第三章・望みのありか

 

 

結界の支配者級。生まれつきその力を持つのは、黒鵺の一族だけだった。それは一族郎党の誇りだったのだが、同時に、不運にもなってしまった。

 彼の故郷は東側に湖を、西側に山を臨む小さな村で、そこで暮らす人々は村全体が親戚同士のように結束が固かった。一族の歴史が始まった時からの、共通の誓いの下に。その誓いとは、『我ら何人にも従属せず』。

 黒鵺が生まれるずっとずっと前から、各国政府や富豪達は、彼らの希少な能力を自分達の勢力拡大に利用せんとして、植民地にするために狙っていた。一族の歴史は、そういった侵略に対する抵抗の歴史だった。

 黒鵺の父は当時一族の長で、家族は他に母と妹が一人と、弟が二人いた。跡取り息子として生まれた黒鵺は、大人になったら自分も父のような強い男になって、一族の皆を守ろうと子供心に強く思っていた。父の胸元に輝く紅い宝石のペンダント。いずれ新たな長として、貰い受ける日を楽しみにしていた。

 そんな、ささやかな夢へと続く道は、突如として断絶する。

 母に頼まれて、西の山に薬草数種を採りに行っていた黒鵺が村へ戻ってみると、見慣れた日常が一変していたのだ。

 某国の歩兵部隊――おそらく、村の人口の数十倍――により、村を南北から挟み打つかのように襲撃されていた。

 当時の彼は知る由もなかったが、村を襲った某国は、一族の能力を利用する事をあきらめていたのだ。この頃、結界の支配者級の能力を求める他の国々との小競り合いも多発していた、というのが要因である。このまま一能力のために時間や手間を取られていては、いざ大きな戦争が起こった時に十分な国力を蓄えて置けないと、その某国は判断したのだった。

 しかし、万が一敵国にこの一族を植民地化されたら、それはそれで不利になる。

 だったらいっそのこと、どこの国も手に入れられないようにすればいい。一族を滅ぼして、この辺りの土地をも国土の一部にした方がいい。一方的かつ理不尽な決定が下された。

 ちなみにこの某国は、黒鵺が絶命して間も無く、躯軍との全面戦争によって壊滅してしまった。

 家という家が破壊しつくされ、瓦礫の下からはピクリとも動かない同胞の手が伸びていた。既に血の気を失っているその指は、なおも必死で這い出そうとしているかのように地面に爪を立てている。

 一週間前に、父の指揮のもと、村の男達総出で舗装したばかりの道には、その作業に汗水流していた男達の死骸が累々と横たわり、流れ出た血で赤黒く染まっていた。

 兵士達はさも楽しそうに笑いながら村人を殺戮し、金目のものを手にとっては見せびらかしあっていた。

 あまりの惨状に愕然と立ち尽くす黒鵺の背後から、大きな影が落ちる。

 見るからに屈強そうな兵士が一人、大振りの斧を持って黒鵺を見下ろしていた。

 その剣はすでに彼の同胞達の血で濡れ光っていた。

 兵士はにやりと口の端を吊り上げると同時に、斧も振りかざした。

 もう駄目だ。観念した黒鵺が思わず目を閉じた時。もう一つの影が彼と兵士の間に割り込んだ。父だった。既に満身創痍だった父は、それでも息子を庇いながら戦った。手負いでさえなかったら簡単に勝てるはずの相手と相打ちして、父はとうとう倒れてしまった。

 父は息子に、母も妹も弟達も殺されてしまった事と、家族と一族を守れなかったことを詫び、ほんの少し泣いた。黒鵺は生まれて初めて父の涙を見た。

 父はもう感覚がないはずの手でペンダントを外し、黒鵺に渡した。お前が最後の生き残りだ、と。何人にも屈さず、一族の誇りをそのままに生きろ、と。

 最期の力を振り絞ってそう告げて、父は息を引き取った。

 その後の事は、よく覚えていない。

 気がついたら、村から遠く離れた森の中、大木のうろの中に身を潜め、ガタガタ震えながら父から渡されたペンダントを握り締めていた。

 おそらく、黒鵺の父が死んだ頃にはもう、兵士達の大半は一度撤退していたのだ。死体や瓦礫を処理し、新たな領土を整備する者達に後を任せて。そのお陰で、黒鵺は無事に逃げる事ができた。

 こうして天涯孤独となった彼が、生き延びるために盗賊という職業を選ぶまで、そう時間はかからなかった。始めはコソ泥みたいなものだったが、盗みの腕も戦闘技術もどんどん磨いていった。やがて彼は凄腕の少年盗賊としてその名を知らしめていく。

 

 

そんなある夜。黒鵺は偶然、自分の故郷を滅ぼした国の、あの歩兵部隊の野営地に遭遇した。本日の戦果はまずまずらしく、浮かれて宴会を開いていた。聞き覚えのある、下卑た笑い声。見覚えのある紋章を描いた、何本もの旗。

 それらを目に、耳にとらえたとたん、黒鵺の中の古くも懐かしい記憶がむくりと起き上がった。脳裏にさざめくように聞こえるあれは、父の声。

 『願わくばこの奥義、お前が一生唱えずにすめばいいのだが・・・・・・』

 一族の長とその後継者のみに伝えられている、禁断の結界。それを張るための呪文伝承の日の事だ。父は密かな苦悩を積み重ねた果てに、その呪文を黒鵺に授けたが、最後まで迷っていたようだった。

 それは、膨大な妖力を消費するだけでなく、容赦なく残忍で冷酷な念を込めた上で詠唱しなければ発動しない、おぞましい結界だ。その中に閉じ込められた者の命を、徹底的に屠りいたぶり、蹂躙しつくした果てにもぎ取ってしまうという。

 その呪文を覚えるために、秘伝書に暗号で書かれた字面を目で追っているだけで、当時の黒鵺は恐怖に青ざめ、拒否反応のようにこみ上げる吐き気を何度も我慢したものだった。

 だが、今。その呪文を脳裏に正確に描いても、黒鵺は平然としていられた。それどころか、腹の底からわきあがってくるのは既に吐き気ではなく、復讐に彩られた衝動のみ。

 声変わりして間もない声が、突き動かされるように呪いの言葉を紡ぐ。

 「血祭りを謡え断末魔。果てなく轟け無限の怨嗟(えんさ)。地獄の蓋を開かんため、我が殺意と憎悪を贄に捧ぐ! その儀式の前では、汝にひれ伏す猶予もなし! 呪怨殺滅結界!!

 魂を振り絞るように詠唱し終えたとたん、無礼講の馬鹿騒ぎは、血生臭い阿鼻叫喚にとってかわった。兵士達は一人残らず、肌が紫に変色して、さらに濃い色合いの斑点がびっしりと大量に浮き出て、全身が二倍に腫れ上がった。白目の部分は真っ赤に充血して、血の涙を流しながらのた打ち回り、口からはぶくぶくとカニのような泡を吐いた。

 部隊長は突然振って沸いた死の恐怖におののきつつ、苦悶に叩き落されながらも必死に這いずっていたが、目の前に、野営地のランプに照らし出された人影が立っているのに気付いた。見上げるとそこにいたのは年端も行かない少年で、あどけない瞳に、燃えたぎるような憎悪を宿している。

 その髪の色と目の色、羽根の形。そして胸できらめくペンダントに見覚えがあった。

 少年は右手に一振りの白銀の鎌を握り締め、それを振り上げた。魔界の夜空をバックにしたそれは、まるで人間界に浮かぶという三日月のようだった。

 「貴様だけは、オレが直接殺す。オレが裁く。我が一族の恨み思い知れ!

 先ほどの呪文のように、もしかしたらそれ以上に憎しみを充満させた声が響いたと同時に、部隊長の首めがけて鎌が叩き落された。

 ・・・・・・・・・・・・そして。

 辺りから呻き声さえ聞こえなくなった。

 醜く膨らんだ死体達は、血の混じった腐臭を撒き散らし始めたが、黒鵺は静まり返ったそこに膝をついたまま動けずにいた。

 オレは復讐に成功した。家族の、皆の仇を討てたんだ。

 何度呟いても、それは言葉にしたとたん、儚く霧散するばかり。

 一族を滅ぼした連中を殺せば、あの日の惨劇も悲哀も憎悪も、今まで自分を追いたて苦しめてきたもの全てが終ると思っていた。なのに、どうしたことだろう。

 心はさらに深く暗い場所に沈みこみ、浮き上がろうとしない。心臓を、棘の生えた万力で締め上げられるような痛みは、さらに増した気がする。いや、確実に前より痛い。

 「・・・・・・・・・違う」

 ふいにはっきりと、黒鵺は呟いた。

 「違う。違う。こんな・・・・・・これは、違う!!

 力任せに両の拳を地面に打ち付けた。そこへ、透明な雫が雨だれのように落ちて弾ける。

 自分の涙だと気付くのに、少しばかり時間がかかった。

 「オレが望んでいたのは、こんな事じゃない。オレが生き延びたのは、こんな事のためじゃない! 父さん達は、オレにこんな事をさせるために殺されたんじゃないんだ!!

 涙も嗚咽も、とどまるところを知らなかった。堰を切ったように溢れ出てくる。腕の力が抜けるに任せて突っ伏した。村を滅ぼされた時も、同じ泣き方だったことを黒鵺はぼんやり思い出した。

 

 

 それから数十年がたって、黒鵺はまた少し成長した。妖怪の成長速度なので、まだ少年と呼べる範囲の年齢だ。人間に換算すると、十代半ばといったくらいか。

 闇オークションに盗品を出品するため会場を訪れた黒鵺は、そこで知り合いの敏腕詐欺師・凱琉(がいる)に声をかけられた。

 「あっら〜黒鵺ちゃんじゃないの、最近もかなりのご活躍ねぇ」

 こちらの肺にまで匂いが染み込みそうなキツイ香水も、野太い声も好きではなかった。言葉遣いこそ女風だが、凱琉は一目で判別できるくらいれっきとした男である。しかも頭部では、水牛のそれに似た一対の角が天を向いている。

 「近寄んな、オレの隣に立ちたかったら、まず香水だけでも落としてこいよ」

 「んもー、相変わらず年の割にクールなんだから。ま、そこがカッコいいんだけど」

 「年の割には余計だ。もうガキ呼ばわりされる程じゃねぇって」

 今回の戦利品と一緒に記入済みの申込用紙を受け付けに渡し、黒鵺は会場の中へさっさと進んでいった。凱琉がめげずについてくる。

 「でもでも、あんたって出品者の中じゃ今も最年少なのよ。しかも先々週、ついに最高値記録まで更新しちゃったじゃない、それも大幅に! 当分この記録は破られないわねぇ」

 本当、末恐ろしいわ、と自分の事のように感心しながら、黒鵺と会場へ続く地下階段を下りていた凱琉はふいに、そういえば、と自分と黒鵺が共通で知っている男の名を上げた。

 「あんたさぁ、斉挫(ざいざ)達の事は何か聞いた?

 それは、この一帯で名の知れた奴隷商人グループのリーダーの名前だった。

 「いや、あいつらがどうかしたのか?

 「実はねぇ、あたしも噂で聞いただけなんだけど、何でも今までで一番のというか、魔界唯一の奴隷を今回のオークションに出すらしいのよ、それも大トリで。今度こそ最高値記録保持者の座を奪還するって息巻いてんだってさ」

 「マジうぜぇ・・・・・。こっちはあんな外道どもと張り合う気なんざ、さらさらねぇのに!

 黒鵺はため息と一緒に肩まで落とした。斉挫のグループは、何かと黒鵺を目の仇にして絡んでくる。まだあどけなさの残る青二才に力量差を見せ付けられ、これまで何度も煮え湯を飲まされてきたそうだが、黒鵺としては相手にしたくもなかった。

 「そーいう態度がますます生意気に見えるんじゃないの? 黒鵺ちゃんが平然とあしらえばあしらうほど、あーいうタイプの連中は逆上するモンなのよ」

 「知るか。キレるならオレにじゃなくて、力不足な自分達にだろ。それくらいの矛先さえ間違うから、二番手に追いやられんだよ」

 「だからこそ、挽回しようとしてるんじゃない。あいつら相当自信持ってたみたいよ。何でも今日出品する奴隷は、ずいぶん前から契約してたみたい」

 「どーでもいいって。何でかんでもついでに誰でも、勝手に売りゃあいいだろ」

 その少し後で分かったのだが、斉挫達は奴隷を引き取りに行っているため、会場入りが大幅に遅れるとの事だった。これ幸いとばかりに黒鵺は、自分の品が競り落とされるのを待って、さっさと会場を後にした。

 

 

 一番近い都市へさらに近道しようと、うっそうとした森の中を彼は疾駆していた。

 会場を出る前、凱琉と交わした会話を反芻しながら。

 『黒鵺ちゃん、あんたその若さで、盗賊始めて結構なキャリアでしょ。やっぱりいずれは、国を興すつもりなの?』

 『国を・・・・・・オレが? 何でそう思う?

 『何でって、魔界で盗賊っていったら、大抵は建国の資金稼ぎじゃない。巷じゃもっぱらの噂よ、いずれはあんたも盗賊団組んで、建国に向けて動き出すんじゃないかって』

 『馬鹿馬鹿しい、国なんざ興味ねぇよ。んなめんどくさい事、誰が好き好んでやるか』

 『あーら違うの? あたしあんただったら、ひょっとして雷禅や躯にも対抗できるようになるんじゃないかと踏んでるのに』

 本当に、馬鹿馬鹿しい。毒づきながらも、黒鵺の足は徐々に速度を落とし、やがて立ち止まってしまった。まだ疲れているわけでもないのに、急に走る気をなくした彼は、手近な木に寄りかかって腰を落とした。木々のざわめきや鳥か何かの鳴き声に混じって、自分の耳鳴りもかすかに鼓膜の奥で震えていた。

 「国なんかつくって、どうするってんだよ。・・・・・・どうせ、オレの一族はもう、誰もいないのに。オレ一人で何すりゃいいんだ」

 無人の空間で急に子供の顔に戻った黒鵺は、膝を抱えてそこに額を押し付けた。自分で作った影の中に、紅い小さな煌きがちらついている。無意識に、ペンダントを握り締めていた。当たり前のように平和で幸せだった、遠い過去を悼みながら。

 黒鵺が盗賊を続けている理由は、食べていくため。生きていくためだ。もはや他の仕事を始める気にもなれない。かといって、盗賊にやりがいを感じているわけでもなかった。特に、あの夜・・・・・・復讐を果たして以降は。

 あの部隊の連中が憎かったのは事実。あいつらが同じ次元の世界で、のうのうと生きていると思うだけで虫唾が走るくらいだった。だから、地獄へ落としてやった。現世から排除した。なのに、この世界は少しも黒鵺にとって心地いい場所にならなかった。

 仇敵を倒しても、入手困難とされる秘宝をいくつ盗んでも、黒鵺の心はあの夜の闇の中へ沈んだまま、現在に至っても浮き上がる気配が無い。今はもう、惰性で盗賊をしているに過ぎなかった。他に何もすることがないから。

 オレは、家族や故郷を失ってまで、どうして生きてるんだ。仇を討っても何一つ満たされないのは、なぜだ。今もなお、この魔界に存在してる理由は? オレは何をしたいんだ? 何を望んでるんだ?

 そんな風に考える事自体が、既に無意味なのか?

 ・・・・・・わからない。もう、何も

 思考の渦の中へ、ゆっくりと飲み込まれていく。時間が止まっていくような感覚。

 ・・・・・・・・・と、

ぎいいぃぃぃりりいいぎゅぎゅぎゅ

 突如として、どこからかおぞましい騒音が響き、森の静寂を打ち破った。

 黒鵺がハッと顔を上げると、頭上を鳥達が、怯えたように飛び去っていくのが見えた。

 そうしている間も鳴り止まないその音は、どうやら鳴き声のようだった。

 「幻魔獣・・・・・・じゃねぇな。ありゃ、何だ?

 思わぬ異変を素通りできず、黒鵺は鳴き声のする方向へ慎重に進み始めた。

 頭の中で、この辺りの地図を確認する。確かこの先には、妖狐族の村があったはずだ。そこで、何かあったのだろうか?

 もう少しで森が開けて村が見えてくる、という地点に差し掛かったとき、木々の間からよろよろと誰かが現れ、その場にどう、と倒れた。思わず駆け寄ってみると、それは奇しくも見知った顔だった。

 「お、お前・・・・・・斉挫?!

 その変わり果てた姿に、黒鵺は絶句する。斉挫は両腕とわき腹を食いちぎられ、しかも傷口は薬品でもかけられたかのようにしゅうしゅうと焼け焦げ、薄い煙を立ち上らせているのだ。

 「何なんだよ、これは! どんな妖怪が出やがったんだ!?

 かがみこんで叫ぶように問いかける黒鵺に、斉挫はぜえぜえと喉の奥から苦しそうな呼吸と一緒に、か細い声を絞り出した。

 「た、た、助け、てくれ・・・・・・」

 それが、断末魔だった。目の上のたんこぶだった少年盗賊に、命乞いしなければならないほどの状態にまで追い詰められた奴隷商人は、あっさり事切れてしまった。

 「斉挫達も、雑魚ってワケじゃねぇのに、一体誰にやられたんだ? 大体、オレの故郷よりちっぽけだっていう妖狐族の村なんかに、こいつ何の用があって・・・・・・?

 疑問と好奇心に突き動かされるように、黒鵺はさらに村へ向かって進んだ。間も無く木々が途切れ、妖狐族の村にたどり着いたその瞬間。黒鵺はついに、あの不気味な鳴き声の正体を知った。

 「な・・・・・・!!

 さすがの彼も足がすくんだ。何しろ初めて見たのだ。巨大で凶暴な、魔界産ハエジゴクを。斉挫も彼の子分達も、あれに食い殺されたのか。ハエジゴク達が好き放題に暴れ回るそこは、かつて村であったはずの場所であり、転がっているのはかつて妖狐や奴隷商人だったはずの肉塊だった。

 流された血の匂いと、ハエジゴクの吐き出す体液によって肉が焼ける匂いとが混じりあい、吐きそうだ。それは、嫌でも思い出させる。かつてあの歩兵部隊を毒殺した夜の事を。

 「やめろ、やめろよ! お前らなんか呼んだつもりは無い!!

 突然響いた幼い声が、黒鵺の意識を現実に引き戻した。悲痛に切迫したそれは、妖狐族の子供のものだろうか。ハエジゴクの巨体の狭間から、声の出どころを確認する。そこにいたのは、艶やかな銀髪を振り乱して叫ぶ自分よりもっと小さな少年だった。

 「銀髪の妖狐?!

 驚いたが、ようやく斉挫達がここに来ていた理由が分かった。彼らが売り出そうとしていた魔界唯一の奴隷とは、あの少年の事だったのだ。魔界中の金持ちが、舌なめずりして喜ぶだろう。それにしても。

 これだけ死体が転がってるのに、どうして今まであいつだけ無傷なんだ? しかも、呼んだ覚えはないってどういうことだ?

 「い、嫌だ来るな! あっち行けーーー!!

 とうとうハエジゴク達は、最後に残った銀狐の少年に狙いを定めたようだ。しりもちをついた少年を取り囲み、じわじわとその距離を狭めていく。

 気がついたら、飛んでいた。

 黒鵺は羽根を広げ、ハエジゴクの壁を飛び越えると同時に内部結界を開き、ありったけの鎌を放射状に投げつけていた。両手に持つ二本分以外をしまい、背後で銀狐の少年が驚き息を飲む気配を感じながら、黒鵺は自分に問うていた。

 何やってんだ、オレ?

 どうしてこのガキを助けようとしてんだ?

 こいつがどうなろうと、オレには関係無いはずなのに、どうして?

 だが、自問自答している暇など無いようだった。傷を負ったハエジゴク達は、ますます気が立って攻撃性を増したようだ。鎌だけで切り刻んでいては、どうやら間に合わない。

 「しょーがねぇ。結界の小分けって骨が折れるけど、背に腹はかえられねぇよな」

 呼吸を整え、精神を統一して、黒鵺はその唇から普段よりもオクターブ低い声音で、呪文を詠唱し始めた。

 「我乞うは、骨をも枯らす極みの砂漠。逃れる術無き滅びの災厄。焦獄渇命結界!!

 黒鵺と少年に迫るハエジゴク達の一体一体を、瑠璃色の魔法陣が囲う。とたん、しゅううううっと炎に水をかけたような音を立てて、ハエジゴク達の身体や口から、激しく水蒸気が湧き上がった。

 ぎぎゃあああああああああ

 さっきまでの鳴き声とは明らかに違う、苦痛の悲鳴。無理もない。今、ハエジゴク達は身体の内側から急速に乾燥しているのだ。水分という水分がどんどん蒸発していっているのである。たちまち茎も葉もくすんだ茶色に変色し、皺が寄って枯れ始める。

 「植物の化け物には、やっぱこれが効果的だな」

 勝利を確信した黒鵺は、もう一度飛び上がり、鎌の本数も増やした。

 「とどめだ、行くぜ! 散撃裂刃!!

 強制的な乾燥が進み、格段に動きの鈍くなったハエジゴク達は、黒鵺の鎌をまともに食らうと、握り締められた枯葉のようにあえなく崩れ去った。それは夜風に吹き散らされて、原形さえとどめることはできなかった。

 鎌を全部しまって地上に降り立ち振り返ると、銀狐の少年がへたりこんだまま呆然と自分を見上げている。その右足は捻挫でもしたのか、内出血で腫れ上がっていた。

 「怪我してんじゃねぇか、お前。だいじょう・・・・・・」

 「よ、寄るな!!

 少年は立ち上がれもしないまま、怯えきって様子で後ずさった。

 「お前、さっきの連中の仲間だろ! オレを売り飛ばすつもりなんだ!

 「さっき・・・・・・? 斉挫達の事か? 違うって、オレは人身売買なんざ興味ねぇよ。・・・・・・盗賊だけどな」

 「嘘つけ! 誰が信じるもんか。どうせ全部嘘なんだ、皆みたいに、調子のいい事言ってオレを騙そうったって、そうはいかないぞ!!

 立ち上がろうとして失敗し、それでも少年は精一杯の怒りと警戒心を込めた金色の瞳で、黒鵺を睨み上げてくる。

 皆・・・・・・嘘? 騙す?

 黒鵺は、改めて注意深く村を見渡した。妖狐達の死骸が特に多く散らばっている場所に、血と肉にまみれた金貨が散乱しているのに気付く。

 銀髪の妖狐。最高値記録。奴隷。斉挫。金貨。妖狐。皆。嘘。

 バラバラのピースが、呼び合うように組み合わさっていった。

 「なぁ、お前・・・・・・自分が売られること、奴隷になるってこと、知らなかったのか? 誰も教えてくれなかったのか?

 「・・・・・・・・・知るわけないだろ」

 銀髪の少年は、急にくしゃりと顔をゆがめて俯いた。

 「あの奴隷商人達がやってくるまでは、皆優しかったんだ。オレの事、銀狐様って大事に可愛がってくれたんだ。妖狐族始まって以来の奇蹟の子だって。・・・・・・なのに、違った。可愛がってたんじゃなくて、商品を手入れしてただけだったんだ! オレは一族の金づるだった! 生まれた時から! それをオレだけが知らなかった! 父様と母様まで、金貨に目がくらんでオレを捨てたんだ!!

 何てこった。黒鵺は呆然と立ち尽くした。奴隷として売る事を目的に、妖狐達はこいつを育てていたのか。全員がグルになって、黒く染まった腹の中に本音を隠して。金への執着を愛情という演技に変えて。

 黒鵺はふとそこで、妖狐族についてのある知識を思い出す。彼らは確か、植物を操る能力を持っていたはずだ。

 「さっきのハエジゴク、呼んだのはお前だな?

 「・・・・・・そうだよ。裏切られてた事がわかって、怒って、皆大嫌いだって叫んだら、あの化け物達が現れた」 

 よもや魔界植物まで召還するほどの能力だったとは。それともここまでできるのは、突然変異か何かで生まれた、この銀狐の少年だけなのだろうか?

 「だから、お前もさっさとどっか行けよ! またさっきみたいなの呼んで、その時こそ食わせてやるから! オレは奴隷になんかならない!

 「や、だから人身売買なんざしねぇって。大体お前、あんなバカでけぇの呼び出したの、初めてだろ。見た感じ、妖力の使い方に慣れてなさそうだもんな。そんな不安定な妖気で、立て続けにあんな召還術できるもんか」

 ぐっと言葉に詰まったところを見ると、どうやら図星のようだ。

 足の痛みをこらえて、精一杯虚勢を張るその少年は、よく見ると、家族と同胞を全て失った当時の黒鵺と、同じ年の頃だった。自分はこのしばらく後に、あの忌まわしい復讐の夜を迎えたのだ。

 「・・・・・・そういえば、さっき叫んでたよな。ハエジゴク達に向かって、『お前らなんか呼んだつもりはない』ってよ」

 少年は、黒鵺の言葉にはじかれたようにして顔を上げた。虚勢の欠片が一つ、剥がれ落ちたように見えた。

 「自分の村を、両親を、同胞を、こんな目に合わせるつもり無かったんだな? 裏切られて怒ったのは事実だろうけど、こんな事になるなんて考えてなかったんだろ?

 「わ、わかった風に言うな!! オレは自分の意思であの化け物を呼んだんだ! 裏切り者達を、奴隷商人達を、まとめてやっつけるために!

 「いいや、そうじゃない」

 黒鵺は正面切って、きっぱりと否定した。

 「お前が本当にしたかったのは、望んでたのは、こんな事じゃない」

 あの夜の、オレのように。こいつもきっと、心の中で叫んでるはずだ。こんなのは違うと。こんな事のために生きてきたわけじゃないと。

 まっすぐ、痛いほどまっすぐに紺色の瞳に見つめられて、銀狐の少年はそこから目が離せなくなる。そして、虚勢の欠片がまたしても落ちる。次々に落ちる。

 「・・・・・・冗談だよって、言って欲しかったんだ」

 少年は、ぽつりぽつりと、強がりの向こうにあった本当の声を零し始めた。

 「お前が大好きだよって、今まで通りここで一緒に暮らそうって、言って欲しかったんだ! 頭を撫でてもらいたかった! 手を繋いでもらいたかった! 母様の子守唄を聴きたかった! 昨日までの毎日は、嘘でも騙しでも無いって、言って欲しかったんだ!!

 呼び寄せたかったのは、あんな化け物でもこんな惨状でもなかった。

 「オレは・・・・・・ずっと信じてたのに・・・・・・・! 信じたかったのに!

 こいつは同胞に裏切られ、図らずも全滅させてしまった。

 オレは同胞を殺しつくされ、憎悪任せの復讐で仇敵を全滅させた。

 それぞれ背景は異なるけれど、故郷を失い、負の感情に翻弄され自分で自分を追い込んでしまった事には変わりない。第三者に奪われたか、自ら壊してしまったかの違いだけ。

 だとしたら、こいつとオレはきっと・・・・・・

 「お前を、助けたい」

 淀みない言葉が、黒鵺の唇を突いて出た。

 少年は、心底驚いてぽかんと口を開けていたが、すぐに崩れかけた警戒心をかき集め、なけなしのそれにしがみついた。

 「さっき言ったの、聞いてなかったのかよ! オレはもう騙されないったら!」 

 「絶対に助ける。もう決めた」

 「信じない! そんなの信じられるわけない!! 父様と母様でさえオレを裏切ってたのに、どうしてお前なんかを!!

 戸惑いと狼狽を隠して喚く少年の前に、黒鵺は鎌を一本取り出して放り、静かに言った。

 「オレを信用するか、殺して逃げるか、どっちか選べ」

 「! お、お前、何でそこまで・・・・・・」

 「口先だけで信頼が得られるとは、思っちゃいねぇよ」

 波紋一つ無い湖のように、黒鵺の心は揺れも乱れもなかった。彼にはわかっていた。こいつとオレはきっと、同じものを望んでる。

 オレが故郷を失ったあの夜。復讐を遂げたあの夜。心の底から、気が狂いそうなくらいに渇望したものがあった。それが何なのか自分でも分からずに、望みがあることを自覚もできずに、迷って悩んでもがくことを繰り返していた。けれどその答えは、この子供が持っている

 オレ達は、似た者同士だ。ここで出逢ったのは、偶然なんかじゃない。

 だから、選んでくれよ。何が欲しいのか教えてくれ。それは、オレにとっての答えでもある。教えてくれたら、きっと与えてやるから。

 少年は、鎌と黒鵺を見比べて、金色の双眸を不安げに揺らした。まだ妖力の振い方も、戦い方も知らないけれど、そんな素人でもはっきり分かるくらい、黒鵺は無防備に返答を待っている。ただ、待っている。

 銀狐の少年が、裏側に余計なものが何も潜んでいない瞳を見るのは、おそらくこれが生まれて初めてだった。こういう瞳の持ち主が存在する事を知ったのも。

 「バカだよ、お前」

 「・・・・・・かもな」

 「これで本当にオレに殺されたら、どうすんだよ!

 「どうもしねぇさ。自分で言い出したことだ」

 本当は、もう一つ分かっていた。少年は、自分を殺さない。それは、彼の望むことじゃない。分かっていたからこそ、提示した二択だった。自分が先に、少年を信じようと思ったのだ。

 「お、お人好し・・・・・・っ、う、ふぇえ」

 とうとう声が力なく震えだし、涙が零れた。完全に虚勢も強がりも崩れ去り、庇護を求める脆弱な子供がようやく現れた。

 緊迫の糸が切れ、力ない嗚咽を繰り返しながら泣き出した少年を、黒鵺は反射的に抱きしめていた。返り血にもかまわず、銀色の髪を優しく撫でてやった。少年の手が自分の背中に回され、ぎゅうっと握りしめられるのが分かった。

 自分以外の体温を、核の刻む脈動を感じるのは、故郷をなくして以来だった。

 「なぁ、名前は何つーの? オレは、黒鵺ってんだ」

 「・・・・・・・・・蔵馬」

 胸元から響く、くぐもった幼い声が、体内で脈打つ黒鵺の核にも優しくふれた気がした。その感覚を追いかけるように、刻み付けるように呼んでみる。

 「蔵馬」

 誰かの名を呼ぶ事が、たったそれだけで深く沁み入るような意味を持つことを、今まで知らなかった。

 この時初めて黒鵺は、自分がずっと寂しがっていたのだと自覚した。

 孤独に心を切り刻まれ、そこから流し続けていた血潮が、ようやく巡り帰ってきたのだ。

 あぁ、やっぱり同じだ。オレもずっと、誰かにこうして抱きしめて欲しかった。守って欲しかった。そばにいて欲しかった。

 「いいか、蔵馬。よく聞いてくれ」

そして、こう言ってもらいたかったんだ。

 「ちゃんとお前の事助けてやる。オレが絶対味方になる。だから」

 だから

 「一緒にいよう」

 一緒にいてくれよ。

 一人ぼっちは、もう嫌なんだ。

 

 腕の中でしゃくり上げる小さなぬくもりに、ずっとすがりついていた。

 

 

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