第六章・傷みよりも、なお

 

 

己の左腕が焦げる時の音や匂いは、どこか他人事のようで、いっそ滑稽ですらあるような気がして。だけど脳髄まで焼き潰すような激痛は、やはり徹底的に現実だった。凍矢の意識と感覚に、容赦なく叩きつけられる。

 思わずぎゅっとつむった視界を開けば、真っ先に映ったのは札の形に爛れた皮膚。そこだけ別の生き物のように見えるのを頭の片隅で感じながら、凍矢はさらに懸命に悲鳴をかみ殺す。ぎり、と食いしばった奥歯がきしんで、それに合わせて核まで萎縮したようだった。腕から伝達するのは熱による痛みなのに、背中には冷や汗が伝い、自由の利かない手足が震えた。

 忌々しそうな舌打ちが聞こえる。

 「ガキのくせに強情だな、こいつ」

 「素直に泣いときゃ、自分も楽なのによ」

 枷のようにがっちりと自分を押さえ込む腕の主達を睨み上げ、凍矢は己の窮地など知ったことかとばかりに啖呵をきった。

 「下っ端風情がみくびるな! 父上と母上の名に恥じるような事など、絶対しない!!

 年にそぐわぬ気迫を飛ばす少年に、一瞬男達は怯んだがすぐに気を取り直した。

 「生意気ぬかしやがって、小童が!!

 蛇男が激昂任せに、先程よりもさらに長く、札を凍矢の腕に押し当てた。

 「―――――!! ぐっ、ぅ・・・・・・!!

 放たれるはずの悲鳴は喉の奥でぶつかり合い、体内で反響する。全身の血液が一瞬で逆流した気がした。

 核の脈打つ鼓動が一拍ごとに膨れ上がる。津波のように押し寄せた灼熱と苦痛は、じわじわと身体中に広がってきたが、札を当てられたその場所自体はすでに感覚がなかった。神経が焼き切れたのだろうか。

 だけど。

 「・・・・・どうという、事はない。・・・・・・こ、この程度、で・・・・・・!!

 引き絞られ掠れた声は、それでもなお屈する気配がまるで無かった。双眸は変わらず凛と冴えたまま。滲む様子すら見受けられない。さすがに、男達も困惑の色を見せ始めた。

 「どうするよ、さっきも言ったけど、やりすぎて殺したら意味ねぇし」

 「氷泪石採るのが第一目的だから、あんまり損傷大きいことやるなって言われたっけなぁ」

 火傷をこらえるのに必死な凍矢の耳には、男達の声がどこか遠くから聞こえてくるようだった。しかし、次に聞こえた一言が彼の思考を引きずり戻す。

 「そうだ、おい誰か、風のガキつれて来いよ」

 風。陣。・・・・・・何だ、こいつらは、何を考えている?

 凍矢の戸惑いを感じ取ったのか、陣をつれてくるよう提案した男は巨大なくちばしを動かしながら、得意そうに凍矢を見下ろしてから、先を続けた。

 「こいつの目の前で、風のガキを拷問してやろうぜ。こういう強情な奴には、自分より他人を痛めつけられる方がよっぽどきくんだよ」

 音を立てて、血の気が引いた。その言葉の恐ろしさが、脳細胞に浸透するのさえ耐えられないというように、動揺を隠そうともしない凍矢の叫びが拷問室にこだまする。

 「馬鹿いうな!! 陣は関係ないだろ! たかが氷泪石なんかのために、あいつにまで手を出すのは許さないからな!!

 呪符による重度の火傷に悲鳴一つ、涙一粒零さなかった少年が、初めて本気で声を荒げたのを見て、確かに効果的だと他の男達も判断してしまった。

 「よし決まり。じゃあオレがひとっ走りいってくるぜ」 

 「急げよ、今度こそお宝ザクザクだ」

 「手始めにどうする? まずはそこの棘鞭か? 風の方なら殺しさえしなきゃいいもんなぁ」

 「生爪はいでやろうぜ。末端は神経集まってるから、キツイぞ〜。一枚一枚ゆっくり丁寧に、な」

 おぞましい言葉の数々が、凍矢の頭上から降ってくる。全てを処理しきれず混乱しながらも、凍矢の目は鍵束を持って入り口へ向かう男の後ろ姿を追っていた。

 行かせては駄目だ。止めなくては駄目だ。

 

 陣までこんな場所に引きずり出されるなんて、絶対駄目だ!!

 

 がちゃり。鍵穴に、鍵が差し込まれる。まるでそれが引き金であるかのように、凍矢の中で何かが弾けた。

 「止まれぇぇえええ!!!

 腹の底からせりあがった絶叫が、幼い声音には不似合いなほど激しく響く。その叫びに呼応するかのように室内の気温が急降下し、凍矢を押さえつけている男達の足元がビキビキと音を立てて凍りついた。

 「ひ、ひいいいいい?!

 「足、足に氷、氷があああ!!

 氷点下の針で余すところなく刺されるような鋭い痛みに襲われ、男達の手の力が緩む。すかさず振り払った凍矢は、仲間達の悲鳴と急激な寒気に驚いて、扉を開けるのも忘れて振り向き、呆然と立ちすくむ男めがけて駆け出した。

 「邪魔だ!!

 無我夢中で突き飛ばそうとした右手に、また新たな力が宿ったような感覚。それに気付くと同時に、凍矢の右手になんと、小ぶりではあるが呪氷剣が現れた。父のそれに比べると、せいぜい短剣程度といったくらいだが、小さくともその剣は目の前の男の大腿部に見事突き刺さった。

 「ぎゃあああ?!

 深手という事は無いが、思わぬ一撃に狼狽した男は、傷口を庇うような体勢でその場に崩れた。凍矢の方も、まさか今の自分に呪氷剣が出せるとは夢にも思わなかったのか、自身の右手を珍しい宝でも見つけた時のようにしげしげと見入っている。と、そこへ。

 「凍矢―――!! 無事だかーーー?!

 扉の向こうから友の声が、少々くぐもって聞こえてきた。それにあわせて、どんどんと扉を叩く音が空気を震わせる。

 「陣! お前、出られたのか?!

 驚いた拍子に呪氷剣が解除され、凍矢は慌てて扉を開け、さらに驚愕した。眼前に現れた陣の両手が、止血で巻かれた布までも真っ赤に染まっていたのだ。

 「おい、その手・・・・・・」

 どうした、と問う前に陣の方に左手を取られる。

 「うっわ酷ぇ! なんつー火傷だべ。大丈夫け? ごめんな、オラ遅くなっちまった」

 耳をしゅん、とたれ下げて、陣は今にも泣き出しそうな顔をした。自分の両手がどうなっているかを、すっかり忘れてしまっているかのようだった。

 凍矢もつられて、目頭と鼻腔の奥がツンと熱くなったが、ぐっとこらえて飲み込んだ。

 「・・・・・・大した事はない。お前の方こそ怪我人じゃないか」

 「オラ、こんぐれぇ平気だべ! だども、お互い早く治さねぇと、とーちゃん達が心配するだな。とにかく、まずはここから脱出すんぞ!!

 「もちろんだ、急ごう! これ以上人質に甘んじてはいられない」

 鍵束を取った凍矢は、拷問室の扉を閉めると鍵をかけ、男達をまんまとそこに閉じ込めた。

 すると右手の曲がり角から、人の来る気配。陣を捜している男達だった。接近される前にその場を逃げ出した陣と凍矢は、身を隠して移動するため通気口に侵入。縦列に並んだかれらが、辛うじて四つんばいで進める広さだった。

 「窓一つ無いという事は、ここは間違いなく地下だ。ひとまず地上を目指すぞ」

 「ってことは、上に向かってけばいいんだな!

 陣を先頭に、二人は真っ暗な細い洞窟のようなそこを、手探りしながら進み始めた。

 

 

 陣と凍矢がそろって逃げ出したという情報は、広大なアジト内にあっという間に伝えられた。そしてそれ以上に動揺と焦燥が広がる。四強吹雪に対抗するための、正に切り札だった二人がいなくなってしまったとあっては、勝ち目などあるわけない。

 「連中が来る前に、何としてでも生け捕りにしろ!!

 「下手したらもう、侵入してるかもしれん。ガキどもと鉢合わせたら、脱出されるより最悪だ!

 「急げ急げー! 入り口出口を即刻封鎖しろー!

 外部から見ると、巨大な岩山を直接削ったり掘ったりしてしつらえられたこのアジトは、縦横にずらり並んだ窓代わりの穴のため、蜂の巣のようにみえなくもない。そんな所で発生した、文字通り蜂の巣をつついたような騒動を、四強吹雪の面々が凹凸が目立つ岩壁に身を隠しながら、窓穴越しに伺っていた。

 ちなみに、周辺警備を担当していた飛行型妖怪はすでに、彼らによって屠られた後である。

 「聞いただか? あの子達、自力で脱出しようとしてるベ」

 飛鳥は一応声を落としたが、あの喧騒では多少の声量でも聞きとがめられはしないだろう。

 「まだまだ子供と思ってたけんど・・・・・・んにゃ、実際子供だべか。まぁ何はともあれ、いつの間にかずいぶん成長しただなぁ」

 感慨を深める妻に、閃は空中座禅で満足そうに何度もうんうん、と頷いた。

 「さすがはオラ達のチビどもだべ! こりゃ欲目抜きで天才だぞ。ますますもって、魔忍で終るにゃもったいねぇ」

 闇と血に塗れた命令なんかのために、あの子達の力を消耗させたくはない。閃は決意を新たにした。

 「だが成長した事は確かにせよ、危機的状況にいることには変わりない。何としてでもオレ達が先に見つけなければ。まぁどの道、二人が一緒にいるのは幸いだな」

 慎重さをそのままに、だけど涼矢はわずかな安堵を滲ませる。その隣で、魅霜も胸を撫で下ろして微笑んだ。

 「そうですね、心細い思いだけはしないですむでしょうから。あの子達が二人で力を合わせていれば、私達が見つけてあげるまで持ちこたえられますよ」

 一部の隙もなく張り詰めた緊張感からわずかに息を抜いたように、四人は互いの顔を見合わせて、喧騒がいったん遠ざかり切れ間のような静寂の隙をついてアジト内に侵入した。

 「う〜ん、やっぱりちょっくら風が読みにくいだな」

 閃が眉間にしわを寄せる。こんな数多くの妖気が入り乱れ、しかも慌しく蠢き合っているような場所、しかも初めて訪れる次元である。ある程度距離を詰めないと、自分達より小さな妖気を感知するのは少々難しい。

 先程、陣が凍矢の妖気とその位置をたやすくつかめたのは、彼が同じ階にいてなおかつ自分と同程度の妖気量だったためである。

 涼矢も念のため探ってみたが、やはり彼も息子達の妖気は感知できなかった。

 「まずは、地道に探してみるとしよう。ただ、凍矢達も移動していることを考えると、すれ違ってしまう可能性もある。重々気をつけなければ」

 「んじゃ、こっから二手に別れんべ。オラと涼矢はアジトの東半分。飛鳥と魅霜は西半分を任せるだ」

 まだ勝手が分からない以上、違う属性同士で組んでいた方が、万一戦闘になった際に攻撃方法が豊富で便利だと、閃は考えた。

 夫の提案に頷きつつ、飛鳥は改めて巨大な岩の砦の中、前後に果てしなく伸びる廊下を見渡した。

 「見た目より奥行きもあるっぽいから、実際に動いてみると、想像以上にだだっ広いかもな。しばらくは互いに連絡も取れそうにねぇべ。まぁ、オラ達同士ならそれぞれの妖気の位置くらい、何とかわかるかもしんねぇけどよ」

 それを聞いて、今度は魅霜が考えを巡らせる。

 「一方が息子達を保護したら、まずはアジトの外へ出ることにしましょう。私達が最初にいたあの洞窟に息子達を移動させ、それからアジトに戻って合流、という事にしませんか?

 「それが妥当だ。まずは、子供達の安全を確保しなくては話にならん」

 涼矢が同意して、とりあえずの結論が出た。

 ぱしん。と、閃が己の手の平に拳を軽く打ちつけて不敵に笑う。

 「おっしゃ、そんじゃあ行動開始だべ!

 

 

 四つんばいの姿勢のまま通気口から頭だけを出して、陣はキョロキョロと辺りの様子を伺った。薄暗く、雑然と武器や弾薬や妖具が置かれているそ部屋は、明り取り用の窓から申し訳程度の日光が落ちていて、水を打ったように静まり返っていた。通常、使う際は別の灯りを点すのだろう。

 「この部屋、誰もいねぇぞ」

 後ろの凍矢に囁き、連れ立って通気口から下りた。

 扉まで近付いて耳を澄ますと、わずかな隙間から怒号や慌しい足音が連続して聞こえてくる。確認するまでもなく、自分達を探しているようだった。

 「ここ、何階くらいだ? とにかく地上には違いないだろうが」

 部屋の品々にぶつからないよう気をつけながら、凍矢が呟いた。薄闇の中、彼らの身長ではまるでうっそうとした密林に迷い込んだかのようだ。

 陣はふわりと浮きあがり、明り取りの窓に接近してみて・・・・・悔しそうに首を横に振る。

 「こっからは出られそうにねぇべ。狭すぎてオラ達でも通れねぇし、他の窓からすぐに逃げるトコさ見つかっちまうだ」

 「そうか・・・・・・とりあえず、ここで休憩がてら様子を伺ってみよう。万一誰か入ってくるような事があっても、この部屋なら身を隠しやすい」

 観音開きの扉の近く。運び込まれて間もないらしいつづらの上に二人は並んで腰掛けた。一息ついてみると、思った以上に自分達が疲労していた事に気付かされる。無理もない。それぞれの負った怪我は決して浅くはない上に、息を潜めつつ神経を張り詰めながら通気口を移動するのは、子供の体力や精神力では相当な負担だった。

 基礎鍛錬しか経験のない幼子二人にとって、あまりにも過酷過ぎる実践である。

 左手が、その指先が、動かしづらくなっていることを凍矢はようやく自覚した。赤黒く爛れた火傷の痕が、まだ熱を持っている気がする。じくじくと炙るような痛みで皮膚や神経が萎縮し、こわばって、自由が利かなくなっていた。

 何だ、この程度。

 挫けそうになった心に鞭打って、凍矢は陣を見上げた。彼自身は一言も言わないが、少々息が上がっている。いつもは血色のいい顔が、薄暗がりでも青ざめている事が分かる。おそらく神経どころか骨にも影響しているだろう両手の傷の出血が、思いのほか多かったのだろう。

 止血は当然しているが、しょせんは応急処置に過ぎない。本格的な治療が急がれている事は、容易に伺えた。

 「ありゃ、何だべ?

 ふと目線を陣が、首をかしげた。その声に凍矢も我に返り、彼の視線の先を追う。

 真正面にそびえる壁。弾薬をつめたらしい木箱に、下半分が隠れて半円状になって見えるそれ。

 引き寄せられるように近付いてみると、大人の顔ほどの大きさの円が完全に確認できた。円の内部は暗号のような文字が、その縁に沿ってぐるりと並べられたり、絵のような形に組み合わさったりしていた。

 「これ、大きさも書かれている模様も全然違うけど、オレ達が通ってきた移送方陣みたいな、妖術の類じゃないのか?

 「んだな、見た時の不気味な感じと、魔法陣の色もおんなじだし。でもこれ、一体どんな術だべ? 特に何も発動してるように見えねぇだぞ」

 陣がおっかなびっくりで、二度三度と魔法陣をつついてみたが、うんともすんともいわない。

 「あ、今思い出した!」凍矢がハッと目を見開いた「これ確か、オレがつれてかれた部屋の壁にも、一つ描いてあったぞ」

 「そうだったんだべか? オラが閉じ込められたトコはどうだったっけ・・・・・・。ここより暗かったし、色々必死だったから覚えてねぇだ」

 もしかして。凍矢は呟き、思考を巡らせた。もしかして、このアジトの部屋全部、あるいは廊下にも同様の方陣が描かれているのだろうか? だが、何のために? 近付いても接触しても反応が無いのでは、ただの絵と変わらないではないか。

 「緊急時とかに使うものなのか? それとも・・・・・・」

 「しーっ!!

 突然、陣が耳をピンと上向かせて唇の前に人差し指を立てた。ビックリして押し黙った凍矢を促し、再び扉の前へと移動する。改めて耳を澄まし、陣はニカッっと牙を見せながら笑った。先程までの憔悴が嘘のように。凍矢を安心させるように。

 「ここの廊下、誰もいなくなっただぞ。この階諦めて、他に出払ったみてぇだべ。この隙にオラ達ももっかい動くべさ!

 「そうだな、こんな所でじっとしてても意味が無い。あの方陣も問題無さそうだし、とりあえず放っておくか」

 先程、凍矢が奪っていた鍵束の中からこの部屋の鍵を探し出し、二人はそうっと注意深く辺りを伺いながら廊下に出た。殺風景な空間をわずかに震わす騒音は、明らかに他の階から響いてくる弱々しい反響にすぎないようだ。移動するなら、今しかない。

 「何階だか知らんが、とにかく外へ出られそうな所がないか探してみよう」

 「おっしゃ、きっともう一息だべ。頑張ろうな!

 脱出への見通しがついた気がして、少年達は今一度己を奮い立たせて歩き出した。もうすぐ外に出られる、両親達に会えると、一生懸命自分に言い聞かせながら。

 

 

 掌の中で相手の首の骨が砕けたのを確認して、閃はやっと手を離した。彼の足元に力なく落ちた、全身の骨がひしゃげたようになった亡骸は、ほんの数十分前、陣を独房に放り込んだ男だった。そんな閃の背後では涼矢が、凍矢の左腕に呪符を押し付けたあの蛇男を文字通り八つ裂きにし終えた所だ。

 「・・・・・・もっと早く白状すれば、その分楽に死ねたものを。無駄に往生際の悪い連中だ」

 呪氷剣を解除して、涼矢はつとめて抑揚のない声で呟いた。

最愛の息子達を拉致し、そのあげく実害まで加えた外道に対して、二人はどこまでも冷酷に徹していた。戦意や敵意を持たない相手なら、いつかのように情けをかける事はあるけれど、敵とみなした場合には容赦しないことにしている。そこまでお人よしじゃない。

 閃と涼矢によって、訓練場のような所に追い詰められた数人の兵士達は、既に全員が無言で血の海に沈んでいる。まったく胸の悪くなる連中だが、息子達の事以外にも収穫はあった。

 「結局、あの移送方陣が陰陽道のもんだったとは、驚きだべ。人間ってすげぇんだな」

 「オレ達より寿命が遥かに短い分、進化や変化が急がれる生き物だと、聞いたことがある。知ってるか? 感知能力や予知能力の類は、むしろ人間の方が優れてるんだそうだ。より多く、正確に危険を回避し、自分達の寿命が尽きた後の世代を導くために」

 「へ〜え・・・・・・そいつぁ初耳だべ。ところで、裏切り者の事はどうすっだ?

 「報告だけして、処遇は依頼主に任せよう。オレ達には管轄外だ」

 「んだな、これ以上仕事増やされたらたまんねぇだ」

 閃達の召還を決めた藩主が、もともと抱えていた陰陽師達の中に、妖怪軍団を雇った敵対藩側の間者が紛れ込んでいたのである。四強吹雪親子があの村に滞在している事も、彼らの動向も、その間者から妖怪軍団に流されていた。

 「そろそろ移動すっか。チビどもがどこら辺にいるかの見当は、こいつらから聞き出してもわかんなかったしよ。地道にいくしかねぇかな」

 そうだな、と頷いて、涼矢は通風口に手をかざし、分厚い呪氷で蓋をした。彼の妖力で閉ざした氷だ。凍矢もちろん、ここの兵士達も破れはしない。表面が凸凹した氷は光を屈折させて、その向こうの光景を大きく歪める。反対側からも、きっと同じ事。

 「連中はまだ気付いていないだろうが、あの子達はおそらく、通風口に身を隠しながら移動しているに違いない。子供の体格なら、何とか通れる大きさだ」

 その言葉の真意を、閃は一瞬で理解する。万が一陣と凍矢が通風口からこの場所に出てしまった時、無残に転がる死体の山を見てしまうかもしれない。涼矢はそれを避けたいのだ。閃には痛いほどわかる。自分達の手がどれ程のたくさんの血で染まっているのかを、あの二人にだけは知られたくなくて。二人の前では、魔忍ではない、ただの父親でいたくて。

 「あぁ、殺し方だの殺した後の惨状だの、チビどもは一生知らなくていいだよ。どーせ魔忍になんかなんねぇもんな!

 ことさら明るく笑って見せて、閃は涼矢を促し血生臭い訓練場をあとにした。扉を閉めた後、もう一度呪氷を使って鍵の部分を固く、固く凍結させることを忘れずに。

 

 

 バタバタという足音に気付いて、陣と凍矢がとっさに逃げ込んだ部屋は、偶然にも軍団の司令官が使っているらしい司令室だった。状況が状況なので司令官本人も人質捜索にあたっているらしいが、この部屋をがら空きにしておくとは、施錠していたとはいえ無用心極まりない。少年達にとっては好都合だったが。

 武器や資料が雑然と積まれている部屋を見回し、凍矢が呆れたようにため息をついた。

 「司令室が無人とは・・・・・・まぁ軍団といっても、しょせんは寄せ集めだからな。戦術の素人だとしても不思議は無い」

 その横で、ぐう〜と気の抜ける音がした。慌てて陣が腹を押さえるも、もう遅い。

 「へへ、だって朝から何も食ってねぇべさ。凍矢だって腹へってんでねぇのか?

 そういわれてみれば、確かに今朝起きた(起こされた、と言った方が正解か)時からずっと飲まず食わずだった。その事実を思い出すと、凍矢も急に空腹感に襲われた。

 「まぁ、無理もないか。非常食持ち出す余裕なんか無かったし。今もう、昼時だろうな」

 「ここが厨房だったら良かったのによ〜。せめて茶の一杯くれぇどっかに残ってねぇべか」

 「そんな都合よくいくか。ってそれ以前にお前、敵方の飲み残しなんか期待するんじゃない!

 「そっただ事言ったって、ひもじいもんはひもじいんだべ・・・・・・んー?

 散らかった机に飛び乗って、がさがさと漁り始めた陣が、ふと目についた一枚の大きな紙を広げ首をかしげた。

 「何だ、また何か魔法陣でも書いてあるのか?

 「・・・・・・なぁ凍矢」振り返ったその眼差しは、飢えも渇きも忘れて再びはつらつと輝いていた「これ、このアジトの見取り図だべ! あ、こっちは、周辺地図!

 「何だって?! 見せてみろ!

 弾かれたように自らも机に飛び乗って、凍矢は二枚の地図を広げた。陣と額を引っ付き合わせるようにして、それを真剣な面持ちで見下ろす。

 「ここは司令室だから・・・・・・地上5階か。結構上の方まで来てたんだな。さっきの武器弾薬庫がここだから、オレ達の辿ってきた道筋がこうで・・・・・・」

 見取り図の上を指でなぞりながら、凍矢は実際に通ってきた場所を思い返しながら確認する。脱出するとは言えど、姿を見られないことが大前提だったため、いつの間にかアジトの奥へ奥へと迷い込んでいたようだ。

 「発見されることを恐れていては、埒が明かないな。ここの構造も周りの事も分かるみたいだし、何とか突破口を見出して、その位置を確認しよう。もう、無駄に動き回らない方がいい。これ以上は、体力と気力が磨り減るだけだ」

 「んだな。とーちゃんかーちゃん達にも、迷惑さかけらんねぇし・・・・・・お?

 さっそく、陣が何かに気付いた。

 「なぁ、この司令室から伸びてるこの点線何だべ?

 「点線・・・・・・これか。確かに、ここだけ点線なんて不自然だな。しかも、壁の中や天井裏に潜っているようにしか見えないぞ」

 「それも妖術の一種だべか? んでも壁抜けとかならともかく、潜りっぱなしなんておかしいだな」

 「―――――!! 分かった!

 点線を目で追っていた凍矢が、つい大きな声をあげてしまった。慌てて息を飲み手を口で塞ぐ。気を取り直して凍矢は一転して声を潜めた。

 「これ、司令官専用の避難経路だ。しかも点線で書かれてるって事は、隠し通路なんだろう。とっちらかってること抜きにしても、見た目じゃ分からないようにされてると思う」

 「避難経路、そっか! そこ使えばここの奴らに見つからねぇまま、外さ出られんだべな? まさかオラ達が、そんな隠し通路にまで気付いたとは誰も思わねぇべ」

 「あぁ、その通りだ。ただ、この経路の入り口が部屋のどこなのかまでは書かれていない。こればっかりは自力で探さないとな」

 「問題ねーベ! どこに何隠そうと、忍者にはお見通しだべさ。さくっと見つかるべ」

 確かに、まだ幼い二人でも基本中の基本として、身を隠したターゲットや秘密の抜け道などの位置を見破る術くらいは、既に身につけている。

避難経路に気付いたことを知られぬよう、見取り図を元の位置に戻し、陣と凍矢は手分けして避難経路の入り口を捜索し始めた。

 

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