黒鵺が睨んだ通り、地下宝物庫の壁には隠し扉があった。もとは厳重な封印が施されていたのであろうが、年月のためかすっかりその力は風化してしまっていたため、ちょっと注意深く観察しただけでそれは発見され、あっけなく開かれた。幅が狭い上に天井も低く、黒鵺と痩傑はもちろん、女性にしては長身な棗まで背をかがめて進まなければならなかったが、幸いその隠し通路は短く、すぐに広い空間に出ることができた。

 77戦士全員に支給された、鈴木製のペンライトを各自がつけて、そこかしこをとりあえず照らしてみる。(持ち主の妖力を電力代わりに点灯する。光の強さも自由に調節可能。正式名称は『ダブルセブンソルジャーズ・ミラクルハイパーサポートライト』だが、製作者以外誰もこの名を使用しない)

 広い、といってもそれはあくまで彼らが通った隠し通路と比べたら、という程度だ。黒鵺や痩傑が腕を上に伸ばせば、余裕で天井に手が届く。正方形に切り取られたようなそこは、壁から壁までの距離が流石の歩幅でわずか10歩ほど。

 一応足の踏み場は残ってはいたが、その部屋には四隅を中心に、盗掘を免れた財宝が積み上げられていた。しかし。

 「・・・・・・何か、やけに埃っぽいわね」

 棗が小さく咳き込む横で、流石は注意深く装飾品らしきものをつまみあげながら、残念そうに肩を落とした。

 「ほとんどくすんだり錆びたりしてますよ〜。あたしみたいな素人でも、保存状態悪いってわかるくらいです」

 かつてはそれなりの処置が施されていたのかもしれないが、放置期間があまりにも長すぎたためか、その処置の有効期限を大幅に超えてしまったようだ。痩傑も思わずため息を零す。

 「残念だが、現代でも値打ちのあるようなお宝はなさそうだな」

 「いーや、他にも絶対何かある! 久々にオレの盗賊としての本能が、フル回転してんだ」

 諦めだしたチームメイト達に対し、黒鵺だけは目をらんらんと輝かせて張り切っている。後一歩で現役復帰しかねない勢いだ。

 「ただ、ちょっとばかし明かりが足りねぇな。全員もう一、いや二段階ほどペンライトの光強めてくれ」

 ここまできたらつきあってみようかと、流石達はとりあえず黒鵺の指示に従ってみた。まるで新品の蛍光灯を何本もいっぺんにつけたかのように、室内が煌々と照らされる。そのまぶしさに一瞬くらみかけた目をたてなおしても、特に気になる点は見受けられない。

 「ねぇ、やっぱり目ぼしいものなんか無いんじゃない?

 「甘いぜ、棗。この段階で諦めてるようじゃ、一人前の盗賊にゃなれねぇぞ」

 「・・・・・・・・・・・・・・・目指してないから」

 「隠そうとしてるモノを見つける事は、盗賊として基本中の基本だろ」

 「ちょっと、スルーしないでくれる?

 「たぶん、何言っても無駄っぽいですよ。今の黒鵺さん、完全に盗賊モードみたいだもの」

 見かねた流石が棗に耳打ちするのを尻目に、黒鵺は価値を失ったかつての財宝達をかき分け踏み越えて、四方を囲む壁を注意深く観察し、撫でさすり、 ドアのようにコンコンとノックしてみた。数回それを繰り返していたが、あるポイントで、そのノックの音がわずかに変化した。

 「ビンゴ!! この向こう、空洞になってる」

 流石達は知る由も無いが、そういって振り返った黒鵺の笑顔は、かつて蔵馬と共に魔界を駆け巡っていた稀代の名盗賊の頃と同じものだった。

 「おいおい、本当にお前の狙い通りか。大したものだな」

 盗賊の本能とやらに、痩傑が脱帽した。しかし、ふと不安を覚える。

 「二重に隠されていたからには、よっぽど珍しいものなんだろうが、やはりその中にあるやつも色々期限切れなんじゃないのか?

 「その判断は、現物見てからでも遅くねぇって。あらよっと!

 うきうきと壁の一部を、空洞に沿って的確に、だがあっさりと突き壊した黒鵺。すると、小さな小窓程度に空いたその空洞内部には、繊細で鮮やかな刺繍の施された布の袋が一つ、鎮座していた。

 「うっわー、黒鵺さんすごい! 本当に見つけちゃった! それ、中身は何入ってんですか?!

 色めきたつ流石をまぁ待て、と宥めつ、黒鵺はまず袋の方を調べ始めた。経過した年月に反して、それはほとんど傷んでいない。足元に転がる財宝とは雲泥の差だ。

 「この刺繍、妖具作成の時に昔よく使われてた特別性の糸だ。縫い方自体も、妖術を発動させるためのものになってるぞ。確かこの類は・・・・・・守護と維持。どうやらこの中身は、完璧に保存されてたらしい」

 「じゃあ、今度こそ価値あるお宝ってことね?

 棗も再びテンションが再浮上してきたようだ。

 期待をこめた仲間達の視線に見守られながら、黒鵺がおもむろに、何重にも固く結ばれていた袋の口部分の結い紐を、解き始める。

 果たして、その中身とは・・・・・・・・・

 

 

九浄と凱琉が、三流メロドラマのような二人の世界を現出させているのはこの際無視して、蔵馬と幽助は黒鵺から受け取った袋の中を覗き込み、その中身を確認してから、思わず互いの顔を見合わせてもう一度袋を覗き込んだ。

「・・・・・・何だ、これ?

 これ以上ないくらいシンプルに問いかける幽助に、黒鵺は悪戯っぽく微笑んでこう答えた。

 「ヘタな麻薬以上に楽しめる、特殊なお薬だよ」

 彼の言う通り、袋の底には人間界でも見られるような丸薬がいくつか入っていた。ただ、人間界のそれと違う点を上げるとするならば、その丸薬は黒と白の二色に、きっかり半分に分かれて染まっているのだ。まるで、オセロのように。

 「や、だから一体効果はどうなってんだっての!

 「幽助、薬の他に紙が入ってる。どうやら、取扱説明書のようだ」

 すばやくそれを取り出した蔵馬が広げて提示しかけるが、古い時代の魔界文字など幽助に読めるはずも無いと、書いてある内容にさっと目を通し、かいつまんで説明し始めた。

 「とどのつまり、これは本音が逆転する効果があるんだよ」

 「本音が逆転?!

 「そう。この説明書には、丸薬ができた経緯も簡単に記されているんだけど、当初は単なる自白剤を作ることが目的だったらしい。といっても、妖力値によっては免疫が強くて、ちょっとやそっとのものじゃ効かなかったりもするから、すべての妖怪に等しく効果の出る自白剤の研究というのは、本当に難しいものなんだよ。おそらく、鈴木でも不可能なんじゃないかな。当時も相当てこずったらしくて、やっと完成したと思ったら、当初の予定とは違う効果を持つ別の薬が完成してしまったというわけさ」

 「その違う効果ってのが、本音の逆転って事か」

 「あぁ、もっと厳密に言うなら、好意と悪意の逆転だ。そもそもこの神殿を拠点にしていた教祖は、内部からの裏切り者をチェックするためにこの薬を作らせたそうだからね。まぁ、最初の計画通りとはいかなかったまでも、効果の出方さえわかっていれば自白剤と同じ使い方できるわけだから、歴史の表舞台に登場しなかっただけで、世紀の大発明といっても差し支えないだろう」

 「なるほど、ようやく色々納得できたぜ。九浄があんな斜め上に暴走したのも、小兎をけなしてたのも、そういうわけだったってか」

 そういえば、黒鵺が本命だと公言してはばからない凱琉だけれど、元来彼はそうとう気が多い性質らしく、特に77戦士の中でも人気の高い戦士達に片っ端からモーションをかけているようで、先日幽助の店を訪れた九浄もその被害者の一人らしくかなり閉口していた。

 「効果の現れ方は、多少個人差があるみたいだけど、ややオーバーに現れるらしいよ」

 「・・・・・・ところでよぉ、さっきからずーっとネタバレ喋ってんのに、あいつら何で気付かねーんだ?

 幽助が顎で示した先、といってもすぐ間近で、凱琉と九浄は「ほほほ捕まえてごらんなさ〜い♪」「待てよ、このお転婆さんめvV」などと、ネジの外れたやり取りを交わしつつ緩い追いかけっこに夢中になっている。

 「二人の世界にいるからだろ」黒鵺が面白そうに眺めながら答えた「外野が最大ボリュームで話してたとしても、聞く耳持ちゃしねぇって。まぁ、効き目は長くてあと二、三時間って所だけどな」

 例の丸薬を見つけ出した彼らは、最初は九浄の自分達に対する反応を見ようとしていた。結界が解除される前に隙をついて、飲んだらどうなるかはもちろん伝えず強引にその口に放り込んだのだが、効果が本格的に現れる前に地上へ脱出できたのである。まさか凱琉が来ていたとは、彼らにとっても予想外だったというわけだ。

 「残念ながらアクセサリーとかじゃなかったけど、これって相当楽しいと思いません?

 流石がわくわくとしながら小首を傾げて見せた。

 「逆転して現れるとはいえ、誰かの誰かに対する内に秘めた想いが丸わかりなんですよ! 世紀の大発明ならなおのこと、他の人達でも検証してみなきゃ♪」

 「でも誰に飲ませるかは、慎重に選んだ方がいいかもね。数に限りがあるし、乱用すると魔界が大混乱に陥る可能性もあるから」

 とりあえず、次は誰にする? と、棗が一同を見回す。

 「そうさなぁ・・・・・・改めて考えるとなかなか思い浮かばんというか、誰がいいか迷ってしまう」

 こんな時でも妙に真面目な痩傑は、腕を組んで考え込み始めた。

 「・・・・・・皆、悪ノリしすぎじゃないか? 本気で使い続けるつもりかい?

 とうとう蔵馬が苦言を呈そうとしたが、「何言ってんだ、今更」と黒鵺に笑い飛ばされた。

 「副作用はねぇし、ほっときゃ自然に効き目は切れるんだし、これくらいの悪戯可愛いもんだろ。せっかくだから、お前も共犯になってくれよ」

 「共犯ってお前、簡単に言うけど」

 「オレ、のった!!!

 渋る蔵馬を押し切る勢いで、幽助が元気良く宣言した。

 「今月の出張ラーメン屋は、ちっと延期だ。救助活動のボーナス代わりと思って、便乗させてもらうぜ」

 「そうしろそうしろ、後で躯を味方につければ事後処理だって問題ねぇよ。あいつもこーいうの嫌いじゃないみたいだからさ」

 普通の財宝だったら、黙ってくすねようかともくろんでいたのだが、事情が変わってきた。先日、人格交換装置で散々遊びつくした躯は、そろそろ新たな「息抜き」を欲しているはずだ。

 「蔵馬だって、本当は結構好きだろ? 正直に言わなきゃ、お前に飲ませちまうぞ」

 「そんなことしたら、真っ先に自分が血祭りに上げられるってわかってる?

 まったく仕方ないなぁ、とため息をついて、蔵馬もついに降参した。

 

 そして後に残されたのは。毒々しいまでのピンクなオーラを撒き散らしつつ、お互いをハートマークな目で見つめあいながら、歯の浮きそうな愛の言葉を臆面もなく囁いたり叫んだりする、二人の妖怪達だった。

 

 

CASE1

 

 

 闘神よりも、鬼神の方が遥かに恐ろしく手がつけられないのかもしれない。

 絶体絶命の危機に瀕しているにもかかわらず、鈴木は頭の片隅で場違いに冷静な事を考えていた。いや、冷静というよりそれはむしろ逃避だった。

 落ち着け、本気で落ち着けオレ!! と、鈴木は必死で自身に言い聞かせる。壁に張り巡らせた鏡は8割がた無残にわれ落ち、床でも落下した薬品の瓶の一つが割れて、しゅうしゅうと白い煙を立ち上らせるその向こう。これまで積み重ねてきた実験の失敗を、遥かに上回る惨状が広がっていた。

 確かほんの数分前まで、自分はいつもの通りラボに篭り、諜報機関から依頼された新しい闇アイテムの試作品製作に没頭していたはずだ。はずだった。

 だがしかし、突然ラボのドアがすさまじい速度で吹っ飛び、その上それが偶然にも鈴木を直撃。まさかの不意打ちにくらくらする脳髄が回復するより先に、ドアの外れた無防備な出入り口から、禍々しい妖気で形成された髑髏の大群が雪崩れ込んできたのである。とっさにレインボーサイクロンを放って一匹残らず蹴散らしたが、今度はその髑髏達を放った張本人が、尋常ではない敵意と殺気を全身からほとばしらせて現れた。

 「ど、ど、どうしたっていうんだ死々若!

 彼との付き合いは、もちろん鈴木が一番長いのだが、今まで見てきた死々若丸の中でも、その凶悪さは正に桁違いだ。しかもそれが、何故か自分に向けられているという事実が、ますます鈴木を混乱させる。

 「ななな、何をそんなに怒ってる? オレ何かしたか?

 ここ最近は、死々若丸はじめ六人衆内での人体実験はしていないはずなので、正直鈴木には心当たりがない。ふと、今日遂行した任務で何か不手際でもやらかしたかと記憶を手繰ってみたが、それもありえない。第一、死々若丸だったら本当に鈴木に不手際があった場合、すぐその場で容赦なく指摘するだろう。時間を置いてから、それも奇襲をかけるなんて彼らしくない。

 「何か・・・・・・だと?

 久しぶりに角を生やし鬼状態になった死々若丸の鋭い牙の間から、地を這うような、まるで呪いでもかけているかのような声が紡がれる。魔哭鳴斬剣を構え、既に臨戦態勢だ。

 「もはや『何か』に限定するなど不可能。しいて言葉で表現するなら、貴様の存在そのものといった所か。オレはやっと気付いたのだ。鈴木と関わったその瞬間から、人生最大にして最悪の汚点が始まっていたのだとな!!

 「はいいいいい?!

 突拍子もない因縁に、憤慨する余裕さえ持てない。

 「トーナメントだの三竦みだの暗黒武術会だの、元はといえば全て貴様に巻き込まれたようなものだ! あんなくだらん面倒事を毎度毎度しょいこませおって! 今現在にしても、『六人衆』とかいうぬるい幼稚な馴れ合いの渦中に引っ張り込んだ挙句、子飼いの如き77戦士ときた。もう限界だ、反吐が出る、虫唾が走る!!

 「いやいやいやいやいや、今更何を言い出すんだ! 本当に一体何がどう、どこをアレしてこんな事になる?!

 こんがらがった思考回路を、さらに乱暴にひっくり返された鈴木は、とにかく死々若丸を落ち着かせ、なおかつ自分も落ち着こうと試みる。

 「と、とにかくだな死々若、せめていったん武器を置け。できたら角と牙もしまってくれ。そんな物騒なものちらつかせなくても、オレは逃げも隠れもしないから! それでえーと・・・・・・あぁそうだ、お前どうも不満がたまってるみたいだから、一つ一つ整理していこう。ひとまず話し合って解決策見出そうじゃないか!

 「話し合い・・・・・・だと?

 「そうとも! 人間界の言葉にだってあるだろう、『話せばわかる』と!

 「では鈴木、一つ聞く。お前が言ったその言葉、かつて某国の首相が自分を暗殺しようとした軍の青年将校らに対して言ったんだそうだ。その時青年将校は何と答えたと思う?

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まさか」

 死々若丸は、博識な鈴木なら当然正解を知っているとわかった上で質問した。質問の答えのみならず、その魂胆までも一瞬で悟った鈴木の顔色から、ますます血の気が失われていく。

 「答えは、『問答無用』だ!!

 「ぎゃあああああああああ!!!

 

 

 ドアこそ吹き飛んだものの、躯からの特別報酬(『エレクトリカル・トレード』参照)によって改築しただけあって、鈴木のラボは内部の(一方的な)激闘により少々亀裂が入ったりみしみしゆれたりしているものの、崩壊までは至らないようだった。

 窓の一つから中で展開している惨劇を高みの見物しつつ、まず流石が「意外〜」と、携帯ムービーを撮影しつつ呟いた。特殊強化ガラスのため、彼女達に被害は及ばないが、既にいくつもの亀裂が走っている。そろそろ限度だろうか。

 「死々若丸さんならてっきり、ベッタベタに甘くやさしくなるかと思ったのに。それこそ、さっきの九浄さんみたく」

 「普段のあいつが素直じゃないだけだよ。六人衆一のツンデレって言っても過言じゃないもん」

 流石の隣、懸垂状態の鈴駒が答える。

 「まぁ、今回はそのデレの部分が、とんでもない状態で発動してるけどね。とりあえず、鈴木なら死にゃしないっしょ」

 軽く言い放ったその左右の窓にはそれぞれ、幽助と黒鵺と蔵馬、そして棗と痩傑が張り付いていた。

「え〜と・・・・・・鈴木と関わった事が人生最大にして最悪の汚点っつー事は・・・・・・」

 「シンプルに訳すと、『お前に会えて良かった』って事になるよな」

 「六人衆や77戦士の一員である事にも、どうやら不満は無いらしいね。あべこべだけど、わかりやすいといえばわかりやすいな」

 確かに、検証のし甲斐がある薬だと、蔵馬もいよいよ楽しくなってきたらしい。棗は棗で、窓の向こうの光景から目を離さずに嬉々とした表情で鈴駒に声をかけた。

 「ねぇ鈴駒、他のメンツは? 陣か凍矢のどっちかでも、面白い事になりそうじゃない?

 「いやー、あの二人をこの実験に巻き込んだら、飲んでない方が可哀想だしやめとこうよ。大体、今あいつら買出しに行ってていないし」

 「鈴木ならいいのか・・・・・・」

 ついに見かねてツッコミを入れた痩傑だが、ハッとして携帯を開き現在時刻を確認した。

 「いかん! もう『魔性のくちづけ』OA時刻に間に合う、ギリギリの時間だ! 悪いが、オレはここで帰らせてもらう。流石、ここから先はオレにもムービーメール送ってくれ。後でチェックするから」

 「いいですよー、躯さんのとこに送信するついでだもの」

 実はこの『検証』を始める前に、躯に携帯電話で丸薬について報告していたのだ。多忙を極める大統領は、残念ながら直接参加は諦めたが、誰に丸薬を飲ませその結果どうなったのかをムービーメールで逐一送信するように命じていたのである。

 ちなみに、本来ならば直接なされなければならない任務遂行報告も、この日に限っては免除となった。

 「そんじゃさっそく、躯さんの携帯と魔界版you tubeに送信〜♪ 最終的に誰に対するのどんな『検証』がアクセス数トップになるのか楽しみだな〜」

 「・・・・・・確かこの丸薬、効き目が切れたらその間の記憶は消去されるんだったっけ」

残りが入っている刺繍入り袋を、棗は己の目線の高さに持ち上げ誰にとはなしに呟いた。

「本当なら後腐れ無いはずなのに、後世まで映像残っちゃうなんて、文明の利器ってのは罪な代物ねぇ」

 「とかいいながら、オメー顔がちょっと笑ってるじゃねーかよ」

 「効果がなくなった後の九浄がどうなるかの方が、よっぽど楽しみなんじゃない?

 幽助と鈴駒に畳み掛けられながらも、棗は「あらわかる?」と微笑むだけだ。

 「薬が切れる頃見計らって、あの場所に戻ろうと思ってるの。その際の九浄のリアクションは、もちろんムービーにとっておくからまかせといて!

 おそらく、旧知の仲間達でさえ見た事ないくらいの完璧な笑顔だ。

 「鈴駒、そういえば酎は? 陣と凍矢が買出しなのはわかったけど、彼もどこかに出かけてるのかい?

 もしも酎が丸薬を飲んだら、棗や仲間達のみならず酒も嫌いになるだろうか、と蔵馬は問いかけながら考えてみた。嗜好品にまで効果が及ぶかどうかはともかく。

 「あぁ、あいつね、孤光さんに呼び出されて旧大統領官邸に行ってるよ。酔っ払いとしての傾向が似たり寄ったりで、すっかり飲み友達になっちゃってさ。孤光さんと煙鬼のおっちゃんから、棗さんに関する昔話聞くのも目当てらしいけど」

 「・・・・・・今すぐにでも押しかけて、孤光に飲ませてみても面白そうね」

 「それ、煙鬼が泣くだけだろ。大体、どっちの効果がどんな風に出るのかわかりやすすぎるって」

 却下だな、と黒鵺がもっともらしい顔で首を横に振った。

 「むしろ、棗が飲んだ上で酎の前に出てったらいいじゃねえか 三年前から猛アプローチ受け続けて、本気でうんざりしてるのかまんざらでもないのか、ハッキリさせるいい機会だと思うぜ」

 「それこそ却下! 今回私は検証する側の立場なのよ。被験者側に回れだなんて無理!

 からかう黒鵺に対し、動揺を隠しながら彼の提案を拒否する棗を遮るように、流石が「あ!」と突然声を上げた。

 一同が向き直ると、彼女の携帯からメール着信を知らせる着メロが流れている。

 「躯さんからだわ。・・・・・・大統領命令と言うか、検証リクエストね、これは」

 「次誰に飲ませるか、あいつから指定してきたのかよ」

 相変わらずラボからは凄まじい轟音や怒号や悲鳴が響いてくるのだが、それは既に気にしていない幽助に、流石はうなずきながら答えた。

 「ちょっと遠出になるけど、こっちはこっちで興味深いわ。っていうかやっぱり躯さんって、目の付け所が違うわよね♪」

 液晶画面に映し出された簡潔な文章に、流石は一足先に心躍らせていた。

 

 

 CASE2

 

 

 天井まで届くほど高く積み上げられた書類の塔に、リズミカルにハンコを押しつつ奮闘していたコエンマの手が、こわばって静止した。

 「・・・・・・・・・今、何と言ったんじゃ? あやめ」

 真面目で仕事熱心で礼儀正しさにも定評のある霊界案内人・あやめが、彼女にしては珍しく事前アポも取らずにコエンマの書斎に来たのは確かに珍しい事ではあったが、その第一声はさらにさらにありえない言葉だった。

 「聞こえませんでしたか? お暇を頂きたいと申し上げたのです」

 絶対零度、そんな言葉がぴたりと当てはまるほど、あやめの端正な表情は冷ややかで苦々しい。まるで、グロテスクな害虫を見下ろしているかのような眼差しは、上司のはずのコエンマでさえ気押されるくらいの威圧感がある。

 「お暇を・・・・・・って、急にどうした? 体調でも優れんのか? じゃったら長期休暇届にくらい、ワシがいつでも判を押してやるぞ」

 「どうしたもこうしたもありません。確かに、このままこの職場に居続けたら、体調どころか頭までおかしくなりそうですが」

 言葉遣いこそ丁寧だが、さっきから嫌に冷たい上に棘がある。普段の物腰穏やかな口調はどこへやら。いくらなんでも、いつもと様子が違いすぎる。じわじわと忍び寄る、尋常でない雰囲気に気付いたコエンマは、ハンコをとりあえず脇において姿勢を正した。

「おぬし、本当に何があったんじゃ? 仕事で何かトラブルでもあったかそれとも、同僚との対人関係でもまずくなったか? 原因があるなら何なりと申せ」

 するとあやめは、まるでカウンターパンチのような即答を書斎に響かせた。

 「コエンマ様です」

 「・・・・・・・・・あ?

 言葉の意味を図りかねて、コエンマは思わず間の抜けた声を発してしまった。それを打ち消すかの如き厳しい語調が、堰を切ったようにあふれ出す。

 「私がお暇を頂きたくなった、いえ辞職したくなった原因は、全て貴方だと申し上げているのです! 何が悲しくていい年した成人女性の私が、おしゃぶりくわえた世間知らずのボンボンなんかのために貴重な時間を割かなければならないのか、全く理解できません。これ以上人生の無駄遣いはしたくないのです!!

 ・・・・・・・・・自分は居眠りして白昼夢でも見ているのか。それとも、仕事のし過ぎで幻聴でも聞こえ始めたのか。

 ぽかん、と開きかけた口からおしゃぶりが落ちそうになり、コエンマはハッと現実逃避をやめて我に返った。

 「と、と、突然何じゃ?! ワシは上司として、霊界を統べる者として、そこまで言われるほど落ち度があったのか?! そもそもこれはただのおしゃぶりではなく魔封環・・・・・・ってそれはおいといて! とにかくだなあやめ、ワシに何か不満があるのならせめてもう少し順序立てて」

 「気安く呼ばないで、汚らわしい! この私をこれ以上苛立たせようだなんて、何様のつもりなの?

 ついに、あやめの言葉から敬語すら消えた。今度こそ絶句したコエンマを見据えた彼女は、つかつか歩み寄ると腰に手を当て胸を張り、侮蔑と嫌悪を織り交ぜた眼差しをコエンマに突きつける。

 「霊界の統治者? それが何? そんな立場だけで私を従えられるとでも思った? 私があんたに忠誠誓うとでも思った? 味方になるとでも思った? はっ、勘違いも甚だしい上に図々しい。従属するべきは、むしろあんたの方でしょうが! この先の生涯を私の下で徹底的に磨り減らし、絶対服従を約束するのなら、手荒な真似だけは我慢してやってもいいけど。まずは手始めに・・・・・・」

 ここでいったんあやめは言葉を区切り、バン! とコエンマの仕事机に掌を激しく打ちつけた。弾みで崩れた書斎の山の向こう、茫然自失するしかない上司に、彼女は冷たい嘲笑を口の端に浮かべてとどめの一言を告げる。

 「跪いて、足をお舐め」

 

 

 「ちょいと、あれ性格まで逆転してやないかい?

 防犯カメラ映像越しに、あやめとコエンマのやり取りを見物していたぼたんが、苦笑いを零した。

 ここは、本来ならば24時間体制で担当者がローテーションを組んでいる、霊界のセキュリティルーム。しかしこの時間の担当者達は隣接する仮眠室に押し込められ、順番待ちの同僚らと共に安らかな眠りを享受している。その理由は、蔵馬による夢幻花の花粉。目覚めた時には、なぜ自分達が仮眠室に居るのかはもちろん、セキュリティルームを突然訪問してきた霊界案内人達や彼女達が連れてきた妖怪達に関する記憶を全て消失しているだろう。

 「ってか実は、あのあやめってねーちゃんがS入ってんじゃねーの? 国じゃなくて、そっち系の店の女王様っぽいし」

 幽助も映像から視線を動かさないまま、ぐひひ、といささか品の無い笑い方を披露する。

 「死々若丸とはまた違う系統の迫力があるよな。コエンマ涙目だぜ」

 「まぁ本来は、理想的な部下に恵まれてるって事なんだけど」

 黒鵺と蔵馬がそんなやり取りを交わす傍らで、ひなげしが不安そうに呟いた。

 「でも、これいつどんなタイミングでネタばらしするんですか? それにグルだとわかったら、あたしまた人間界に左遷されちゃうかも・・・・・・ふわ?!

 思わずひなげしの声が裏返った原因は、不意打ちで黒鵺に頭を撫でられたからだ。くしゃ、と軽くかき混ぜるようにされた勢いで見上げると、彼が安心させるような笑みを浮かべている。

 「心配すんな、躯が味方についてんだ。悪いようにはされねぇさ。何だったら、後でオレも一緒に頭下げてやるよ。ひなげしとぼたんは、オレらにそそのかされただけだってな」

 「だ、だだ、大丈夫です! ごご、ご心配には及びませんし、黒鵺さんのおててて、お手をわず、わずわ、いやわず、ら!(舌噛んだ) ・・・・・・煩わせは致しませんでゴザイマス!!

 かあああっと、一瞬で茹でダコ状態になったひなげしが、目を泳がせながらあたふたぎくしゃくと、派手に動揺する。しかし黒鵺の反応は、

 「あれ、そんなビビっちまった? やっぱ霊界遠征してまでの検証はやりすぎだったかな」

 と、この程度だ。駄目だこりゃ、と流石が色々な意味でため息をついた。

 「ひなちゃんってばあんなわかりやすいのに、どうして肝心の本人に伝わってないの?

 「あいつは昔から、モテるくせに女心には無頓着だったから」

 「こーいうの、人間界のことわざで『宝の持ち腐れ』って言うんだっけ?

 「おや、鈴駒ちゃん博識だねぇ」

 「しっかしまぁ、霊界まで巻き込むとは恐れ入ったわ。躯にその気は無いみたいだけど、やろうと思えば三界征服できるんじゃない?

 丸薬の残数を確認しながら、棗がしみじみと感心している。

 「ところで、次どうするの? 躯からはこれ以降リクエストはきてないみたいだけど」

 「あ! じゃあ人間界にしようぜ、人間界! オレいいカモ、じゃねぇや実験対象思い出しちゃった♪」

 明らかに何か企んでいるらしい幽助が、またしてもぐふふふ、と怪しい笑みを撒き散らした。

 「幽助、あんたまさか、雪菜ちゃんに飲ませて桑ちゃんへの反応見ようとしちゃいないだろうね?!

 こいつだったらそれくらいやりかねない、とぼたんはまなじりを吊り上げた。あのいたいけな氷女を巻き込んだともし彼女の兄にバレたら、きっといや確実に、躯のフォローやら何やらも強行突破して報復攻撃に出るだろう。

 「ブー、はずれ〜。あのコだとまた好意から悪意への逆転になっちまうだろ。そろそろもう一回、逆のパターン見てみたくねぇか?

 「逆ってつまり・・・・・・凱琉に対する九浄さんみたいな?

 確認してみたのは流石だった。防犯カメラの映像を、さらに携帯のムービーに録画していた彼女は、早速そのデータを躯の携帯に送る。既に立派な記録係と化していた。

 「おうよ、色々とバリエーション豊富な方が、躯も喜ぶだろ?

 さっさと行こうぜ、と幽助は善は急げとばかりに一同を半ば強引に促した。

 

 

それからおよそ三十分後。レンタルビデオ店にいた螢子の携帯電話が鳴り出した。手に取ろうとしていた、最新作のDVDケースを棚に戻し、バッグから携帯を取り出す。

「この着メロって事は・・・・・あ、やっぱり幽助。こんな時間にどうしたのかしら? 今日は魔界に出張してるはずなのに・・・・・・」

 首を傾げながら通話ボタンを押した螢子の耳に、やたらテンションの高い幽助の声が次元と電波を越えて響いた。

 

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