第五章・崩壊へのカウントダウン

             

恐ろしい夢を見た。

 普段の白銀の鎌ではなく、蛇那杜栖を振りかざす黒鵺と、完全に闘神の姿をとった幽助。

 対峙した二人は、文字通り火花を散らす勢いで激闘を繰り広げる。

瑠璃結界と呼ばれた盗賊が青銀の刃を横へ薙げば、闘神の息子はくるぶしまで伸ばした髪を振り乱し、荒々しい咆哮を上げながら拳を浴びせようとする。

そんな光景を、自分はただ見ていることしかできない。声も出ない。両足は枷で戒められたかのように、びくともしないのだ。

 やがて戦う二人は、真正面からターゲットを捉える。

 幽助の指先に、まばゆいばかりの光が凝縮していく。黒鵺は蛇那杜栖の切っ先をまっすぐに幽助へ向けている。

 大砲のような霊丸が唸りをあげて撃ち放たれるのと、投げ放たれた蛇那杜栖が空を切り裂きながら飛んでいくのは、同時だった。

 霊丸と蛇那杜栖はそれを繰り出した者達同士の中間でぶつかり合い、激しくせめぎあう。けれど、ほどなくお互いを貫通してしまった。それぞれ勢いは死なず、霊丸は黒鵺を直撃し、蛇那杜栖は的にでもするかのように幽助の胸を貫いた。

 その瞬間。何もかもが消えた。

 黒鵺も幽助も、魂どころか身体も含め、まるで最初からそこには誰も居なかったかのように、全てが消え失せていたのだ。

 

 癌陀羅宮殿の回廊を、蔵馬は息せき切って走っている。まるで夢の中であるかのように、足元が覚束ない。それともこれは、昨夜の夢の続きだろうか?

 自分の悲鳴で目が醒めた、あの悪夢の続き? 

 邪眼映像越しに観た、心臓が凍りつくような光景。

 まさか、本当に黒鵺と幽助が戦う事になるなんて。よりにもよって、この二人が!

 予知夢を見る能力なんて無いのに、悪夢が現実化しそうにしか思えなくて、怖かった。

 それは、本当に久しぶりに、心から感じた恐怖だった。

 『恐怖? それさえ自業自得だろう』

 前方に、蔵馬の行く手を阻むかのように、この世で一番見知った妖怪が立ちはだかった。

 気まぐれに大地へ突き刺さる雷光にライトアップされた、その姿は、かつての彼自身。

 「妖狐・・・・・・?!

 呟いた瞬間過去の残像は掻き消え、だけど今度は背後から耳元に囁きが忍び寄る。

 『黒鵺は哀れだな。お前にさえ見捨てられなければ、魔界の王になれたやもしれぬのに』

 「うるさい!!

 振り返ると、銀髪のあやかしが悠然と、しかし無表情で自分を見下ろしている。

 『あのままあいつが盗賊団の大将になっていたら、本来の居場所にいたなら、黄泉はきっと盲目になんぞならずにすんだだろうな。黒鵺だったら、裏切らなかったはずだ』

 無我夢中で耳を塞いでも、妖狐の言葉は脳に直接侵食してくる。目を閉じても、その冷たい眼差しに貫かれているのが分かる。

 『あの目が今も開いていれば、息子の・・・・・・修羅の姿を、その成長を直接見ることができたであろうに。全ては、お前のせいで。お前が、黒鵺を死に追いやった事が、そもそもの始まりだった! 霊界が惨事に見舞われたのも! 幽助達が狙われたのも! 全て!!

 四方八方、ありとあらゆる方向から、かつて自分のものだった声が響いていた。それはぐわんぐわんと何重にも折り重なり、畳み掛けてくる。

 ただでさえ頼りなかった足元から、波が引くように力が抜けていくのが分かった。壁に背をぶつけ、そのままずるずると腰を落とす蔵馬に、妖狐は執拗に言の葉を凶器に変えて叩きつける。

 『お前が、黒鵺を三界指名手配犯に貶めた。もはや償いの手立てすらない』

 「やめてくれ」

 『所詮、極悪非道は極悪非道のままか。不朽の伝説だな』

 「もう、やめてくれ!

 『夢で見た通り、何もかも失うがいい。過去も、今も、この先の未来も!!

 「いい加減、黙れ! 黙ってくれ! 分かってる、お前はオレの内なる声! 実在するものじゃないんだ!!

 叩きつけるように叫んだ瞬間、幻想の妖狐はふっつりと姿と声を消し、それと入れ替わるかのように蔵馬自身の赤毛が銀色に塗り替えられた。感情の昂ぶりが臨界点を超えて、妖狐変化を起こしたのだ。

 「蔵馬!!

 ただならぬ叫び声を聞いたのか、後方の角から血相を変えた陣と凍矢が飛び出してきた。そこで彼らが見たのは、久しぶりに出現した銀狐の姿

 だが、今まで目にした妖狐とは別人であるかのように憔悴しきっているのが、手に取るようにわかった。

 「・・・・・・あぁ、お前達か」

 壁際に腰を落としたまま、蔵馬は二人を見上げる。そこでようやく気が付いた。ここはまだ回廊だ。自分が発した音声や立てた物音は、全て黄泉に筒抜けである。今の彼がわざわざそれらを他人に吹聴するとは思えないが、その点が頭の中から欠落していた事は、うかつだった。ぼんやりと、己の銀髪に触れる。

 「立てっか?

 見るに見かねたか、それでも陣はことさら軽い口調をつとめながら、蔵馬の二の腕を取って促した。その前方では凍矢が、完全防音室の暗証番号を入力していた。

 「よかった、オレ達が雇われていた頃と変わっていない」

「すげー、オメよくそんなもん覚えてただなぁ。部屋ごとに番号違うから、オラ全部覚えきれなかったべ」

 「・・・・・・一つくらい忘れないでいてほしいものだな。というかお前、最初から覚える気なんぞなかったんだろ」

 「あちゃ、バレちまっただか」

 部屋に入ってドアが閉じられ、陣と凍矢のやりとりを聞いているうち、蔵馬は殺伐とした空気や息の詰まるような緊迫感から解放され、ふと気が緩んだ。それに連動したかのように、唇から独白のような言葉が零れ落ちる。

 「・・・・・・最悪な夢を見たんだ」

 吐露すれば、現実にならずに済むような気がした。そんな子供じみたジンクスにさえすがりたくなる自分が、酷く滑稽だった。

 

 

旧雷禅国を出て、黒鵺との待ち合わせ場所へ急ぐ途中、街道を外れて森に少し差し掛かるという所で、鈴木と死々若丸は九浄とその双子の片割れ、棗に遭遇した。

 「古文書が盗まれてただぁ?

 「何考えてるのかしらね、伝説の瑠璃結界様は」

 黒鵺がまんまと逃亡したとの連絡を受けて、他にも配備されていた仲間達と共に捜索に当っていた二人だったが、結局何の手がかりも掴めずじまいだったために辟易している所だったらしい。

 実は黒鵺こそが、魔界と霊界に迫っている危機を回避させんがために動いている中心人物などとは当然明かせるわけも無く、鈴木は小鬼状態で自分の肩に座っている死々若丸と、一瞬だけ顔を見合わせるしかなかった。

 「北神としては、盗まれた古文書のリストを癌陀羅に転送し、内容の類似した資料を検索してもらうつもりだそうだ。黒鵺が何を調べようとしていたのか、そう時間をかけずに判明するだろう」

 実際には、時間がかかればかかるほど都合が良いのだが。本心を無言で一人ごちる鈴木の肩で、死々若丸は姿と声の幼さにつりあわない口調で口を開く。

 「警備任務は終ったから、オレ達は帰る途中だ。お前達も今夜は捜索を打ち切った方がいいんじゃないか? 相手は妖気遮断結界を張ってるし、飛影の邪眼もしばらく使い物にならないんだぞ」

 「そうね・・・・・・無駄に動き回っても疲れるだけだし。一応煙鬼に確認とってから、私達も帰ろうかな。霊界側も、不知火が向こうにそろそろ戻るみたいだし」

 「不知火が? もう?

 「何でそんなことを知ってる?

 鈴木と死々若丸に畳み掛けられ棗は、実はさ、と説明し始めた。

 「さっき霊界側捜査員を見かけたんだけど、ちょうど携帯で話してる途中だったのよ。何だか険しい顔しちゃって、私らにも気付かなくてね。その相手が不知火のはずよ、名前呼んでたし。それで、『審判の門に戻られましたら、改めてご連絡お願いします』とかなんとか、しゃっちょこばった感じで話してたの」

 「向こうは向こうで緊急事態なんだろうけど、それにしたってあいつが戻るのは早すぎるよなぁ。三界指名手配犯が現れて、重大な被害が無いとはいえ盗み働いたのは事実だぜ。絶対何か意味があって企んでると思うのが普通だろ。こっちにも霊界人を派遣してるとはいえ、なんつーかオレ達、一方的に使われてるっぽいな」

 九浄がちょっとした不満を漏らすのを聞きながら、鈴木も不審に感じ始めていた。

 コエンマが蛇那杜栖の廃棄を考えていたという所までは、不知火達も知っているはず。その蛇那杜栖を盗み出した黒鵺の素性や人となりも、彼らは掴んでいるだろう。当然黒鵺が恐るべき宝剣を悪用して魔界制圧を狙ってなどいない事も、分かっている。

 いやもしかしたら、黒鵺の真意――コエンマと同じく蛇那杜栖の廃棄処分――にも気付いているのかもしれない。それならばなおの事、宝剣奪還のため躍起になるはず。なのに、首謀者の不知火はさっさと霊界に戻った。

 そういえば、と、鈴木は背筋に冷水を浴びせられているような感覚に、人知れず震えた。

 霊界にも、どれ程の詳細が記されているかはともかく、滅骸石についての古い資料があるはずだ。コエンマが書類にまとめていたくらいなのだから。ただでさえ魔界が厳戒態勢で、しかも黒鵺に旧雷禅国の古文書を奪われた不知火達は、霊界側の資料を改めて徹底的に洗い直そうとしているのではないのだろうか。

 黒鵺はクーデターの混乱に乗じて、速やかに霊界を脱出しなければならなかったらしいから、その資料にまでは手が回らなかったはすである。だからこそ、魔界の文献を頼りにしているのだ。どうやら事態は想像以上に急を要しているらしい。

 蛇那杜栖の廃棄か永久封印の手立てを、正聖神党より先に断定しなくてはならない。急がないと敵に先回りされ、その手段を奪われるか潰されるかしてしまう恐れがある。

 「ねぇ、ところであんたらはどこ行こうとしてるの? 癌陀羅とは違う方向でしょ」

実はこの先の小川で黒鵺と待ち合わせているのだが、もちろんそれは守秘義務だ。

 「この森を突っ切った先の街に、寄ろうと思っててな。そろそろ食材の買出しが必要だし、そこでしか売ってない部品と薬品が個人的に必要なんだ」

 無難な言い訳に自然な笑みまで加える鈴木に、死々若丸は小さくケッ、と零した。かつての道化は伊達ではないようだ。

 「あ〜、お前らって男ばっかの大所帯だっけ。いかにも食費とかかさみそうだよな。まぁ、酎がもし今度のトーナメントで優勝でもすりゃ、一人分の生活費+酒代が減るかもしんねぇぜ。新婚のファーストレディと官邸に引っ越すだろうからさ」

 「・・・・・・九浄、何が言いたい」

 精一杯の冷静さをしかめっ面の上に貼り付けて、棗はけん制するように双子の兄を睨みつけた。

 「もしかしたら、お前もいよいよ年貢の納め時かもしれないって事。大統領権限は絶対だもんな〜、ファーストレディに直々に指名されたら、完全に逃げ場が無いぜ」

 最初に(一方的に)決めた期限内に棗を追い越せず、当然交際にもこぎつけられなかった酎は、(これまた一方的に)さらに厳しい条件を自ら設けた。内容は、『オレがトーナメントで優勝した暁には、大統領夫人になってもらう』とのこと。

 第一回目の時に幽助が定めた『何があっても勝った奴に従う』、という原則を最大限利用しようという魂胆なのは、言うまでもない。

 「誰があいつに優勝なんてさせるもんですか!  大体あんた、ちょっと前まで『あんなムサイ奴、お前に転がされてるのがお似合いだ』みたいな事言ってたくせに!

 「いやだって成長著しいからさ、それにあれだけ魔界きっての銘酒奢られちゃあ、邪険にもできねぇだろ。再来週にリリースされるカルトの新曲も、小兎ちゃんのサイン付きで買ってきてもらうことになってるし」(料金は酎持ちで)

 「貢がれた上にパシリにしてんじゃないわよ!! 酒とアイドルにつられて妹を売る気ー?!

 とりあえず鈴木達が自分達の行き先をごまかす事には、完全成功したらしい。確実にこっちが怪しまれる事は無いだろう。特に九浄は霊界側に対して不満を持ち始めている。

 「えーと、じゃあオレ達はこの辺で・・・・・・」

 「ケッ。いっそのこと、兄妹喧嘩の決着もトーナメントで着けたらどうだ? 無事に開催されるかどうか、現時点では定かじゃないけどな」

 「死々若! め!!

 

 

 兄妹と別れ、目的の小川の岸辺に到着してみると、やはり黒鵺の方が先に来ていた。ローブ姿のまま腰を下ろし、短い草の上に盗んできた古文書を広げて、中身を確認している。今手に取っている一冊が、目的としている滅骸石に関しての文献だろうか。

 「悪い、遅くなったな。ちょっと知り合いと鉢合わせたもんで」

 「構わねぇよ、とりあえず今夜は成功したしな。それに死々若丸、助太刀感謝するぜ」

 突然礼を述べられて、死々若丸はふいと目線をそらし宙に浮いた。

 「やむをえなかっただけの事だ。あの状況で、横槍入れても不自然と思われない立場なのは、オレだけだったからな」

 「死々若、こーいう時は『どういたしまして』って言うもんだぞ」

 「やかましい!!

 「あ、こら! 人を針でさしちゃいけません!!

 「貴様、妖怪だろう!

 まるっきり、保護者と問題児という構図である。微笑ましいやり取りに声を立てて笑う黒鵺だったが、その笑い声は鋭い亀裂音で遮られた。

 ぱきん ぴしっ

 ガラスか陶器か、とにかく何か硬質な物体がひび割れるような音。

 「何だ? 何か壊れたか?

 死々若丸を取り押さえ、鈴木が怪訝そうに辺りを見回す。だが周囲にはもちろん、自分達の持ち物にも、ひびの入りそうなものなど見当たらなかった。

 そしてまた、二、三度亀裂音が重なる。少なくとも、空耳ではない。

 ふと気がつくと、笑みを見せていたはずの黒鵺が急に押し黙り俯いていた。

 「・・・・・・どうかしたか?

 鈴木の手から逃れた死々若丸が、黒鵺の隣に降り立って見上げる。彼は何故かただでさえ指先程度しか出ないローブの袖を引っ張り、完全に手元を隠している。よく見ると、裾の内側に足も隠してしまっていた。

 「何でも、ない」

 ぎこちなく途切れる短い言葉は、言ったとたんにまた歯を食いしばっているせいだ。肩と背を丸めるようにしているのは、何か痛みにでも耐えているためだ。

 もしやどこかに怪我でも、と思った鈴木は、少々強引に黒鵺の腕を掴み「見せてみろ!」とローブの袖の下に隠されていた手を引っ張り出した。

 そして、死々若丸と同時に絶句する。

 眼前に曝け出された黒鵺の手には、指先から端を発したような鋭いひびが、手首を越えた辺りまで何本も何本も痛々しく刻まれているではないか。しかもそのひびは、血のような生々しい赤なのに一滴の雫も流れず、それどころかぼんやりと発光しているのだ。

 「これは・・・・・・!

 まさか、足下にも同様のひびが、やはり幾筋も走っているのだろうか?

 二の句が告げない鈴木と死々若丸に、黒鵺はまるで、悪戯を見つけられた子供のような顔をした。ばつが悪そうな、それでいてあきらめたような。

 「もうバレたか。せっかくぼたんとひなげしには口止めしといたのに」

 「説明しろ! これは何なんだ!

 小鬼姿の死々若丸が黒鵺と目線を合わせるために浮上し、噛み付くように詰問した。

 すると黒鵺は、穏やかな声のままこう答えた。

 「崩壊が始まったって事さ。・・・・・・この、器のな」

 

 

 凍矢が鈴駒からの連絡を携帯で受けたのは、陣に抱えられて飛行している夜空の真ん中だった。そこで彼は、たった今聞かされた単語をついおうむ返しにしてしまった。

 「鬼殺し、だって?

 『うん、マジありえないよ! 水割りで何倍にも薄めたからって、霊界人にあんなモン飲ませるなんてさ。自白剤がわりには確かになるけど、ついでに急性アル中にもなったらどーすんだっつーの!!

 小声で、だけど思い切り呆れ返っている鈴駒の声の後ろから、やんややんやとまるで宴会のような喧騒が割って入ってくる。その内の一人の声は、確かに酎のものだった。

 大統領官邸での警備任務を終えた二人は、速攻で人間界に移動。霊界側捜査員の一人に声をかけ、人間界派遣組の構成と個人名を特定しなおかつ情報漏えいを促すためだ。この時、酒の力で酩酊状態に持ち込むのが手っ取り早いという酎の主張を受け入れた所、それに便乗しての酒盛りが始まってしまったらしい。

 「・・・・・・ちなみに、今いる場所は?

 『工事中のビルの屋上。確実に人目にはつかないから、そこだけは安心していいよ』

 「とりあえず、お前達二人が怪しまれてる事も無いな?

 『その点も完璧! 酔っ払い親父とガキの組み合わせに、完全に油断してる。そんで、一つわかったことがあるんだけどさ、正聖神党の連中ってば、早々に異次元砲のエネルギー注入始めたらしいんだ』

 「何だと?!

 「うわ! ど、どしただべ凍矢?!

 至近距離で突然大声を出され、仰天した陣に素早く鈴駒から聞いた事を繰り返すと、彼もまた驚愕に言葉を失った。

 「思ったより早いな・・・・・・蛇那杜栖を奪還できようとできまいと、魔界へのテロ作戦は実行に移すという事か? それとも、奪還する自信がよっぽどあるという事か・・・・・・」

 『オイラは前者だと思うけどね。移動しながら流石ちゃん達とも連絡取った時に、ぼたんの方が言ってたんだけどさ、正聖神党って玉砕思考が強いから、やぶれかぶれで異次元砲を撃った後、もれなく審判の門ごと自爆するぐらいのことやりかねないんだって』

 人質も巻き込んで、死なばもろともという事か。

 『日付変わる頃には、発射準備整うみたいだよ。最終的にどこを標準にしていつ撃つのかは、ギリギリになってから不知火が指示する事になってるって』

 「じゃあ候補地として、上がってる地点は?

 『酔っ払わせた奴の推測だけど、大統領官邸とか癌陀羅とか、政府機関があったり人口が多かったりする場所を狙ってるっぽいね』

 「確かに、妥当だな。後で霊界側捜査員をまとめて拘束する段階が済んだら、避難勧告を出すよう煙鬼に知らせる必要がありそうだ。家に戻ったら、黒鵺達とも話してみる」

 『OK! じゃあこっちは、もうちょい情報収集を粘ってみるとするよ』

 凍矢が携帯の通話を切ったのを見計らい、陣がいつになく深刻な面持ちで話しかけた。

 「思った以上に物騒な連中だべな。最悪の場合、魔界も無事じゃすまねぇし、下手すりゃ霊界壊滅だべ! そんなんしてまでクーデターだのテロだのやって何になるだ?

 「真に求めているのは、結果じゃないのかもしれないな・・・・・・。思い通りにならない現状を否定できれば何でもいいのさ。昨日から三界指名手配犯騒ぎで影が薄いが、ついこの間までオレ達が相手にしていた魔界のテロリスト達も、似たようなものじゃないか」

 沈着なようでいて低く吐き捨てる声音から、凍矢の怒りが十分見て取れた。

 「・・・・・・うまくいくべ、きっと。何もかも。三界まとめて、どうにかしてやるだ!

 決意も新たに六人衆邸へ戻った二人だが、そこで信じられないような光景に直面する。

 先に鈴木と死々若丸、そして黒鵺が帰ってきていたのだが、その黒鵺の手足に生々しいひび割れがいくつもある事に、愕然とした。

 「これは、一体・・・・・・!!

 喉の奥に引っかかった声を無理やり絞り出して、だけど凍矢はそれ以上何も言えなかった。陣はそれこそ壊れ物を扱うように恐る恐る黒鵺の手をとって、注意深くそのひびを見つめた。

 ついさっき、癌陀羅へ行く前までは自分達と同様、生身の肉体と何ら大差無いように見えたのに、体温らしき温度は今も感じ取れるのに、今は無機質で儚い別の物体に思えた。黒鵺がちょっと指先を動かしただけで、きしきしと亀裂同士が擦れあう。

 「器の崩壊らしい」

 リビングテーブルの一点を見つめて短く発せられた、重く澱んでいる鈴木の声が、足元に転がり落ちる前に砕け、飛散するのが見える気がした。

 「器・・・・・・崩壊? どういう意味だべ?」 

 「正確には、手足と羽の先端から始まった。ローブの下で羽の方は見えてないけどな」

 首をかしげた陣に、反応したのは黒鵺本人の方だった。

 「実はこの器ってのは、本来霊界人専用でさ、そこに妖怪の霊体を無理やり入れちまうと、拒絶反応が起きるんだよ。今みたいに末端部分から徐々に血色の亀裂が走り、それが全体に広がって、ついには霊体ごと完全崩壊する。あたかも、陶器かガラスでつくった人形が壊れてバラバラになるみたいにな」

 普段なら、くるくると一秒ごとに表情が入れ替わる陣の顔から、完全に血の気が引いた。彼もそして凍矢も、自分達の足元が突然砂と化したように脆く崩れ去っていくかのような感覚を覚えた。ちょっとでも気を抜いて膝をついたら、きっとそのまま立ち上がれない。

 「そして器ともども霊体が崩壊したら、その内にある魂は崩壊の衝撃に耐えられず・・・・・・消滅する。つまり、蛇那杜栖で斬られるのと同じ状態になるってこと。まいるよなぁ、妖力や体力と違って、魂は鍛えようがねぇときた。千年地獄にいても、こればっかりはどうしようもないんだとさ。」

 淡々と紡がれるその言葉が、黒鵺自身に対する死刑宣告のようだった。なのに彼は、明るい口調で苦笑さえ浮かべてみせる。

「それに、一度崩壊が始まったら最後、亀裂はそのまま霊体にも引き継がれる。器を離れてもひび割れは全部そのままだし、崩壊も止まらない。魂消滅に至るその瞬間まで。・・・・・・全部片付いて霊界に戻ったら、コエンマか閻魔大王にかけあって、魂のみを分離して保護してもらうつもりだったんだ。それ以外に、消滅を免れる術は無い」

 「なして、黙ってただ?

 黒鵺の手に刻まれた亀裂から目を離せないまま、陣は途方にくれた声で呟くように問いかけた。

 「最初から知ってたんだべ? なのに・・・・・・」

 昨夜の、ひなげしとぼたんの不安げな表情の理由が、その哀しげな風の意味が、ようやく理解できた。霊界人である彼女達は、当然知っていたのだ。妖怪の死者が器を使用する事が、どれほど危険なのかを。

 「万が一にも知られたくなかったんだ。ただでさえ三界指名手配犯になってまで、蛇那杜栖廃棄のために現世に戻ったオレが、消滅の危機まで背負ってたなんて事・・・・・・・他ならぬ、蔵馬には。あいつに近しいお前らにも、バレない方がより確実だろうと思ってな」

 大切な親友が、これ以上心を痛めないように。

 「予測では、もう二、三日もつはずだったから、それまでに解決したかったんだぜ。だけど、こっちきてからいくつか結界張るわ、しかもついさっき闘神の息子とあわやガチ勝負だわ、ちょーっと妖力消費がかさんじまってさ。器への負担も増えて、崩壊が早まったみたいだ」

 黒鵺の声は、あくまでも柔らかく優しい。きっと生きていた頃も、こんな風に話していたに違いない。それを蔵馬は、数え切れないほど聴いていたのだろう。彼の、すぐ近くで。

 「ケッ! どの道、自業自得だろうが」

 テーブルの上に座る小鬼の死々若丸が、口を尖らせてぶんむくれている。

 「特に、浦飯を挑発したのが失敗だったな。無視してさっさと逃げればいいものを!

 「でも、助太刀してくれたのお前じゃん」

 気を悪くした様子は一切無く、黒鵺は陣にとられていた利き手をそっと引き離し移動させ、角をよけながら死々若丸の頭にぽんぽん、と手を置くようにして撫でた。まるで、小動物を愛でるかのように。

 「えーい、何をする!!

 暴れて宙に飛び上がった小鬼に笑いかけ、黒鵺はふと真顔になった。

 「浦飯幽助には、感謝してんだ。オレ、あの時すごく嬉しかった。・・・・・・あいつ、蔵馬のために本気で怒ってくれただろ?

 闘神・雷禅の遺伝子を受け継いだ唯一の存在。接触を試みたのは興味本位だったが、彼が放つ研ぎ澄まされた怒りとまっさらな感情は、なくしてしまった黒鵺の核さえも射抜きそうなくらい強かった。

 「あの桑原とかいう奴も、人間だてらにオレをぶった切ろうとして、全然物怖じしてなかったな。あーいう連中が、蔵馬と一緒に人間界に居てくれて良かった。・・・・・・本当に、良かった。安心した」

 そしてまだ直接相対してない、邪眼師飛影。不知火が蔵馬を疑っている事に対し、本音では大層不満らしいと躯が話していたのを、鈴木を通して聞いた時も嬉しく思った。

 「現世に戻ってから、オレだけいいことだらけだよ。だからその代償かな、崩壊だの消滅だのは。しかもオレは、お前達まで巻き込んだ」

 「でもそれは、オレ達自身の意思でもある! 第一、黒鵺がどんな行動をとろうととるまいと、結局正聖神党のテロ作戦は避けて通れなかったんだ。今更巻き込んだなどと言うな!

 凍矢が一歩前に進み出て懸命に力説すると、彼にまなざしを向けて、黒鵺はふっと薄い笑みを口の端に浮かべた。

 「蔵馬は本当に、いい仲間に恵まれたんだな」

 何もかも達観したようなその面差しは、地獄に堕とされた死者とは思えないほど清々しく、見えた。だけど同時に、とても哀しかった。

 

 

 それから数時間後、夜明けが間近に迫ってきた頃に、酎と鈴駒が帰ってきた。前者は泥酔状態だし後者は睡魔に陥落寸前だったが、黒鵺の器が崩壊を始めたことと彼の魂が消滅の危機に直面した事を聞かされると、一瞬でその意識を覚醒させた。

 同時刻、当人である黒鵺は鈴木と共に滅骸石についての記述を調べ上げ、解析している最中だった。その結果、次の事が分かる。

 蛇那杜栖を廃棄させる事は可能。その方法は、たった一つ。魔界第十七層にあると伝えられている、『虐鬼の泉』に投げ込めばいい。その泉は魔界最強の酸で、いかなる金属や鉱石でもあっという間に無数の泡を発し、完全に溶けてしまうという。

 だがその泉の成分は、魔界の空気に触れると化学反応を起こす。それによって恐ろしい毒素をはらんだ霧が絶えず発生し続けているらしい。泉から離れるに従ってじょじょに薄れていくのだが、最も毒素が濃い泉付近で霧を吸い込んだら一瞬で全身が毒に侵され、どんな妖怪でも体内の血を全部吐ききって絶命するというのだ。この泉付近には、全盛期の雷禅でさえも決して近寄ろうとしなかった。

 そして、泉を目指すにはそこに至るまでの、何パターンものルートを示した地図が必要不可欠とのこと。古文書の記述はここまで。

 そこから先は、古文書の分析の過程で入手したさまざまな情報を、鈴木のパソコンを使って検索をかけ、一つ一つをさらに検証していった。

 気の遠くなるような作業が超人的スピードで進み、正午までもう少しという頃。ついに地図のありかが判明した。

 「皮肉なもんだぜ。何つー因果だ」

 黒鵺は思わずパソコンから目をそらし、天を仰いだ。

 「まさか千年ぶりに、刹彌の宮殿へもう一度行く事になろうとはなぁ」

 竹槍越しにかすむ視界を、その中に浮かぶ銀狐を、黒鵺は脳裏に思い描いた。

 

 

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