳をかつてペンダントを下げていた部分に置いた。そこは、生前の記憶を辿るたびに疼く場所。心。本来はきっと、神でさえ触れられぬ絶対的な聖域のはずなのに。地獄で千年以上過ごしたため、気がついたら生前をはるかに上回る妖力を霊体が身につけていたけれど、肝心なその聖域を守る力や術がどこにも無い。

 「・・・・・・こんな女々しい、後ろ向きな考えしてるって事は、オレもやっぱり地獄に毒されたのかな」

 自嘲気味に吐き捨てる黒鵺の隣で、画魔は静かに首を横に振る。

 「そう自分を過小評価するな。あんたは間違っちゃいない。・・・・・・第一、オレも現世に遺して来た者達が居る以上、あんたと同類だ。とやかく言えん」

 いつか自分にも、生まれ変わって記憶を失う時が来る。閃や涼矢達にも。彼らはどうだろう。やはり、黒鵺と同じように感じているのだろうか。自分達が共にあった時間を、愛する息子達の事を忘れたくないと、この地獄のどこかで切望しているのだろうか。

 「とにかく、オレとしては彼らが輪廻転生待機所へ呼ばれる前に、見つけ出せるよう努力するのみだ。・・・・・・記憶の消失に怯えるには千年早い」

 「そうだな・・・・・・同じ階層に居るんだとしたら、待機所呼び出し食らうのは確実に四強吹雪の方が先だしな。・・・・・・いっそ霊界戻ったら、転生後も前世の記憶保てるようなお宝探してみるか」

 「それで地獄に逆戻ったらシャレにならんぞ。今度はもう、あんたと鉢合わせできる自信が無い」

 「お、見くびってもらっちゃ困るぜ。霊界のセキュリティごときに、オレ様がとっつかまったりするもんかよ。そうだ、今なら完全修復してるだろうから、蔵馬達が盗んだって言う霊界三大秘宝、まとめてかっさらってみるのも面白そうだな」

 現役復帰も悪くない、とうそぶく黒鵺に、画魔は拍子抜けたように笑った。

 「何だ、もうそんな軽口叩けるようになったか」

 「こちとら地獄歴千年だぜ。長々と凹んでられっかよ。画魔のおかげで、溜め込まずに済んだし」

 抱え込んできた痛みを吐き出せたなら、あとは進むしかない。改めて見上げた地獄の空は、いつもと同じく闇に澱んだ血色。その向こうに霊界が、さらにその先には現世が広がっている。そこに、蔵馬が生きている。画魔の弟分達も。

 「現世でも、何か奇蹟が起きたらいいな」

 例えば、自分達が巡り会えたような出逢いが。それはまるで、祈りにも似た期待だった。

 

 

 

 

 

潮風が薫る。それに乗って、鳥の声が届く。透き通った紺碧の空は果てしなく続き、気まぐれのように浮かぶ雲が美しいコントラストを描いている。東の海を正面に臨んだその丘に、頭上からプラチナのような太陽の光がさんさんとふりそそいでくる。吹き渡る潮風に煽られて、濃い色彩に萌える草が一斉に緩やかに波打った。

「・・・・・・いい場所だ」噛み締めるように、黒鵺が呟く「地獄に堕ちても画魔が人格を保ってられたのは、あいつ本人の力量だけじゃなくて、この場所を通してお前らの想いに守られてたからだったんだろうな」

穏やかな双眸の先には、彼の膝丈くらいの石が鎮座している。そこに魔界文字で刻まれているのは、画魔の名前。五年前にしつらえられた、彼のための墓標。その前に、新たな花束が供えられた。

「守るも何も、現世に残ったオレ達にできるのは、死者を忘れない事だけだ。しかしそれが通じていたのなら、やはりここに画魔を葬った甲斐があったというもの」

「んだな。それに暗黒武術会運営委員会の連中も、誰一人いなくなっちまったしな。ここはもう、画魔の島だべ。そもそもオラ達、この島貰うつもりできたんだしよ」

跪き、静かに墓標を見守る凍矢と、空中座禅のまま黒鵺を振り返る陣。

思えば、霊界の宝剣・蛇那杜栖を盗んで魔界へ脱出したあの夜、偶然立ち寄った腑胴でこの二人を見つけられたことこそ、奇蹟だった。ぼたんとひなげしのための食料調達と情報収集を兼ねて、街を回っていた黒鵺の目の前で、突然妖怪の一人が氷漬けになり、別の一人が突風の塊に押し上げられて吹っ飛んでいったのだ。

二人分の強力な妖気を近くの建物の屋上に感じ、それぞれ風と氷の属性を持っていることに、まさかと思いながらも直行してみて、黒鵺は我が目を疑った。

 地獄に居た頃、画魔に見せてもらった四強吹雪の似顔絵。その内の二人、風使い閃と呪氷使い涼矢に瓜二つな少年達が、そこに居たのだから。

 なぁ画魔、あれはお前が起こしてくれた奇蹟なんだろ? お前がオレを、陣と凍矢に巡り会わせてくれたんだよな?

 三界を巻き込んだ前代未聞の大事件を、地獄の画魔が知る術は無い。しかし、それでも黒鵺は信じずにいられなかった。この出会いは、画魔が繋いでくれた縁だと。

 「悪いな、トーナメントまで一ヶ月きろうかって大事な時期に、無理言ってよ」

 「そんなの、黒鵺も一緒だべ」あっけらかんと、陣が笑う「一日ぐれー画魔の墓参りに使ったからって腕が鈍るようじゃ、上位にも食い込めねぇだ。それに、オメさの頼みは断れねぇだよ」

 「・・・・・・ところで陣、これが墓参りだと分かってるなら、そろそろ落ち着いて腰下ろせ」

 「ん? オラ、さっきからずーっと座ってるっぺ」

 「だから空中じゃないというに!!

 生前の画魔は、おそらくいつもこんな二人を見守っていたのだろうかと思いながら、黒鵺はついこんな事を呟いた。

 「ま、ガキは世話が焼けるほど可愛いっていうしな」

 「・・・・・・・・・へーえ。ちなみにそのガキって単語が、黒鵺にとって誰を意味しているのか、できれば詳しく説明してもらえないか?

 すかさず聞きとがめた蔵馬が、あくまで冷静を装って隣に立つ黒鵺を見上げる。どうやら、地獄耳は人間の身体でも健在らしい。

 「どうせ見当ついてんだろ。わざわざ自分から不愉快になるこたねぇぜ」

 「そっちが原因のくせに」

 眉をひそめながらも蔵馬は、黒鵺を前にすると彼と共にあった頃の、まだ青かった少年時代の感覚が甦ってしまう自分を自覚していた。

 「・・・・・・なぁ黒鵺、一応確認しておきたいんだけどさ。お前が最初、復活を拒んでいたのは、やっぱり画魔を想ってのことだった?

 今この場所だからこそ、聞かなければならない事だった。黒鵺は、ハッとして押し黙りこちらを振り返った陣と凍矢とも目線を合わせてから、もう一度蔵馬に向き直る。

 「まーな。ガキ遺して来ちまったのは、あいつも同じだし。オレだけ現世に『黒鵺』のまま舞い戻るのは、フェアじゃねぇと思ったんだ。何よりオレ自身、正聖神党の一件さえなかったら、通常転生してたわけだし」

 「だけど画魔は、そんなの気にしない。むしろ喜ぶはずだ・・・・・・そういう奴だから」

 過去形で表現しない凍矢の言葉が、切々と響く。

いつのまにか風を使うのをやめ、地上に降り立った陣がその隣で胸を張った。

 「そうだべ! それにオラも凍矢も、とーちゃんかーちゃんや画魔がいずれ生まれ変わってきたら、絶対見つけ出せる自信があるだよ」

 姿や名前が変わろうと。例え、忘れられていたとしても。だからこそ、彼らを覚えている自分達が探し出すべきなのだ。

 「だよな・・・・・・オレも、生き返って初めて、そう考えられるようになった」

 それは、地獄の住人でなくなったからだけではなかった。あの無限ともいえる程広く果てしない次元で、それでも今なお、尋ね人を探し続けているであろう彼に、恥じない生き方をしなければならないと思ったからだ。諦めない。自分達を取り巻く環境が、生と死に分かれても。心は、結局同一なのだから。

 「オレが言うのもなんだけど、きっと大丈夫だと思うよ」蔵馬が柔らかく微笑んだ「何度も天文学的確率をクリアしたんだ。もしかしたら、画魔達が生まれ変わった時、前世を思い出すっていう奇蹟だって起こるかもしれない」

 「何他人事みたいな言い方してんだ。お前もいつか、同じ奇蹟を起こしてみせろよ」

 突然黒鵺から、くしゃくしゃとかき混ぜるように頭を撫でられ、しかも言葉の意味を図りかねて蔵馬は一瞬目を白黒させた。そんな彼の頭に置いた手をそのままに、黒鵺が自信たっぷりに笑ってみせる。

 「言っただろ。千年でも二千年でも待っててやるって」

 蔵馬の寿命は、人間並みになった。数十年という、妖怪にとってはあまりにも短い年月を経れば、彼は天寿を全うする。別れはまた、必ず来る。その時今度は黒鵺が、途方も無い喪失に襲われるだろう。だけど、もう恐れない。残された時間が限定されているのなら、そんな余裕は無いのだ。

 「腹はもう括った。だからあとは、今を生きてくだけだ」

 過去を忘れず、未来を恐れず、今のこの瞬間を余すところ無く生き尽くすのみ。・・・・・・途中で、それが絶たれた者達の分までも。

 「とりあえずはやっぱりトーナメントだべな。目指せ一勝!! ってか優勝〜〜!!

 「おい、仮にも墓前で騒ぐな、不謹慎だぞ!

 「蔵馬、お前まず開会式は絶対観に来いよ」

 「分かってるって、有休の申請はもうすませたから」

 

 正午近いためか太陽は、天上の中心まで登りつめている。そこからふりそそぐ眩しい光と熱は、地上の生ある者達を等しく激励しているかのようだった。

 

 

〜完〜

                 

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