第四章・銀狐の運命
稲妻に浮かび上がったプーの影が、癌陀羅の宮殿に落とされようとした時、幽助達は赤毛の風使いに出迎えられた。 「絶対、来ると思ってただ。蔵馬なら、二階にある完全防音の客室で休ましてるべ」 門番や警備兵には、一足早く黄泉が話をつけているというとこで、直接前庭に降りてそこにプーを待たせることにした。 「飛影の邪眼が使えなくなったって事は、もう聞いたのか?」 長い回廊を歩きながら幽助が尋ねると、陣は大きく何度も頷いた。 「んだ、携帯に酎からかかってきたんだべ。あいつと鈴駒は官邸に呼ばれててよ、まずはそこに躯が連絡寄こしてきただ。そっちにゃ鈴木と死々若丸が行ってたんだっけ?」 「あぁ、二人共もう帰ったけどな。・・・・・・しっかし、久しぶりに会ったけどあの野郎相変わらずだぜ。タイマン宣言ガン無視しやがって!」 「浦飯、オメー喧嘩が絡むと、結構根に持つタイプだな・・・・・・」 またも憮然とする幽助の隣で、幽助が雷禅に乗っ取られ初めて闘神変化したときの事を思い出し、桑原は呆れ半分で呟く。と、ふいに陣が立ち止まり真顔で振り返った。 「それだけんどな・・・・・・めちゃめちゃまずいべさ」 「だろ? お陰でとり逃がしちまったんだぜ」 「いや、そーでなくて・・・・・・」 どこから説明しようかと、陣はしばし逡巡し、思い切ったように口を開いた。 「さっきちょっと話したんだけどよ、蔵馬・・・・・・昨日、今までで一番の悪夢見たって」 「悪夢・・・・・・って、どんな?」 「幽助と黒鵺が戦って相打ちになって、どっちも消えちまう夢」 絶句すると同時に、幽助は気付いた。蔵馬が自分の前に現れなかった本当の理由に。 「だからさっき邪眼映像観てて、正夢になっちまうんじゃねぇかと思って、すっげぇ怖かったって言ってただよ」 陣にそんなつもりは無いだろうが、幽助は自分が責められているような気分になった。否、責めているのは自分自身だ。 蔵馬を想って、彼を裏切った黒鵺に制裁を下そうと息巻いていたが、それがかえって彼をさらに追い詰めることになろうとは。・・・・・・あの蔵馬が、言葉にして恐怖を訴えたなんて。自分は結局、逆走しただけにすぎないのか。 「蔵馬が・・・・・・そんな事を?」 情けなく掠れた声で、やっと言えたのはこの程度だ。 「オラ思うんだけどよ、今回の件、黒鵺とただ戦った所で何の解決にもならねぇかもしんねぇぞ。霊界のねーちゃん達助けたいのもわかるけど、人質にしてんならすぐにどうこうなるわけねぇと思うし。・・・・・・少なくとも、あいつの挑発に乗ったり躍起になったりしねぇ方がいいべ」 「わかるっちゃわかるけど、最後のは浦飯にとって無理難題だな」 「オメーは一言多いんだよ!! ・・・・・・でもそれじゃあ、どうやってカタつけりゃあいいんだ。どの道、ぼたんとひなげしを助け出して蛇那杜栖を奪い返して、奴を霊界に突き出さなきゃなんねぇだろ? 穏便にすませるなんてそれこそ無理じゃねぇか!」 「穏便に、とまでは言わねぇけど……戦うにしても、直接対決は避けるって言うか・・・・・・」 珍しく歯切れの悪くなった陣は、急にハッと思い出したように顔を上げた。 「それよりも、さっき話した蔵馬の夢の事、オラがバラしたって絶対内緒な!」 「・・・・・・別にいいけどよ。オレら以外にも口止めしとく奴いるんじゃね?」 「ほぇ?」 「回廊までは防音じゃねぇよな? 多分今の、黄泉にも聞かれたと思うけど」 「あ! やべ、すっかり忘れてただ〜。よよ、黄泉! オメさも絶対言うでねぇぞ!」 あっちこっちを向いてみながら、あたふたとする陣の背に、冷ややかな声が飛んだ。 「・・・・・・何やってるんだ、お前」 携帯片手の凍矢が、回廊の角から姿を現した。 「あれ、オメ蔵馬と一緒じゃなかったっけか」 「大分落ち着いたし、幽助達がついたのがわかったからお前を呼びに来たんだ。それと、鈴木からメールが入った。明日の事もあるし、至急帰ってくるように、とな」 「そっか。んじゃ、オラ達もそろそろ帰るべ。明日に向けて体勢立て直さねぇとな」 前回のトーナメント以降、魔界六人衆と評されるようになった彼らは、幻海邸で暮らしていた頃と同じように修行もかねて共同生活している。場所は癌陀羅郊外。黄泉の聴力が届かず都市部に近い丘の上だそうだ。 陣が片手で凍矢を抱きかかえるようにして、風を操り回廊の窓から飛んでいくのを見送ってから、幽助と桑原は蔵馬のいるという客室へと向かった。 目指すドアを見つけ、ためらいがちにノックしてみたらあっさり開いたのだが、その向こうに居た蔵馬は一日会わなかっただけなのに酷く憔悴して、やつれてしまったように見えた。 「ごめんね、勝手に独断で、しかも一人で癌陀羅に行ってて。心配かけるのはわかってたけど・・・・・・じっとしてられなくてさ」 沈み込むようにソファに身を預けた彼は、幽助の心中をとっくに察していたのか、自ら謝罪した。 「い、いや、別にんな事ぁいいんだよ。ここだってターゲットだったわけだし」 「二人とも・・・・・・無事だよね」 途中遮ってまでそう問いかける蔵馬の双眸は、まだ僅かに恐怖心を映しているようで、幽助はことさら明るく胸をはり、大声で答えてやった。 「あぁ、もちろん! 重傷者とかも別に出てないぜ。ちょっと何冊か古文書盗まれただけだ」 「なら、良かった。こっちは途中で旧雷禅国の様子が見えなくなったから、あの後どうなったのかと思って」 「・・・・・・んでよぉ、蔵馬、オメーはまだ癌陀羅に残るか?」 低いガラステーブルの向こう側にある対のソファに腰を下ろして、桑原が尋ねた。幽助も、つられるように隣に座る。 「オレは人間界に戻ろうと思ってんだ。幻海のバーサンも来るって言うから、いよいよとなったとき、どうやって人間界やオレらの関係者をガードするか、打ち合わせようって事になってさ。それに、黒鵺は人間界の情報も握ってるみてぇだし。・・・・・・そういや浦飯、オメーは帰らなくていいのかよ? 温子さんや雪村が心配なんじゃねぇの?」 「いいんだよ、オレは魔界担当だ! オメーと静流さんとバーさんが揃ってりゃ、怖いもんねぇだろ。特に螢子はビンタ一発でトーナメント優勝できそうな女なんだから、心配いらねぇって」 「あ〜今の雪村に言ってやろ」 他愛の無い話題を振ってる割に、桑原の目は本心からは笑っていなかった。ちらちらと蔵馬を気にしているのがわかる。せめてその場しのぎでも彼の気が紛れれば、ここの空気が軽くなればと、彼なりに必死なのだ。 「オレも、桑原君と人間界に戻ろうかな」 ソファから身を起こして、蔵馬がポツリと呟いた。 「魔界にいると、昔の事ばかり思い出してしょうがない」 ここで重ねてきた、人間界の時流に照らし合わせたら悠久にも思えるようなそれらが、この手に触れそうな程近くに迫っているように感じられるのだ。 「幽助、桑原君、妖狐ってどんな姿してると思う?」 突然切り出された話題は思いがけなくて、二人は間の抜けたお互いの顔を見合わせるしか術がなかった。 「どんなって、そりゃあ銀髪で銀色の尻尾で、目の色は金なんじゃねぇの?」 何度か見てきた、蔵馬の妖狐の時の姿を思い出しながら幽助は答えたが、彼は力なく首を横に振った。 「それはオレだけだよ。本来妖狐は、人間界に生息する普通の狐と同じ色の髪なんだ。目は茶色がかった黒」 「え! じゃあ、どうしてオメーは銀髪なんだよ?」 今までのイメージをあっけなく塗り替えられて、幽助は唖然とした。 「どうしてだろうね・・・・・・。オレにもわからない。科学的検証はしたこと無いけど、突然変異としか言いようがないんだ」 妖狐族の歴史は、氷女よりさらに古いと言われている。その歴史をくまなく遡っても、蔵馬のような「銀狐」は彼以前に生まれたことなど一度も無い。 森の奥深く、他の種族との交流を一切絶って、ひっそりと暮らしていた妖狐族の村に目の覚めるような銀髪と黄金の瞳を持つ赤ん坊が生れ落ちた時は、それまでの静寂が根底から覆されるような大騒ぎだったらしい。 静かに慎ましやかに生きてきた妖狐族にとって蔵馬の誕生は、天変地異にも等しい事件だった。 「村長は、銀狐の赤ん坊―――つまりオレを、一族繁栄を担う奇蹟だと言って、他の妖狐達にもそれを信じさせた。ふと気がついたら、現人神みたいにかしづかれて暮らしてたよ。オレの妖狐としての両親も、奇蹟を生み出した英雄に祭り上げられてた。どういうわけだか右腕には鍵付きの腕輪がはめられていて、それにより妖力が封印されていたんだけど、「お前は銀狐だから、妖力がずば抜けて大きすぎる。子供の内は制御できないからこうしてるんだよ」という説明を鵜呑みにして、それ以上疑問に思わなかった。それどころか優越感さえ感じていたな。やっぱり自分は他の連中とは違い、特別なんだって」 幽助と桑原は何となくだが不自然さを感じ始めていた。 言葉だけ聞けば、昔の蔵馬は非常に恵まれた子供時代をすごしていたように受け取られるが、彼の表情と語調は、明らかに自らの過去を自嘲しているから。 「それらが全てオレに対するカムフラージュで、真実がひた隠しにされていた事がわかったのは・・・・・・人間年齢に換算して十歳前後の時だった」
生まれた時から大人達に溺愛され、崇め奉られ、村の誰より優遇されていた銀狐の少年。その甘く平穏な日常は、何の予告も無く崩れ去る。 ある日突然、村に見知らぬ男達が現れた。明らかに妖狐とは無関係の種族。しかし、異端者達の訪問をいぶかしんだのは蔵馬だけだった。 親や村長はもちろん、他の妖狐達は満面の笑顔で愛想振りまきながら男達を出迎え、彼らの前に不安がる蔵馬を無理やり押しやった。その強引さを感じた時から、少年は不気味な違和感を覚えた。自分の知らない所で、何かが決まり、進んでいた事を察知した。 「ほう、確かに見事な銀狐だ」 リーダー格の男が、少年の銀髪を乱暴に掴んだ。ついさっき、付き人の女達によって丁寧に櫛を通されたばかりの銀髪を。なのに、誰も何も言わない。蔵馬が嫌がって小さく悲鳴を上げても、だ。 「やっと売り時か、待ち遠しかったぜ。そんじゃ、報酬の前払い分だ。残額はこいつが愛玩奴隷として買われた後、その売り上げの中から契約通りに払ってやるよ」 愛玩奴隷。聞き慣れぬその言葉の意味を蔵馬が理解するより早く、後に控えていた子分と思しき男達の内の一人が、重たそうな一抱えの袋を、力任せに蔵馬の背後に放り投げる。地面に落ちると、その勢いに耐えかねて絞り口が緩み中身の一部が飛び出した。 金貨だ。 蔵馬がそう認識するかいなかの刹那、妖狐族の大人達は我先にとその袋に、金貨めがけて群がった。その内の誰かが邪魔だとばかりに彼を突き飛ばす。女中だった。蔵馬の銀髪を慎重に櫛で梳いていた手で、その銀髪の持ち主を乱暴に突き倒したのだ。 尻もちをついて、少年は大人達が繰り広げる浅ましい喧騒を、愕然として見上げていた。 あんなに優しかった皆が、恭しくかしづいていた彼らが、別人のような形相で金貨を奪い合ってる。その中には、村長や両親の姿もあった。 「どきなさい恩知らずども! 銀狐を生んだのはこの私よ!!」 あの耳障りな金切り声は、毎日眠る前に子守唄を歌ってくれていた、母の声。それが辛うじて聞き取れた。父のそれは無意味に怒鳴り散らしているだけで、何を言っているのかわからなかった。唯一ついえるのは、二人共、倒れた息子に見向きもしないのだ。その視界に、金貨しか映していないのだ。 「何だ、これ」 すりむいた手の痛みを他人事のように感じながら、蔵馬は振り絞るように叫んだ。 「何だよ、これ! 皆どうしちゃったんだよ! 父様も母様もやめてよ!!」
「男達は、奴隷商人だった。オレはそいつらに売り飛ばすための商品・・・・・・いや、『金づる』だったんだ。最初から」 突然変異で生まれた、美しい銀狐。後にも先に他に生まれることはないだろう。大勢の奴隷を従い、または身近に囲う富豪達の間で、必ず高値で取引されるに違いないと村長は睨んでいた。そこに、何と両親が二つ返事で乗ったらしい。蔵馬が生まれて一週間もたたない内に、ある程度育ったら愛玩奴隷として、蔵馬を売り渡すという契約を奴隷商人の男達と結んでいたのだ。 ちやほや持ち上げて綺麗に着飾らせて、蝶も花よと育てられていたのは、全てこの日のための準備に過ぎなかったのである。 「酷ぇ話だな! まるで生け贄じゃねぇか。しかも村ぐるみで・・・・・・」 拳を固めて憤慨する幽助に、蔵馬はふ、と寂しそうに笑った。 「金欲しさに子供を売るなんて、妖狐族に限らず貧しい村ではよくある事さ。・・・・・・でもあれは、確かに酷かった。生まれて始めて絶望した。うん、失望じゃなくて絶望だった」
男達に無理やり引きずられ、金貨を巡る喧騒が少しずつ遠ざかる。 「嫌だ嫌だ嫌だ!! 離せよ! 父様! 母様! お願い助けて!!」 死に物狂いで抵抗しつつ泣き喚いても、二人は一枚でも多くの金貨を手に入れようとそれぞれ他の大人達と取っ組み合いをするだけだった。温厚だと思っていた村長も、凄まじい形相で杖を振り回している。 どうしてこんな。嘘だ。こんなのは嘘だ。ほんの数分前までとは、まるで別世界だ。 何故皆、笑ってくれない? 優しくしてくれない? いつもみたいに甘やかしてくれない? それらこそが、全部嘘だったのか。ありがたがって手を合わせる一方で、頭の中ではこの銀狐は金貨何枚分の値打ちなんだろうと、値踏みしていたというのか。 今目の当たりにしている豹変こそが、皆の真実の姿だというのか。 裏切られていた。最初から。 ―――――許せない
「皆、大っ嫌いだ!!!」
その瞬間、蔵馬の奥底で何かが派手に弾けた。同時に、彼の妖力を封印してきた腕輪も弾け飛んだ。村長達が思っていた以上の妖気量が、封印の許容量を超えたのだ。 生まれた直後から押さえつけられ、蓄積されていた力が、洪水のようにあふれ出した。 目と鼻の先で、地面が音を立てて大きく裂ける。その裂け目から、巨大な何かがけたたましい咆哮をあげて飛び出してきた。 蔵馬の妖気と憎悪に呼応して図らずも召還された、魔界産ハエジゴクだった。
「そんで、どうなったんだ?」 固唾を呑んでから、桑原は尋ねた。 「とりあえず、奴隷商人達はやっつけたんだろ?」 「そいつらだけじゃないよ。・・・・・・妖狐族、全員だ」
初めて、しかも無意識で召還したハエジゴクを、幼い蔵馬が操れるはずもなかった。 ある者は蛇のように蠢く触手に絞め殺され、ある者はハエジゴクが吐き出す消化液に頭から溶かされた。そしてまたある者は、縁にびっしりと牙の生えている、対になった葉に喰らいつかれ肉塊と化した。 一瞬にして始まった惨劇に理解が追いつかず、蔵馬は何が何だかわからぬままおろおろとハエジゴクの動きを目で追うので精一杯だったが、足元に転がってきた何かにつまずき、それの正体が杖を握ったままの村長の右腕だと気がついた時に、ようやく我に返った。 「やめろ! やめろよ! お前らなんか呼んだつもりは無い!!」 必死で叫んでも、いまさらハエジゴクが言う事を聞くわけもなく。 散々獲物を食い散らかしたそれらは、とうとう自分達をここに呼び寄せた本人を、最後の的として狙いを定めた。 巨大で凶暴な植物の化け物達が、足を挫いて倒れた蔵馬を取り囲んでじりじりと迫ってくる。 「い、嫌だ。来るな!! あっち行けー!!」 パニックに陥って絶叫するも空しく、ハエジゴク達は最後の食事にありつかんとして一斉に襲い掛か・・・・・・ろうとしたが。 その触手が、茎が、葉が、恐るべき早業で次々に切断されていくではないか。 おぞましい悲鳴が上がるのと同時に、蔵馬の前に誰かが降り立っていた。彼よりも弱冠年上らしい、長い黒髪を一つに結った少年。黒い羽の生えた背中。両手に、白く煌めく鎌を携えて。
それが黒鵺との、最初の出逢いだった。
「初めの内は凄く警戒したんだ。騙されちゃダメだ。どうせこいつもオレを売り飛ばすつもりなんだ。でなけりゃ、銀狐を助けるはずが無いってね。その時はまだ、見ず知らずの通りすがりに過ぎなかったし」 過去を回想するうつろな翠色の瞳に、一瞬金色が走ったように見えた。 「そしたら黒鵺は、オレの前に自分の鎌を放って言ったんだ。『オレを信用するか、殺して逃げるか、好きな方を選べ』って。『口先だけで信頼が得られるとは思ってない』って」 丸腰で敵意も悪意も感じさせず、ただ無防備に蔵馬の判断を待つ彼を、それ以上疑うなんてできるはずも無かった。恐怖が解けて心が緩んで、へたりこんだまま泣き出した蔵馬を、黒鵺は守るように抱きしめてくれた。 『ちゃんとお前の事助けてやる。オレが絶対味方になる。だから、一緒にいよう』 その腕は、声は、数刻前まで蔵馬をもてはやしてきた誰よりも優しくて暖かかった。 何故、通りすがりでしかないはずの黒鵺がそこまでの行動と言動を取ることができたのかは、その礎となった彼の生い立ちや体験を後に聞くことで、蔵馬は納得する事となった。 「・・・・・・なぁ、マジで今回は本物なのか?」 今更だけどよ、と追加して、桑原が呟くように疑問を投げかけた。幽助も、同じ気持だ。 蔵馬から聞く黒鵺と、現在彼らが追っている黒鵺とは、別人としか思えないほどかけ離れている。あの黄泉でさえ言っていたではないか。違和感を覚える、と。 蔵馬は組み合わせた指に少し力をこめて、意を決したように唇を開く。 「それはそうと霊界は、オレの事を疑ってるだろう。黒鵺と手を組むかもしれないって。言われなくたって気付くよ」 桑原は驚愕と憤慨をあらわにしたが、幽助はやっぱ察してたか、とばつの悪そうな顔をした。 「でもね、その可能性は極めて低いと思う。黒鵺がオレを信頼する事はもちろん、利用しようとする事さえありえないんじゃないかな。・・・・・・親友を助ける事もできず、あまつさえ極悪非道に堕ちたオレになんて、もう関わりたくないのかもしれない」 黒鵺を喪ったあの夜。追っ手をまいて逃げ切って、ほとぼりがさめた頃にはとっくに夜が明けていた。そこでようやく彼が罠にかかった場所に近付く事が可能になったのだが、その時にはもう、幻魔獣に食い尽くされたのか亡骸は全く残っていなかった。 竹槍の残骸が転がり、親友の流した大量の血が染み付いたそこに膝をつき、蔵馬は銀髪を振り乱し、魂を締め上げるような悲痛な声で慟哭した。今度こそ、自分が救いようの無い絶望と完璧な孤独のどん底に叩き落された事を思い知って。そして何より、夢も未来も絶たれた黒鵺を想って。 「黒鵺の命と一緒に、オレの中でも心が感情が死んだんだ。というか、自ら殺した。でないと、魔界を生き残る事はできなかったから」 黒鵺なしでは、なおさら。 だがその結果、蔵馬は黒鵺が忌み嫌っていた事ばかりを繰り返していく事となった。黄泉を裏切り、彼の目から永遠に光を奪う結果を呼んでしまったのも、その中の一つ。 南野秀一としての生を受け、母に対する思慕が芽生えた時、ようやく彼とともにあった頃の自分自身を思い出したのだ。 「だけど、もし今、結託を持ちかけられた所で、オレだってもうその手をとることなんてできない。・・・・・・だけど、選ばなくちゃいけないんだろうね。戦うか、消されるか。・・・・・・迷ってるというか、わからないんだ、どうすればいいのか。どの手段を選んでも、何一つ正解になんかならない気がして・・・・・・!」 ゆっくりうなだれ、両手で顔を覆うようにして、蔵馬は痛烈な罪悪感を飲み込んだ。 「・・・・・・どうしてかな。そこまで考えいたってもなお、昔あいつと出逢えた事は微塵も後悔してないんだ。かつてない悲劇が自分にもキミ達にも迫ってるって分かってるのに、その元凶であるはずのあいつを・・・・・・憎めないんだよ。おかしいかな」 まるで触れられそうなほど近くに、懐かしい思い出の数々が転がっている気さえする。だけどそれらは水のように捕らえようがなくて、救い上げるそばから指の間を流れ去ってしまうのだ。 「さぁな。オレは頭悪ぃからわかんねぇ。けどよ、少なくともあの野郎の計画よりはずっとまともだと思うぜ」 幽助はソファから立ち上がって身を乗り出し、細かく震える蔵馬の肩を優しく掴んだ。 「桑原、プー使っていいから、オメーと蔵馬だけでこのまま人間界に帰れ」 「え、マジでいいのかよ? 浦飯は?」 「ここからオヤジの国なら、自分の足で戻れる。プーにそこ寄らせてたら、人間界まで遠回りになっちまうだろ」 二人を先に退室させてその背中を見送った後、一人部屋に残った幽助は、爪が食い込み血が滲むまで拳を固く握りしめた。 そしてその拳を、火山がマグマを吐き出すような咆哮をあげながら、力任せにガラステーブルに振り下ろす。 粉々に砕け散った透明な欠片達が、儚く舞い落ちる。髪に、肩に、そして腕にも。 その脆弱なきらめきが、蔵馬の涙のように思えてならなかった。
同時刻。幽助が居る部屋から見て、右隣。やはり、完全防音の客室。 不知火が、携帯電話を開いていた。 「・・・・・・そうだ。旧雷禅国の古文書が、黒鵺によって奪取されたらしい。奴があれについて調べたがっているのは、どうやら確実とみえる。私は予定を切り上げて霊界に戻り、めぼしい資料を手当たり次第に探ってみるとするか。・・・・・・いや、それには及ばん。むしろ私が一人でやる方が効率がいいだろう。ホストコンピューターで検索をかければ、それほど難しい事では無い」 言葉使いからして、電波の向こうで聞いているのは彼の部下に当る立場らしい。 先に通話を切って、不知火は部屋を出る。すると、ほぼ同時に幽助が荒々しくドアをけり破った。 「どうなさいました、浦飯殿」 廊下の反対側の壁に激突し、くの字に曲がった状態で無残に倒れたドアと幽助とを見比べて、不知火は目を丸くした。 「どうもこうもあるか! ちくしょう、全部黒鵺のせいで・・・・・・!! なぁ不知火、一つ言っときたいんだけどよ」 「はい、何でしょう」 「どうやらオメーは、蔵馬が黒鵺と手を組むんじゃねぇかって疑ってるらしいけど、んな事ぐだぐだ考えてても無駄だぜ」 容赦なく凶暴で、なのにどことなく哀しさを含んだ眼差しを、不知火は不思議そうに見つめ返した。 「無駄・・・・・・ですか。それは、どういう意味です?」 「そんな暇も余裕も、黒鵺にはねぇ。このオレがブッ倒してやるんだからな!!」 言葉の後半にはもう不知火に背中を向け、幽助はズカズカと廊下を踏み荒すかのごとく立ち去ってしまった。負の衝動が自分の中で猛り狂っているのを、はっきりと自覚しながら。
翌日。時雨の報告に飛影はもちろん、躯も驚きを隠せなった。 「黒鵺の使った燦閃玉が、偽物だと?!」 「はい、本物でしたらどんなに短く見積もっても、十日は邪眼が使えぬはずです。ですが拙者の診断では、何度確認しても飛影の邪眼は明日の午後には完治します」 飛影の受けたダメージの軽さに疑問を持った彼は、多くの資料を片っ端から調べたのだ。 するとどんな本の記述でも、燦閃玉の本来の威力は昨夜黒鵺が使用したそれとは、比べ物にならないと証明されていたのである。 「どういう事だ。本物が手に入らず、やむを得ずに贋作で代用したというのか?」 まだ僅かに痛みの残る額を意識しながら、飛影が誰に対してともなく呟いた。 「しかし贋作とはいえ、お前の邪眼機能を麻痺させたとなると、それなりに質は悪くなさそうだ。作った奴は、相当な技術の持ち主だろう」 躯が腕を組んで視線を落とす。 「それに燦閃玉は確かに希少価値が高いが、黒鵺程のレベルの高い盗賊なら、本物を手に入れるぐらい造作もないことのはず」 それなのに、彼はわざわざ偽物を用意していた。もちろん、本物に比べれば格段に盗みやすいのだろうが、あの伝説の瑠璃結界がそこで妥協するとは考えにくかった。 「それともまさか・・・・・・オレの邪眼が復活するまでに、計画を完遂させる自信があるということか? 敵を消し、魔界を制圧できるとでも?」 計画のための手順を踏んでいるというから、長期戦になるかと飛影は考えたのだが、どうやら敵の本音は早急に決着をつけたがっているようだ。 「だとしたら、好都合なんだがな。こっちも白黒つけるのは早い方がいい」 「どの道、燦閃玉の件は妙に引っかかる。・・・・・・あまり重要な事ではないかもしれんが、もう少し慎重にあたってみるか。時雨、他の連中にも伝えておけよ」 「御意!!」
正午を控えた、空の高い位置でさんさんと太陽がふりそそぐ駅前の噴水広場。待ち人を最初に見つけたのは静流だった。 「ばーちゃん! こっちこっち!」 くわえ煙草で手を振る先には、小柄な老女が少ない手荷物片手に、こちらへ向かって歩いて来る姿が見える。老女――幻海は、待ち合わせ場所に集っていた知己を一人一人見上げ、ご無沙汰だね、と軽く笑った。 「元気そうで何よりだ、ちょっと遅れたかい?」 「いえ、時間通りですよ、師範」 おひさしぶりです、と蔵馬が一礼した。横で桑原が、あいさつもそこそこに本題に入る。 「今の所、人間界の方には特に変わった動きはねぇぜ。ってか魔界も、今日はまだ何も声明らしきものさえないんだとよ」 「飛影の邪眼を封じた事によって、水面下で動きやすくなったためだろう。これは嵐の前の静けさだと思ったほうがいいかもしれん」 いつも通りの厳しい表情をみせ、幻海はふと時計台に目をやった。 「悪いが、このままもうちょっと待っててくれんかね。念のため、あたしが個人的に呼び寄せた助っ人がそろそろ来るはずなんだよ」 「幻海さんのお知り合いということは・・・・・・その方もやっぱり、優れた霊力の持ち主なんですか?」 雪菜が首を傾げて問いかけると、幻海はもちろん、と大きく首を縦に振った。 「何と言っても彼女が元祖だからねぇ。コエンマとも浅からぬ縁があるし」 「元祖?」 きょとんとした雪菜が聞き返すのにかぶせるかのような、ハリのある凛とした声が一同の下へ投げ込まれた。 「幻海師範、ご無沙汰してます」 「おぉ、来たか。その節は、ウチのバカ弟子が世話になったね」 ハッと振り返ると、長い黒髪を首元で束ねた背の高い女性が一人、姿勢良く立っている。灰色の七分袖シャツと黒地のデニムパンツという、シンプルないでたちに、使い込んでいると見られるボストンバッグ。 「ばーちゃんの言った助っ人って、このおねーさん? ・・・・・・確かに、人並みはずれた霊気量だね」 「お褒めの言葉ありがとう、でも、もうおねーさんなんてトシじゃないわよ」 小さく苦笑いしたその女性からは、気さくで頼り甲斐のありそうな雰囲気が滲み出ている。彼女は、あらためて一同に視線をめぐらせ、自己紹介を始めた。 「どうも初めまして、私は佐藤黒呼。旧姓真田黒呼。幽助君や忍君の前に、初代として霊界探偵やってた者よ」 「何ぃーーー?! 元祖ってそういう事かよ!!」 「真田黒呼・・・・・・そういえば、聞き覚えのある名前だ。確か、陰陽師の血筋だと」 桑原と蔵馬が口々に発するのを面白そうに聞きながら、黒呼は改めて幻海に向き直った。 「吹雪と快晴はやっぱり置いてきました。省吾・・・・・・夫は戦闘タイプじゃないし、その上仕事が今立て込んでるから、彼を一人にするのはちょっと」 「かまわんよ。急に呼び出したのはあたしの方だ。お前が来てくれただけでも十分さ」 「じゃ、こっちの役者はこれで揃ったね? とにかく、一端ウチで腰落ち着けるとしようか。このまま立ち話もなんだし・・・・・・ん?」 携帯電話の着信に気付いて手に取ると、表示された名前は螢子だった。彼女と桑原家で待ち合わせる時刻にはまだ早いのだが、もう到着したのだろうか? 怪訝に思いながら通話ボタンを押したとたん、慌てふためいた甲高い声が弾けた。 『静流さん達、今どこ? 大変なのよ! さっき講義が終って今から行こうとしてたんだけど、その途中で霊界の人が倒れてるのを見つけちゃったの!!』
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