第一部

 

 

序章

 

  かけがえの無い人がいた。

 出逢ったのは全てから裏切られ、見捨てられたと思った夜の事。

 理不尽に課せられた残酷な宿命も、彼と巡り逢うために支払うべき代償だったと思えば、それだけで救われる気がした。

 彼は壮大な夢を見せてくれた相棒で・・・・・・たった一人の親友だった。

 自分以外の誰かを信頼して一緒に生きる事が、こんなにも幸せなものだと、初めて教えてくれた。ずっとずっと、共に居られると思っていた。

 そんな奇蹟のような日々が、たった一夜の内に終わりを告げた。

 落ちてしまったペンダント。彼の背中。呼び止める、自分の声。

無情にふりそそいだ凶器の雨。噴出す鮮血。悲鳴のような、自分の声。

 『黒鵺―――!!

  ついさっきまで隣に居た親友が、全身を竹槍に貫かれた。ほんの一瞬で。

手にした宝を躊躇もせずに投げ捨てて、オレは彼の元へと駆け寄ろうとした。

 『来るな!!

 叫んだ拍子に、黒鵺は喉元までせりあがっていただあろう血の塊を吐いた。今まで見たことも無いような気迫に圧倒されて、オレはつい立ちすくんでしまった。

 『オレを助けてたら、追っ手に追いつかれる。二人とも殺されちまうぞ!

 事前に入手していた情報より、警備兵が手強く数が多いと気付いていた。けれど、

 『だからって、お前を見捨てられるわけないだろ!』 

 『来るなっつってんだ!!

再び近付こうとしたオレを、黒鵺は執拗に止めた。槍に貫かれた右腕で、自慢の鎌を構えてまで。だけど血の気の失せたそれは、すぐに力なく垂れ下がり、鎌も赤く染まった大地に沈んだ。

 『頼むから、逃げてくれ・・・・・・お前を巻き込みたく、ないんだよ』

 苦しそうに途切れがちな呼吸を奮い立たせ、黒鵺は最期にこう叫んだ。

 『オレに構わず、逃げろ! 蔵馬―――――!!!


 

第一章・三界越えの罪

 

 

「トーナメントに出ねぇだと?!

 赤々とした夕日が染みわたるような街並み。落とされた影が長く東へ伸びる逢魔が時。そこへ、まったくもって不似合いな喧騒の幕が切って落とされた。

ひっくり返った大声が幽助の口を突いて飛び出した瞬間、直前まで彼が咥えていた煙草がその右手に落下した。あちぃ! と短い悲鳴を上げて振り落とし、慌てて踏み消しながらも、幽助はさらに畳み掛ける。

 「何でだよ、蔵馬!! ただでさえ今度は予選を第二次までやる上に、本選での試合数だって増えてんだぞ! 腕に覚えのある奴が出場辞退したら、つまんねぇだろうが!

 ラーメン屋台のカウンター越しに座る蔵馬は、タンタン麺をすすっていた箸を一端置いて、困ったような笑みを浮かべた。

 「だからだよ。前回だって全試合終了までにかなりの日数がかかったじゃないか。今度はさらに開催期間が延びるだろう。さすがにそこまで長期の有給は取れない」

 「そ、そりゃあ自由業なオレと違って、ふつーに会社員やってるオメーの方が都合つけづらいとは思うけど・・・・・・もっかい留学するって事にできねーのか? 社会人でも珍しいことじゃねぇだろ?

 「同じ理由を二回も使えないよ。外資系の仕事してるわけでもないのに、三年ごとに何度も留学するなんて不自然だしね」

 「えーっと・・・・・・じゃあアレはどうだ! 確か魔界には、記憶を消したりできる植物があるって聞いたんだけどよ」

 「夢幻花のこと?

 「そうそうそれ!! そいつを上手く使えばいくらでも誤魔化しきくじゃねぇか」

 「あいにくだけど無理だよ。霊力の弱い並の人間に使って害が無いのは、せいぜい一回か二回って所さ。長期の記憶を消すためには何度も使用しなきゃならないし、そんなことしたら副作用で精神障害が出る恐れがある」

 やんわりと、だけど凛とした語調を追いかけるように、ガードの上を電車が走って単調な騒音を屋台の上に落とした。

 「オレだって迷ったんだよ。何とかいい手段は無いものかって。・・・・・・でも駄目だった。残念だけど、今度の、というか当分この先、オレがトーナメントに出ることは無いと思う」

 「夢幻花を品種改良するってのは? 誰に何度使っても副作用一切ナシっていう風にできれば・・・・・・」

 「何年かかるか検討もつかない。この間、出場辞退の事を伏せた上で鈴木にも相談してみたんだけど、彼もそうとう難しいって言ってた」

 「えーと、それじゃあ・・・・・・いっその事、柳沢にオメーをコピーさせて替え玉に!

 「往生際悪いぞ、浦飯!

 呆れた声でたしなめたのは、蔵馬の隣でとんこつチャーシュー麺を完食した桑原だった。

 スープも綺麗に飲み干した彼は、とん、とどんぶりをカウンターに置いて、楊枝をつまんだ。

 「蔵馬の場合、親御さん達に自分が妖怪だっつー事さえカミングアウトしてねぇんだぞ。あっちこっちに無理が出てくるのはしょーがねぇって。いいかげんあきらめろや」

 「・・・・・・・・・・・・ちっ、桑原ごときに説教食らうとは、オレもヤキが回ったぜ」

 「何か言ったか、コラァ!!

 大学に進学し、少しは大人びてきたかと思いきや、やはり一瞬で気色ばんだ桑原を「まあまあ」と宥めつつ、蔵馬はもう一度幽助に向かい合った。

 「開会式や閉会式含めて、なるべく時間作って応援には行くよ。皆と対戦できないのは確かに残念だけど、こればっかりはどうしようもないんだ。・・・・・・すまない」

 神妙な面持ちで頭を下げられてしまっては、さすがの幽助もそれ以上は自重するより他にない。自分の母親が母親なので、つい彼女を基準にした家族観で考えてしまいがちだが、浦飯家の母子事情とその背景が、世間の一般家庭とは大幅にかけ離れている事を冷静に思い出しつつ、幽助は何とか自身を納得させた。

 「飛影とか六人衆とか・・・・・・他の奴にはもう話したのか? 黄泉と修羅だって、ついこないだ修行の旅から帰ってきたらしいぜ。出場登録締め切りまで、もう一週間切ったしな」

 「いや、これからだよ。実はその事考えると、かなり気が重くてね」

 「はっはー、そうだろそうだろ! せいぜいつるし上げられちまえ〜♪」

 珍しく弱音を吐いた蔵馬に、せめてこれくらいの追加攻撃は許されるだろうと、幽助は豪快に笑ってみせる。

 その時、桑原の携帯電話が着信メロディを奏でた。

 「! 『ラブソングを貴方に』!! ということは・・・・・・雪菜っすわ〜ん!!!

 現在も桑原家にホームステイ中の可憐な氷女専用に設定した旋律に、桑原は耳まで顔を紅潮させ、うきうきと携帯電話の通話ボタンを押した。

 「はいはい和真です! 何か御用でしょうか? 雪菜さんが呼んで下さったとあらば、遥か彼方の天空はもちろん、魔界の最下層のそのまた地下深くまで、どこへなりともまっしぐらに参上いたしますです〜!!

 (・・・・・・雪菜ちゃんはどっちにも絶対行かねぇと思うが)

 (特に後者の場合、飛影が我が身と引き換えにしてでも行く手を阻むだろうし・・・・・・)

 呆れ果てた幽助と、苦笑を浮かべた蔵馬が目と目で会話するのを尻目に、桑原は有頂天で電波越しに届く愛しの君の声を堪能していたが、その表情が急に曇った。

 「・・・・・・いや、少なくともオレの所には何も連絡入ってないっすよ。・・・・・・えぇわかりました、浦飯と蔵馬にも確認してみます」

 耳に構えた携帯電話をそのままに、真顔に戻った桑原が、幽助と蔵馬を交互に見ながら尋ねた。

 「お前ら二人、今日ぼたんから何か連絡来てねぇか?

 「? いや、別に何も」

 「オレんトコもだぜ。電話もメールもきてねぇ。・・・・・・それがどうかしたか?

 幽助からの質問はとりあえず置いて、桑原は再度雪菜に意識を向けた。

「雪菜さん、二人とも何も聞いてないみたいです。・・・・・・はい、はい、そうですね・・・・・・ひとまず、様子見てみましょう」

ついさっきの目尻が下がりっぱなしだった満面笑顔はどこへやら、桑原は通話を切って、怪訝そうに首を傾げながら腕を組んだ。

「さっき話したけどよ、今日ウチの姉貴と雪村と雪菜さんが、一緒に出かけてるのは知ってるだろ?

「あぁ、映画観に行ってるんだっけ? 女の客は代金半額の特別企画っていうやつだろ。オフクロも、先約入ってなけりゃ行きたかったとか言ってたっけ」

「その映画、ぼたんも待ち合わせてたんだよ。仕事の予定が急に変って時間に空きができたって、一昨日電話があったみてぇでさ」

でもよ。と、桑原はそこでいったん言葉を区切った。

「もうすぐ上映時間だっつーのに来る気配は無ぇし・・・・・・携帯が全く繋がらねぇんだと。今まであいつ、仕事中でも極力電源きらなかったし、ましてや約束をすっぽかすなんて真似もドタキャンも、一度だってしたことねぇのに」

「料金止められてんじゃねぇのか? 人間界や魔界と比べて、高いか安いかは知らねぇけどよぉ」

「そりゃ、ついこないだのテメーだろ」

「うるせー!!

「仕事の都合上、圏外にいるのかもしれないよ。俺が今、コエンマに電話して聞いてみるから」

埒の明かないやりとりをすかさず止めて、蔵馬は自分の携帯電話を取り出した。

彼らが使っている携帯電話は一見すると人間界で普通の人間が持っているのと変わりないが、実は魔界の最先端電子工学と美しい魔闘家・鈴木の技術提供により、次元を越えて通話とメールが可能となった特別製なのだ。

 ちなみに、蔵馬達のように使用範囲が三界に渡る場合、魔界分及び霊界分の料金は大幅に割安となるボーダーレス・サービスが受けられる。

 「・・・・・・? コエンマにも通じない。彼も、電源切ってるなんてありえないのに」

 蔵馬は続けざまにジョルジュ・早乙女やひなげしにもかけてみたのだが、こちらの二人にも繋がらなかった。

 「何だ何だ、霊界人が軒並み料金ストップかよ」

 「その発想から離れて欲しいな・・・・・・。そうだ幽助、通信コンパクトや鞄型TV? 携帯が三界使用可能になるまで、あれ使ってぼたんと連絡取ってたんだろ?

 桑原が、蔵馬の思わぬ発言にきょとんとした。

「それって霊界探偵のためのアイテムじゃなかったか? こいつとっくにクビになったのに、まだ持ってんのかよ」

「ん? あぁ色々と使い勝手いいからな。あのまま借りパクした。オレから取り戻そうなんて命知らずが霊界にいるワケねーし。ただどっちにせよ、今ここじゃ使えねぇぜ。両方ともオレの部屋に置いてあるから」

と、今度は幽助の携帯電話がけたたましく鳴り響いた。着メロが苦手で、今も初期設定の呼び出し音のままにしている彼は、液晶画面でその着信が初代魔界大統領・煙鬼からだと知った。

「おう煙鬼のオッサンか。しばらくぶりじゃねぇか」

『幽助! 一大事だ。蔵馬と一緒に今すぐ大統領官邸に来てくれ!

戦闘以外では温厚で物腰の柔らかな煙鬼の、やけに切羽詰った声を聞いて、幽助は驚いた。第一回魔界統一トーナメントを制した覇者がこんなにも動揺するだなんて、この三年間一度もありえなかったのに。

「どうした、そっちで何かあったのか?

『事情がかなり複雑になってるから、電話じゃ上手く説明できん。そもそも事の発端が霊界なもんでな。とにかく、一刻も早く魔界へ・・・・・・』

「おい、今何つった!?

『ん? だから、急いでくれと』

「その前だ! 霊界がどうかしたのかよ?!

霊界、という単語に、蔵馬と桑原も鋭い反応を示した。

『・・・・・・実はその霊界で、前代未聞の大事件が発生したらしい。ついさっき、不知火という霊界人が緊急で報せに来てくれてな。・・・・・・詳細は、こっちで話す』

霊界で発生したらしい大事件。全く連絡の付かないぼたん達。これは、明らかに偶然ではない。幽助は額の手ぬぐいや仕事着さえも身につけたまま屋台を飛び出し、蔵馬を促した。

「桑原、悪ぃが店じまい頼むぜ!

「た、頼むぜって・・・・・・オレに屋台の何をどうしろっつーんだよ?!

「とりあえず、オフクロに連絡しろ。多分それで何とかなる! 今度、ラーメンのタダ券つけてやっから!!

それでも色々と喚いている桑原に走りながら「ほんとすまねぇ!!」と一礼し、幽助は霊界獣・プーを呼び寄せた。

 

 

それから約一時間もしない内に、プーの背に乗った幽助と蔵馬は大統領官邸に到着した。入り口付近にプーを待たせることにした二人は、セキュリティーチェックを済ませた後で謁見の間に通された。見上げるほどの巨大な扉が開いたその向こうの顔ぶれに、幽助は「あ!」と短く叫んで指差したまま硬直し、蔵馬も驚きを隠さず目を見張る。

「遅いぞ。お前ら二人で、呼び出し食らった全員がやっと揃った」

入り口付近の壁に寄りかかって立っている飛影が、相も変らず抑揚の無い声で出迎えた。それでも微妙に苛立っていたのか、睨むように一瞥する。

「何だお前、久しぶりに顔拝めたかと思ったら、ヘンな格好!

三年前より磨きがかかったかもしれない生意気な言動を、しょっぱなから惜しげもなく披露したのは修羅だ。その横には当然父親・黄泉も立っている。

「ぬぁんだとう?  日本のラーメン職人のユニフォームにケチつけるたぁ、いい度胸してやがんじゃねぇか!!

「・・・・・・幽助、相手は子供だよ」

「ガキの内にこそ礼儀叩き込んどくべきだろうが! っつーか黄泉! それはお前がちゃんとやれ!

「悪く思うな。この三年間、修行一辺倒だったのでな。せめて来月のトーナメントが終るまでは妥協してくれ。・・・・・・無事、開催されればの話だが」

意味深な黄泉の言葉に、幽助は一瞬押し黙ったがすぐに気を取り直した。

「・・・・・・霊界で起きた大事件ってのに、関係してんのかよ。でもだからって、トーナメントが巻き添え食うたぁどーいうこった? それに、ぼたんやコエンマ達は?

すると、窓際に立つ躯が夜空を見上げていた目線を幽助に向けて、静かにこう言った。

「オレ達も、詳細聞くのはこれからだ。その事件の中心にいるのが、一人の死者だって事だけしか知らない」

「死者?

聞き返す幽助の肩を蔵馬が軽くつついて、謁見の間の奥、玉座に座る煙鬼とその隣に立つ孤光の傍らに控えている青年を指し示した。外見年齢は、大体20代後半といった頃か。色素の薄い栗色の髪を襟足を越えるくらいに伸ばし、髪と同じ色の切れ長な瞳が、まっすぐに幽助と蔵馬をとらえる。

しなやかな長身痩躯に、マント付の堅苦しそうな制服らしきものを着込なしている辺り、彼が霊界の重要ポストに就いているだろう事が伺える。

二人がその青年の存在を認識するのを待っていたかのように、いつになく深刻な面持ちになった煙鬼が口を開く。

「こちらは、不知火氏だ。霊界では相当なお偉いさんらしい」

不知火、と紹介された青年は小さくマントの裾を翻して斜め下にピン、と右手を真っ直ぐ伸ばし、まるで人間界の警官か兵士のような敬礼を示した。

「浦飯幽助殿と、妖狐蔵馬殿ですね。私は霊界において治安維持防衛部門総合責任者の任に就いている、不知火というものです。以後、お見知りおきを」

「治安維持防衛部門? 漠然とした見当ならつけられますが、どんな業務内容なのかできれば詳しく説明してくださいませんか」

自分のためというよりは、不知火の職種名を覚えられずに戸惑っている幽助のために、蔵馬は質問してみた。これを聞いた不知火は、敬礼のためにあげた手を下ろし、申し訳無さそうな表情になった。

「・・・・・・平たく言えば、霊界や人間界の守護を目的としています。霊界の戒律を破った者の摘発や閻魔大王様ならびにコエンマ様の警護が主な任務です。・・・・・・そして、霊界特防隊のアシスト及びトレーナー業務も担当しています。最も、閻魔大王様が罷免なさって以降は、私が代理司令官として隊員達を統括しておりますが」

「つまり、今はあんたがあいつらのボスって事になんのか」

本人は無意識のようだが、つい幽助の口調と表情に棘が混ざる。つまり不知火は、かつて自分やそのずっと前には蔵馬を抹殺しようとした連中のトップに、今現在君臨している男なのだ。魔族大隔世を経て生まれた自分に対して、もしやまだ何か異を唱えるつもりかと身構えたが・・・・・・。

「まことに、申し訳ございませんでした!

不知火は、突然深々と頭を下げたのだ。

「先だっては隊員達が、とんでもないご無礼を・・・・・当時の彼らが閻魔大王様の直属だったとはいえ、我が部門と霊界特防隊がもともと業務連携してきた以上、私も決して無関係ではございません」

「うぇ? ・・・・・・あ、い、いやその、えっと〜」

想定の範囲外を光速で飛び出した不知火の言動と行動に、幽助はかえって調子を狂わされてへどもどするしかなかった。

「本来はすぐにでもお詫び申し上げなければならかったのですが、私の場合、案内人達のように人間界に降りることは、原則として許可されておりません。それにあの後、特防隊は隊長を交代しなくてはならなくなり、彼らはもちろん治安維持防衛部門全体も混乱していたのです。それをまとめる事で精一杯でした」

「わ、わかりゃーいいよ、別に! こっちだって今更根に持ってねぇしさ」

(幽助だって霊界アイテムを不正入手したんだから、これでおあいこだしね)

蔵馬はそんなことを胸中で密かに呟き、不知火に向き直った。

「不知火さん、霊界で何があったのか説明してもらえますか。ついさっき、ぼたん達と全く連絡がつかなくて、オレ達も心配していたところだったんです」

「・・・・・・そうでしたか、わかりました。全てお話しましょう。霊界に何が起きたのか、誰がそれを起こしたのか、そして・・・・・・あなた方に集まって頂かなくてはならなかった理由も。長くなりますが、ご容赦下さい」

不知火はゆっくりと顔を上げて姿勢を正し、謁見の間に集った妖怪達を一人一人見回した。そして、血の塊を吐き出すかの如き勢いで、一気にまくし立てた。

「閻魔大王様とそのご子息・コエンマ様。ならびに霊界特防隊の新隊長・瞬潤、同隊隊員・翁法、草雷の計五名が瀕死の重傷を負わされ、意識不明の重体です。しかも、霊界案内人のぼたんとひなげし両名が拉致されてしまいました・・・・・・!

室内の照明はそのままに、全てが暗転して天と地が入れ替わったような気がした。その場に漂う空気が一瞬にして凍りつき、崩壊寸前まで張り詰める。

「な・・・んだって・・・・・・?!

幽助の叫びが喉に張り付いた。脳裏に、フラッシュバックのように馴染み深い者達の顔が浮かんでは消える。走馬灯に似たそれに煽られる危機感と恐怖を、幽助は必死に振り払おうとしたが上手くいかなかった。

誰とも連絡をつけられなかった理由が、想像しようのない惨状だった衝撃に、完膚なきまでに打ちのめされる。

やる気無さそうに壁にもたれかかっていた飛影も、さすがに身を起こして体勢を整えた。

「許さねぇ!! 犯人はどこのどいつだ?! 誰がそんなふざけた真似しやがった?!

今にも闘神の姿をとりそうな幽助の肩を、蔵馬が掴む。

「一体、そいつは何が目的でそんな無謀な犯行を・・・・・・。それに拉致したということは、人質としてですよね? 何か霊界側に要求はあったんですか?

「いえ、現時点では何も・・・・・・。ただ、犯人の目的は判明しています。奴めが霊界を襲撃し大混乱に陥れたのは、その隙をついて宝剣・蛇那杜栖(たなとす)を奪取するためでした」

「宝剣? よっぽど価値のある武器なのかい? それ」

孤光が僅かに眉根を寄せた。

「はい、全長が150cmほどある大剣です。蛇那杜栖は霊界の地下奥深く、専用の極秘宝物殿内にさらに不可侵結界を張った上で保管されていました。さらに説明いたしますと・・・・・・蛇那杜栖は物体も生き物といった、有機物以外にも、斬ることのできるものがあります」

これには飛影が、表情を全く動かさぬまま口を挟んだ。

「どういう意味だ? どんな武器でも、物体や生き物さえ斬れれば十分だろう。」

「・・・・・・蛇那杜栖だけにしか斬れないもの。それこそ、霊界のトップシークレットとして厳重警護されてきた理由です。蛇那杜栖が一振りでいとも簡単に断ち切れるもの・・・・・・いえそれどころか、完全消滅させることのできるもの、それは」

不知火は不意打ちのように言葉を区切り、呼吸を整える。そして、言った。

 

「・・・・・・・・・魂です」

 

「何だと?

全員が同時に息を呑んだ。不知火が口にした言語は確かに聞き取れたのに、そのまますんなり理解するのは難儀だった。

魂を斬る・・・・・・否、消してしまえる武器。そんなものの存在など、夢にも思わなかった。

「つまり蛇那杜栖は、生き物の肉体にとどまらず、その内に宿る魂までも切り捨てると?

冷たく澱んだような沈黙を打ち破った第一声の主は、躯だった。

「おっしゃる通りです。・・・・・・霊界にとって、伝家の宝刀であると同時に、最恐の諸刃だとも言われておりました。その蛇那杜栖が・・・・・・先程申し上げた凶行に及んだ犯人によって盗まれてしまったのです。しかもそれは、輪廻転生を目前に控えていた死者でした。種族は妖怪で・・・・・死亡したのは千年以上も前だそうです」

「そんな物騒なモンが盗まれただと?!」煙鬼が、思わず玉座から立ち上がる「それも輪廻間近の死者が・・・・・・? 極秘保管で結界まで張ってたっていうのに、一体どうして?

「大人しくしていれば、違う人生になるとはいえそのまま現世に舞い戻れたんだろう? にも関わらず、わざわざそんな大それた真似をしでかしたとうことは、相応の理由があるということか?

問いかけながら、黄泉は自らの超人的聴覚を研ぎ澄まさせた。かすかな、彼でも十分注意しなければ聞き流してしまうほどにかすかな、呼吸と脈拍、血圧の乱れ。その出所は、確認せずともわかっていた。そしてその原因にも、彼はすぐに気付いた。

極秘宝物殿に辿り着き、不可侵結界を突破し、宝剣・蛇那杜栖を”盗んだ”―――千年以上前に絶命した”妖怪”

該当者は、たった一人。

「・・・・・・とにかく、百聞は一見にしかずです。不幸中の幸いというべきか、極秘宝物殿内にしかけられていた防犯ビデオにのみ、犯人の姿を収めることができました」

不知火が一本のビデオテープを取り出すと、孤光はいつの間にか手にしていたリモコンを操作して、彼女から見て右側の壁全体を覆う大型スクリーンを出現させた。

「おいちょっと待てよ、ウチのパパは見らんないぞ!

「大丈夫だって、官邸にだって頭伝針くらいあるから」

修羅と孤光のやりとりが、何だか微妙に遠くから響いてくるように感じながら、蔵馬は人知れず奥歯を食いしばった。

心臓の打つ早鐘が、加速する一方だ。何度引き戻して押さえつけ、黙らせようとしても、執拗に喚き暴れてのた打ち回る。普段は、簡単に静められるのに。

せめて表情には出さないようにと、懸命に努力する蔵馬をよそに、ビデオがデッキに収まって再生ボタンが押される。その無機質な音が、何か不吉な宣告のように聞こえた。

どうか、どうかこの予感が外れてくれますように。

切実な祈りを心の中で何度も繰り返す。

脳裏を懐かしい面影がよぎったが、気付かない振りをして。

 

 

スクリーンにまず映されたのは、塗りつぶされたような重厚な闇。その片隅で蠢く影。

だが突然、眼球を貫くような真っ白な光が炸裂。同時にその光はスクリーン全体に充満した。照らし出された空間は、大型といえどもたった一振りの大剣を保管するには、あまりにも広すぎるように見えた。皿屋敷中学校の体育館が確かこれくらいだったと、幽助はぼんやり思い出した。尋常でない面積の理由は、大剣を守護する結界が非常に複雑でしかも、空間のおよそ半分を占めてしまうくらいの範囲に至っているせいだ。

容赦の無い光の中心に放り込まれた先程の影の主は、素早く目の前に手をかざしつつもうろたえる様子もなく徐々にその手を下ろして、自分の眼差しの先、豪奢な祭壇に捧げられた大剣を確認した。引き締まった口元に、安堵したような笑みが浮かぶ。

「・・・・・・ようやっと、ご対面か」

芯の通った低い声。深い紺色の双眸。高い位置で結い上げた長い黒髪。蝙蝠に似た羽。

何もかもが、在りし日のままだった。

この千年、一日たりとも思い出さない日は無かったその姿。

なのに蔵馬の目に焼きついた映像は、そのまま彼の胸の奥を打ち砕くような苦痛をもたらした。

「黒鵺・・・・・・・・・!!

断末魔のようなそれは、まるで自分の声ではないみたいだった。

「あいつは、確か・・・・・・」

飛影が両目を見開き、続いて息を飲んだ。

「蔵馬の、ダチだった奴?!

幽助はまたしても偽者かと疑ったが、霊界に来てまで、しかも蔵馬はいないのに黒鵺に化ける意味など無いとすぐに思い直した。

つまり、スクリーンの中にいる男は、今度こそ黒鵺本人なのだ。だがその事実は、なおさら彼らを混乱のるつぼに叩き込む。不知火が先程告げた、残忍かつ卑劣な犯罪。その被疑者が・・・・・・まさか本物の黒鵺だったとは。

「何だ、お前ら『瑠璃結界の黒鵺』を知ってたのか?

「るりけっかい??

思わず間の抜けた声で繰り返した幽助に、躯は知ってるんじゃないのかと聞きたそうにしつつも説明してくれた。

「オレも情報でしか聞いた事無いんだが・・・・・・昔、魔界第十五層を中心に活躍していた盗賊・黒鵺は、結界の支配者だったんだそうだ」

「結界にもクエストクラスがあったんか。でも、それって結界師とどう違うんだよ?

暗黒武術会で見た結界師・留架を回想しながら、幽助は質問を重ねた。

「結界師の場合は、通常、結界を張る場合何らかの妖具を媒介に使う。そのほとんどが術者専用らしいが」

「・・・・・・そういえばあの女は確か、束呪縄とかいう代物を扱ってたな。今思い返せば、オレに結界を破られそうになった時、それに連動して損傷したあの紐状の服こそがその媒介だったんだ」

飛影も幽助と同じく記憶の底から、かつて暗黒武術界で遭遇した女性結界師を思い出していた。

「これに対し結界の支配者は、妖具など一切使わず時と場所も選ばず、形状さえも自由自在にありとあらゆる結界を張る事ができるんだよ。その一つ一つの効力や威力は、結界師とは比べようも無いほど強いんだとか。もちろんその逆・・・・・・結界の解除も十八番の一つ。加えて、黒鵺が結界張るときに浮かぶ魔法陣は、鮮やかな瑠璃色だったもんだから『瑠璃結界』なんて二つ名がついてたのさ」

などと躯が説明している間に、スクリーンの中に映し出された黒鵺は、結界まで歩み寄ると右手を目線の高さに掲げた。

「我が行く手を遮る忌まわしき封縛よ。汝、これより示す力の前に頭を垂れよ!!

手刀のように構えた右手が、瑠璃色の光をうっすらと纏う。詠唱を終えた黒鵺は、躊躇せずにその右手を、蛇那杜栖をドーム型に覆って金色に光る結界へ突き刺した。

ブゥン

腹の底に、巨大な虫の羽音のような低音がのしかかった。黒鵺は、結界に突き入れた右手を一度握り締め、再び開く。そのまま、軽く力をこめて横に薙いだ。

それだけで、まるでシャボン玉が弾けるように、巨大な結界は跡形も無く姿を消してしまった。床に浮かんでいた魔法陣も、白紙に戻っている。最初から床に何も描かれていなかったかのように。

「あ、あんな大きな結界を、簡単に・・・・・・!

修羅が、呆然とスクリーンを見上げている。それは過去の断片とはとうてい思えないくらいに、生々しく鮮烈に迫ってくるようだった。

急いた足取りで祭壇にたどり着いた黒鵺は、さっそく蛇那杜栖をその手に掴んだ。白金に輝き細密な飾り文字が描かれた柄と、冴え冴えとした煌きを放つ青銀の刃を確認して、再び何か唱え始める。さっきのものとは違う種類らしい。

「開け、我が内部結界! この手に捕えし宝を守護すべく汝の腕に抱け!

すると今度は、黒鵺の胸元に瑠璃色の光を放つ小さな渦が出現した。それを合図とするかのごとく、蛇那杜栖の形状にも異変が現れる。高熱にとかされるガラス細工のようにぐにゃりと湾曲し縮んだかと思いきや、ひゅうッとあっけなく渦の中に吸い込まれてしまったのだ。大剣を飲み込んだ瑠璃色の渦も、それに合わせて消えた。防犯ビデオの映像も、唐突に終わりを告げた。

「内部結界というのは、その名の通り、霊体肉体問わず結界の支配者が自分の内側に作り出した擬似亜空間に設ける、特殊な結界です。かなり自然の摂理に反しているので、複雑な機能は持ちませんが。特に黒鵺の場合は、武器や防具の収納にしか使用しないらしいです。この時はおそらく、ギリギリまで蛇那杜栖の奪取を我々に気付かせないために隠したんでしょう」

ビデオを取り出した不知火が、謁見の間の一同を再度見回した。同じ行動なのに、今度ははっきりと混乱と疲労を見せている。

「黒鵺はあらかじめ、霊界のセキュリティシステムに妨害プログラムを流していました。蛇那杜栖の極秘宝物殿には、時間差でその効果が現れたのです。・・・・・・この後、黒鵺は実体を伴って現世に戻るために、現世滞在仲介所を襲って我々霊界人が使用するのと同じ『器』を強引に作らせました。ぼたんとひなげしが拉致されたのは、その過程上です」

『器』とは、幽助がかつて霊界探偵だった頃、その助手についたぼたんや、かつて人間界に『左遷』されたひなげしのように、霊界人が人間達に混じって任務に当る場合や、生活する必要がある場合に使われる『仮の肉体』である。

「現世へ・・・・・・戻る?

 ずっと沈黙を守っていた――否、絶句したままだった蔵馬が、やっと言葉を紡いだ。だが、それを聞いた幽助はぎょっとしたように隣に立つ彼を凝視した。蔵馬の声音は今まで耳にした覚えの無い、まるで別人のように憔悴しきった痛々しい響きだったのだ。その声を発した唇は小刻みに震え、顔からは血の気が引いて、目は虚ろな闇を落としている。

「はい。行き先を確認できてはいませんが、魔界とみて間違いないでしょう。だからこそ、私は規則を無視してまでここへ来たんです! これは推測ですが、黒鵺の最終目的はおそらく、魔界の実権を握り、自らの統治下に置く事ではないかと。実際生前は、そのために国を興そうとしていたそうではないですか」

「えぇ、確かに・・・・・・」

型通りに肯定する自分の声すら、蔵馬の耳には届いていなかった。それに気付いているのかいないのか、不知火はさらに熱を帯びた調子で続けた。

「黒鵺が落とされたのは比較的罪が軽い階層の地獄でしたが、それでも魔界の深層部に引けを取らぬほど過酷な環境です。そこで千年を過ごした奴は、生前とは比べ物にならないほどの妖力を身につけています! 大まかな計算ですが、もし今の黒鵺が前回のトーナメントに出場していたなら・・・・・・おそらく、準々決勝進出は硬いかと」

煙鬼がついつい感心しながらこう言った。

「そんなにか! あんたにとっては不謹慎な言い方だが、さすが、本格的に国家建設したら厄介だと、雷禅も警戒していた程の男だった事はある」

「そう、生きていれば、魔界の勢力構図を根底から覆していたやもしれぬ黒鵺が、よりにもよって宝剣・蛇那杜栖を手に入れてしまったのです! もちろん、それは我々霊界側の失態なのですが・・・・・・。とにかく、黒鵺が蛇那杜栖を奪ってまで魔界に戻った理由は、生前の悲願を叶える以外に無いでしょう。そのためにまず踏むべき段階は・・・・・・自分以外の強者の排除です」

「・・・・・・つまり?

不知火からどんな答えが返ってくるか予想はついている。それでも蔵馬は聞き返さずにいられなかった。・・・・・・確認してどうするというのだろう。自分はきっと、そんなもの信じないのに。

ここで不知火は、ハッとしたように話を区切ると、担当患者に末期癌を宣告しなければならない医師のような面持ちでいったん下唇を引き結んだ。

「・・・・・・つまり黒鵺は、初代大統領含め、前回トーナメントの上位入賞者を『抹消』したがっていると考えられます。当然、それを阻止しようとする者達も、全員」

「おいおい、それじゃあ自動的にオレ達や、ここにいない仲間達までそのリストに入ってるって事かよ!!

思わず叫んでしまったのは幽助だった。

「・・・・・・ですから、あなた方にまず集まって頂いたのです。大統領ご夫妻、元三竦みの御二方と、その一方のご子息。トーナメント発案者である浦飯殿ご自身と、特に縁の深いトーナメント出場選手、両名も・・・・・・。今後、黒鵺を霊・魔・人間界を合わせた『三界指名手配犯』として、身柄の確保とぼたん並びにひなげしの救助にご協力頂くために・・・・・・!

この人は、さっきから何を言ってるんだろう。

オレは、さっきから何を聞いてるんだろう。

蔵馬は自分の外界をとりまく全てが、徐々に遠のいていくのを感じていた。

『閻魔大王様とそのご子息・コエンマ様。ならびに霊界特防隊の新隊長・瞬潤、同隊隊員・翁法、草雷の計五名が瀕死の重傷を負わされ』

誰がやったって?

『霊界案内人のぼたんとひなげし両名が拉致されてしまいました』

それを、誰がやったって?

『蛇那杜栖が・・・・・盗まれてしまったのです』

だから、それを誰がやったって?

 混濁する脳裏をさらに引っ掻き回すかのように、遠い記憶が次から次へと甦る。

 黒鵺の笑った顔。自分を呼ぶ声。喧嘩した時の、ムキになった眼差し。頭を撫でてくる癖。その時の温もり。戦闘時の真剣な横顔。

 命の潰える瞬間に放った、心からの叫び。

 『オレに構わず、逃げろ蔵馬ぁーーーーー!!

 その彼が、これから何をしようとしてるって?

 『前回トーナメントの上位入賞者を『抹消』したがっていると考えられます。当然、それを阻止しようとする者達も、全員』

 それはつまり・・・・・・オレもその射程内に入れられたと?

 

そんな馬鹿な!!!

 

 「蔵馬!!

 幽助に両肩をガシっと掴まれ、名を叫ばれて、自分がよろめいていた事を蔵馬はやっと理解した。何だか寒気がすると思ったら、いつのまにか大量の冷や汗をかいていた。

 足元にぐっと力を入れる。全身を巡る血と神経の存在を思い出す。

 「顔色最悪だぞ、お前! ・・・・・・なぁ、煙鬼のオッサン! どっか落ち着けるトコねぇの?

 「そ、そうだな。あんたはしばらく休んどった方がいい。職員用の仮眠室で良ければ、遠慮なく使ってくれ。場所は・・・・・・」

 「不知火さん」

 煙鬼を遮って、蔵馬は辛うじて、といった感じの声を振り絞った。

 「・・・・・・蛇那杜栖の奪取以外の犯行も、本当に黒鵺がやったんですか?

 「はい・・・・・・相棒だったという貴方には、酷な事件ですが。残念ながら全て事実です」

言いづらそうにためらいながらも、不知火ははっきりと断言した。

「間違いなく、黒鵺が一人で? 背後に誰か、彼を操ってる黒幕が存在する可能性は?

「いいえ。確実に単独犯です。霊界人はもちろん、輪廻転生待機所に、黒鵺と同時期に入所していた他の死者達も取り調べましたが、誰一人として奴との関連性はありませんでした。少なくとも、今回の事件そのものに関しては」

 「そんなのはおかしいじゃないですか! 千年以上も前に死んだ黒鵺が、魔界統一トーナメントとその出場選手の事を知ってるなんてありえません!

 冷や汗がひいたと思ったら、今度は逆に体温が急上昇してきた。血液の流れが加速しながら沸騰しているようだ。

 「・・・・・・貴方なら、黒鵺の情報収集能力についても、我々より熟知しているでしょう」

 ゆっくりと、これ以上言いにくい事を言わせないでくれと切望しているかのように、不知火はそれでも話を続ける。

 「奴は地獄にいた頃から、そこで死者達を管理している鬼達に取り入って自分を信用させ、彼らを通して現世の情報を流させていたのです。待機所に入って以降も、それを続けていたでしょうね。ここ大統領官邸はもちろん、有力選手達の所在地もすでに覚えていると考えられます」

 蔵馬は、最後の砦もあっけなく崩され、荒れ果てた戦場に丸腰で放り出された気分になった。進む事も逃げる事もできず、ただただ心細いだけ。何か、何か武器は無いか。この、全面的に不利な状況を打破するための武器は。

 「まさか黒鵺に限ってと、思ってやがるんじゃないだろうな」

 懸命に次の言葉を探す蔵馬の耳に、冷淡な声が思わぬ方向から飛んできた。右腕に黒龍を宿す邪眼師。

 「飛影・・・・・・?

 「貴様にしては珍しく脳味噌が煮えたか。桑原以下だぞ」

 両手をポケットに突っ込んだまま、真紅の三白眼が厳しい眼光を放つ。

 「まずは我が身を振り返ってみるんだな。お前はこの十年か二十年だけみても、どれだけの変化をとげたんだ?

 「・・・・・・! そ、それは」

 「極悪非道とまで畏怖された盗賊が、霊界に追われたためといえども人間に憑依して、今もなおその生活を続けている。たった数十年の内に自分はこれだけ激変しておきながら、黒鵺だけは生きていた頃のままだとでも?

 「飛影!

 二の句の告げない蔵馬に変って、幽助がやめさせようと怒鳴る。だが、彼は聞かない。

 「地獄を千年経験しておいて、変らないわけがないだろう。その変化が歪みや暴走に等しいとしても、不思議じゃない。事実から目をそらしてまで奴を妄信しても無駄だ」

 「てめ、いい加減にしろよ!!

 蔵馬の肩を支えたその手で、幽助は飛影の胸倉を勢い良く掴みあげた。一触即発の緊迫感に空間が塗り替えられようとした、刹那。

「よせ、浦飯」

 黄泉の静かな低音が制した。

 「っせーな、オメーは関係ねぇだろ!!

 それでも落ち着くどころか自分にまで牙を向ける幽助に、黄泉は不愉快そうに眉間にしわを寄せて見せながらなおも冷静に続けた。

 「オレの聴覚レベルはお前も知ってるはずだ。近くで怒鳴られると無駄にうるさいんだよ。どうしてもやりあいたいなら、表でやってくれ」

 「そうだよ! 大体あんたら人ん家でドンパチやろうだなんて、礼儀がなってなさすぎ!

 すかさず孤光が黄泉に便乗する。続いたのは、現在も移動要塞を取り仕切る女王。

 「飛影、国家解散したとはいえ、お前は一応オレの直属のままだろ。官邸で私闘だなんて、上司の顔に泥塗る気か?

 とどめに飛び乗ったのは、黄泉の傍らで一人前に憤慨している修羅だった

 「浦飯の無礼者! パパに向かって何だよ、その口の聞き方は!

 「〜〜〜わーった! わーったよ! やめりゃあいいんだろ、やめりゃ!

 半分以上ヤケで幽助は手を離し、解放された飛影もばつが悪そうに舌打ちしながら、躯を睨むだけでとどまった。

 「・・・・・・大統領、改めて仮眠所がどこか、教えてもらえますか?

 疲労困憊を隠そうともせず、蔵馬がか細い声を振り絞った。

 「蔵馬?

 「どうやら、頭を冷やした方が良さそうだ。飛影の言う事にも、確かに一理ある」

 「真に受けることねぇって! いつもの悪態なんだからよ」

 「でも飛影は、意味の無い事やましてや、無駄な事は言わない」

 その通りだ。さすがに幽助も、それ以上何も言えなかった。第一自分も、黒鵺を庇う気にはなれない。そこまでの義理も理由も何一つ無い。

 重い足取りで仮眠所に向かう蔵馬の後姿を、幽助はなすすべなく見送った。

 気休めさえ言ってやれない自分自身が、どうしようもなく歯がゆかった。

 そして何より、黒鵺が憎かった。

 何故、あんな暴挙に出たのだろう。生まれ変わる事も決まっていたのに。生身の肉体はもちろん、もはや生存記録さえ残ってはいないのに。そこまでしてでも、生前の夢というのは叶えたいものなのだろうか。そこまで未練が強いのか。

かつての友を、追い込んでまで?

「ちょっと確認したいんだけどよ、黒鵺が抹消したがってる外敵の中には、本当に蔵馬も含まれてんのか?

わらをもすがる気持で、幽助は不知火に食い下がったが、若い霊界人は申し訳無さそうに、小さく頷いた。

「霊界史上類を見ない大罪を、いくつも連続で犯した程の男です。昔の親友をも犠牲にする事に戸惑いを感じるとは思えません。それに、先ほど飛影殿も申されたように、浅い階層とはいえ地獄に千年以上も繋がれていたのです。もはや蔵馬殿が知っている黒鵺とは、同一人物であっても同一人格ではないでしょう」

弱冠の言いにくさも交えながら、それでも不知火はきっぱりと断言した。幽助はそれ以上取り付くしまも無く、「くそっ!」と苛立ちにまかせて背後の壁をけりつける。

「大統領、黒鵺を三界指名手配犯として、すみやかに魔界全体に報道して頂けないでしょうか」

不知火は恭しく頭を下げ、懇願を続けた。

「こうしている間にも、事態はさらに深刻化を増す一方です。遅かれ早かれ、奴は人間界にまで手を出す可能性もあるでしょうし、何より、魔界にまで取り返しのつかない被害が出ないうちに、どうか・・・・・・!

煙鬼は腕を組み、困り果てたようにうつむき目を閉じる。魔界統一トーナメントで優勝し、大統領の任について三年。やりがいのある仕事といえど、田舎での隠居生活がしみこんでいた自分は、やはり人を使う事に慣れる事ができなかった。結局向いていなかったのかもしれないと、なおさら来月の第二回トーナメントを楽しみに待っていた所へ、こんな難事件の重要判断を迫られるとは。

妖怪である以上黒鵺は同胞だが、魂を切り捨ててしまう蛮族を、このまま野放しにするわけにいかなかった。紳士協定の名の下に、死者とは言えども例外は認められない。

煙鬼はため息を飲み込み、顔を上げる。

「わかった。各報道機関に通達しよう。あんたも協力してもらえるかね」

「もちろんです! ぜひ!

そんな会話を、幽助は背中で聞いていた。いたたまれずに謁見の間を出ようと、ドアの方を向いていたから。開けた先にのびる廊下を見渡し、耳を済ませても、すでに蔵馬の気配さえ感じられなかった。

 

 

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