第六章・逃走の陰で

 

「いかにもって感じの造りだな。刹彌って野郎は、相当なセンスの持ち主だぜ」

 獰猛な悪鬼が大口を開けているかのような正門を、酎が見上げている。

 この一帯は、黒鵺が死んでから三百年程後に疫病が流行り、主の刹彌もその部下達もばたばたと死に絶えてしまったのだという。竹やぶの中に埋もれたその城は、盗賊の類でさえ感染を恐れ近付かなくなり、やがて忘れられていった。最近、一般で出回っている地図にはもう、載ってさえいない。

 「ここの隠し宝物庫に、虐鬼の泉へ行くための地図があるはずだ。万一誰かが荒しに来ていたことがあったとしても、そこまで踏み込めるわけがない。・・・・・・自画自賛じゃなく、その隠し宝物庫にたどり着けた盗賊は、オレと蔵馬だけだ」

 フードを取り、押し込めていた髪をばさっと解放し、黒鵺は廃墟となって久しい宮殿を懐かしそうに眺めていた。

 「ただし、地図がどんなものなのか、どういう風に保管されていたりするのかまでは知らない。生前ここに来た時は、完全にノーマークだったもんでな」

 黒鵺が六人衆の先頭に立ち中へ踏み入ると、さっそく目に飛び込んできたのは、砂漠に放ってもこれ以上は乾燥しないだろうというくらいにひからびきった、風化寸前な骨の数々。

 「疫病で死んで、そのままだったようだ」

 しゃがみこんで懐中電灯を掲げ、骨の状態を注意深く確認しながら、鈴木が誰にとはなしに呟く。

 「少なくとも当時の医療技術は、全く役に立たなかったと見える。それにこの宮殿から逃げ出す間も無く死んでしまうほど、病気の進行が早かったんだろう」

 「そういえば、ここ来るまでに通ってきた竹林にも、あんまり生き物の気配なかったね。例の疫病のせいで、宮殿に住んでる妖怪以外にも、たくさん死んじゃったのかな」

 広い回廊を右へ左へ歩きつつ、そこかしこに施された大仰な装飾を懐中電灯で照らしながら、鈴駒も何気なく言った。

 だがその発言に、黒鵺は一瞬足を止める。しかし彼はすぐさま、何事もなかったかのように先頭を歩き続けた。ひっくり返った頭蓋骨や、崩れた甲冑が、オブジェのように点在する階段を登りきった先、刹彌の玉座に一同は入った。

 かつては天井の中心で、こうこうと派手に輝いていたのであろうシャンデリアは、とっくの昔に床へと落下し、見る影も無い残骸と化していた。蜘蛛の巣さえもかさかさで、主として住んでいるべき蜘蛛自体が居ない。

 「まだこいつには生きてて欲しいんだが・・・・・・」

 ぼそっと零しながら、黒鵺は玉座の下へ仰向けでもぐりこんだ。そこから、くぐもった独り言が陣達の耳に届く。

 「このボタンを押しながらレバーを引っ張って、なおかつ文字盤をこう並べ替えると・・・・・・」

 カチッ。鍵穴に鍵がぴったりはまったときのような音が、静まり返っている室内に、かすかに響いた。かと思うと、玉座の背後に描かれている趣味の悪い壁画の一部が、右から左へすうっと音も無くスライドしたではないか。そしてそこに新たな扉が出現した。

 「これが、隠し宝物庫の入り口だべな? ありゃ、鍵かかってるべ」

 陣が、観音扉のそれの取っ手を掴んでいる。

 「でももう、警備する奴もいねぇし、腕ずくで壊して問題ねぇべな」

 「いや、やめとけ。扉を壁画から出すための仕掛けが生きてたんだ。ってことは」

 ガガガガガ!

もぐっていた玉座から這い出す黒鵺の耳を、殺伐とした音が連続してつんざいた。

 「正式な開錠以外の方法で無理に開けようとすると、自動的に作動する侵入者用トラップが、未だに動くから・・・・・・って、遅かったか」

 苦笑するししかない黒鵺の見る先に、破壊された扉の前に集中して穿たれている何本もの矢と、それをすんでのところでかわした陣が居た。

 「ももも、もうちっと早く言って欲しかっただべ!

 「・・・・・・お前が急ぎすぎただけだろう。というか、仮にも元忍者なら罠の有無を少しは疑え」

 いい加減慣れたものとはいえ、凍矢はそれでもしょうのない奴、とため息をつかずいられなかった。

 

 

 真夜中が目前に迫った時刻。範囲が狭いとはいえ、放射状の亀裂が入ったリビングの壁を前に、流石は憤懣やるかたなし、といった体でため息をつかずにいられなかった。

 携帯電話の向こうでそれを聞く彼女の恋人が、『そりゃ災難だったね。本当に協力してくれてありがと』とねぎらってくれたので、多少は救われたけれど。

 「もー、まいっちゃう! これじゃ絶対敷金かえってこないわ。後でなんとしてでも、浦飯くんに請求書ださなくちゃ!

 『大家さんへの弁償代と流石ちゃんへの見舞金、かっちり合計してやんなよ。オイラが責任もって払わせるから。そんで、霊界のおねーちゃん達はどうしてる?

 「不知火達には見つからなかったし、盗聴器の類を仕掛けてる気配もなかったから、あたしの部屋に戻したわ。後ね、大統領から緊急一括送信のメールがあったの。鈴駒くん達のことで。さっき、ニュースでも取り上げられてた」

 『ありゃー、やっぱり? 案の定、共犯だと思われたかな』

 「でもそれは、霊界側の主張に過ぎないって。魔界側はまだ、六人衆が本心から三界指名手配犯に味方してるとは思ってないみたい。屈したフリをして、寝首かこうとしてるのかも、って憶測もとんでるのよ。浦飯くんも似たような事考えてるみたいだけど」

 昼間の、不知火に対する彼の猛烈な義憤を思い出す。鈴駒達を信じるため、霊界側の提示した疑惑に真っ向から立ち向かってくれた事は、流石自身にとっても喜ばしい事だった。

 それでも、壁の弁償については別次元なのだが。

 『流石ちゃんは大丈夫? もう疑われたり怪しまれたりしてない?

 「あたしの方は、何も問題無いわ。大丈夫よ。それより、明日・・・・・・・そろそろ今日、か。いよいよ最終段階で全面解決に乗り出すんでしょ。鈴駒くんこそ大丈夫?

 『まっかしといて! 絶対正聖神党の好きになんてさせないから! 今回も一緒に、またトーナメント出よう。・・・・・・できれば、対戦は避けたいけど』

 てへへ、と思わず零れた照れ笑いに、流石もつられて破顔した。

 「そうね。前回は対戦できたのがなれ初めになったわけだけど。お互い、今回はクジ運に恵まれると信じましょ」

 その後も少し会話を続けてから、じゃあ、気をつけて、と通話を切り、流石はソファに並んで座っているぼたんとひなげしに向き直った。

 「予定通り、明日全部決行よ。黒鵺さんと陣さんの替え玉作戦も、変更なしだって。あたし達は、鈴駒くん達が霊界側捜査員を全員捕縛して、彼らが真相を伝えに大統領官邸に向かいなおかつ、黒鵺さんが十七層へ入った頃を見計らって浦飯くん達にネタ晴らし。そしたら百足に行ってくれってさ」

 「百足? 官邸じゃないのかい? 六人衆を霊界に案内しなきゃいけないんじゃ・・・・・・」

 ぼたんが首をかしげる。

 「うん、あたしもてっきり大統領の所行けばいいんだと思ってたけど、百足でいいんだって。陣さんが、どうしてもそうして欲しいって言ってるみたいなの。それも、何故か黒鵺さんには内緒にするようにって。ま、明日になれば分かると思うわ」

 携帯をサイドボードに置いてのびを一つしてから、流石は霊界人の少女達が座るソファまで歩み寄った。

 「今夜は、そろそろお風呂入って寝よっか。夜が明けたらいよいよ大詰めだもの」 

 「そうさねぇ、気が立って熟睡できないかもしれないけど、横になっとくだけでもずいぶん違うし」

 促されるまま立ち上がりかけたぼたんだったが、隣のひなげしが思いつめたようにうつむき、袴の膝の部分をぎゅうっと握り締めている事に気づいて、ハッとした。

 「どうしたんだい、ひなげし。深刻な気持になるのは分かるけど、あんたかなりつらそうだよ?

 もう一度座りなおし、自分の肩に優しく手を置く親友を見上げ、また泣き出しそうな顔でうつむいて、それでもひなげしは思いのほかしっかりした声音を発した。

 「流石ちゃん、お願いがあるの。明日、鈴駒さんから連絡が来る前に、陣さんに電話してもらえる?

 「陣さん? どうして?

 「あの人にも、頼みたい事があるから。・・・・・・どうしても」

 ひなげしは相変わらず目線を下に向けたまま、一点をみつめている。

 頑なで、しかも切羽詰っているかのような彼女に、理由を問いただす事もできず、ぼたんと流石は固唾を呑んで押し黙るしかなかった。

 

 

 隠し宝物庫は、大きな三つの部屋に区切られていた。宝の種類別にしているのかと思いきやそういうわけではなく、刹彌が部下を使って集めさせた諸々の名品珍品が、整然とだがジャンルを問わず正に無節操という感じで陳列されているのだ。

 鈴駒と酎、鈴木と死々若丸、そして陣と凍矢に黒鵺の三組に振り分けて、それぞれの部屋を探索する事になった。

 豪奢な宝剣や装飾品に絹織物はもちろん、武術の指南書や魔道書に妖具、果ては絶滅寸前といわれた種族の毛皮やミイラやホルマリン漬けにされた身体の一部などに至るまで、盗賊垂涎のアイテムがこれでもかと言わんばかりに、それぞれの部屋で彼らを出迎えた。ただし、その全ては管理者が居なくなったために、保存状態は最悪だったが。

 目的の地図がようやく見つかったのは、鈴駒が流石に連絡を入れるより二十分程前。

 気をつけてもたなければ、手にしたそばからボロボロと崩れそうな、ある書物。

 とりたてて珍しくも無さそうな本なのだが、その表紙が不自然なほど分厚く、そこに第六感を触発された鈴木が表紙部分を前後に裂いてみた所、折りたたまれた状態で隠されていた地図がひらり、と彼の足元に舞い降りたのだった。

 廊下に出ていた鈴駒が流石との電話を切って仲間達の所へ戻ってみると、床に広げた地図を睨むようにして、黒鵺が最短ルートとして記されたラインを指で辿っていた。その周囲を、他の五人が囲んでいる。

 「虐鬼の泉があるのは、魔界第十七層北東部。所要時間が一番かからないルートを行っても、ここから片道三時間四十分か」

 「しかも途中で、この蛇骨山脈を越えねばならん」

 地図上の色褪せた絵でも、その険しさが伺えるような地点を死々若丸が指し示した。

 「ここは魔界でも特に縄張り意識の強い、獰猛な妖怪達の巣窟だと聞く。そいつらの襲撃は避けられんぞ。特に強敵というほどではないが、決して雑魚でもない。今のお前が全部を相手にするには、少々厳しいのではないか?

 皮肉を込めてちらりと目線を投げて寄こす若き剣士に、元稀代の名盗賊は肩をすくめて見せるだけだった。彼の器に侵食する亀裂は、ローブの下に隠れて肉眼には触れないものの、この宮殿に入って以降も増え続けたらしい。しかもこの亀裂は、元から彼が着ている服にも現れている。霊体の状態から着ているものである場合、服も器の一部とみなされるせいだ。だから足から始まった亀裂は、靴の上からも見える。その亀裂同士がこすれてきしむ音が、昨日よりもはっきりと六人の耳に聞こえていた。

 この上戦闘状態で妖力を振るえば、さらに崩壊が進む事は間違いない。それに本人は何も言わないが、ひびが入るたびに筆舌につくしがたい激痛に襲われているようだった。そんな痛みに阻まれては、本来の強さを発揮できるはずもない。

 最大局面を直前に控え、急にはっきりと不安と焦燥の輪郭が見えてきて、凍矢はそれに突き動かされるように言の葉を唇に乗せた。

「やっぱり、一人で行くには危険すぎる。誰か一緒の方がいいだろう、せめて途中まででも・・・・・・」

 「いや、それは駄目だ」

 黒鵺は紺色の瞳をまっすぐ呪氷使いに向け、頑として受け付けまいとする意思を見せた。

 「先に説明した通り、毒は霧状になってる。泉から多少離れていても、霧が届いていたら毒にやられるぜ。生きた妖怪を近づけさせるわけにいかない」

 虐鬼の泉に接近しても毒霧の影響を受けずに居られるのは、死者である黒鵺だけだ。

 ぐびり、と酒に喉を鳴らした酎が、あぐらをかく足を組みかえて問いかける。

 「じゃあ、当初の予定通り、オレ達は魔界側の追っ手をひきつけつつ大統領官邸へ行って、ネタ晴らしした後は霊界に移動。そしたらお前さんが来るまで待機、ってことでいいんだな?

 「そうだ。そこまで事がすすんだら、いよいよ正聖神党が本性曝して人質を盾にしてくるだろう。まぁ、すぐに異次元砲ぶっぱなす事は無いと思うぜ。いくらあいつらでも、焦って玉砕しようとはしないさ。一矢報いるチャンスを、しばらくは狙うはずだ」

 これを聞きながら鈴駒は、ポケットの中にある、流石への電話直前にこっそり渡されたメモを握り締めて、それを書いた主を見上げる。

 あいも変わらず空中座禅のまま、その視線に気付かぬフリをきめこむ陣は、飄々とした面差しの中に密かな確信を持っていた。

 

 

 翌朝。悪趣味な鬼の大口の前に、七人は出揃った。

 さわさわと、竹の葉が鳴いているかのような音が、さざなみのように震えて通り過ぎていく。それは、嵐の前の静けさをよりいっそう際立たせた。

 手首や首の関節をゴキゴキ鳴らしながら、酎が武者震いしている。

 「黒鵺がこっち戻ってきてもう三日・・・・・・いや、まだ三日か? とにかく今日で、霊界絡みのトラブルは終らせなきゃあな」

 「大事な祭が控えてるもんね、奴らに邪魔されるわけにはいかないよ」

 頭の後で手を組んで、鈴駒が生意気そうにキシシ、と笑う。

 「個人的には、真相を明かす瞬間が楽しみだ。霊界をさらに利用して魔界をもオレ達が担いでいたのだと大統領や浦飯達が知ったら、どんなほえ面かくのであろうな」

 「・・・・・・死々若、頼むから最終日くらい素直に協力しなさい」

 しれっと朝一の毒舌を吐き捨てる相棒を、鈴木は完全に保護者の顔でたしなめる。

 「いいよ、別に。理由や動機は何であれ、オレの計画に賛同してくれたことには変わりないんだ」

 そんな二人の方を振り向いて笑いかける、黒鵺の視線に触れないよう気をつけながら、陣は素早く凍矢の手に紙切れを渡した。それは昨日、鈴駒に渡したそれと同じメモ帳のきれはしだった。

 とっさにそのメモを誰にも見つからないようにしまいこみながらも、凍矢は僅かに驚きを滲ませた顔で陣を見上げる。すると彼は、小柄な凍矢に合わせて身をかがめ、いたずらっぽい顔で耳打ちした。

 「後で、一人の時に読んでけろ」

 意図は読めなかったが、何かしらの意味はあるはず。凍矢は無言で頷くだけにとどめた。

 「おーっし! んじゃあそろそろおっぱじめようぜぃ!!

 ぐるんぐるんと肩を回しながら、酎が一同を見渡した。

 「いっちょ派手に頼むぜ。計画完遂の前祝いに、でっかい打ち上げ花火見せてくれよ」

 輪になった六人衆を、黒鵺が外側から楽しそうに眺めている。崩壊による苦痛に、ずっと苛まれているだろうに、彼は泣き言一つ言わない。

 「痩傑達のパクリってのが、ちっとばかし気にいらねぇけどな〜」

 「だが、これが一番手っ取り早い。オレ達がこの三年間でどれだけ強くなったか、それを証明する第一弾目だと思え」

 メモの事はおくびに出さない、陣と凍矢のやり取りの後、六人は同時に精神集中を始めるとともに妖気を高め、ぴったり呼吸を合わせて一気に爆発させた。

 

 「「「「「「は!!!!!!」」」」」」

 

 六人分の妖力が融合し一本の柱となって、魔界の天空を一直線に貫く。激しい洪水のようなそれに飲み込まれ、押し流されないよう両足を踏ん張りながら、黒鵺はその巨大な光の柱を見上げた。

 「想像以上の花火だな。フィナーレを飾るにふさわしいぜ」

 きっと今この時点で、捜査員の誰かが気付いただろう。一気にここを目指して押し寄せてくる。自分達が、飛んで火にいる夏の虫とも知らずに。

 六人は妖気暴発をほんの数十秒に抑え、速やかに次の行動に移る。

 

まず鈴木、死々若丸、酎、そして鈴駒の四人は、定位置式の妖気遮断結界を張っておいた隠し宝物庫にてしばし待機。この内に、鈴木は持参したノートパソコンを使って魔界霊界間の通信を止めなければならない。同時に、外部の捜査状況をハッキングと同時にチェック。

 霊界側捜査員と移動要塞百足が第十五層に来るのを確認。その確認が取れたら、陣と凍矢の出番だ。

 まず陣が、霊界側捜査員を風によってかき集め、黒鵺の結界で彼らを封じこめる。

 そうしたら、凍矢が百足に赴きエンジンと【足】を凍結させて足止め。機動力と組織力を兼ね備えた百足に、自分達が万が一にも追いつかれないようにするためである。

 黒鵺は正聖神党党員達を捕らえた後、隠し宝物庫と同じフロアに設置されていた、かつては刹彌専用だった極秘避難経路を利用して死々若丸達と共に外へ。

 五人はバラバラに散って、黒鵺は虐鬼の泉を、他の四人は大統領官邸を、魔界側捜査員をひきつけつつ目指すのだ。凍矢も百足を足止めしたら官邸へ行く予定である。

 だがその前に、陣にはもう一仕事あった。

 六人の中で最も黒鵺と身長の近い彼が、間者の守護法衣をまとって妖気を消し、黒鵺のフリをして魔界側捜査員をひきつけるのだ。そうしながら、幽助や大統領に真相を明かすべきタイミングを待つ。全ての種明かしは、黒鵺が第十七層まで無事にたどり着いた頃合を見計らって、なされることとなっている。

その時が来たら幽助の携帯へは、まずぼたんが流石の携帯電話を借りてかける手はずだった。そこまでの時間稼ぎこそが、計画完遂の要だ。

 

 鈴駒達が宮殿内部へ戻って間も無く、電源を入れたばかりの陣の携帯電話が鳴った。

 「あれ、早ぇな・・・・・・ん?

 液晶画面に表示された名前は、流石だ。

 何で彼女が自分に電話してくるのだろうと、不思議に思いながらも通話ボタンを押してみたら、そこから聞こえてきたのはひなげしの声だった。

 『もしもし、陣さん? 今話しても大丈夫?

 「ひなげしでねぇか! 別に話すくらいかまわねぇけど、急にどうしただ?

 『お願いがあるの』

 まるで遺言を残す時のような深刻な声音に、陣はぎょっとした。

 『それでね、あの・・・・・・今そこに、黒鵺さんいる? あたしの声が彼に聞こえるってことは、無いのよね?

 「ん、そりゃ絶対にねぇだ」

 黒鵺は宮殿入り口の向かって左側で、腰を下ろし小休止をとっている。その隣に凍矢。

 陣は鬼の頭の部分にあぐらをかいて、鈴木からの連絡を待っている状況なのだ。距離的にも、携帯電話からもれ聞こえるひなげしの声を、黒鵺が察知できるとは思えなかった。

 「ほんで、そのお願いってのは何だべ?

『・・・・・・黒鵺さんを、霊界に行かせないで。大分器の崩壊は進んでるんでしょう? その状態で、妖力の弱まる霊界になんかいったら、崩壊の苦痛はもっともっと大きくなるはずよ。解放されたコエンマ様をお連れするまで、魔界で待っててもらった方がいいわ』

 立て板に水を流す勢いで一度に言い切った言葉を右耳で聞き、陣はついくす、と小さな笑みを零してしまった。

 「偶然だなや。オメ、オラと同じ事考えてたのけ」

 『同じ事?

 「実はな、オラも黒鵺を霊界にまで行かせようとは思ってねぇんだ。蛇那杜栖廃棄してくれるだけで、もう十分だべ。あいつは休ませてやらなきゃなんねぇし、何より、オラもう決めたんだ」

 陣には陣なりの計画が、誰に知られる事なく進んでいたのだ。

 「黒鵺と蔵馬を、もっかい会わせてやりてぇ。だから、黒鵺は魔界に引き止めるだ」

 電話の向こうで、ひなげしが満面に安堵の笑みを広げるのが、見える気がした。

 『ありがとう! 良かった、陣さんに電話して。貴方が替え玉作戦やるっていうからって理由だったんだけど、本当に良かったわ!

 「なーに、礼には及ばねぇ。それより、コエンマが黒鵺の魂保護できるっつーのは、間違いねぇんだべな?

 『えぇ、必ずできるはずよ。・・・・・・絶対、間に合って頂かなきゃ』

 一転して、ひなげしはまたしても声のトーンを落とす。

 『最初に、黒鵺さんが器を作ろうとしたとき、あたしとぼたんも止めたのよ。必死で止めたのよ。妖怪の霊体を入れたら崩壊を起こすってこと、知ってたんだもの。だけど』

 「聞き入れなかったんだべ、あいつ。優しくていい奴だけど、すっげ頑固だもんなぁ」

 言いながら、陣は端整な横顔をこっそり見下ろした。自らの意思を貫き通す屈強さが、離れていても見て取れた。

 『・・・・・・うん。自分の存在そのものと引き換えにしてでも、蔵馬さんの事守りたいんだって。だけどあたし、止めたかった。魂の消滅って、本当に取り返しつかないのよ。閻魔大王様でさえどうにもできないことなの。輪廻転生が台無しなのはもちろん、心も想い出も、全部跡形もなくなっちゃう。一番残酷であっけなくて、空しい最期なの!

 だが。それでも、黒鵺の初志は揺るがなかった。

 『そこまで言ったあたしに、あの人、何て返したと思う?

 ひなげしの鼓膜の奥。脳髄に直接焼きついたその言葉。

 振り返りざま、からかうような笑みと共に、歌うように紡がれたあの言葉。

 

 それだけかよ?

 

 聞いた瞬間のひなげしとぼたんと同じように、陣も言葉を失った。

 あの屋根裏部屋で、黒鵺は自分が死んだせいで蔵馬が極悪非道に身をやつしたと言っていた。なのに今、彼は死以上の危険と背中合わせでこの計画に挑んでいる。その答えは明白だった。

 『蔵馬は本当に、いい仲間に恵まれたんだな』

 現在の蔵馬ならば、万が一自分が消えたとしても立ち直れると踏んでいるに違いない。だから、魂の犠牲さえも厭わぬ覚悟を決めているのだ。

 「・・・・・・冗談じゃねぇ」

 無意識の内に、携帯電話を握る陣の手に力が込められていた。ちいさくみしっと悲鳴を上げた機械の向こうから、ひなげしの切実な想いが涙を滲ませて届けられた。

 『お願い、黒鵺さんを助けて・・・・・・!!

 「・・・・・・・・・・・・わかっただ」

 そう答えるのが精一杯だった。電話を切って、下にいる黒鵺と凍矢に悟られぬよう平静さを装い、それから大体二十分もしただろうか。またしても、陣の携帯電話が鳴った。今度はメールだ。差出人は、鈴木。

 ――出番だ、頼んだぞ。

 短い報告とエールに、陣は心を奮い立たせる。

 「よーっしゃ!!

 鬼の頭の上に立ち上がり、両腕を広げて空を見上げる。魔界中を吹き荒れているであろう、風の気配を感じ取る。そこに含まれる、いくつかの霊気の位置と数を慎重に測る。

 妖力を集束させ、みるみるうちに高めていく陣を、凍矢と黒鵺が見上げた。

 「始まるぞ」

 様々な角度から吹いてくる風を肌に感じながら、凍矢が呟いた。

 距離からして陣に聞こえるはずは無いのだが、まるでそれを合図にしたかのように陣は腹の底から叫んだ。

 「風使い究極奥義、『神風』!!!

 そのとたん、空間が唸りを上げて突風が生き物のように暴れだした。十五層全体を覆うそれにくらいつかれた霊界側捜査員――つまり正聖神党党員達――は一瞬で上空に攫われ、風の支配者が待つ刹彌の宮殿前に向かって吹き飛ばされかき集められた上で、無様に落下した。

 すかさず黒鵺が折り重なる霊界人達に向かって、結界を張る。

 「汝、その拘束の生贄となって、魂魄をも捧げよ。怨牢束壁結界!!

 半透明な瑠璃色のドームが出現し、その内部に霊界人達が見事に閉じ込められた。自分達の状況をやっと理解した彼らが、内側からドームを叩き、体当たりもしたがびくともしない。黒鵺の姿を確認して、何人かが何やら怒鳴っているようだった。だが、その声が全く聞こえない。ただ金魚のように口をパクパクさせているようにしか見えないのだ。

 「この結界、完全防音なのか?

 「まぁな。偶然とはいえ、さらに好都合だ。ここに魔界側捜査員が来たとしても、何も伝えられやしない。それに霊界で使われてる文字が読める奴はまずいないから、筆談も無駄だ」

 凍矢に答えながら、黒鵺は霊界側捜査員の名簿の人数と結界内の人数とを確認した。人間界側に派遣されていた分も含めて、間違いなく全員揃っている。特防隊隊員もだ。 

 「前隊長の大竹は、党の古株で幹部だから霊界を離れなかったか・・・・・・ま、あいつだけなら、一対一の勝負さえ避ければどうにかなる。陣!

 地上に降りた風使いを呼び寄せると、黒鵺はローブを脱いで手渡そうとした。

 「替え玉作戦もついに決行だ。頼むぞ」

 「おう! まっかしと、け・・・・・・」

 ローブを受け取ろうとした陣の声が、頼りなく途切れて宙に浮いた。空色の瞳が大きく見開かれる。凍矢も自分の眼前に現れた光景に、愕然と立ちすくんだ。

 黒鵺の両腕両足の付け根部分と、羽の半分くらいまで、崩壊が進んでいた。手足の亀裂はさらに細かく増えている。

 「あー、そろそろ飛ぶのはまずいかな」

 二人の受けた衝撃を和らげるかのように、黒鵺は軽口をきいてみせる。

 「最終にして最大局面は、もう目の前だ。頼りにしてるぜ。とりあえず、蛇那杜栖廃棄はこのオレに任せろ」

 ローブを持ったままの右手で、とん、と軽く陣の胸元を叩く。そこに込められた想いに背中を押されるかのように、陣はローブを受け取り素早く着込んだが、フードを被ろうとした所で凍矢に止められた。

 「待て陣、替え玉としての仕上げがある。ちょっとかがめ」

 「仕上げって、何するんだベ?

 「いいからじっとしてろ、すぐに済む」

 言うなり、凍矢はローブと似たような色調の長い布を取り出して、覆面するかのように陣の顔下半分を覆ってしまった。

 「・・・・・・何だべ、こりゃ」

 布越しにくぐもった声を発しながら、陣は大きな目をぱちぱちとさせた。

 「用心のためだ。背格好は黒鵺と変わらんが、口元を隠さないと牙でバレる恐れがあるんでな」

 「あ、そういやそうだよな。お前、気が利くねー」

 黒鵺は心底感心すると、腰に下げていた帽子を被り、宮殿入り口に向き直った。

 「じゃあ、ここからいよいよ別行動だ。そろそろ魔界側捜査員の誰かが来る。陣、わざとちょっとだけ後ろ姿見せた上で逃げろよ。風を使えないのは不便だろうが、しばらくの間は絶対に追いつかれるな」

 「分かってるだ! 囮作戦は魔忍時代から慣れてるべ」

 「百足の足止めも、任せておいてくれ」

 「健闘を祈る、後でな!

 ついに三人はそれぞれの方向へ散った。黒鵺は宮殿内部の避難経路で待つ鈴駒達の下へ。陣は宮殿入り口となっている鬼の顔の影に潜み、魔界側捜査員を待つ。

 そして凍矢は、鈴木から送られたメールに記されている、百足の現在地へ。高速で移動しているとはいえ、確実に宮殿を目指しているのだから、動かれても容易に位置の予測はつく。

 その前に、と、彼は竹やぶを疾走しながら陣から手渡されたメモに目を通し・・・・・・思わず立ち止まる。簡潔な文面をもう一度読み直して、口元に笑みを浮かべた。

 即座に、メモに書かれていた通りの行動に移る。

 「白狼召還!!

 たちまち竹やぶの中に純白の冷気が発生し、巨大な狼の姿をかたどった。白狼の完全形態だ。ズシン、と腹の底に響くような短い地響きを立てて座り、凍矢を見下ろす。

 「呼んだか。呪氷を司りし我が友よ」

 「あぁ、頼みがある。移動要塞百足を、一時的でいいから足止めして欲しい。エンジン部と足を凍結させるんだ。その際に、一つ注意もあるんだが」

 「注意、とは?

 「百足には、黒龍を宿した術者がいる。宿敵なのは分かっているが、相手にするな。というか、誰とも戦ってはいけない。」

 「ふむ、正直残念だが、お前の頼みならいたしかたあるまい。他には?

 「足止めが終わったら、通常形態になってオレを追ってきて欲しい。オレはこれから、第十七層の北東部を目指す。その途中で落ち合おう」

 「良かろう。しかと引き受けた」

 メールの内容を確認させると、白狼はいったん姿を消した。短距離瞬間移動を用いて、目的の移動要塞へ向かっているのだ。

 凍矢はきびすを返し、宮殿の裏側へ急ぐ。もう黒鵺は、鈴駒達と共に外へ出て、それぞれの方向に散っただろう。でも行き先は分かっているのだから、こっちも追いつくのは簡単だ。

 陣のメモに書かれていた旨は、次の通り。

 白狼を召還して、凍矢の代わりに百足を足止めさせること。凍矢自身は黒鵺を追って、彼の援護をすること。その際、できれば白狼も加勢させること。そして、ネタ晴らしが済んだら陣本人も、全速力で彼らの元へ飛んでいき、援護に加わる事だった。

 

 

 通気性だけ見れば魔界最悪といった鈴木の言葉は、決して大袈裟ではなかった。

 多分今の自分は、絶対に皮膚呼吸できていないだろうなと、陣は確信する。

 干からびた谷底を疾駆すればするほど、ローブの中の湿度も温度も急上昇していくようだ。サウナの中で全力疾走しているような気分だった。

 しかも運のないことに、追っ手はあの痩傑である。

 (ただでさえ飛翔術も使えねぇのに、あいつが空から追ってくるなんてな〜)

 俊足を自負してはいるのだが、一瞬でも気を抜くと追いつかれるのは目に見えていた。背後の上空に覚えのある巨大な妖力の主がいるのを感じながら、陣は走り続ける。

 だけどそろそろ、黒鵺は十七層に差し掛かる頃だ。じきに凍矢と白狼も追いつくだろう。酎達ももうじきタイミングをはかって、大統領官邸に向かうはず。とすればこの替え玉状態も、あともうしばらくの辛抱というわけだ。

 まだもう少し、持ちこたえなくては。

 暑さと湿気でボーっとしかけた頭に、何度もそう言い聞かせ、陣は走る速度を緩めまいと一生懸命だった。だから彼は、前方に潜む三人分の妖力と一人分の霊力の気配に、気付けなかった。痩傑に注意を払っていたせいもある。

 岩陰から彼らが飛び出してきて、ようやくハッとなった。威勢のいい、けれども怒気を充満させた声が谷底に響き渡る。

 

「止まれ! 黒鵺!!

 

 

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