第四章・謀反の火種

 

 

 町外れの荒野は、町民はもちろん野犬でさえ住み着かないほど、陰気で寂しい場所だった。そんな荒野から見上げる空は黄昏に染まり、何羽かのカラス達がギャアギャアとやかましく喚きながら横切っていく。その羽音も鳴き声も、渦巻く風にかき消されている事に気付く余裕も無いまま、霊界から派遣された人間界調査隊隊長は、自分の喉笛に突きつけられた氷の剣の切っ先に震え上がった。

 命の危機のためであるのはもちろん、実際その剣から立ち上る冷気がゾッとするほど冷たいのだ。

 部下達は既に昏倒し、退路は妖気を孕んだ風に阻まれている。

 「オレ達の首を閻魔大王にでも献上するつもりだったのか? ずいぶん見くびられたものだ」

 呪氷剣の主・・・・・・涼矢は厳然とした眼差しで、腰を抜かしたまま動けない調査隊隊長を見下ろしている。その後ろに控えている閃は、普段通りの飄々とした態度だが、隊長の一挙手一投足を完全に捕らえていた。

 圧倒的な力の差に、いっそ笑い出してしまいたいくらいだ。自分達が赴任している城下町に、二人分の目立つ妖気を感知して、霊界の人間界領土化を阻む魔界からの侵入者だとみなした彼は、隊員達を総動員して二人の魔忍を密かに監視。その行く手を尾行した。

 うまいこと人里を離れてくれた所で総攻撃をかけたのだが、次の瞬間、自分達が策略にはまっていた事を気付かされる。閃と涼矢は霊界人達にわざと自分達の妖力を気付かせ、この荒野までおびき寄せていたのだ。

 霊界の動向を調べるには、実際に霊界人達から聞きだすのが手っ取り早い。手がかりのない中こちらから捜しに行くよりも、妖力を撒き餌にしてのこのこ尻尾を振ってきた所を押さえる、という作戦だったのだ。

 少々乱暴なやり方だったが、今回はもう一つ重要任務もあるために時間短縮を図ったのである。

 「隊長さんよー、早いトコ吐いちまったほうが身のためだべさ。こいつキレたら、オラでも止めんの難しいべ」

 閃の人懐っこい笑顔も、こんな状況で見せられては逆に恐怖心を煽るというもの。

 「霊界は、人間界さ領土にするために、何をどこまで考えて進めてんだ? 正直に教えてくれたら、殺しはしねぇだよ。霊界人手にかけたら、後々面倒になりそうだし、そこまでの命令も受けてねぇしな」

 「その通りだ。オレ達は別の任務も抱えていてな、お前達を手にかけた事によって霊界に騒がれるのは、不都合なんだ。遂行に協力してもらうぞ」

 「・・・・・・・・・くっ!

 武器を破壊され、霊力も大幅に消耗した。加えて部下達は戦闘不能。観念した隊長は、呪氷剣が掠める喉元をごくりと動かして、重い口を開いた。

 「霊界は・・・・・・魔界に対抗するために、本格的な戦闘部隊を作ろうとしている。今ちょうど、そこに属する隊員達を育成している最中だ。結成したら、人間界で勢力を強めようとしている妖怪達を、片っ端から『粛清』して回るだろう。何百年か前、魔界から人間界に移った銀狐の盗賊は、もうとっくにブラックリストの筆頭に載ってるって話だ」

 「戦闘部隊か・・・・・・戦力として、大体どの程度だ?

 「そこまでは聞かされてない・・・・・・本当だ! 霊界の重役の、ごく一部にしか出回ってないんだよ!!

 「お前の推測でかまわん、話せ」

 「・・・・・・さっき言った、ブラックリストに載った銀髪の妖狐。霊界は特にこいつを確実に粛清したがってるから、その妖狐を上回る霊力の戦士達を集め、育てるだろうな」

 銀髪の妖狐。かつて魔界で盗賊団を束ねていた、蔵馬という男かと、閃と涼矢は同時に気付いた。

 あいま見えたことこそないが、彼の暗躍ぶりは未だ記憶に生々しい。その蔵馬を倒せるほどの戦士達を集め、ゆくゆくは魔界へ対抗していこうという計画だろうか。だが。

 「甘いな」と、涼矢は斬って捨てた「妖狐蔵馬はじめ、人間界に暮らす妖怪達を倒したくらいで、霊界が魔界と肩を並べられるとでも思ったか」

 「今の魔界は、躯、黄泉、雷禅の三竦みでぎっちぎちだべ。霊界如きが割り込む余地はねぇべさ。それに、その三竦み達の妖力はオラ達四人はもちろん、里長でさえも遠く及ばねぇらしいだぞ。閻魔大王でも敵わねぇべ」

 魔界で畏怖の対象となっている三妖怪の妖力がどれほどのものか、霊界側は掴んでいないらしい。果てしなく広く深い魔界に蠢く猛者達の力量は、自分達ですらまだお目にかかった事がないので、無理も無いことだが。

 しかし、目の前の霊界人はこの時初めて、不敵な笑みを見せた。

 「甘いのは、お前達の方だ。戦闘能力だけなら、我々霊界人より妖怪どもの方が遥かに上だと言う事くらい、閻魔大王様はご承知の上だぞ。だが逆に、守りの能力とそのための技術なら、霊界の方が遥かにすぐれている」

 「・・・・・・どういう事だ」

 あくまで淡々とした口調を崩さない涼矢を、嘲笑するような顔で見上げ、隊長は続けた。

 「戦闘部隊の他に、もう一つ大きな計画が控えている。亜空間に巨大結界を張り、あるレベル以上の妖怪達を完全遮断し、魔界以外の次元へ続く道筋を断絶しようというものだ。そのレベルの程度までは詳しく知らんが、お前達は確実に亜空間を通れなくなるぞ」

 「な、何だってー?! 巨大結界?!

 思わず閃は叫んでしまった。異なる次元と次元を繋ぐ亜空間。そこに結界を張るだなんて、魔界にかつて存在した結界の支配者級でも不可能だったはずの大技、いや神業だ。隊長は自らの危機も忘れ、得意そうに話し続ける。

 「もちろん、その結界の規模は霊界の歴史から見ても前人未踏の領域だ。しかし、霊界の力と技術なら不可能ではない。戦闘部隊では手に負えない程の妖怪達をシャットアウトできれば、人間界を我らの植民地化していく計画もやりやすくなるし、ゆくゆくはその結界を利用して魔界における我々の管轄地域も広めるつもりだ。こちらは、途方も無く時間がかかる作業となりそうだが、しかしいずれ必ず実現してみせる。人間界を完全領土化し、魔界を浄化するその時が、必ず・・・・・・?!

 急速に瞼が重くなって、意識が暗闇に引きずりこまれる。隊長が辛うじて捕らえた最後の感覚は、嗅覚。鼻腔を掠める、かぐわしく甘い花の香り。

 自分と涼矢の周囲に風で新たなバリアを張り、夢幻花の花粉を遮った閃は、隊長はじめ彼の部下達もその花粉を吸い込むまでの時間を待ってから風を治め、そこまでしてようやく口を開いた。

 「亜空間に、結界だってよ。霊界の防御技術は、確かに三竦みも用心してるって聞いた事あったし、こいつの話は本当なんだろな」

 「あぁ・・・・・・にわかに信じがたいと思ったが、霊界が魔界に対抗するとしたら、そのやり方しかないだろう。閃、オレ達の『計画』はどうする?

 問いかけながらも、涼矢はもう分かっている。自分達が近い内に取らなければならない行動が。閃もそれを察しながら、つとめて明るく、笑みを交えながら応えた。

 「もちろん、前倒しだべ。霊界に先越されたら、取り返しつかねぇもんな」

 

 

 一方その頃。

 

 ばっしゃーーーーん!! 

 と、村はずれの川にて派手な水しぶきが舞い踊った。夕日を受けてキラキラ輝くそれらが川へと戻る前に、ぷはっと息を吐いて再び水面の上に浮上した陣は、脳天を押さえて悲鳴を上げた。

 「い、いってぇぇえええ!!

 予定では、空からまっさかまさまに急降下した後、水面すれすれで旋回し上空へ舞い戻るはずだったのだ。急降下の途中で思った以上の速度が出たため、目測を誤ってしまった。一直線に川へ飛び込んだ勢い余って、川底に頭をぶつけたらしい。

 「陣! 大丈夫か!

 岸辺で、飛行訓練を見守ってくれていた凍矢が叫んでいる。その隣で心配そうな顔をしているのは、先ほど任務から村に戻って、普段着に着がえたばかりの魅霜だ。今日は彼女とともに調査にあたっていた飛鳥は、陣が気付く前に彼の隣に、文字通り飛んできていた。

 「ありゃりゃ、大したタンコブだぁ。あとで薬草煎じてやっからな」

 と、息子の手を引いて岸へと促した。陣はいつに無く浮かない顔でため息をつく。

 「オラまだまだへたっぴだべ。とーちゃんやかーちゃんみてぇにカッコよく飛びてぇのによ」

 「気にすんな、とーちゃんなんてオメくらいん時は、コレよりもっとでっけえタンコブこさえて泣いてたべ」

 「本当け?! ・・・・・・そしたらオラとーちゃんより早くうまくなりてぇだな。それに、凍矢抱えての二人飛びも早くこなせるようになりたいだよ。人間界さいる内に」

 まだ陣の飛行は不安定だが、彼はすでに空から見る光景と、飛んでいるときに受ける風の感触の虜になっていた。特に人間界の風は底抜けに爽やかで気持ちがいい。滞在期間が限られているのならなおの事、親友にして未来の相棒も空へ連れて行ってやりたいと思った。

 「そっだな、できるといいだな」

 励ますようにギュッと、飛鳥は息子の手を握る己の手に力を込めた。二人が岸に戻ると、呪氷使いの母子が駆け寄る。

 「陣くん、他に怪我はありませんか? 本当にコブだけ?

 心配顔の魅霜だが、陣は先ほどの悲鳴はどこへやら、地に足つけたとたんに強がった。

 「うん、全然平気だべ! 頭なんか打ったところで、オラこれ以上馬鹿にはなんねぇしよ!

 「自分からそんな事言ってどうする・・・・・・。ホラ、ちょっと見せてみろ」

 陣をかがませ自分は軽くつま先立ちして、凍矢は陣の頭のタンコブに手をかざして薄い冷気を送り込んだ。

 「とどのつまりは内出血だからな。まずは血管を閉じないと」

 「おぉ〜〜、ひゃっこくて気持ちいいべ。凍矢、あんがとな!

 ここ最近、ますます精神年齢が逆転してきた息子達のやり取りを見て、飛鳥と魅霜は顔を見合わせ、声を殺して笑った。しかも何だか、お互いの夫の少年時代を鮮明に思い出させる。

 「そろそろ村に戻りましょう。まもなく日が落ちるし、父上様達もじきにお戻りですよ・・・・・・飛鳥?

 突然、弾かれたように空のある一点を振り仰いだ幼なじみに、魅霜は首をかしげた。

 「どうかしましたか。何か気になることでも?

 「・・・・・・や、別に。ただ、ちょっと嫌な風が吹いてきたような気がしたんだべ。ほんの、一瞬」

 言われて魅霜は、飛鳥の視線の方向を注意深く凝視する。視界だけでなく五感全てを張り巡らせたが、不信な光景も物音も、気配もしなかった。飛鳥が一瞬と言ったように、既に消え失せたのだろうか。少なくとも彼女が察知したのなら、それは気のせいでは無いだろう。

 飛鳥に限らず、風使いは妖気や霊気の類はもちろん、他者の感情の起伏や、近い未来に迫っている不吉な前兆までも風を通して感知する。

 魅霜が何も気付かなかったという事は、おそらく、今飛鳥が感じ取った『嫌な風』は外敵の気配ではなく、前兆の方に属するのだろう。しかし予知能力とは違うのでその前兆を分析する事は不可能だ。

 「今回の任務、思ってたより一筋縄じゃいかねぇべかな」

 呟いた飛鳥の顔が、忍びのそれから母に戻る。いつの間にか凍矢を伴い走り出していた陣が、「かーちゃん、早く早くー!」と叫んで手を振っていた。

 「ともかく、村に戻りましょう。夕餉のしたくもしなくてはなりませんし。あの子達も、おなかをすかせてるでしょうから」

 「んだな。四強吹雪も、腹が減っちゃ戦ができねぇべ!

 二人は息子達の後を追い、村へと戻った。日没迫る山間の村は、鮮やかな茜色に染め上げられている。その中を歩きながら笑う幼子二人を見つめる母達の想いは、一つだった。

 早く、この子達の手まで、血に染まってしまう前に・・・・・・・・・

 

 

 その日の夜。陣と凍矢を寝かしつけた後、飛鳥は人間界で新たに入手した地図を広げ、そこに自分で書き加えた×印を指差した。

 「ここにある岩山一つが、まるごと妖怪軍団のアジトになってるらしいべさ。人里から遠く離れてっし、普通の人間は足を踏み入れられねぇほど険しいトコだってよ。まぁ、まかり間違って誰か迷い込んだ所で、あっという間に妖怪達のエサになっちまうべな」

 飛鳥と魅霜は、妖怪軍団の拠点がどこにあるかを探っていた。妖怪軍団を集めた敵対藩主の治める城へ侵入し、藩主や重鎮の動向や秘密会議を探るのはもちろん、密書も暗記した。

 魔界での任務で手を焼かされるような防護結界を破る必要も、戦闘してまで突破しなければならない兵士もおらず、拍子抜けするほどトントン拍子に事は進んだそうだ。今回は魅霜も、氷女に変装せずに済んだ。

 むしろ気になったのは、夕方に飛鳥が感知した『嫌な風』の方だった。

 「私達に限って、任務の遂行過程に落ち度があるとは思いませんが、それでも足元をすくわれる可能性が皆無とは限りません。集められた妖怪軍団の戦力が想像以上に大きいか、それともアジトに厄介な罠でも仕掛けられてるのか、いずれにせよ用心しましょう。アジトには魔界にいる時と同じ心構えで行く必要があると思います」

 「そうだな・・・・・・位置が分かったのなら、侵入方法やどう奇襲をかけるかを、慎重に考えよう。多少時間をかけてでも、まずは敵情視察してアジトの形状や周辺の地形を見てからのほうがいいな」

 ほの明るい行灯の光に照らされた涼矢の眼差しが、一段と厳しくなった。

 「んでさ、オラ達の報告なんだけどよ。霊界が想像以上に手強いこと考えてるらしいんだべ」

 と、閃が霊界人の隊長から聞いた、戦闘部隊と亜空間の巨大結界に関する情報を伝えると、飛鳥と魅霜は息を飲むほど驚いた。

 「いつその結界張るのかはわかんねぇけど、たぶんそう遠くない内だべ。だから、霊界がその結界さ張る前にオラ達も前倒ししねぇとな」

 「あぁ、結界を張られて人間界にいけなくなっては、オレ達の抜け忍計画も台無しだ。雹針を亡き者にしたとしても、やはり魔界にい続けるのは危険だろう。ヤツの新派は必ず報復を目論む。息子達を巻き込むわけにいかない」

 『里長』ではなく、名前をはっきり呼び捨てにした涼矢の声のトーンは、いつもより低く重かった。ここは人間界で、雹針はもちろん他のどんな魔忍の耳にも彼の言葉が届くはずも無いのだが、それでも無意識は働いてしまう。

 彼らは・・・・・・四強吹雪は、もう大分前から魔界忍者の隠れ里を捨て、人間界への移住を画策していた。今回、思いがけなく人間界での任務が下った時は、その偶然に心底驚いた。大手を振って堂々と新天地の下見をするのにちょうどいいと考えていたが、それどころか、さらに予想だにしない事態が動いていることを知って、彼らは計画の見直しを迫られることとなった。

 そもそも掟によって、魔忍を抜けたいわゆる『抜け忍』には即刻処刑命令が下される。執行役の『追い忍』が放たれ、殺すまで追跡を続けるのだという。

 しかし閃達だったら、むしろ返り討ちを恐れて誰も追い忍なぞやりたがらないだろう。だがそれはあくまでも、閃達四人だけだったらと仮定した場合に限られる。

 陣と凍矢を、置いていけるはずがない。潜在能力がすぐれているとはいえ、本格的な忍者修行も受けていない子供達をつれて逃げる事を考えると、やはり追い忍は危険な存在だ。よしんば逃げ切り続けられたとしても、終らない逃亡生活が陣と凍矢にとってどれだけ大きい負担になることか。

 ただ逃げられればいいという、そんな単純な話ではない。自由でいられる安住の地で、家族揃って心穏やかに暮らせなければ意味が無いのだ。そのためには・・・・・・

 「雹針は、オラ達がこの任務から戻ったら・・・・・・近い内にデカい戦争が起きるって言ってただな」

 閃は人間界に来る前、彼らが請け負った潜入任務を思い出していた。

 「だからその前に、あいつを暗殺して里を出るべ」

 普段の能天気な言動や雰囲気はなりをひそめ、無数の死線をかいくぐってきた戦士の顔が現れる。同じ面差しになって頷いた飛鳥が、何度も四人で繰り返し確認してきた抜け人作戦の概要を誰にとはなしに呟いた。

 「魔忍の里は、雹針が絶対的な独裁者だかんな。あいつがいなくなったら、司令塔を失った他の忍者達は混乱して、一気に組織は崩壊だべ。その隙をついて人間界に行っちまえば、こっちのもんだ」

 「それを考えると、霊界が設けようとしている巨大結界は、むしろ好都合かもしれませんね」

 驚愕を飲み込み、すぐ落ち着きを取り戻した魅霜が、いつも通りのおっとりした口調で言った。

 「私達が人間界へ移った後に結界が張られたら、魔忍達も及び腰になるでしょう。結界を通り抜けられる程度の者達では、束になってかかってきても私達にかなうわけありませんもの」

 「ただ問題は・・・・・・雹針の強さがどれほどのものかという事だ。未だに、オレ達にとってさえ未知数だからな」

 涼矢が浅くため息をついた。

 雹針は暗殺者を引退して以降、戦線からは完全に撤退している。四強吹雪はもちろん、誰も彼が闘っているところを見た事がない。ただ、押さえても押さえても隠し切れない強大な妖気の片鱗が、導火線から立ち上る煙のように不吉な色で燻っているのだ。

 「一口に氷属性つっても、戦闘スタイルは千差万別だもんなぁ。あいつの場合、噂によると武器は氷の槍だっつーけど、それも鵜呑みにしていいもんかどうか、甚だあやしいべ」

 空中座禅さえする気になれないのか、座布団の上に直接あぐらをかいたまま、閃が頭をガシガシとかきむしった。

 「この際、雹針の妖力だの戦術などどうでもいい!」珍しく、涼矢が声を荒げた「何としてでも、どんな卑劣な手段を用いることになっても構わん。絶対に奴を倒す。凍矢を、我が息子を、あいつの後継者になどさせるものか!

 ぎり、と硬く握り締めた涼矢の手の中で、爪が食い込んだ。それを察して、魅霜が優しくその手に触れる。今にも泣き出しそうな、悲しげな顔で。

 雹針は独身で、当然子供もいない。後継者を定める際、己の支配力を色濃く保つために、自分と同じ属性の忍者を選ぼうとした彼が密かに白羽の矢を立てたのが、まだ幼い凍矢だった。四強吹雪と畏怖される涼矢と魅霜の血を引く子供なら、申し分ないと考えたのだろう。魔忍の里の更なる発展のために、理想的な血統に生まれた天才児。

 おそらく雹針は、涼矢と魅霜が恋仲になった時点で既にそのことを企んでいたはずだ。二人の婚姻をあっさり認めたのは、単に同属性婚だからというだけではない。いずれ生まれる子供に受け継がれる天賦の才に期待していたのだ。そしてそれは、的中した。産声と共に氷泪石を生み出すほどの潜在能力を持って誕生した凍矢。しかもその頃、閃と飛鳥の間にも彼らの遺伝子を受け継ぐもう一人の天才・陣が既に存在していた。

 涼矢らが四強吹雪として手を組み恐れられたように、いずれ二人の名も魔界を席巻するようになるだろう。その内の一人、しかも同属性の忍者を後継者にできたなら、雹針にとっては正に願ったり叶ったりと行った所か。

 「・・・・・・雹針に拾われて魔忍さなりたてだった頃は、恩人だと思ってたけんど、やっぱり魔界指折りの暗殺者だったことに変わりはねぇんだもんな」

 閃が低く呟いた。昔、修行時代には細かい点を気に止める事も、そんな余裕もなかった。しかし免許皆伝をへてさまざまな任務をこなし、名を上げ、雹針に近い地位に上り詰めれば上り詰めるほど、彼の中に潜む底知れぬ闇が見えてきた。

 容赦なく残忍で、底冷えがするほど冷徹で。

 それが決定打となったのは、まだ陣が産まれて間もない頃。某国のレジスタンス軍壊滅を命じられた時だった。

 某国国王側は、あくまでレジスタンスを始末できればそれでよかったそうだが、雹針は追加命令を出した。

 レジスタンス本人達だけでなく、関係者も全員殺せと。女も子供も情け容赦なく。

 『馬鹿正直に依頼された事だけ遂行すればいいというものではない。報復の芽も徹底的に摘んでおけ。あの国に新たな不穏分子が出現しないためにも、見せしめをかねた方が効果的だ』

 そのほんの数日前、風使い夫婦の第一子誕生を(事務的にだが)祝福したのと同じ口で、彼は赤ん坊ですら殺してしまえと当然の如く言い放ったのだ。

 当時その某国は、躯や雷禅には及ばないにせよ豊富な資源に恵まれ、財政も余りあるほど潤っていた。国王に気に入られ味方につければ、今後何かと有利だと雹針は踏んだのだろう。

 そしてその見せしめは、自分が束ねる魔忍達に対してもだったかもしれない。里を裏切れば、本人達だけでなくその家族も無事では済まさないという警告だったのだ。

 しかし雹針にとっては皮肉にも、この一件が四強吹雪に魔忍離脱を決意させる最大のきっかけとなってしまったのである。

 ちなみに閃達は結局、女子供はじめ戦意の無い者達まで手にかける事はできず、密かに見逃してその痕跡をもみ消していた。

 「あんな奴の下で、陣と凍矢まで飼い殺しだなんて絶対認めねぇだ」

 飛鳥が誓いを新たにした。

 元々戦災孤児だった彼らは、故郷や家族を奪われた悲劇が根深いトラウマになっている。年端も行かない内から、自らの意思ではなく命令によって、戦争の助太刀や暗殺任務に駆り出された事も、大いに影響していた。自分達が生み出した幼い命まで、陰惨な世界に捕われてしまうのはどうしても避けたかった。

 「二人を魔忍になんかさせねぇ。あの子達はもっと・・・・・・ここみたいな、光があふれてる自由な場所で生きてくべきだんだべ。オラ達みたく、血と闇にまみれちゃいけねぇ」

 「当然です」魅霜が頷いた「魔忍の掟に縛られるのは、私達自身がもううんざりしているのですから。それに何より、凍矢は私達の息子です。私があの子を産んだのは、雹針の後釜にするためなどではありません!

 魔忍の里に居ては、絶対に口にできない言葉。ひそやかな、でも悲痛な叫びが行灯の光をわずかに揺らした。

 再び重い沈黙が下りる中、閃が口火を切る。

 「ここにいる間に、雹針暗殺についても作戦を練ってまとめたほうがいいべな。里に戻ってからじゃ、どこで誰が聞き耳たててるかわかったもんじゃねぇしよ」

 魔忍の隠れ里には、密告制度がある。抜け忍を企んでいる者や、雹針への裏切り行為など、掟を破ろうとしているものを見つけ密告すればそれに応じた報酬が受けられるのだ。魔忍達は、お互いがお互いを監視し合っているのである。親兄弟であってもそれは例外ではない。それほどに徹底している。

 四強吹雪や、彼らと画魔のように信頼関係が結ばれる事は、実は非常に稀なのだ。

 

 

 翌日の早朝。まだ村人達がほとんど起きて来ない内に、閃、飛鳥、涼矢、魅霜は、忍び装束に身を包んで空高く飛び立っていった。眠い目をこすりつつ両親達を見送った陣と凍矢は、朝餉にも時間があるし二度寝しようかと寝床に戻ったのだが、この時掛け布団をかぶってまどろみながらも、陣がこう言った。

 「とーちゃん達の風、何だかいつもと違ったベ。はりつめてて、ちっと怖かっただ・・・・・・」

 

 同じ頃。村の南側にそびえる山の峠付近から、遠眼鏡を使って様子を伺っていた一団がいた。念のため簡単な結界を張り、妖気のありかを悟られないようにしていた妖怪達だった。

 村の上空へ四つの強大な妖気が飛翔し、自分達がいるのとは反対側の方角へ飛び去っていくのを確認して、一団のリーダーらしき妖怪が、牙をむき出しにして笑った。

 「よし、行ったぞ。こっちも準備に取り掛かるか」

 「それにしてもまさか本当に、半妖が暮らしてるとはいえ、こんなちっぽけなド田舎に四強吹雪が滞在するとはな」

 「だからこそ拠点に選んだんだろうよ。とにかく、辰の刻までに奴らのガキどもを連れていかねぇと、文字通りオレ達の首が飛んじまうぜ」

 この時、妖怪達の内の一人が村を見下ろしながら、ぐふふ、と気味の悪い声で笑った。

 「なぁなぁ、本当に呪氷使い夫婦のガキの方は、涙が氷泪石になるのか? 戻るまでに、一粒くらいくすねておけねぇかなぁ。もしかしたら、氷女のそれより高く売れるかも知れねぇんだろ?

 「やめとけやめとけ。抜け駆けがバレたら面倒だぞ。お前なんか、氷泪石を売っ払う前に他の奴に奪われて殺されるのが関の山だ。例えば、オレとかな」

 リーダー格に脅されたその妖怪は、血の気と一緒に笑いも引っ込めて肩をすくめ、大人しくなった。そして男達は、村を目指して下山し始める。

 徐々に日が昇り始め、太陽の輪郭が山間から覗く。村を染め上げる金色の光が、陣と凍矢が眠る寝室にも少しずつ入り込んでいった。眠りながらも、その眩しさにわずかに顔をしかめる二人だが、一歩一歩村に近付いてくる不穏な気配の集団にまでは気付くことはできなかった。

 

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