第二章・闇を統べる者
魔界忍者の隠れ里の、最奥にあたる地点に建てられ、まるで里全体を監視するかのような威圧感を放つのは、里長・雹針が住まう屋敷。里で一番広いのだが、余計な飾りつけは一切無く、実用性に重点を置いているのが伺える。しかしその屋敷は、対侵入者用の罠が肉眼では決して見破られないように仕掛けられている。里に住む忍者以外では、罠の存在に気付く間もないまま絶命するだろう。 屋敷の奥の間。ほの暗い照明に照らされたその部屋で、淡い青緑色の長衣を身に纏った雹針は、一段高い場所に腰を下ろし、肘掛に右腕をかけた状態で四強吹雪から任務報告を受けていた。里長への報告は直接なされなくてはならないという決まりなのだ。 片膝をついた体勢で返事を待つ閃達を前にした雹針は、左目の部分を眼帯で広く隠しているためか、抑揚の見受けられない表情でうむ、と頷いた。左肩にたらされている、一つに結った碧く長い髪が長衣を掠めてさらりと鳴った。 「大儀であった」 静かな低い声が、重々しく紡がれる。直接戦線に立つことが無い雹針は、忍び装束を纏わない。万一、戦闘状態を余儀なくされた場合でさえ、必要最低限の甲冑を装備するといわれている。いわれている、という表現になるのは、魔界忍者創設以来、誰一人として雹針の戦闘姿を目にしていないからだ。 「漣葉のクーデター計画と機密文書を理由に、近々雅淘国は蛾渇公国に宣戦布告するだろう。そうなったらお前達をはじめ、他の忍び達の多数動員を雅淘の王から依頼されると思われる。まぁ、早急というわけではないだろうが」 「そんじゃ、今夜はもう解散でかまわねぇだか?」 帰宅許可が下りるまで待ちきれないといわんばかりに、閃がうずうずしながら聞いた。 「その前に、次の任務についての説明を聞け」 氷属性というだけでなく、雹針の声音は常に低く冷たく空を穿つ。しかし、他の忍びや妖怪ならば、血潮が凍るほどの畏怖を覚えずにいられない魔忍最強の呪氷使いを前にして、閃はあからさまに憮然とした。 「ここ最近忙しすぎだべ〜。そろそろ休みくれってか、家族水入らずさせ・・・・・・あだだだ!」 魔忍の里ナンバー2の呼び声高い戦士の耳を、その妻・飛鳥がすかさずひっぱる。 「あんた! 早く家さ帰りてぇなら、だまって話聞くだよ」 「はやるな、閃」 飛鳥と挟み打つようにして、涼矢まで眉間にしわを寄せている。解放された耳を力なく下げ、子供のようにしょげてしまった閃を涼矢の隣から伺い見た魅霜が、苦笑を一つ零した。 彼らが再び静かに姿勢を正すのを見計らい、雹針は改めて口を開く。 「今度は、お前達には人間界に行ってもらう」 「人間界・・・・・・でございますか?」 魅霜がさすがに驚いて聞き返した。 魔界の闇に紛れて暗躍する自分達が、まさか違う次元の世界に派遣されるなどとは、夢にも思った事が無いからだ。 「今は、人間界の、日本という国が戦国時代だそうだ。小さな国だが、いくつもの藩に分かれて争っているらしい。もともと、戦の助っ人に妖怪の力を借りる連中は珍しくなかったが、最近はさらに頻繁らしくてな。中でも、ある藩が腕利きの陰陽師を多数雇い、強い妖怪達を召還させて妖怪軍団をつくりつつあるらしい。戦争勝利の切り札としてな」 「それじゃあ、助っ人どころの規模では収まらないじゃないですか。大体、危険が多すぎる」 思わず口を挟んだ涼矢に、雹針はもっともだと頷いた。 「戦力としては確かに申し分ないだろうが、おそらく人間を食料とする類の者も少なくない。そこまで細かく選別する程の能力を持った人間がいるとも思えん。しかしだ、勝利や目的達成のために手段を選ばない点は、人間も妖怪も変わらんというのもまた真理」 さらに続いた雹針の説明によると、妖怪軍団を結成しつつある藩と敵対する別の複数の藩が密かに同盟を組み、この妖怪軍団作戦を阻止せんとしているそうなのだ。しかし、すでに召還された妖怪達は三桁に届こうとしているため、奇襲をかけたとしても返り討ちにあうのが関の山。こちらも危険を覚悟で対抗する妖怪軍団を作ろうかという案も出たが、大勢の妖怪達が人間界で激闘を繰り広げては日本自体が滅亡するという事で却下。 そこで、同盟を組んだ藩主達の内の一人が、自らが抱える陰陽師と相談してある打開策を決定した。 それが、魔界忍者の召還である。 特に四強吹雪という少数精鋭なら、戦争を起こされる前に妖怪軍団を殲滅させられるというだけにとどまらず、隠密なだけあってこちら側の状況をもらさずに動いてくれるだろうという期待もできる。 「にしても里長、何だってわざわざ人間界からの依頼なんか受ける気になったんだべ? オラ達魔界の裏側でしか仕事したことねぇのに」 飛鳥の疑問は当然だ。人間界の戦争に助力した所で、魔忍に何のメリットがあるのだろう。 「この際だから、お前達には霊界の人間界に対する干渉度も調査してきてもらおうと思ってな」 もう一つの、違う次元の世界の名前が出てきて、四人はハッとなった。 「連中はしぶといほどに気が長い。まずは人間界を足がかりに、魔界への領土拡大を狙っているとの情報は、お前達も知っているだろう。果てしなく広く深いこの魔界が、おいそれと霊界の思うままになるとは考えられんが、万が一という事もある。連中に踏み荒されるような事態になったら、我ら魔忍にも悪影響が出よう」 そのための情報収集こそ、雹針の狙いだった。依頼をこなしながらも、迅速に調査できる人材といったらやはり、四強吹雪が最適なのだ。 「でも里長、それだと・・・・・・」 意見を述べようとした閃が、何かに気付いて言葉を区切った。飛鳥達も、同じ事を察している。 長い廊下を駆けてくる、小さな愛おしい二つの妖気。やがて二人ぶんのせわしない足音まで聞こえてきた。徐々に近付いてきたそれが襖の向こうに迫った来たと思った瞬間、力いっぱい開けられたそれが勢い余って反対側にぶつかり大きな音を立て、しかしさらに大きな元気のいい声が陽気な風を孕んで鳴り響いた。 「とーちゃんかーちゃん、お帰りだベー!!」 飛鳥譲りの赤毛が短い突風に煽られるまま、風使い夫婦の息子・陣が満面の笑顔で叫ぶと、その隣で呪氷使い夫婦の息子・凍矢が、慌てたように大人達に頭を下げた。 「ご無礼お許し下さい! 止めたんですけど無理でした」 その申し訳無さそうな表情と、陣に手を掴まれていることから見て、どうやら彼は強引に引っ張ってこられたらしかった。面差しこそ涼矢に似ているが、線が細くて色白な上に前髪が降りているために、一見少女のように可愛らしい。 戸惑う凍矢をさらにぐいぐい引っ張りながら、陣はとたとたと両親に近付く。閃をそのまま幼くしたような顔の、くりっとした大きい目がますます零れ落ちそうに見開かれていた。 「待ちくたびれただよ〜。早く家さ帰るべ!」 装束の裾をひっぱられてせがまれ、閃は苦笑しながらぽんぽんとなだめるように赤毛の頭を撫でた。 「へーへー、ただいま。留守番ご苦労だっただな」 「陣! こげな時間まで待ってねぇで先に寝ろって、何度言えばわかるだ。まーた断りも無く里長の屋敷さ入ってきたりして!」 遺伝と割り切りつつも、やはり子供の睡眠時間が削られるのは気になるらしい。仕方無さそうにため息をついて飛鳥が叱責しても、陣は平然と胸を張り、こう言い返した。 「だって、とーちゃんかーちゃん出迎えてお休み言わなきゃ、寝ようにも寝らんねぇだよ!」 「というかお前、いいかげん一言くらい謝れ!」 隣の凍矢がぶん、と音を立てる勢いで陣の手を振りほどき、改めて両親に一礼した。 「父上、母上、お帰りなさい。また騒がしくしてしまい、本当にすみません」 陣よりもさらに幼く小さな身体で、精一杯かしこまっている我が子に涼矢はもういい、と微笑んだ。 「気にするな。大体、事情は察知できる」 「今夜もずいぶん長いこと待たせてしまって、ごめんなさいね」 魅霜が、小さな手をとって笑いかける。 たしなめつつも、凍矢が陣を本気で止めずにここまで引きずられたという事は、彼の本音も同じだ。一刻も早く、自分の両親に会いたいという、ただそれだけの事。 「里長、今回も申し訳ありません。息子達に代わりオレ達も謝罪しますゆえ、子供のすることですしどうか大目にみてやってください」 涼矢が改めて向き直ると、雹針はさして気に止めていないかのように静かに頷いた。そしてそんな事より、とでも言いたげに閃に向かって問いかける。 「閃、お前何か聞こうとしていたんじゃないのか?」 「あ、そうだそうだ。次の任務で人間界さ行く件についてなんだけど、さすがに初めて行く世界だからオラ達でも勝手がわかんねぇし、しかも霊界の事も調べなきゃなんねぇんだべ? 長期出張になりそうだから、その間ずーっとチビども里に置いてくのどうかと思うんだけどよ」 その点に関しては、実は飛鳥も涼矢も魅霜も気にしていた。ただでさえ普段から息子達は、まだ半人前の化粧使い・画魔の世話になっているというのに、人間界滞在の間中ずっとまかせっきりというのはいくら何でも頼みにくい。しかも彼は免許皆伝の試験を間近に控えているので、今修行が疎かになるようなことがあっては将来に関わる。 「・・・・・・そうだな。確かに、今度ばかりはお前達でも長期戦になるだろう。わかった。特例として陣と凍矢も人間界に連れて行くことを許可する」 幼子達は、突然自分達の名前が里長の口から出てきた事にも驚いたが、その指示の内容に理解が追いつかず、少しの間お互いに、キョトンとした顔を見合わせた。 「・・・・・・人間界? オレ達がですか?」 「すっげー!! 違う世界さ行けるんだ! しかも、とーちゃんかーちゃんも一緒――!!」 文字通り、飛び跳ねついでにつむじ風を巻き起こした陣は、空中でくるっと一回転して着地すると、あっという間に頬を紅潮させた。 「なぁなぁ、人間界の空ってどんな色してんだべ? 飛んでみたら気持ちいいだかな? オラそれまでに、とーちゃんかーちゃんみたく長い間飛んでられるようになりたいっぺ!」 「陣、遊びに行くんじゃねぇんだぞ」 と、もう一度空中に浮かびかねない息子を押さえつけるかのように、飛鳥がその頭に手を置いた。 「大体、オメに長時間飛行はまだ早ぇって、母ちゃん前にも言ったべさ。無理して飛ぼうとすると風を制御できなくなっちまうだよ。そげに焦んなくても、陣は素質あっからそのうちすーぐ強くなれるベ」 注意はされたけど、最後に褒められたのが嬉しかったのか、陣は素直に「うん!」と笑顔で頷いた。 「この地図を、渡しておこう。まずはこの地点に注目するんだ」 袂から取り出した地図を広げ、赤い丸印を指差しながら雹針は二組の親子の視線をそこに集めた。 「この山間に位置する村は、人間と半妖が共存している。お前達のような純粋な妖怪の事も、抵抗無く受け入れられるだろう。ここを拠点にして、任務遂行を目指すといい」 「人間と半妖が共存・・・・・・」思わず、魅霜が繰り返した「ここならわざわざ普通の人里におりずとも、人間界の情報が集めやすそうですね」 「あぁ・・・・・・しかし、注意してほしい事がある。それは、人間界でもすでに――ごく一部ではあるが――氷泪石が至高の宝石として、すでに知られているのだ」 これを聞いて、特に呪氷使い一家がにわかに緊張した。 「確か、凍矢はその潜在能力の高さのため、生まれつき涙が氷泪石になるのだったな」 秘められた才能はあっても、現在の実力はたかが知れている。凍矢は今はあくまで小さな子供。戦闘の心得など持ってはいない。氷泪石を欲する輩にしてみれば、格好のターゲットというわけだ。 「幸い、氷女以外の氷属性妖怪でも、氷泪石を生み出せるという情報までは、人間界には無さそうだが・・・・・・ゆめゆめ用心することだ。決して、氷泪石の事は知れらないようにせよ。村の者達は基本協力的だろうが、いつ何時誰が、金に目がくらむかわからない」 「ご心配には及びません」涼矢が跪いた姿勢のまま、しかし堂々と言い返す「オレと魅霜の間に生まれた子です。幼くとも、そうやすやすと他者に涙を見せはしないでしょう」 「はい、オレなら大丈夫です! 父上と母上のお手を、煩わせはしません」 雹針にというより、両親に誓いを立てて、凍矢は精一杯胸を張ってみせる。大人びた言葉使いにそぐわない甲高い声が、それでもわずかに緊張を帯びているようだったが、それをはたき落さんばかりの勢いで、細い背中を陣の紅葉のような手が叩いた。 「何たってオラもいるべ! オラと凍矢はいずれとーちゃん達よりも強い忍びになるって決めてんだ。二人揃ってりゃどこの誰にも負けねぇだよ! 大人になったら躯でも黄泉でも雷禅でもどーんと来いだべ!!」 「・・・・・・本当に陣は、閃にそっくりだな」 「いんや〜里長、それほどでも〜」 「閃、今のは多分褒め言葉じゃ無さそうだぞ」 すかさず釘をさした涼矢の声にかぶさるように、新たな気配が大急ぎで迫ってくるのを一同は感じ取った。すべての罠を回避したとはいえ、足音を隠そうともしなかった幼子達に対し、その気配の主は物音一つ立てていない。 ややして、陣が開きっぱなしにしていた襖から、息せき切って画魔が飛び込んできた。 「も、申し訳ございませんでした! てっきり二人とも寝入ったかと思って、つい目を離した隙に!」 少年の面影をまだ色濃く残す若者は、謝罪すると同時に土下座した。律儀な彼に、まず魅霜が微笑みかけて顔を上げるよう促す。 「気にしなくていいんですよ。いつもいつも手を焼かせているのはこの子達の方でしょう? 画魔は、いつもよくやってくれていますから、そう恐縮しないでくださいな」 「いえ、オレの方こそ魅霜さん達から信頼されて任されているって言うのに、今回も抜け出されてしまって・・・・・・」 「その事だけんどよ」飛鳥が会話に加わった「オメさ、しばらく修行だけに集中できそうだべ。子供達の事は気にすんな」 もののついでとばかりに、飛鳥は人間界での任務とそれに陣と凍矢を同行させる事を、画魔に明かした。どの道、彼には速やかに連絡しなければならなかったのだ。 「そうですか、確かに今までで一番の遠征ですね。四強吹雪なら大丈夫だと思いますけど、どうかお気をつけて」 「おう、オメも免許皆伝がんばるだぞ!」 閃が激励すると、それに続くように雹針も口を開いた。 「画魔、まだここだけの話だが、化粧使い部隊の次期隊長はお前が推される事になるだろう」 「え・・・・・・オレが、ですか?!」 自分より年も実力も上の兄弟子達がいくらでもいると思っていた画魔は、思わぬ期待が自分にかけられていることを知って目を白黒させた。 「あぁ。私やお前の師匠の期待を、裏切ってはならぬぞ」 「は、はい! 必ずやご期待に応えます!」 跪いたまま深く礼をして、画魔は改めて気を引き締める。 「すんげぇなー、画魔のあんちゃん隊長さんになるんだべか?」 「感心が遅いぞ、陣。画魔の実力なら当然だ」 素直に目を丸くして喜ぶ陣と、大人びた口を聞きながらも我が事のように誇らしげな凍矢。どちらが年上だか判別に苦しむそれぞれの反応に、画魔は普段世話を焼かされることも忘れて、仕方無さそうに笑った。 「んじゃ、今度こそ今夜は解散でいいだな」やれやれとばかりに、閃が立ち上がる「とっとと帰るべさ。さすがに寝床が恋しいべ。人間界の地図は、とりあえずウチで預かっとくからよ、明日にでもまた詳しく打ち合わせすんベ」 「そうだな、それがいい。今回は旅支度も必要だろうから、綿密にしないとな。魅霜、凍矢、帰るぞ」 父に促され、ついて行こうとした凍矢はその前に、改めて雹針に向き直る。 「里長、今回も真に申し訳ありませんでした・・・・・・ほら、お前も!」 「あててて! えーっと里長、ごめんなさいだべ」 自分より小さな凍矢に頭を下げさせられ、陣はつんのめりそうになりながら何とか謝罪の言葉を口にする。 「・・・・・・陣、本当ならオメの方が兄ちゃんなんだぞ」 呆れ半分苦笑半分な飛鳥に対し、魅霜は微笑ましそうに眺めてから雹針に向かって自身も一礼した。 「それでは、失礼いたします。人間界行きの日取りが決まりましたら、改めて報告に参りますので、明日いっぱいお待ち下さいまし」 言葉少なに応えて、部下達とその息子達を見送った後・・・・・・彼らの気配が完全に遠ざかったのを見計らって、雹針は低く呟いた。 「・・・・・・凍矢、か。しばらく見ない内に、大きくなったな」 しかしながらその言葉の内に秘められているのは、部下の子供に対する親しみではなく、個人的な目論見に基づいての無感情な独り言であった。 凍矢。涼矢と魅霜の間に生まれ、その涙がすでに氷泪石となるほどの潜在能力を持つ子供。修行を重ね一人前の忍びになる頃には、陣も彼に負けないくらいの、もしくはそれ以上の実力者となっているはず。 いずれあの二人は、四強吹雪に取って代わる新たな精鋭となるだろう。
否、それだけではない。いつの日か必ず、凍矢の方は―――――
無意識の内に、雹針は眼帯に左手を触れていた。かつてある強敵に抉られて以来、今は空洞と化した眼窩。あれから何百年の月日が流れただろう。今はもう、自分が抱える忍び達の中にすら、かつてこの眼窩にはまっていたのが肉眼ではなく、全くの別のものだった事を知る者はいない。しかし現在に至ってもなお、あの瞬間を――焼け付くような激痛と、頬を滴り落ちた血潮の熱さがここに刻まれている。 暗殺者として生きていた頃の最後のターゲットに、最初の敗北を喫した。生き恥を忍んでまで生きながらえているのは、それに相応する理由があるからに他ならない。 「・・・・・・貴様の勝利も、我が敗北も、完全なものではないと思え」 あの日、ターゲットに残した警告を、雹針は呟くように繰り返す。 ――あやつは、私を覚えているだろうか。否、そんな事はどうでもいい。どの道、あんな過去はあやつの命で塗り替えられることとなるのだから。
魔忍の里といえど、さすがに寝静まっている時刻。閃と涼矢がランプで足元を照らし、飛鳥と魅霜はそれぞれの息子達の手を引いて帰路についていたがその途中で、彼らは里の分かれ道で画魔を見送ろうとしていた。 ちなみに、こういった家族の風景はこの里では珍しい。魔忍はその職業柄か戦死率が高いため、多くの子供達は親の顔も名前も覚えぬまま死別して、その後は『指導忍』と呼ばれる後進育成を専門とする忍びに弟子として引き取られる。画魔もそうだった。陣と凍矢くらいの年頃まで両親に育てられるケースは、僥倖といって差支えがない。 「今夜も、世話になったな。しばらく子守から解放されることだし、よりいっそう修行に励めよ。お前が同行してくれるようになったら、任務遂行も楽になりそうだ」 「もったいないお言葉です、オレなんかまだまだ若輩者だし、本当に隊長なんて務まるかどうか」 「だーいじょうぶだって! 涼矢が自分の嫁さんとチビ以外を、こんなわかりやすく褒めるなんざめったにねぇだぞ。もっと自信持つベ!」 「・・・・・・閃、一言余計だ」 涼矢がわずかに眉間にしわを寄せると、すかさず陣が「とーちゃんまた怒られたー」とはやし立てた。 「こら、オメも静かにするベ」 繋いだ手を軽く引っ張って、飛鳥がたしなめる。 「それじゃあ、今夜もお疲れ様でした。お休みなさい」 一礼して、画魔は自分の家に続く道へ一人踏み出す。「画魔のあんちゃん、おやすみだべ」「また明日な」と、幼い声達に振り返りながら答えて・・・・・・画魔はその視線を、魅霜で止める。 凍矢の手を優しく、だがしっかりと繋いだ彼女は、空いた手で涼矢の腕に触れ何やら話しかけている。言葉の内容までは聞こえないが、わずかに鼓膜を震わすその声は、雪が降り積もるかのように画魔の心を覆っていく。 夜闇の中浮かんだ魅霜の横顔は、幸福と愛情にほころんでいる。暗殺の名手と謡われているのが信じられないほど、普段の――基、夫と息子を前にした時の――彼女は、正しく聖母に見えた。 見つめていたのは、時間にしてわずか数秒。それでも贅沢だといわんばかりに、画魔はうつむくように視線を外した。 |