第七章・遠い日の流星群
子供達を捜すその過程で、飛鳥と魅霜は妖怪軍団を束ねる司令官からも情報を得ようと考えた。寄せ集めの集団といえども、それなりの戦力を見込まれた戦士達である。そこの大将に任命された者ならば、人質作戦の責任者であり発案者でもある可能性が高い。 しかし、軍の幹部と思しき兵士達を狙って捕らえ、司令室へと案内させてみると、そこはもぬけの殻だった。そろそろ余裕がなくなってきた飛鳥が、兵士の胸倉を掴んで思い切り壁に押し付ける。 「誰もいねぇでねぇか! この期に及んでオラ達を騙そうとはいい度胸だべ!」 「飛鳥、そんなに力を入れすぎていては、嘘すらつけませんよ」 親友を嗜めながらも、魅霜も内心はいい加減平静さを保つのが難しくなっている。子供達が拉致されたのは、自分達がここに向かってすぐだった。あれから何時間たったのだろう。ここの兵士達に酷い目に合わされたのではないか。怪我はしていないか。きっと腹もすかせているに違いない。体力と気力も底をつく頃だろうか。 「な、何で司令官がいないかなんて、オレが聞きてぇよ!」 飛鳥がやや力を緩めたお陰で、兵士は辛うじて息を吐き出しつつ声を発した。 「作戦を練り直してくる、とか何とか言ってたきりだ。それ以降、誰も姿を見てないらしいから、ここを動いてないはずなのに・・・・・・」 「でも現実に、この部屋さ無人だべ。オメさ、これ以上どう申し開きするつもりだ?!」 「かか、勘弁してくれって! オレは本当にもう何も知らないんだ!」 本気で泣きが入り始めた声を背に、ぐるりと室内を見渡した魅霜が、ため息混じりに呟いた。 「逃げたかもしれませんね」 「・・・・・・・・・逃げた?」 飛鳥が反復しながら振り返っている気配を感じつつ、魅霜はとっ散らかったままの机を調べ始めた。 「子供達に脱走され、私達の襲撃と報復は確実。戦った所で勝ち目は無いと判断したのでしょう。取るものもとりあえず、着の身着のまま逃走した可能性があります。ただ・・・・・・部下達に気付かれず、どのような逃走経路を辿ったのかが不明ですけれど」 「おい、心当たりは? オメさん達の大将はどこにどうやって消えただ?!」 一魔忍としても母としても必死の形相となっている飛鳥に、改めて恐怖した兵士は蒼白な顔で震えながらも懸命に「喋るから助けてくれ!」と叫んだ。 「う、噂を小耳に挟んだくらいだ。司令官だけが知っている外への避難経路がアジトに隠されている、と。それを記された見取り図もあるけど、その見取り図は、避難経路の道筋だけ特別な記され方をしてるって話だ・・・・・・最も、本人はそんな噂を否定してたけどな」 「特別な記され方って、何が特別なんだべ」 「司令官以外の、一定以上の妖力の持ち主には、見えねぇんだってよ。追われたり待ち伏せされたりしたら、避難の意味がねぇもんな」 一定以上。その基準は、聞かずとも容易に察しがついた。妖怪軍団の、一番の下っ端の兵士達の妖力値以上だと考えて、間違いない。当然、飛鳥達はその基準値を大幅に超えてしまっているはずだ。 「魅霜、見取り図はあっただか?」 「はい、ここに。ですが・・・・・・やはり避難経路らしきものは見えません」 「村の半妖達なら見えるかもしんねぇけど、そこまで戻ってたら時間くっちまうだけだんべな。せっかく当りついたかと思ったのに、これじゃあふりだしだべ」 悔しそうに舌打ちした飛鳥だが、慎重に見取り図を調べていた魅霜が、「飛鳥!」と珍しく大きな声をあげた。 「貴女もこっちに来て、確認してください。早く!」 いつになく切迫した魅霜に少々戸惑いながらも、飛鳥はとりあえず尋問していた兵士の頭を両手で持ち、次の瞬間ありえない方向に捻る。徹底的に。 「喋ったら助けてやるなんて、オラ一言も言ってねぇだぞ」 悲鳴すら上げることなく絶命した男の亡骸を見下ろして、陣には一生見せない顔と声で言い捨てた。 「どしただべ、何か見つけたんか?」 「見取り図の・・・・・ここに、わずかですが血のあとがありますね? 妖気を読み取れますか?」 「あったりめぇだ、これぽっちでも本人の痕跡が直接残ってんなら、簡単に・・・・・・」 てっきり、司令官のものと思い込んでいた飛鳥だが、見取り図の端を掠めたように染めた赤い染みに触れたとたん、ハッと息を飲んだ。怒りと焦燥にこわばっていた表情が一瞬で解け、だがすぐにまた緊迫する。 その小さな痕跡が示す妖気の持ち主は・・・・・・絶対に飛鳥が間違えるはずなどなかった。ともすれば見落としてしまいそうなくらい、申し訳程度のそこからでも弾けるような跳ね回るような、愛くるしい風の残滓が彼女の指先に触れた。それは他でもない息子・陣のものなのだから。 「陣が、ここに来てた?! ってことは、もしかしなくても・・・・・・」 「えぇ、凍矢も一緒だったはずです。脱出を試みて迷っている内にこの司令室にたどり着き、この見取り図を見つけた・・・・・・。どういうことか、わかりますね?」 陣の血と妖気がわずかに染み付いた、その一点から指も目線も動かせないまま、飛鳥は辛うじて頷いた。 息子達の足取りを掴んだと同時に、彼女達はさらに事態が急転していることを悟ったのだ。 司令室からの避難経路は、司令官本人以外は一定上の妖力値を持っていないと見えないと、先程の兵士は言った。つまり、その妖力値を下回っている者ならば、司令官同様、見取り図に隠された避難経路の道筋が見えるという事だ。まだ幼く、その真価を発揮できようはずもないあの幼子達なら、避難経路の存在に気付いたはず。 「あの子ら、避難経路から外に出ようとして・・・・・・いや、今正にその経路を進んでる真っ最中だか?!」 「そう考えて間違いないでしょう。他の兵士達に見つかる恐れはこれでなくなりましたが、もし、経路内部か外へ出た時に、司令官と鉢合わせでもしたら・・・・・・」 もしそんな事になったら、人質に逆戻りだ。いや、すぐに命を奪われないだけ、まだそちらの方がマシかも知れない。司令官は兵士達を裏切り、自分の命惜しさと恐怖から逃げ出したのだ。その心中は極限まで荒れて逆立っているだろう。とどまっていたら四強吹雪に殺される。逃げ切れなかったら、兵士達に裏切りの代償として殺される。 脱走の目撃者に気付いたら、たとえ子供でも容赦しないのではないか。 新たな不安が、鎌首をもたげるのを感じた。思っていた以上に成長していた、子供達の行動力は親として誇らしいが、今はそれがかえって仇となりかねない。 新たな焦燥にじりじりとせきたてられるのを感じながら、飛鳥と魅霜はとにかく避難経路の入り口を見つける事にした。子供達が見つけられたのなら、自分達にもすぐそれがわかるはずだ。 果たして、入り口はものの数分で発見できた。何の事はない、司令室の壁に何枚か飾られている掛け軸の内、左から二番目の裏に隠し扉があった。あまりにも簡単に見つかったので、本当の入り口から目をそらすための偽物ではないかと疑ったくらいだ。幅は狭く、大人の体型だと横に二人以上並べない。天井も非常に低い。閃の背丈だったら、軽くつっかえてしまいそうだ。司令官一人だけのための経路なのだから、当然といえば当然の作りか。 入って少し歩いた地点から、壁の色が変わっている。特殊な塗料で塗られたその壁は淡く発光して、通る者の視界を確保していた。 「どんな道筋を通ってどこに出るのかは私達にはわかりませんが、とにかく進んでみましょう。これが秘密裏に作られたしかも避難経路ならば、分かれ道は無いはずです」 「子供達も、迷子にならずにすんでるって事だべか。そんじゃあ、早いトコ追いついてやんべ!」 小柄な魅霜を前にして並び、二人のくの一らはぼんやりと光る壁に挟まれた道を、足早に前進し始めた。
複雑に曲がりくねった道だが、確実に出口に近付いているんだな。気が逸るのを押さえながら進みつつ、凍矢はそんな事を考えていた。最初の内は下り坂が続いていたが、さっきから平坦な道が伸びている。 下ってきたという事は、出口は地上に通じている。どうやら、司令官は飛行型の妖怪ではないようだ。どの道、この近辺は前後左右どこを向いても荒涼とした岩山しか見えないため、地上の方が身を隠しながら逃げやすいのかもしれない。 と、その時、凍矢は背後で陣が急に立ち止まった事に気づいた。 「どうした? 怪我が痛むのか?」 陣はすぐには応えず、ピンと尖らせた耳をぴくつかせたかと思うと、嬉々とした表情になった。 「風だ! 風の気配が近いべ! きっともうすぐ出口だ!」 僅かに潜り込んできているのであろう、外気の片鱗を察知して、陣は凍矢の手を引いて急かしながら歩を早めた。 つんのめりそうになりながらも、凍矢は陣を咎めたりはせず、自らも近付いているはずの出口を目指して急ぐ。狭く薄暗く、空気の篭った避難経路を、小さな足音が重なって響いた。 前進すればするほど、それに比例して外界の気配も色濃くなっていく。緊張で張り詰めていた心が、徐々にほぐれていくのを感じる。 やがて、経路の壁を染める陰気な寂光の中、それよりも遥かに眩しい光がぱあっと差し込んで少年達の視界を塗り替えた。その光は、最初に人間界に来た時・・・・・・あの鍾乳洞を抜けようとしていた瞬間を思い出させた。 「外だ!」 そう叫んだのはどちらからだったのか、もう本人達にとってはどうでもよかった。まるで転がり出るように、陣と凍矢は避難経路の出口を飛び出して、ようやく外界に解放された。 案の定周囲は草一本はえておらず、大小さまざまな石やら岩やらが無造作に転がっているし、背後にはだいぶ離れたとはいえ、ついさっきまで自分達が捕われていたあのアジトがそびえている。それでもとにかく、外に出た。敵の手の内から、二人だけで脱出できたのだ。 「・・・・・・何だか、ものすごく久しぶりに外へ出られた気がするな。つれてこられてのは、今朝の事なのに」 ゆっくり肩を上下させながら凍矢は深呼吸をして、隣で目一杯背伸びをしている陣を見上げた。 「やっぱ、あーんな狭苦しい所、オラの性には合わねぇだ。んでも、あんまりのんびりもしてらんねぇだな」 「あぁ、アジトがまだ視界に入る内は、完璧に安全とは言い難い。もう少し離れて、身を隠していられるような場所を見つけないと。オレ達がアジト内にいないとなれば、父上達は早急に任務完了するだろうから、その頃合を見計らってまた戻るとしよう」 「オラ達だけじゃ、村さ帰れねぇもんな・・・・・・。とーちゃん達にみつけてもらわねぇと」 長距離の瞬間移動で拉致された二人には、ここからどの方角に行けば村があるのかがサッパリ分からない。先ほど、司令室で周辺地図なら見かけたが、あの村までは当然収まってはいなかった。 「とりあえず、岩陰を選びながら移動するか。まずはこっち」 と、凍矢が何気なく指差した方向、しかもごく近くから、突然複数の怒号とけたたましい悲鳴が響いてきた。尋常でない空気を察知して、陣と凍矢はこわばった表情を見合わせる。一瞬、自分達の脱走が気付かれたのかと思ったが、どうやら違うようだ。声の主達がこちらへ近付いてくるような気配は無い。 「ど、どうすっだ? 結構近ぇベ、様子見に行った方がいいんだべか?」 「今すぐ離れたいのは山々だが、うかつに大きく動いたらかえって見つかりやすいかもな・・・・・・」 幸い今居る地点の周囲には、陣と凍矢の身の丈を超えるくらいの大岩がゴロゴロしている。姿勢を低くして、岩陰に紛れるようにしながら、二人は恐る恐る声の方向に近付いてみた。すると、 「ぎゃああああああ!!」 という、捻り潰すかのような悲鳴が耳をつんざき、彼らが身を潜めている大岩越しに、何かぶつかるような鈍い衝撃が伝わってきた。そこで少年達はぴたりと立ち止まり、固唾を呑みながら耳をすませる。岩の向こう、複数の殺気立った妖気が蠢いているのが感じられた。そして、急激に弱まったと見られる別の妖気がもう一つ。 「た、た、助け・・・・・・助けてくれ・・・・・・オレが悪かった、トチ狂ってたよ」 風前の灯と言った感じのその妖気の主は、平身低頭で命乞いをしているらしい。声の揺れ方からして、土下座もしていると思われる。声と気配、妖気の波長だけでも岩の向こうでどんな光景が繰り広げられているかが手に取るようにわかり、陣と凍矢は背中に冷や汗が伝うのを感じつつ、息を殺して全神経を集中させた。 「そうだな、トチ狂いでもしてなきゃ、兵士達を裏切って見捨てて、敵前逃亡なんて芸当はできねぇだろうなぁ!」 野太い怒声が空間を震わせる。 「避難経路の噂をかぎつけたオレ達が、そのまま見過ごすとでも思ったか?」 「あんたの口先だけの否定なんざ、ハナから信じちゃいなかったよ! 案外簡単に調べはついたしな」 「まさか、出口で張り込まれてるとは思ってなかったとはいえ、着の身着のままの軽装ってのはさすがに無用心すぎますぜ、大将さん」 重量感を含んだ足音が二、三歩接近してきたかと思うと、『大将さん』と思しき男のものと見られる呻き声が、下から上に浮き上がって聞こえた。おそらく、大柄な妖怪に胸倉を掴み上げられているのだろう。 どうやら、陣と凍矢が司令室にたどり着くよりも早く、司令官本人が避難経路を使って逃走を試みていたようだ。極秘裏に作られていたはずの経路はしかし、裏切りをかねてから疑っていた一部の部下達に察知されていたらしい。 四強吹雪に攻め入られ、頼みの綱だった人質もとり逃がしたこの状況を、好転する事は絶対不可能と踏んだ司令官がどんな選択肢を選ぶか、予想を立てるのはたやすかったのだろう。 「殺しゃしねぇよ、それをやるのはオレ達じゃねぇ。あんたは生贄だ。魔忍のガキどもを拉致させた主犯格として、四強吹雪に突き出してやる。こいつをどうとでもしていい代わりに、部下のオレ達は見逃してくれってな」 「ひ・・・・・・ひいいい!!」 思った以上の緊迫した雰囲気に、陣と凍矢は改めて息を飲む。男達が放つ殺気は、まるで強い静電気にでも触れたときのように、二人の肌をビリビリと刺激した。一刻も早く立ち去って欲しいと心から願いながら、少年達はどちらからともなく身を寄せ合い、岩の向こうの状況を窺い続ける。 すると、 「し、死にたくない死にたくない死にたくない・・・・・・!! うわああああああ!!!」 追い詰められた司令官(元をつけるべきだろうか)が、腹の底から振り絞るかのような咆哮をあげ、残された全妖気を放出したのが分かった。窮鼠猫を噛むとでもいうべきか、正に死に物狂いの抵抗だ。 「なっ、こいつ!!」 「往生際が悪すぎるぜ!」 追い詰めた側の兵士達もさすがに焦りを見せているようだ。岩の向こうから、刃のぶつかり合う不快な金属音や、鈍器で肉体を殴りつける鈍い音が飛んでくる。 「この隙に、逃げられっかな」 陣が小声で素早く呟くと、凍矢もすぐに頷いた。 「あぁ、今しかない!」 だが、次の岩陰目指して二人が駆け出そうとした、正にその時。 ドガァッ!! 低く重く大きな音が、腹の底まで響いてきた。次の瞬間、粉々に砕かれた、ついさっきまで大岩だったものの欠片が群れを成して飛んできたのだ。突然の事に、悲鳴すら上げられないまま陣と凍矢は、その欠片がぶつかってきた衝撃に負けて転倒してしまった。 「い、いててて・・・・・・・凍矢、大丈夫だ、か・・・・・・?!」 全身を覆うようにかぶさっていた、大小の石を振り払いながら目を開けた陣が最初に目にしたのは凍矢ではなく、頭蓋骨が陥没し、断末魔をあげた形相のままこときれた元司令官だった。どうやら、返り討ちを食らって大岩に叩きつけられ、その衝撃で岩が粉砕されてしまったようだ。偶然彼の腕の下敷きになっていた凍矢が、弾かれたように飛び起きる。 「おいおい、こいつぁとんだ僥倖だぜ」 隔ててくれていた岩が無くなった事により、陣と凍矢も兵士達に発見されてしまった。状況が状況なだけに、最初に自分達を直接拉致した男達よりさらに凶暴で物騒に見える。 「うっかり元司令官殿はぶっ殺しちまったが、まさかこんな所で、本来の人質が見つかるとはなぁ」 「こいつらさえいれば、四強吹雪に対抗できる。オレ達にも、きっと勝ち目が!」 「氷泪石でボロ儲けすりゃ、億万長者だぞ」 獰猛にギラつき、欲望で澱んだいくつもの双眸が、陣と凍矢に絡みつく。万事休す、と、本能が訴える声が聞こえる気がした。 どうする、こんな至近距離では逃げ場も無い。 凍矢は混乱で叫びだしそうなのを必死に堪えながら、それでも思考を巡らせようとした。 ただでさえ妖力的にも格下なのに、自分も陣も手負いだ。この窮地を脱するにはどうすれば――――― 心が張り裂けそうになり、頭の中が真っ白になりかけたその時、横から強い力で抱き寄せられた。 「つかまってろ!!」 陣が威勢よく叫んだのと同時に、足元から吹き上げてきた強風によって、二人の視界が激変した。。 「え・・・・・・え?!」 思いもよらない事態に、凍矢はますます混乱しながら、急速に遠ざかる地上と陣の横顔とを見比べた。さっきまで素足の足の裏に感じていた、ごつごつした感触が一瞬で消え失せ、全身が軽やかな風に包まれている。男達のなにやら怒鳴っているらしい声が、遥か下から届く。その姿も、豆粒大にしか見えない。 飛んでいる。 陣の肩にしがみつきながら、凍矢はやっと自覚した。 「見たとこ、あいつらん中に飛行型の妖怪さいねぇみたいだったからよ、もうコレしかねぇべと思っただ」 びっくりさせちまったか? と、陣が気遣わしげに凍矢を覗き込んだ。その間も、少年達は上空を滑りながら逃走を続けている。 「そりゃ、びっくりするさ! というかお前、いつの間に二人飛びなんてできるようになったんだ?」 「まーそりゃー、一か八かってやつだべさ。絶対失敗できねぇって、今までで一番気合入れただよ。こんな時に何だけど、よーやっと初成功だべ!」 「一か八かって・・・・・・要するに賭けに勝ったって事か。あんな危ない状況で、よくそんな勝負に出られたな。一人で飛ぶのもやっとだったのに」 「だって、凍矢を置いてけるわけねぇべさ!」そんな当然の事、何を今更といった風に陣は言った「それに、オメの事も空に連れてってやりてぇって、ずっと思ってただし」 ニカッと牙を見せて微笑んだ陣に、ついさっきまでの絶体絶命の危機さえも忘れて、凍矢の顔もほころんだ。もう、大丈夫。これで逃げ切れる。揃って確信した。
ヒュッ 空を切る音がした、と思ったその瞬間には、陣の赤い毛先が数本、ぱらっと宙に舞って風に吹き飛ばされていった。 ぎくり、と悪寒に促されるかのように地上を見下ろすと、自分達を追いかけてくる男の達の内の一人が、矢をつがえて信じられない素早さで次々を討ってきているではないか。 空を飛ぶ二人の高度などものともせず、しかも、走ったり跳んだりしながら。 「まさか、こんな所まで届くなんて!」 「ちっくしょー! もっと上に!! でもって速く!!」 無我夢中で、陣はさらに風を集めようとしたが、思うように行かない。当たり前だ。ただでさえ負傷して体力だって消耗しているのに、こんなに高く飛ぶのは生まれて初めてなのだから。しかも、凍矢を抱えて。 何とかして男達を振り切ろうと、一所懸命になればなるほどなけなしの妖力が空回りする。徐々に高度も速度も落ちてきた。それでも陣は、歯を食いしばって空を目指し飛び続けようと試みる。 だが、兵士達は想像以上の脚力で、ぴったりと地上から二人の位置を捉えていた。 「しつっけぇ連中だなや!」 陣は傷だらけの両手になおいっそう力を込めて、凍矢を抱きかかえた。無意識だろうが、その小さな手は、怪我と急激な妖力消費とのせいで小刻みに震えている。それを背中に感じた凍矢は、一瞬ぎりっと唇を噛んで叫んだ。 「陣、もういい! やっぱり二人飛びは無茶だった。オレを落とせ! 氷泪石が手に入るとなったら、連中はお前まで追ったりしないはず」 「今更そんなのは言いっこなしだべ! 死ぬのも生きるのも全部凍矢と一緒って、オラはとっくに決めてんだ!!」 その決意は凍矢も同じ。だけど、でも。 「―――――?!」 がくん、と左足から予期せぬ衝撃が走って、凍矢は搾り出そうとしていた言葉も失って、自分の状況の変化に気付き愕然とした。じわじわと彼らの飛ぶ高度が落ちてきたのを幸いに、兵士達の一人が渾身の力で投げた投げ縄が、がっちりと凍矢の左足首に絡んでいたのだ。 おぉ、と男達の下卑た嬌声が沸き起こる。一斉に縄に飛びつき、人質達を引き摺り下ろそうと躍起になった。 「凍矢、縄さ切れ! 呪氷剣出せんだろ!」 ぐいぐいと、凍矢ごと地上に引き寄せられる力に抵抗しながら、陣が叫ぶ。凍矢はもう一度右手に精神を集中させて、どうにか呪氷剣現出に成功したが、父のそれに比べてまだまだ小さく短い上に、左足は乱暴に引っ張られ伸びきっている。しかも剣のある右手と逆方向。切っ先が辛うじて掠めるだけで、切断には至らない。 さらに、凍矢が呪氷剣を出した事によって男達も焦ったのか、何が何でも逃がすまいとして縄を引く力を増してきた。その力に比例して、地上との距離も当然近くなる。
ぶつっ
ついさっき、矢が二人の耳元を掠めた時と同じように、小さな唐突な音が空間を裂いた。いや空間だけでなく、凍矢の足に絡んでいた縄を切り裂いた。 突然抵抗が無くなったため、兵士達は無様な将棋倒しとなり、陣と凍矢は再び上空へ放り出されかけた・・・・・・ところで、陣のそれとは別の、暖かな風を纏ったくの一が彼らを受け止めた。 「やーーっと見つけた!! もう大丈夫だべ、何も心配いらねぇだぞ」 まるで、何年も聞いていなかったかのような懐かしさを伴ったその声の主を、陣と凍矢は弾かれたように見上げた。 「かーちゃん!!」 「という事は、オレの母上も・・・・・・」 ハッとした凍矢が地上を見下ろすと、兵士達から離れた場所に佇む岩の上、手を振っている魅霜の姿が見て取れた。少年達には見えないほどの早業だったのだが、たった今凍矢を捕らえていた縄を断ち切ったのは、彼女が投げた氷の苦無だったのだ。 陣と凍矢を抱えたまま、飛鳥が真っ直ぐ地上に降りると、そこを目指してすぐに魅霜も駆け寄ってくる。 「凍矢! 心配しましたよ」飛鳥から息子を受け取って、魅霜はその細腕からは想像できない位の力で抱きしめた「もっと早く助けられればよかったのですが、予想外に手間取ってしまいました。ごめんなさいね・・・・・・怖かったでしょう。つらかったでしょう。至らぬ母を、許してください」 氷属性の妖怪のはずなのに、凍矢にとって両親の体温はいつもあたたかいものだった。今この瞬間は、なおのこと。 「・・・・・・母上達のせいでは、ありません。オレ達が、未熟だから・・・・・・!」 幼い彼の目線でも、明らかに華奢な細い肩に、胸に抱きついたまま、こみ上げてきそうな涙をまたしてもすんでの所で、凍矢は飲み込んだ。つもりだったが、さすがに母の胸の中では上手くいかない。抑えきれないくぐもった嗚咽が零れた。 その目と鼻の先では、陣が飛鳥にしがみついて盛大に号泣している真っ最中だ。 「かーちゃん、かーちゃん! かーちゃーーーん!! 会えねかったらどーすんべって、本当は怖かっただよ〜!!」 気が緩んだら涙腺も緩んで、ついでに感情のタガまで外れたらしかった。わあああん、としまいには言葉にならない声で腹の底から大泣きした。凍矢がこらえている分まで、いやそれ以上を超えるくらいかと思われる大粒の涙が零れ落ち続ける。 「まったく、本当にどっちが年上なんだか・・・・・・。見くびってもらっちゃ困るベ。親が子供を見つけられねぇなんてこと、ありえねぇだよ」 しゃくりあげる背中を、自分と同じ色の髪を撫でさすりながら、飛鳥は安堵と苦笑を同時に浮かべた。 「どこに居たって、どんな奴を敵に回したって、とーちゃんかーちゃん達はオメさ達を守るために絶対飛んできちゃるべさ」 なぁ、あんた? と、飛鳥が目線を投げた先。 「よ、生きてっかー、チビども!」 「待たせて、悪かったな」 風使い飛鳥と呪氷使い魅霜の出現に恐れをなして、尻に帆かける勢いで逃げ出そうとした兵士達の行く手を、すかさず遮った閃と涼矢が立っていた。
飛鳥と魅霜が避難経路に突入してまもなく。二人は、途中でそれぞれの夫達の妖気が近い事に気がついた。アジトに残っていた兵士達が既に壊滅状態だったのもあり、彼女達は壁を破って閃、涼矢の二人と合流。一緒に子供達を追うため経路を抜けてアジトの外へと出たのである。
「あー! とーちゃん!!」 「父上!」 嬉々として叫んだ息子達に応じつつ、二人の父親は敵の退路を絶ったまま一分の隙も見せない。 「さーて、ウチのチビどもがずいぶん世話んなったみてぇだな」 ごきごき、と手の関節を鳴らしながら、閃があえていつも通りの爽快な笑顔を浮かべる。それが敵にとって、もはやダメ押し同然の恐怖を与えると分かった上で。 「知っているか? もはや任務対象は、お前達だけだぞ」 涼矢の淡々とした語調に震え上がりながら、兵士達は彼の言葉の意味を必死で考えた。 つまりもう、アジトに残っていた同士達はこの世のものではないのだ。四強吹雪は、子供達を捜し求めるその過程で、目に映った兵士達全員を討ち取っていたのである。それは厳密に言うと任務だからというだけではなく、愛児達を拉致された事への憤怒と報復に他ならなかった。 ここに至って、彼らはようやく理解する。人質を取ろうと何をどうあがこうと、四強吹雪にかなうわけなかったのだと。しかしそれはあまりにも遅すぎた。 「飛鳥、オラ達が最初にいた岩場に、陣と凍矢連れてってけろ。こっからならすぐだべ」 魅霜と一緒に、改めて子供達の怪我に応急処置を施していた飛鳥が、閃から声をかけられて顔を上げる。 「そりゃかまわねぇ、ってか、わかってっけど・・・・・・オラが戻るまで”終らせんでねぇぞ?”」 「心配すんな、”始めもしねぇだよ” オラだってそんくれぇは空気読むベ」 拘束されたわけでもないのに、正しく『蛇に睨まれた蛙』状態の男達は、根でも生えたかのようにその場から微動だにできないまま、風使い夫婦の言葉の意味を掴みかねて混乱する。 「な、何言ってんだ、あんた達は! 終らせるとか始めないとか、何の話だよ!!」 引きつった喉を振り絞った一人に、凍矢を飛鳥に託した魅霜が、優雅に微笑んだ。 「もちろん、任務の事に決まってます」 「に、任務って・・・・・・」 恐怖のあまり、デタラメに錯綜する思考回路では、ますます何も把握できない。そうこうしている内に、飛鳥が幼子二人を抱えて「すぐ戻るかんなー!」と、上空に飛んだ。 もう笑顔に戻って手をぶんぶんと振り、「とーちゃんかーちゃん、後でなー!」「どうかお気をつけて!」と口々に叫ぶ子供達を見送っていた涼矢が、一瞬で父親から魔忍の顔に変わる。 「確かに息子達は、オレ達の弱点といえるのだろう。二人の前ではとても手荒な真似はできん」 「凄惨なものを見せて怖がらせたくはありませんし、悪夢にうなされたらかわいそうですもの。遠ざけるのは親として当然のつとめです」 後方から距離を詰めてきた魅霜は、あくまで優美な笑みを崩さない。だけど、彼女が纏う妖気も涼矢が纏うそれも、身体の内側から底冷えさせ蝕むような、おぞましい殺気がたっぷり含まれていた。 男達はやっと察しがついた。風使い飛鳥が戻ってきた時、ここで何が始まるのか。自分達がどうなるのか。 そして閃が、とどめの一言を告げる。空中座禅を組んで、無邪気な顔で。魂まで焦がしかねないほどの熱風のような妖気を、全身からほとばしらせて。 「集団処刑だなんて、チビどもに見せていいもんじゃねぇべさ」
流星群の流れる夜が訪れたのは、それから二日後の事だった。任務は完遂したが、子供達の怪我の治療を理由に、四強吹雪は堂々と人間界の滞在期間を延長していた。 とはいえ、間者に気付けなかったお詫びにと、雇い主側の陰陽師達が無償で協力してくれた事もあり、陣と凍矢が負った傷はめざましい回復をみせている。陣の拳はもちろん、凍矢の左腕も痕を残さず完治すると知って、閃達は胸を撫で下ろした。 「うっわーーー! すっげーーー!!!」 陣が興奮と感嘆のままに叫んだ。村はずれの小高い丘の頂点で、それがこだまする。その陣に手を引かれながら共に駆け上がってきた凍矢も、夜空を見上げて心の底から揺さぶられるかのような感動を覚えた。 「本当に、凄い・・・・・・! まさかここまでとは!!」 深く静謐な夜に浮かぶ、小さな無数の光達。それが瞬きながら、次々に一瞬の曲線を描いて夜空を滑り落ちていく。音もなく瞬いては流れて、闇へ解けるようにはかなく消えていく。それが無限に繰り返される。 人間界の夜闇は星々に照らされているせいか、完全な闇ではなく、色に例えると黒というより濃密な紺色に見えた。 「星が、いっぱいふってくるだ! 一個くれぇ取れねぇだかな」 今にも触れられそうな淡く優しい光の粒たちに向かって、陣は精一杯手を伸ばす。さわれたなら、それはどんな感触だろう。あの光にも、温度はあるのだろうか? 持って帰ったら、魔界でも輝き続けるのか。もしたくさん持って帰れたら、あの陰気な故郷も少しは明るく綺麗な場所になるのか。 「昼間の太陽も眩しいけど、夜に見る星や月の光も綺麗ですね」 と、凍矢は両親を振り返った。 「次元を隔てると、空一つとっても大違いだ。魔界にだけいたら、一生こんな光景には巡り会えないんでしょうね」 「というか、太陽や月や星が見られるのは、三界の中で人間界だけらしいぞ。霊界は死んだ後でしか関われんから、オレも詳しい事は知らんが、人間界で言う太陽はもちろん時間による天体の変化なんぞ、無いそうだ」 涼矢は凍矢の頭をそっとなでてやりながら、自分も改めて夜空を見上げた。 光。ずっと恋焦がれるように求めてきたそれは、昼夜それぞれ自分達が想像していた以上の美しさだった。こんな光がふりそそぐ世界で、家族揃って生きていきたいとさらに願いは強くなる。 「・・・・・・そろそろ、この子達にも教えてあげてはどうでしょうか」 魅霜が涼矢、飛鳥、閃の順番に見回した。 「そっだなー。いい加減潮時だろうし、しかもここ人間界だもんな」 言葉の後半で飛鳥は閃を見上げ、促すように目で合図した。 もったいぶったような態度を不思議に思って、陣と凍矢はいったん流星群から目線を外し、両親達に向き直る。それを待っていたかのように、閃が口火を切った。 「なぁチビども、次ここさ来る時は・・・・・・ずっと、この人間界で暮してみねぇか」 「・・・・・・・・・ずっと? 暮らす?」 「人間界に住むと? それじゃあ魔忍の里は?」 案の定混乱した子供達を、閃はまぁまぁと宥めた。 「オメ達、里が好きか? とーちゃんかーちゃんや画魔達関係なく、里自体が好きか?」 初めて面と向かって、しかも改まってそんな事を聞かれて、陣と凍矢は困惑した。だけど、答えは決まっていた。戒律ばかり厳しくて、閉鎖的で陰惨で息苦しいあの場所を好いた事など、実は一度も無かったのだから。二人の表情だけで内心を察した閃は姿勢を低くして子供達と目線を合わせてから、さらに続ける。 「誰にも秘密の話だぞ。とーちゃん達は、近い内に魔忍さやめるだ。『抜け忍』って言葉くれぇはもう知ってんな? それになるんだべ」 その単語を聞かされた瞬間、陣と凍矢は揃って頭の中が真っ白になった後、これまた揃って錯乱してしまった。無理もない。抜け忍となった忍びの末路を、年上の忍者達から脅し半分でしょっちゅう聞かされてきたのだから。 「そ、それはつまり、死刑囚になるということじゃないですか!!」 「うわーーーん!! とーちゃんかーちゃんが死ぬなんてヤだべ〜〜!!」 既に涙腺が崩壊した陣に、「オメ、早すぎだ」とツッコミついでにコツンとその額を小突いて、飛鳥が話の続きを引き継いだ。 「馬鹿言っちゃいけねぇ、オラ達が追い忍ごときに倒されっかよ。それについては心配すんな。ただ、そういうわけだから・・・・・・オメ達にも一緒に魔忍さなるのやめて、人間界についてきて欲しいって事だべさ」 「だども、かーちゃん、オラもっともっと強くなりてぇんだべ。とーちゃんと涼矢さんみたく、凍矢と一緒に組んで色んなヤツと戦って勝って、魔界全土にオラ達の名前轟かせてぇんだ!」 人間界に魅力は感じているものの、陣にだって子供心に譲れない夢がある。しかし飛鳥は大丈夫大丈夫、と明るく笑った。 「魔忍になんかならなくたって、強くなる事くれぇできんだぞ。むしろ、あんな狭っ苦しい所に縛られてない方が、よっぽどいいべ。それに、オラ達二家族、抜ける時も移住する時も一緒って決めてっから、当然凍矢とも離れなくてすむだぞ。それに、これもまだ内緒の話だけんど、実は画魔と彩露様も誘う事にしただ」 「・・・・・・え、そうなんだべか? だったらオラも魔忍やめて人間界さ住むべ!!」 あっさり翻って両親に同意した陣に、「お前、本当に早いな」と、凍矢が呆れ疲れた。 「というか父上、母上、そのご決断は本気ですか? 追い忍だったら確かに父上達の敵ではないでしょうが、もし里長が出てきたなら話が違ってきます。あまりに危険です!」 自分の事ではなく、凍矢はあくまで両親の身の安全を不安に思いながら、切羽詰った表情で言った。里長、という単語を聞いて、陣もハッと思い出したように緊張する。 「心配には及ばん」涼矢の毅然とした声が、夜気を打った「里長には・・・・・・絶対に追ってこさせない。そのための準備を、里に戻ったら万全にしておく。凍矢が危惧するような事態になどならないから、安心しろ」 「しかし・・・・・・」 父を疑うわけではないが、凍矢の不安は消えきらない。里長の強さが両親達にとってさえも、未知の領域だということくらいは、彼でも聞いている。 表情の曇った凍矢の両肩に、魅霜の細い手が優しく置かれた。 「大丈夫ですよ、凍矢。この移住計画は、必ず成功させてみせます。あなた達の未来のためにも。家族みんなで、この光溢れる自由な世界で暮しましょう。どうか、母達の夢を信じてください」 人間界で陣と、お互いの両親達と自由に暮す。どんな光よりも眩しい夢だ。魅霜の真摯な、ひた向きな眼差しに射抜かれて、凍矢も一緒にその夢を実現したいと心から思った。 「・・・・・・わかりました。母上達の夢とあらば、オレはどこまでもついて行きます!」 「よっしゃー!! 人間界に引越しだベー!」 満面の笑みで、夜空に向けて雄叫びを上げる陣の声に呼ばれたかのように、夜空を降り巡る星々がさらに数を増したかに見えた。すると、思い立ったかのように、陣はその場に仰向けになった。この辺りには短い草が密集して生えているので、寝転ぶにはちょうどいいのだ。 「何やってるんだ、お前」 「こーすっと、もっと空が大きく見えっし、どんだけ見上げてても首さ痛くならねぇだぞ。凍矢もやってみれ!」 「お、そりゃいいだな」凍矢が応じる前に、閃が便乗した「流星群見物が楽にできっぞ。ホレ飛鳥、オメも」 「お前達、本当に似たもの親子だな」 苦笑を交えつつ、涼矢も妻子を促す。こうして結局、六人とも丘の上で仰向けになって、それぞれの視界を流星群で満たした。絶え間なく星が流れ続けているというのに、地上の時間は逆に止まっているかのような錯覚。太陽と違い、いつまででも見つめていられる流星群の光は、はかなくそして優しい。 「何十年かに一度しか見られねぇって、村長さん言ってたべな。次にこうやって星が流れんのっていつになるだべか。今からもう待ち遠しいだ」 「やっぱり、貴女もせっかちですね、飛鳥。私達妖怪の寿命なら、数十年なんて短いものでしょう。移住すれば、この先何度でも見られますよ」 母達の声が空気だけでなく、今自分達が仰向けになっている大地までも振動させて響いて聞こえた。 あの時見た光景。聞いた音。全ては今でも陣と凍矢の脳裏に鮮明に焼きついている。触れられそうな温度を持って、静かに輝いている。
あの無限にふりそそいでくる光の粒を、一緒に何度でも見られると、信じていた。
〜エピローグ〜
幻海邸へと続く階段まで来た時、凍矢の腕の中で子狼形態の白狼が「もーすぐ! もーすぐ!」と、千切れんばかりに尻尾を振ってはしゃいだ。よしよし、と凍矢がその頭を撫でる。 「そんなに楽しみか? お前も、今日が流星群初体験だものな」 「早くいこ! 早くいこ!」 「・・・・・・こいつさぁ、凍矢専属の召還魔獣なくせに、この姿の時の性格はどっちかってーと陣に近いよね」 前から気になってたんだけど、と付け加えた鈴駒の隣で、彼と手を繋いだ流石がうんうんと、大きく頷いた。 「ホントよねー! もともと陣さんがワンコタイプな性格だもの。何ていうの? 大型犬の子犬みたいな感じ」 「がっははははは! そいつぁいい例えだな。どんな犬種でも、成犬ってことはありえねーってか」 既に出来上がった酎が便乗して大笑いすると、陣もそろそろ黙っていられなくなってきた。 「おめーらさっきから聞いてりゃ好き勝手言い過ぎだべ! なしてオラが子犬並みなんだ?」 口を尖らせて反論する陣の声にかぶさるように、白狼も「コイツと違う! コイツと違う!」と、キャンキャン吠え立てる。 「ほら、やっぱ似てんじゃん」 「どっこも似てねぇって!」 「やだーやだー!!」 「・・・・・・陣も白狼もそうムキになるな。それと鈴駒、わざわざ煽るんじゃない」 何だか子守の対象が増えた気がする、と、凍矢はこっそり苦笑した。昔の両親達や画魔の気苦労が、少し分かったようなつもりになったと言っては、過言だろうか。 そんな、他愛の無い喧騒を繰り広げながら、長い階段を登っていく仲間達の背中を見やりつつ、一歩引いた最後尾を歩いていた死々若丸は、自分のすぐ前にいた鈴木の肩を、「おい」と軽く引っ張った。 「四強吹雪は、何故全滅したと思う? 先程聞いた話の時系列は、どうやら全滅の少し前らしいが、陣と凍矢の両親ともあろう者達が、何をどうしたらそんな最期になるんだ。お前なら、当時の魔界情勢について詳しいだろう」 息子達が今や、魔界を統べる大統領直属の戦士となったのだ。彼らを生んだ四強吹雪も、そこまでの潜在能力を持っていておかしくなかっただろうに、何故誰一人生き残れなかったのか。一体当時、何があったというのか。 「確かに詳しい自信はあるが・・・・・・魔忍の事となるとなぁ。未だに、隠れ里がどこにあるのか誰にも突き止められなくて、氷河の国探し出す方がまだ簡単だ、なんて言われてるくらいだぞ」 困ったように頭をかきながら鈴木は応えた。 魔界忍者は、いわば移民だ。隠れ里は、およそ二年ごとを目安だが、基本は不定期に魔忍達自らが住居を取り壊し、最初から集落など無かったように細工して、その後は里長以下全員が別の土地に移動する。いつ、どこに移動するかは里長・雹針の一存に委ねられているそうだ。すでに陣と凍矢でも、里の現在地を推測する事すらできない。 「四強吹雪は確かに有名だったが、文献に残っている武勇伝以外の情報は、大部分が闇の中だ。僅かに知られている一説によれば、雅淘と蛾渇が全面戦争を始める直前に受けた密命の最中に、全滅してしまったらしい」 「・・・・・・その密命、とは?」 「だから、それが分からないんだ。戦場の真っ只中でもないのに、なぜあの四強吹雪が壊滅してしまったのか、現在でも謎に包まれてるんだよ」 「何だ、つまらん。お前の脳ミソでもこんな時くらいは役に立つかと思ったのだが、当てが外れてしまった。オレからの疑問ひとつくらい、答えられんでどうする」 「容赦ないな、本当に・・・・・・」 今宵も今宵とて、毒舌絶好調な死々若丸に、鈴木はお手上げ状態で苦笑いするしかなかった、が・・・・・・すぐに何やら思い至って、その苦笑をまるで罠でもはってるかのようなニヤニヤとした笑い方に変えた。 「なぁ、死々若。何だってわざわざオレに聞こうと思った? 当事者の息子達に聞いた方が、よっぽど確実じゃないのか」 どうやら、有効な攻撃手段だったらしい。死々若丸は平静を装って無視しようとしたが、明らかに返答に困っているだけなのが見え見えだ。 「当てにするなら、普通は陣と凍矢の方だろ。回り道選ぶだなんて、お前らしくもない」 「・・・・・・・・・・・・・・・別に。お前が一番近い所にいたからだ」 「いーや、ちがうな。もしあの二人とオレの位置関係が逆でも、死々若はオレに聞いてたよ」 「・・・・・・・・・・・・・・何が言いたい」 険悪な目つきで睨まれても怯むどころか、鈴木は「まぁまぁ」と軽い調子で受け流し、死々若丸の肩に腕を回した。 「いい加減認めろよ、陣と凍矢に気を遣ったんだろ? 両親が死んだ時の事なんてデリケートな話題、あいつらに直接ふれなかったんだよな? 思いやりの気持ちが持てるだなんて、お前も成長したんだな。苦労しながらも育ててきた甲斐があったよ、うん。今日やっと報われた気が・・・・・・・・・・・・わかった、オレが悪かった。調子に乗りすぎた。もう余計な事言わないから、その魔哭鳴斬剣しまってくれ!」 というか、製作者にそんなもの向けるんじゃない! というツッコミは我慢して、鈴木はざざっと後ずさりした。 「鈴木ー! 死々若丸―! 何してっだ、置いてくだぞー!」 問答の内に、いつの間にか仲間達と大分距離が開いていた。陣の声も上方から降ってくるかのように届く。 「すまない。鈴木がたわ言をほざきおったのでつい、な」 「うん、もういいよそれで・・・・・・」
階段の両側に生い茂る山林。その狭間から覗く星月夜では、すでに流星群の先駆けのように、いくつかの星々が柔らかな闇を滑り落ちていた。時を隔てた違う場所で、かつての忍び達はいないけれど、星が放つ一瞬の光はあの頃と同じに見える。 まるであの夜流れた星達が、もう一度夜空に帰ってきたみたいだ。 永遠に還らぬ者達の代わりに。かの魂達を、慰めるかのように。 |