第三章・相容れぬ通過点

 

 

 夜の帳が下りた頃、プーの背に乗った幽助と桑原が旧雷禅国に到着してみると、そこにはすでに霊界から派遣された捜査員だけでなく、鈴木と死々若丸も揃っていた。

「何だ。見覚えのある幻魔獣かと思ったらお前か、失敗ヅラ」

 「んだと、コルァア!! 第一声でいきなり暴言か!!

 「死々若! め!!

 数年の空白が死々若丸の毒舌で埋められているのを横目に、北神が幽助の前に進み出る。

 「荷造りしていらっしゃったあたり、早々に魔界に腰を落ち着けるおつもりですね」

 「おうよ。ぼたんとひなげしを助けるためにも、トーナメント前に魂消されねぇためにも、今の内から徹底抗戦だ」

 上着を脱ぎ捨て、手の平にもう片方の拳をパンッと打ち付ける。黒鵺が、いつどこに現れるのか読めない今、彼に指定された各所が万全の体勢をとっていた。

 「では、皆様集合なさったので、一つ大事なご報告があるんですが」

 「報告?

 あらたまった北神の口調に、鈴木はもちろん桑原と死々若丸も一時休戦して注目した。

 「我が宮殿を含め、セキュリティーシステムを解除した全地点を、躯軍の飛影さんが邪眼でランダムにチェック中なんです」

 「え。ってことは、今こうしてるこの瞬間も」

 「見てるかもしれませんね。まぁ、監視カメラ代わりと思ってください。セキュリティーは解除しろという要求はあっても、邪眼を使うなという要求は無かったんですから」

 つまり、対象となった各所のどこに黒鵺が現れても、すぐにわかるということだ。素早く状況を把握して応援部隊を送り、逆に要請することもこれで可能となった。

 「でもよ、あいつ以外に見えてねぇんじゃちょっと不便っつーか、もどかしくね? オレ達も他の所がどうなってるのか、簡単にチェックできねぇとよ」

 「その点は、このオレがカバーした!

 幽助が口にした疑問を受け、待ってましたとばかりに鈴木が胸を張る。

 「以前、躯に依頼されてオレが作成したアイテムが、偶然かつ絶妙なタイミングで日の目を見ることになったんだ」

 「あ〜、オメーそれが本業だったっけ。んで、何作ったんだよ?

 「名付けて、闇アイテム『邪眼映像中継装置スペシャル三点セット』! 飛影が遠方の光景と音声を邪眼で捕える際に発生する妖力の波形を邪周波アンテナでキャッチ及び分析、そして各所に設置した邪周波受信専用のアンテナを介し、これまた専用の回線を使ってTVなどスクリーンに映し出すという、画期的な傑作である!! 完成に至るまで何と半年もの日数を費やし、その間ラボの爆発が十四回、試作品は八点、実験に飛影をつき合わせた際、奴が不満と苛立ち紛れに繰り出したのは、炎殺剣が三回で煉獄焦が五回。まぁ、黒龍波食らわなかったのは不幸中の幸いだし、むしろいい修行になったんだが」

 「とにかく! 要するに、飛影が邪眼で見聞きしたモンを、オレらも見られるって事だろ?

 まだまだ続きそうだった長口上を強引にへし折り、幽助はげんなりした。

 「確かに便利だな、それ。で? その邪眼映像を観られるTVってどこにあんだ?

 いつの間にか機嫌の直った桑原がキョロキョロ辺りを見回すと、北神がぎくりと硬直し、続いて恐縮しながら申し訳無さそうに口を開いた。

 「その、実は・・・・・・我が国では、その映像を見ることができません」

 「は? 何だって?

 「で、ですから、我が国は邪眼映像を見るためのアンテナを、設置できるような環境ではないんです。元々TVさえありませんから。・・・・・・というか、電気系統の設備も殆ど発達してないですし・・・・・・」

 「うむ、そこはさすがのオレも早急に対応できなくてな」

 歯切れの悪い北神に対して、鈴木は妙に爽やかに言い切る。

 「・・・・・・ってことはつまり、ウチだけ他ん所の状況わかんねぇってか? 飛影に見られるだけ見られてて? マジかよ!? そりゃアナログな国だってオレもとっくにわかってたけど、こいつはあんまりだぜ!

 思わず天を仰いだ幽助に、北神は「もも、申し訳ありません〜〜〜!!」と平謝りだ。そんな二人を見やりつつ、死々若丸がフン、と鼻先で笑う。

 「癌陀羅と比べると、まるで原始時代のようだな。もし戦争状態になんぞなって、向こうの所有する最新鋭の兵器を使われてたら、ひとたまりもなかったんじゃないか?

 「か、返す言葉もございません・・・・・・!

 「認めんのかよ!

 「事実は事実ですから・・・・・・というか、雷禅様ご自身がそもそも機械に非常によわ、いや! 疎い方だったもので・・・・・・」

 「はは・・・・・・オレ、格ゲー勝負だったらあいつに百戦百勝だったかもしんねー」

 もはや突っ込む気も失せた幽助が、何かを諦めたように失笑した。

 

 

 「だ、そうだぞ、黄泉。三竦みの均衡を崩し制するのは、意外と簡単な事だったのかもしれんな」

 癌陀羅宮殿の会議室で、邪眼映像が映し出す旧雷禅国でのやり取りを見ながら、凍矢がさらりと物騒な事を言ってのけた。むろん、現実にはありえないことだからこそ言える台詞だが。

 「人間を絶って弱体化したといえども、闘神雷禅はあなどれなかったのさ。その名の通り、闘いの神だ。技術や知略が簡単に通じるような妖怪ではなかった」

 頭針伝の位置を調節し直しながら黄泉が答えると、空中座禅を組んでいる陣が納得したようにうんうん、と頷いた。

 「なるほど、やっぱ親子なんだべなぁ。幽助がそのまんま受け継いでるべ」

 「僕、癌陀羅出身で良かった。修行の旅以外で、あんなド田舎行くなんて絶対ヤだ」

 椅子が高くて床に届かない足をブラブラ揺らしながら、修羅が誰に言うともなしに呟く。

 画面は続いて、大統領官邸に切り替わった。今正に百足の司令室で、三台の邪周波アンテナに囲まれて立つ飛影が、黒鵺の姿を捕えるために邪眼を開いているのだ。

 大統領官邸。魔界都市癌陀羅。移動要塞百足。そして、旧雷禅国。

 以上四箇所の内、黒鵺がまず侵入するとしたらどこからだろう。と、蔵馬はいったんスクリーンから視線を外して、組み合わせた指の上に顎を乗せた。

 一番馴染み深くて、なおかつ幽助達と顔を合わせづらかったために、ほぼ衝動的に癌陀羅に来てしまったが、こうして考えをまとめようとしても黒鵺の行動が読めずにいた。

 昔、あんなにも近くにいて、お互いを理解しあっていたはずなのに。今も同じ魔界の空の下に、彼は確実に存在しているというのに、何故こんなにも遠い?

 黒鵺・・・・・・一体、何を考えている?

 むやみに他人を傷つける事も、まして女性を人質に取る事も絶対にしなかったお前が、よりにもよってお前が、どうして?

 この千年、逢えるものなら逢いたいと願わない日は無かった。なのに今は、彼に対峙するのが・・・・・・酷く怖い。変貌してしまった親友を直接目の当たりにするのが、どうしても怖いのだ。まだ自分は、彼を信じているから。信じていたいから。

 『妄信しても無駄だ』

 冷水のような飛影の声がフラッシュバックする。それに心臓を掴まれたような感覚を覚え、ハッと顔を上げた蔵馬の目の前に。

 彼自身のそれより明るい色彩の赤い髪と、水色の大きな瞳が迫っていた。

 「な! な・・・・・・何?!

 引きつった声と、ガタンと椅子の揺れる音が重なるのを聴きながら、空中座禅のまま逆さまの体勢になっていた陣が、不思議そうに首をかしげた。

 「珍しい事もあるんだべな。こんな近寄ってんのに、蔵馬がオラの気配に気付かねぇなんてよ」

 言われてやっと自分の状態を自覚した。考え事にはまり込みすぎて、周囲の事が意識の範疇から完全に外れていたのだ。

 「すまない・・・・・・今何か、重要事項でも話してた?

 「んにゃ、そーいうんじゃねぇけど」

 陣は、またくるりと上下に反転した。

 「今日会った時からずっと、オメの風が乱れってから、らしくねぇなと思ってさ」

 ぎくりと、胸の奥がきしんだ。何も言わないだけで、黄泉も何かしら聞き取ったのではないだろうかと、盲目の王にさっと目線を滑らせたが、彼の注意はスクリーンに向けられているようだった。

 「失礼いたします」

 会議室の自動ドアが開いて、不知火が入ってきた。数分前、妖駄から通達されていたので、一同は当然のように迎え入れる。

 「こちらの警備兵の方々と、わが霊界側の捜査員達は全員、所定の位置につきました。なので、私も邪眼映像をチェックしつつ緊急の事態に備えようかと思うのですが、よろしいでしょうか?

 「あぁ、かまわぬよ」

 短く答えながら、黄泉は不知火に向かって聴覚を研ぎ澄まさせた。蔵馬を警戒しているらしい不知火。大統領官邸ではなく、ここ癌陀羅を訪れているのがその証明だろう。

そんな彼の心理状態を、正確に把握しようかと試みたのだが、それは失敗に終った。霊界人も現世に降りる時は実体を伴うために、器を使用する。それは一見、人間の肉体のような質感と体温もあるが、霊力をエネルギー源に動いているため鼓動や脈拍といった生命活動の際の音が一切聞こえてこないのだ。

 「・・・・・・陣、お前もいい加減座れ」

 スクリーンから目線を外した凍矢が、あいかわらずぷかぷか浮いてる相棒をたしなめる。

 「ほぇ? さっきからずーっと座ってるべ?

 「空中じゃなく、こっちの椅子にだ!

 「えー」

 「えー、とか言わない!

 しぶしぶ降りてきた陣に、凍矢は呆れ半分諦め半分でため息をつく。そのやり取りを面白そうに見物していた修羅が、不知火に向き直った。

 「聞きたいことがあるんだけどさ。・・・・・・蛇那杜栖は魂を切り捨て消滅させるっていうけど、魂の消滅って具体的にどういうこと?

 「存在そのものの消失といえます。記憶も感情も、何もかもが消えるということです」

 「それくらいはボクでも想像がつくよ。客観的にどうこうじゃなく、いざ自分がそうなったら・・・・・・例えばボクの魂が消えるとなったら、その時ボク自身は『消滅』をどう感じるの? そんな感覚さえも消えてなくなっちゃうわけ?

 「さぁ、そこまでは・・・・・・こればっかりは、生き証人が存在しませんゆえ、長年霊界のために働いてきた私でもさすがにわかりかねます。ただ、おそらくその点においては、閻魔大王様でさえもご存じないかと思います。確実に言えるのは、消滅は魂にとって最悪の結末ということでしょうか。それこそ、どんな深い地獄に落とされる以上の・・・・・・」

 そんな結末を、誰にでも強制的に迎えさせる武器。それが蛇那杜栖。今、黒鵺がその内に宿しているもの。彼はそんな凶器を本気で振るうつもりなのだろうか。

 ・・・・・・オレに対しても?

 憂鬱な闇が夜の影よりも色濃く、蔵馬の心に落ちた。

 「飛影が旧雷禅国で何か見つけたみたいだぞ」

 一人静かにスクリーンのみに集中していた黄泉が、その小さな異変に気がついた。

 邪眼映像が注意深く追っている人影があった。

 袖口と裾に金色の刺繍で何やら紋様が刻まれた、漆黒のローブを纏っている。目深にフードを被っているため、人相までは見えない。裾は地面すれすれまで長く、袖口も指先くらいしか見えなかった。

 それはいつのまにか雷禅の宮殿に隣接する、宝物庫付近まで侵入している。

 「まさか、黒鵺?!

 いてもたってもいられないのか、蔵馬が思わず立ち上がる。

「全く顔が確認できませんね。どちらにせよ、すぐ浦飯殿達にご連絡差し上げなくては!

 不知火が慌てて携帯電話を取り出した、その瞬間。黒づくめの人影は、宝物庫の警備についていた北神の部下二人組を一瞬の内に昏倒させ、扉を開けて中へ滑り込んでしまった。

 「だが・・・・・・黒鵺だとして、いまさら宝物庫に何の用があるというんだ?

 不知火が切羽詰った声で電波の向こうの幽助に事の次第を伝えているのを聞きつつ、黄泉は怪訝そうに眉根を寄せた。

 

 

 火急の知らせを聞き終わらぬ内に、幽助は北神に携帯電話を放り投げて宝物庫へ向かって走り出していた。桑原達が続いてくるのを肩越しに見やりながら。 

 顔の確認などしなくても、耳から聞いた情報だけでも彼は確信していた。現れた人物は、黒鵺にちがいないと。

この国に現れてくれたのは好都合だった。有言実行。自分が直接拳を交えるのだ。必ず。

蔵馬が癌陀羅にいることも、好都合かもな。

やや自嘲気味な呟きが、幽助の脳裏をよぎった。邪眼映像でこの光景も、黒鵺と自分の対峙もきっと蔵馬は観てしまうのだろうが、彼の目前であるのに比べたらずっとやりやすいと思った。

だからこそ、手加減も遠慮もしねぇ。ワッパについてもらうぜ、黒鵺!!

ぼたんとひなげしの救助、蛇那杜栖奪還のためにも、自分が躊躇するわけにいかないのだ。拘束されていた彼女達の痛々しい映像を思い起こすと、湧き起こる怒りが迷いを断ち切る。

無我夢中で本殿を飛び出し、ぐるりと回りこむと、すぐに宝物庫の観音開きの大きな扉と倒れ伏している兵士が見えた。夜闇を背後に照明を受けたその場所は、浮かび上がったように鎮座して見えた。

ふと気が付くと他の配置に付いていた兵士や霊界の捜査員達も、宝物庫を包囲している。幽助は立ち止まって身構え、待ちきれないといったように声を張り上げた。

「オメーだろ、黒鵺! いるのはわかってんだ、とっとと出てきやがれ!!

重々しく反響した声が止むのを待っていたように、そこに訪れた静寂を壊さぬように、足音一つ立てることなく、彼は扉の向こうから現れた。まるで、実体の無い影そのものが、意思を持っているかのように見える。

不知火から聞いていた通りの服装。袖と裾を彩る金糸が、やたら目に付く。今夜も移動式の妖気遮断結界でも張っているのか、強大なはずの妖力を感知する事はできなかった。

にも関わらず、気道から心臓にかけてを圧迫されるかのような緊張感が、大きく波打つように押し寄せてくる。

深くフードを被っているため、面差しもろくに見えない。引き結んだ薄い唇と、鋭利な顎のラインが辛うじて確認できるくらいだ。それでも、わかった。

 「今頃ツラ隠しても遅ぇんだよ。せめてフードくらいとったらどうなんだ?

 やけに喉が渇く。幽助の頭の片隅、妙に冷めた部分が囁くように自覚した。

 唯一つ、彼の表情の一片を示す唇が僅かに持ち上がり、次の瞬間、フードが取り払われてローブよりさらに深い闇を宿したかのような黒髪が、ばさりと舞った。高い位置で結われたそれが落ち着くと、今度こそ映像越しでない肉声が幽助の耳を打つ。

 「念には念を、ってな。特に深い意味は無い。・・・・・・お前が、浦飯幽助か」

 彼に名を呼ばれるのは、奇妙な感覚だった。本来ならば、永遠に相対する事はなかったはずなのだ。

 「そんでその後ろが、桑原和真に死々若丸、鈴木、北神・・・・・・か。自己紹介はお互い無用だな。手間が省けてちょうどいい」

 言い終わらぬ内に、黒鵺の胸元に瑠璃色の渦が生まれる。まさか蛇那杜栖を出すつもりかと一同は固唾を呑んだが、取り出されたのは幽助と桑原も見覚えのある、数年前に出現した偽者も用いていた白銀の鎌だった。それを両手に構えて、黒鵺は臨戦態勢を取る。

 「後は、お前らがそこどいてくれればさらに手っ取り早いんだけど?

 「はっ、勿体つけやがって。オレらにゃ蛇那杜栖使うまでもねぇってか?!

 幽助の妖力が目に見えて高揚していくのを見ながら、桑原は、人間の自分のことまでも黒鵺が把握している事に驚いていた。やはり彼は、蔵馬の人間界での人となりも掴んでいるに違いない。あらためて危険が肉薄しているのを思い知らされる。

 「そう焦るなよ。言っただろ、オレには計画がある。その計画完遂のための手順を正確に踏んでるだけさ。ひとまずここを突破するのも、今すぐお前らの魂を消さないのも、しょせん手順の内の一つにすぎねぇんだよ。・・・・・・大体、しとめたい獲物はまとめて一網打尽にするのが合理的だろ?

 つまりそれは、ここにいる外敵以外にも、抹消しなければならない対象がいるという事。官邸、百足・・・・・・そして、癌陀羅。この三箇所にその対象達が存在するという事。

 ぎり、と幽助は音を立てて奥歯を噛み締めた。

 「てめぇのふざけた計画なんざ、このオレが叩き潰してやらぁ!!

 「面白ぇ、上等だ。計画と現場は時として、相容れぬモノだからな」

 ハッと気付いた時には、黒鵺は高く跳躍していた。羽根はローブの下にしまわれているから、脚力のみで跳んだことになる。それでも尋常じゃなく高い。

 「くらえ、ショットガン!!

 まずは退路を断つために、空中を埋め尽くすかのように小ぶりの弾丸を撃ち込んだ。

 しかし。

 「散激裂刃(さんげきれつば)!

 黒鵺が手にする鎌の本数がいきなり増えて、それが縦横無尽に、まるで生きているかのように飛び交った。一つ一つの刃が、正確に幽助の放った妖気の弾丸を切り裂き散らし、黒鵺まで届く前にかき消してしまったのだ。

 地上に着地した彼は、素早く増やした分の鎌を内部結界に戻し、再び両手にだけ構えて幽助めがけて飛び込んでいく。

 「ちぃ!!

 すんでのところで交わすと、たった今まで幽助が立っていたその場所が、黒鵺の鎌で巨大なクレータのように抉り取られた。

 「やめとけ、年季が違うぜ。こちとら地獄歴千年だ」

 クレーターの縁に立つ黒鵺が、幽助を振り返って軽く嘲笑してみせる。

 大挙して押し寄せてくる旧雷禅国の兵士達も、漆黒の盗賊の前になすすべなく蹴散らされる一方。

「逃がすもんかよ、伸びろ霊剣!

 桑原が攻撃を仕掛けるが、僅かに黒髪を掠めるだけにとどまった。しかし、さらにその隙を突いて北神が躍り出る。意地でも拘束してみせるとばかりに、得意の軟体術でにゅうっと首を伸ばした。

「よっしゃ、そのままふんじばれー!!

 幽助の声援を背後に、どんなゴムより柔軟に伸びる北神の首が、今にも黒鵺に巻き付こうとした次の瞬間。

 「汝が負うは、呪いにも勝る枷。重縛結界!

 毅然とした声が響いて、北神を中心にして瑠璃色の方陣が浮かんだ。かと思うと、その輪は波打ち変形して北神にはりつき、彼は伸びた首ごとどたりと倒れた。

「なな、何だこれは、動けん!?

必至に起き上がろうとするが、もがく事もできない。全身が杭か何かで大地に打ち付けられたようだ。

 「対象に合わせた重力で完璧に押さえ込む、重力操作の結界だ。時間がたてば自然解除される基本結界さ。その内動けるようになるぜ」

 再び疾走しようとする黒鵺だが、気付くと目前に幽助が先回りで迫っていた。

 「うおおおおおお!!

 顔面を狙ってパンチを繰り出すが、ギリギリで黒鵺の手の平に受け止められる。そのままがっちり掴まれ、引くこともかなわない。

「何とか離れろ、幽助! 接近戦は危険だ。蛇那杜栖を出されたら取り返しがつかんぞ!!

どこかで鈴木が叫ぶのが聞こえたが、幽助の中で煽られたのは恐怖ではなく闘争心のみだった。

 「うるせぇ! だったらこれでどうだ!!

 左の拳も瞬時に突き出し、それもあえて受け止めさせた。これでもう、武器は持てない。

 「いいかオメーら、手ぇ出すなよ! タイマン勝負はオレの専売特許だからな!

 横目で釘を刺してから、幽助は改めて真正面から黒鵺と睨み合った。

 「どうした。蛇那杜栖使えるもんなら使ってみろよ。オレを消したきゃ消してみろよ」

 「・・・・・・調べた通りだ。単純明快単細胞。後先考える様子がまるで無い。闘神の血筋か?

 「オレの事はいい! そんな事より、ぼたんとひなげしは無事なのかよ?!

 「今の所はな。ただし女達の処遇は、計画の進み具合による」

 「! その計画ってのは・・・・・・邪魔者を消して、魔界を支配するって事か?

 「言玉を見たんだろ。同じ事を二度言わせるな」

 淡々とした声音が、容赦なく幽助の心を穿った。その痛みは邪眼を介して自分達を見ているであろう、翠色の双眸を思い出させる。だが、もう後には引けないこともわかっていた。

 「何でだよ」

 その声はただの疑問ではなく、目の前の敵に対する呪詛だった。

 「何で他ならぬテメーが裏切るんだよ! ・・・・・・蔵馬を!!

 千年以上の時を隔てて生まれた自分達が同時に知る名前に対し、何か黒鵺が反応を示さないかと幽助はかすかに期待したが、深い紺色の双眸は冷淡な闇を宿したまま、ゆらぐことさえない。

 「関係ねぇな。そこに誰がいようと、例え昔の相棒だろうと、オレはオレの計画を完遂させるだけだ。・・・・・・何を期待したのか知らねぇが、潔く諦めろ。全部」

 その最後通告が突きつけられた刹那、幽助の顔に、腕に、闘神の模様が浮かび上がった。

 「っざけんなあああああああああ!!!

 憤怒を孕んだ咆哮が、昏い天上へ駆け上がる。

発せられた大量の妖気の波動に、遠巻きにしていた兵士や捜査員達までも後ずさる。

 桑原でさえたじろぐがそんな中、しなやかな影が一つ、凶暴な波動を突っ切っていった。

 死々若丸だ。彼は真・魔哭鳴斬剣を鞘から抜き、上段に構えて技を発動させたのだ。

 「爆吐髑触葬!!

 不気味に唸る髑髏の塊が、群れを成して宙を舞う。

 思わぬ横槍に一瞬気を取られた幽助の隙を見逃さず、黒鵺は素早く彼の腹部に蹴りを放つと同時に手を離した。

 「ぐっ!?

 不意を打たれて軽く後方へ飛ばされた幽助が、体勢を整えるより早く、黒鵺は死々若丸の攻撃をかわし、再び跳躍するとローブの袂に手を入れて拳大の乳白色に光る玉を取り出した。

 「悪く思うなよ・・・・・・邪眼師・飛影」

 独り言のように呟いて、黒鵺は宝玉を掴んでいる手に力をこめ、荒々しく砕くと同時に反対側の手を使ってもう一度フードを目深にかぶった。・・・・・とたん

 黒鵺を爆心地としたかのように、真っ白な光が爆発した。

 その光が洪水のように、目を通して幽助達の脳髄へ流れ込んだきたのである。

 「うわ・・・・・・・・・!!

 眩しさよりも痛みに襲われ、その光に照らされた全員が大慌てで目をつぶり、腕で覆った。夜に目が慣れた頃だったので、光の強烈さはなおさらつらい。目の奥から脳天へ、鈍痛が突き上げる。眼球を押し潰されるかのような、不快な圧迫感が徐々に和らいでようやく瞼が持ち上がる頃には、黒鵺の姿は忽然と消えていた。

 「くそ! めくらましか。早いとこ探すぞ! それに、まだ遠くに行ってねぇかもしんねーから、妖気を絶っていても飛影の邪眼で追えるかも」

 「い、いや、由々しき事態ですよ、幽助さん」

 何とか首は元に戻したものの、未だ這いつくばった状態のまま起き上がれない北神が、ひしゃげた声を絞り出した。

 「私の目に狂いがなければ、黒鵺が今しがた破壊したのは、燦閃玉(さんせんぎょく)! 割れると先程のような強烈な光を放ち、外敵を怯ませる効力もありますが、燦閃玉の真価はさらに上の次元にあります」

 「単なる目くらましじゃねぇって事か? 一体他にどんな効果があるってんだ?

 「・・・・・・あるタイプの妖怪の特殊能力に対して、決定的なダメージを与えます。対象となる特殊能力とは・・・・・・主に、眼力によるもの。邪眼もその一つです」

 北神の口にした馴染み深い単語に、幽助は愕然となった。

 

ちょうどその頃の百足内司令室では、飛影が右手で額の邪眼を覆い、左手で髪を掻き毟りながら苦痛に顔をゆがめていた。必死に食いしばる歯の間から、苦悶交じりの吐息が漏れている。彼が見ている光景を映すはずのスクリーンには、砂嵐が吹き荒れていた。

「どうした、飛影?

 躯自身もまだ弱冠眩暈がするが、目を開けられぬほどではない。なのに顔をあげようともしない筆頭戦士を、彼女は訝しげに覗きこもうとした。その時。

 「・・・・・・・・・・・・・・・やられた」

 飛影は、やっとの思いで唇をこじ開けた。

 「今の光で、邪眼の機能が・・・・・・麻痺、した。何も映せん!

 「何だって?!

 驚きつつも、躯はあっという間に悟った。

 つまり、黒鵺が犯行声明において邪眼の使用を禁止しなかった理由は、このためだったのだ。確実に飛影が自分を見ている状況を作り出し、そこで燦閃玉を使用すれば、邪眼を封じる事ができるから。

妖気遮断に限らず移動式の結界は、そうでない通常の定位置式結界よりも遥かに妖力の消費量が大きい。いかに結界の支配者である黒鵺でも、四六時中張っていられるものではない。しかも、かつて雪菜が監禁されていた結界とは違って、内側の妖力を悟られないようにする事はできても、姿を見られないようにすることまでは不可能らしいのだ。

広大な魔界から妖気という手がかりも無しに、たった一人の妖怪を探し当てる事はいくら飛影でも困難だが、成功の可能性はゼロではない。万が一彼の視界に入ってしまったら、そこから追跡されてしまう。もうごまかしようが無い。

だから黒鵺は無駄な妖気の磨耗をさけるため、飛影の邪眼を麻痺させる必要があった。彼にさえ感知されなければ、わざわざ結界を張ってまで妖力を隠さなくてもすむし、姿を見つけられることも無い。

『オレには計画がある。その計画完遂のための手順を正確に踏んでるだけさ』

たぶんこれは、最初に予想していた以上に厄介な状況へ転がっている。いやおうなく。

躯は飛影から目を離せぬままその場に立ち尽くし、久しぶりにある感覚を苦々しく味わっていた。すわなち、

―――――悪い予感

 

 

 北神がやっと動けるようになってから、宝物庫を点検してみると、数冊の古文書が盗み出されていることが判明した。

 「古本なんか盗んでどうしようってんだ?

 「いや古文書ですって、幽助さん! 多分、何かを調べていてその資料を求めていたのだろうと思います。三竦みと呼ばれた国の中で、最も歴史が古いのは我が国ですから、貴重な文献が多数保管されているんです」

 「ふーん。んで? 黒鵺が調べようとしてる何かって何なんだよ」

 「さぁ・・・・・・ジャンルがバラバラで推測するのはちょっと・・・・・・。たぶん、本命は一、二冊って所でしょう。他はダミーですね、その本命を悟られないための」

「がーーーーー!! ちくしょう!! 結局奴に目当てのモン残らず盗まれて、飛影の邪眼も使えなくなっちまったって事かよ!

 苛立ち紛れに宝物庫の壁を殴って凹ませ、幽助はその怒りの矛先を袴姿の若武者へと向けた。

 「大体、テメーもテメーだ! 最初に手ぇ出すなったつったろうが。あの時取り逃がさずにいたら、捕まえられたかもしんねぇのに!!

 「フン、知ったことか。貴様の指図なんぞ受けん」

死々若丸は入り口近くの壁に寄りかかり、涼やかな眼差しのままそっぽを向いた。

「それに、あのショットガンとやらを斬り散らしてしまうほどの使い手だぞ。あのまま戦闘を続けた所であやつの身柄を確保できたかどうか、はなはだ疑問だ」

「っだと、コラァ!

 火花が飛び交うその間に、鈴木と桑原が同時に割り込んだ。

 「オメーまでこいつの挑発に乗ってどうすんだよ! 昔、色男発言した時みてぇに、余裕ぶっかましてどーんと構えてりゃいいだろが」

 「死々若、お前もこんな時くらい毒舌は控えてくれ。それに幽助、蛇那杜栖の危険性を忘れたか。どの道あんな接近戦は避けるべきだろう。オレは、むしろあそこで終ってホッとしてるくらいだ」

 「でもよ!

 全く反論し足りない幽助だったが、携帯電話の着信に阻まれて渋々引き下がった。

 「おう、躯か。・・・・・・あぁ、そっか。わかった、伝えとく」

 その後も二言三言、短い会話を交わし通話を切ると、この場に居ない者との会話で幾分気が紛れたのか、先程よりも明らかに落ち着いた状態で幽助はこう言った。

 「時雨の見立てだと、飛影の邪眼が完治するには少なくとも二日はかかるらしいぜ」

 「二日か・・・・・・でけぇタイムロスだな。その間にまた何かしでかすつもりじゃねぇだろうな、あの野郎」

 不安の隠せない桑原の後ろで、う〜ん、と北神が腕組みする。

「何はともあれ、我が国も少しは現代技術を取り入れないと・・・・・・。鈴木さん、明日からにでもご協力願えますかね?

「もちろん! オレの頭脳とこの手があれば、この国を超ハイテク国家に生まれ変わらせる事も可能だ! ・・・・・・と言いたい所だが、あいにく、明日は別任務を命じられていてな」

「別任務?

 「あぁ、今回の件に関して、六人衆総動員だ。確実に忙しくなる」

「そんな事より、黒鵺を捕らえられなかったのなら今日の任務は終了だろう。帰らせてもらうぞ」

あっさりと死々若丸がきびすを返して宝物庫を出、それを鈴木が慌てて追いかけていく。

「桑原、オメーはこの後どうする?

「オレはいったん、人間界に戻るぜ。黒鵺はこっちの情報にも通じてるらしいからな、オレ様が人間代表として目ぇ光らせてやるよ。でも、その前に寄りてぇ所があってな」

 「寄りてぇ所?

 「案内してくれよ、浦飯。オメーがこれから行こうとしてるのと、同じ場所だ」

 ここまで言われてやっと桑原の言わんとする所を察し、幽助はばつが悪そうに苦笑した。

 「北神、ちょっとの間留守を頼む。癌陀羅行ってくるからよ」

 それから二、三分も絶たない内に旧雷禅国から、暗雲立ち込める夜空に向かって、青い翼を一杯に広げた霊界獣が舞い上がった。

 

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