第十七章・螺旋の先、哀しみの終わり

 

 

 傀儡とされたテロリスト達よりも、纏った者を無限に防護する瘴気の鎧の方がずっと厄介だった。

 覆われていない頭部へ攻撃を切り替えたとたん、鎧がぐにゃりと変形してヘルメットのような形になる。まるっきり、かつての戸愚呂兄が得意としていた技巧そのものだ。

 「あとからあとから湧いてきやがって! てっきり捨て駒は使い切ってるかもとか思ってたのによ!

 自身を取り囲もうとしていた一団を、ショットガンで蹴散らして幽助が歯噛みした。

 「諜報機関でさえ把握しきれていなかった輩が、予想以上にいたというだけの事。数に物を言わせるのは、戦争の常套手段だ。残っていて不思議は無い」

 邪王炎殺剣を片手に、まだ余裕を見せながら飛影が口の端をあげる。

 「とはいえ、大将の首さえとれば、所詮は烏合の衆。・・・・・・道を開くぞ、手伝え」

 「! おうよ!!

 飛影の思惑に気付いた幽助が、人差し指に全神経を集中させる。飛影が右手を解放して、黒龍の召還を始める。巨大な妖力の波動が、大気を震わせる。

 「霊丸!!!

 「邪王炎殺黒龍波!!

 ドウッ!! と腹の底に響く咆哮をあげて、まずは幽助の霊丸が放たれる。その軌道に絡みつくようにして、黒龍が追いつく。両者の突き抜けた跡は大地が抉り取られ、テロリスト達を吹き飛ばし、一直線に要塞を狙う。入り口部分を粉砕しかねない勢いで激突したそれらはしかし、強固かつ柔軟な瘴気の壁と相殺するように弾け、消えた。しかし壁には、想定以上の妖力の塊を食らったためか、ぽっかりと内部に向けて穴が開いている。

 「今だ! 突っ込めーーーーー!!!

 幽助の雄叫びに、黒龍と霊丸が開いた道筋に、六人衆が反応した。上空で有翼種と戦っていた陣が、急降下して低空飛行で要塞へ急ぐ。彼が起こす追い風に押されるようにして、酎が、鈴駆が、死々若丸が、そして鈴木が走る。

 ぐぐ、と形状記憶のように元通り塞がろうとしている、要塞の壁にあいた穴。

 彼らを阻もうとテロリスト達が動くが、他の77戦士がそれらの注意をひきつけて援護する。

 間に合え。心の中で叫んだ陣が、一番乗りで穴を通過した。その直後、鈴駆達が追いかけるように飛び込む。

 そして瘴気の壁は、何事も無かったかのように塞がった。

 

 

 「結局、侵入できたのはオレ達だけか」

 再び閉ざされた壁を振り返り、死々若丸が誰にとはなしに呟いた。

 幽助の霊丸は打てる回数に限界があるし、飛影の黒龍波も気軽に放てる技ではない。77戦士全員が要塞に入るのは不可能だろう。

 「内部は通常の建造物と、さして変わらぬ印象を受けるが・・・・・・この静けさは、何だ」

 刀を構えたまま、油断無く辺りを見回す死々若丸だが、彼が怪しむ通り要塞の内側は不気味なほど静まり返っている。壁の高い位置にある窓から外界の明りは入ってくるのだが、音は完全に遮断されているらしく、ついさっきまで身を置いていた戦場が嘘のようだ。

 「瘴気の中、というより別空間にでも入った気分だぜ。オレ達の分以外の妖気も感じねぇが、雹針の野朗、本当にここに居やがるんだろうな?

 「この要塞は、テロリスト達が装備していた鎧よりも、さらに瘴気の密度が濃い。中に居る者の妖気をも遮断している可能性があるぞ」

 ごきごきと手の関節を鳴らす酎を振り返りつつ、鈴木は要塞の壁を擦り、顔を近づけてまじまじと観察しながらこたえた。

 「やっぱお約束通り、最上階でふんぞり返ってるのかな? 一応、地下が無いかどうか調べてみる?

 すたすたと前進しながら、鈴駆が仲間達を奥へ促そうとした、その瞬間。

 ゴゴゴゴゴ・・・・・・・・・・・・・

 それまでの静寂を打ち破るように、腹の底を揺さぶるような重低音が、四方八方から鳴り響いた。するとその音に合わせて、要塞の内部に変化が現れる。

 手前に見えていた階段がぐにゃりと解けるように床と同化し、新たな壁がそびえたつ。かと思えば、突き当たりだったはずの壁がぽっかりと口をあけ、さらに奥へと廊下が続き、曲がり角も増えた。

 「この要塞、中の造りが変わっちまうのけ!

 入った直後とはまるで違う建物のようになってしまった空間を、キョロキョロ見回しながら陣が声を上げる。

 「修復機能だけじゃねぇって事だか。こりゃあ、内部探索なんてやってる暇ねぇだぞ」

 「同時に、こちらに作戦を立てる余裕も与えないという事だろうな」

 死々若丸が眉間のしわを深く刻んだ。

 「むしろわかりやすいじゃん。考えるよりまず動くべし! ってね」

 生意気そうな笑みを浮かべて、鈴駆が足首を回して準備する。

 「よーっしゃ! まずは一番近い階段からどんどん上ってくだぞ!!

 威圧的な瘴気の壁に囲まれて、それを吹き飛ばすような勢いで、陣を中心に爽快な突風が吹き荒れた。

 

 

 一定時間がたつごとに変形を続ける要塞の中を、5人はわき目も振らずに前進した。時折大きく隆起する床が、倒れてくる壁が、彼らを何度も分断させようとしたが、それらをかろうじてかわし、誰一人欠けること無いまま。

 「おい、今、何階くらいだ?

 またしても上り階段を上りきったところで、酎が仲間達を振り返った。

 「先程、外観を見た限りでは大体78階くらいのように見えたが・・・・・・まさか階数まで変化してはいまいな?

 鈴木がわずかに不安を滲ませる。いつになったら、雹針の元へたどりつけるのか。陣と死々若丸はまだ本調子とは言い難い。これ以上時間をかけたくはなかった。

 「いや、ここだべ」

 陣の声が、ふいに重くなった。あどけなさの残る眼差しが、刃のように鋭く睨みつける先。フロアの最奥。一際大きな扉。閉ざされているはずのその隙間から、蒼白い冷気が這い出てきた。ゆるく波打つその様は、まるで手招きしているようにも見えた。

 「・・・・・・正面突破、やっちゃう?

 両手に魔妖妖を構え、重心を低くして、鈴駆が不敵な笑みを浮かべた。

 「正面も何も、この扉以外、どこから入れというのだ」

 死々若丸がすらりと魔哭鳴斬剣を抜いた。

 「もうどんな小細工だって、どんと来いだべ!!

 陣が拳に竜巻を纏った。赤い髪が炎のように煽られる、それ。びょおおお、と耳元で音が鳴る。それが、合図だった。

 「「「「「せーーーーーの!!!!!」」」」」

 5人分の攻撃妖力が、一瞬で混ざり合って爆発する。ごおん、と腹の底に響くような重低音が空気を揺るがせ、扉が砕かれる。崩れ落ちる瓦礫は、床に落下すると同時に溶けて変形し、同化してしまった。やはりこれも、瘴気によって形成されたものなのだ。

 「やはり、来たか」

 殺風景な広間の奥、雹針が立っていた。凍矢の核を閉じ込めたカプセルを、しっかりと抱えて。距離は離れているのに、その声はやけにはっきりと、間近に聞こえる気がする。

 「他の77戦士どもは、未だ我が兵士達にてこずっているようだがな。ここにはもう入れまい」

 「はん、てめぇなんざ、オレらだけで十分だぜ」

 酎が一歩前に進み出た。

 「いつまで大口を叩いていられるやら。我が復讐および制裁の完了と、三界征服の開始は目前だぞ。新たな妖術の生け贄には、まずお前達を使ってくれよう」

 「大口さ叩いてんのは、どっちだべ!

 陣の空色の双眸が、鋭い光を孕んで雹針を射抜く。

 「まずは凍矢の核を、あいつの命を、返してもらうだぞ!!

 びゅううっ、と陣の足元で風が渦を巻き、彼を押し上げる。鈴駆の帽子が煽られて飛んだが、彼はそんなこと気にせずに魔妖妖を構え直した。死々若丸がちゃき、と刀の鍔を鳴らす。酎と鈴木も再び臨戦態勢をとった。

 「凍矢の身体を奪還されたのは想定外だったが・・・・・・やはりこうして、最終決戦は本体で臨む方がいい。覇王眼の真髄を我が身をもって証明してやる」

 雹針の左目が、遠目でもはっきりとわかるくらい黄金色の輝きを放つ。禍々しいその光に呼ばれるようにして、広間の天井が、壁が、床が、どくりと波打った。かと思うと、突如として天井から空を斬って何かが降り注いでくる気配。

 目で見て確認するより早く、5人は反射で、各々別方向にかわした。受身を取りながら、一瞬前まで自分達が立っていた地点を振り返ると、黒く細長く、そして鋭利な矢のような形状のものが、まるで剣山のように床に突き立っていた。

 また床が波打ち、瘴気の矢は床に飲み込まれるようにして同化する。すると今度は、壁が変化した。

 にゅう、と大きな拳のような塊が浮き出たかと思うと、それは壁から離れ、弾丸のように四方八方から陣達を狙って撃ち放たれたではないか。

 「これはまさか・・・・・・この部屋全体が、武器と化している?!

 瘴気の塊を蹴り技で粉砕しながら、鈴木が驚愕を隠しきれないまま叫ぶ。天井からは、鞭のような形状に変化した瘴気が伸び、唸りを上げて跳ね回る。床からは、先端が鋭利に尖った杭が5人を貫かんと突出する。

 「だあああああ!! こん畜生! 邪魔なんだよ!!

 酎が苛立った怒声を放つ。無限に続く攻撃が、雹針への道を阻む最後の砦となった。少しでも前に進もうとするが、迫り来る武器をかいくぐり、迎撃するのが精一杯だった。回避する方向をいちいち選んではいられず、結果、5人は徐々に離されてしまっていた。

 「まずいぞ、孤立するな! 何とかもう一度固まれ!

 回避を最優先した死々若丸が、小鬼状態に変化して仲間達を誘導しようとするが、思うようにいかない。

 「ちょっと待ってよ、瘴気の塊でできた要塞がこんな風に変形するって事は・・・・・・中だけじゃなくて、外も?!

 新たな可能性に気付いた鈴駆の表情が、凍りついた。表では、多くの仲間達が今も戦っているはずだ。その中には、恋人の流石も含まれている。

 鈴駆の言葉を聞きながら、陣は言い尽くせない焦燥に襲われた。外にいる仲間達も、自分達と同様の苦戦を強いられているに違いない。無限に修正し、無限に襲い掛かってくる瘴気から生まれた武器。対してこちらは、時間がたてばたつほど妖力と体力を削られる一方だ。

 長期戦は、命取り。

 

 

 不穏な音が響き、要塞の外観が蠢く。最初にその異変に気付いたのは、黒鵺だった。前壁一面に、みるみるうちに鋭い突起が生えていく。

 「痩傑! 才蔵! 空中戦、しばらくまかせた!

 即座に、風を切って急降下しながら、黒鵺は味方の戦士達に「下がれ! 全員オレの後ろにいろ!」と叫ぶ。

 尋常ではない勢いに気圧されて、77戦士達は徐々に後退し、その先頭に黒鵺が滞空する。有翼種の敵と戦っていた痩傑達も同じように下がるのを見届けると、要塞の壁に生えた無数の突起がぽろりと離れ、まるで矢のように撃ち放たれた。大地を埋め尽くさんばかりの、膨大な数だ。瘴気の矢が迫りくる中、黒鵺が結界呪文を素早く詠唱する。

 「ここに築くは、守護なる盾。我らに仇なす全てを隔てよ。防護結界・零式!

 基本中の基本である、防護壁を作り上げる結界を、さらに強化、かつ巨大化させた改良版だ。瑠璃色の半透明の壁が、黒鵺を中心に放射状に広がり、ドーム状に77戦士はもちろん、白狼、そして百足を包み込む。

 そこへ、凄まじい勢いで瘴気の矢が降り注いだ。

 結界に弾かれると、金属音に似た鋭い音が反響する。

 「要塞の壁が、武器になるなんて・・・・・・」

 耳を塞ぎたくなるほどの大音響に顔をしかめながら、流石が呟いた。しかも矢は、一度弾かれても再び切っ先を結界に向け、何度でも凄まじい勢いで降ってくる。断続的に何度も、結界が瘴気の矢を弾き返す音が繰り返された。

 びりびりと、結界内部の空気が震える。その振動が、中にいる77戦士達の肌にも伝わる程に。

 「どこか、矢をかいくぐれそうな隙はないか?!

 蔵馬がぐるりと視線を巡らせた。

 「黒鵺の防護結界は、内部から外部に限って移動ができる。このまま立てこもっていても、こちらに勝ち目は無い。何とかして攻勢に転じないと」

 「そうは言っても・・・・・・」

 棗もまた、瑠璃色の壁を内側から見渡すが、瘴気の矢は結界を覆いつくすように降り注いでくる。一歩でも外に出たら、次の瞬間には蜂の巣だ。一度目の攻撃をどうにか凌いでも、無限に打たれる矢の雨をかいくぐって要塞に到達するなんて、どう考えても不可能である。

 みしり

 それまでとは違う、軋むような、悲鳴のような音がした。

 「まずい、結界がほころんじまう!

 黒鵺がとっさに音がした箇所に向かい、そこに両手を当てて、結界全体に妖気を送って補強した。

 「・・・・・・袋の鼠、か。ずいぶん大掛かりな鼠捕りだ」

 百足外部、頂点に立って全体の光景を見渡していた躯が、あくまで冷静に呟く。

 「このままではいずれ、黒鵺の妖力が尽き、結界が破られるというわけだな。もちろん、そうなるまで待つつもりなど毛頭無いが・・・・・・この窮地、どうしたものか」

 戸愚呂の生命を踏み台にした瘴気は、まるでそれ自体が新たな生き物にでもなったかのようだ。あの執拗な修復機能と、攻撃機能、これらをどうにか阻まなければ。

 「術者である雹針は、氷属性の妖怪だ」

 躯、というか百足の隣に、白狼が滞空する。

 「すなわち、この場に集められた瘴気は、氷属性の妖気によって操作されている。雹針以上、とまではいかなくとも、かなり高等の氷属性妖力をもってすれば、瘴気の能力を抑止する程度ならできるやもしれん」

 「つまり、お前なら可能という事か?

 「そう言いたいのは山々だが・・・・・・いかんせん、借り物の身体だ」

 本来はプーのものである翼を見やり、口惜しそうに表情を歪めながら、白狼はさらに続けた。

 「瘴気を抑止する程の妖気を、今の状態で発揮するのはかなり難しい。できたとしても、この霊界獣に大きな負担をかけてしまう。下手をすれば、主である浦飯幽助にも影響が」

 そこまで言って、不意に、不自然に、白狼の言葉が途切れた。怪訝に思った躯が「どうした」と声をかけても、彼は半ば呆然と前方を見つめたまま沈黙している。否、その眼差しが向いているのは、今この場の前方ではないようだった。

 掴みようの無い深遠。それが迫ってくるのに気がついたような。

 「これは・・・・・・しかし、何故」

 ようやく言葉を発したと思っても、それは躯に対する返答などではなく、要領を得ない。

 何か、白狼に異変が起きている。躯がそれを察知した時、空間全体にさらなる大音響が轟いた。瑠璃色の結界を破らんとして、ドス黒い瘴気の矢がさらに速度を上げたようだ。黒鵺が結界強化に懸命だが、彼一人の力で長いことこの巨大な結界を守りきることはできそうも無い。危機感ばかりが高まる。だが。

 77戦士達の耳に。身体の芯を震わせるような声が響いた。

 

 ウォオーーーーーン・・・・・・・・

 

 その伸びやかな遠吠えを、彼らは久しぶりに聞いた。戦士たちの間を駆け抜ける、キン、と冷えた空気。それを纏った白い獣。

 タン、と地を蹴って跳躍した通常形態の白狼が、空中で突然姿を消し、瘴気の矢が結界に突き刺さるその瞬間に合わせて、さらにその上空、矢の背後をとるように瞬間移動した。

 

 ウォオーーーーーン

 

 ほとばしる冷気が波打ち、全ての矢を包み込む。再度体勢を立て直そうとしていた瘴気の矢は、凍えるように震え、鈍り、静止して、一つまた一つと落下する。瑠璃色の結界を滑り落ちる。まるで雨だれのように。全ての矢が落ちたのを確認して、黒鵺が結界を解除する。

 「お前、白狼・・・・・・どうして急に本来の姿に戻った?

 地上に降りた彼に、白狼が戻る。通常形態とはいえ、その妖気はプーに憑依していたときとは比べ物にならないほど強い。そしてそのプーはといえば、百足の傍らで、「プー!」と元の姿で元気良く一声あげているではないか。「オメーいつのまに!」と幽助が驚いている。

 「プーも元通りかよ。一体何があったんだ」

 「完全形態にこそ届かぬが、我に本来の妖力が戻ったお陰だ。それを足がかりに憑依を解除し、具現化した」

 「本当か! でも、どうして急に・・・・・・」

 まだ解けぬ疑問に黒鵺が首をかしげ、だが彼はすぐに言葉を失った。他の77戦士達も同様に驚きのあまり一瞬絶句し、すぐにどよめきが広がっていく。

 白狼の側。寄り添うように降り立った、彼。この世で唯一、白狼に慕われ、守られる存在。

 

 

 「おい、全員生きてっかー?!

 威勢のいい酎の怒号が飛ぶ。攻撃仕様に転じた瘴気をかいくぐりながら、それぞれが力強く応える。しかしその位置はてんでばらばら。畳み掛けられる襲撃の狭間、お互いの姿が遠くなる。

 ただ一人、死々若丸だけは小鬼の姿と飛行能力を駆使して、仲間達の下を飛び回りつつ、なんとか全員合流させようと誘導に必死だった。

 「外の様子も気になるが、とにかく、この部屋自体の攻撃を何とかしなくてはな」

 壁から飛んできた矢を、ひょいひょいと回避しながら、死々若丸が鈴木に声をかける。

 「妖術には、多かれ少なかれ弱点というか、リスクがあると、ちらっと聞いた事がある。あいにく、最新式でかつ、ここまで大掛かりなものとなると見当もつかんがな」

 「では、この要塞に対しても、一矢報いる好機があるということか。術者である雹針本人以外で、それの元があればいいのだが・・・・・・」

 絶えず蠢き、次から次へとさまざまな武器に変化する天井や壁を見回し、死々若丸が思案顔になる。その時だった。部屋の奥で悠然と立っていたはずの雹針が、ふっと姿を消した。

 「しまった! 瞬間移動・・・・・・」

 5人が引き離された今、雹針が狙うのは誰か。考えなくても答えは明白だ。

 「陣!! 背後を取られるな!!

 とっさに鈴木が叫ぶ。部屋の中空で、風向きが変るのを感じた。

 「あっぶね!!

 大きく旋回しながら、陣が冷や汗をかく。ものの例えではなく、寒さを感じた。彼の背中を掠めた、氷の槍の切っ先。

 「直前に警告があったとはいえ、よくぞ避けられたものだな」

 雹針の左目が、黄金の光を放っている。やはりあれが、妖術の起動装置か。躯はかつて、空間を切り裂く能力で抉り取ったらしいが、自分はどうやってあの目を破壊すればいいのか。

 いや、目をどうにかするよりも、まず。

 「凍矢の核さ、とっとと返せ!!

 びゅうううっ、と風の勢いをいっそう強めて、陣は雹針に向かって急降下する。彼が抱えるカプセルに手を伸ばしたところで、またその姿が消失する。今度は、己の直感で真上からくると察知して、横に飛びのいた。

 ガンッ 

 一瞬前まで陣が居た位置に、脳天を狙っていた槍がまっすぐ突き立った。

 「戦闘においての勘の良さは、まさしく親譲りだな。まるで本能で動いているようだ」

 あっさりかわされたというのに、雹針はのんびりと笑みさえ浮かべている。よけられるのが想定内だったとでも、言わんばかりに。おそらく彼はまだ、本気を出していない。

 「・・・・・・雹針。一つ教えろ。絶対本当の事言え」

 纏う風の強度はそのままに、陣の意外なくらい静かな声が響く。

 「昔、戦死したとーちゃん達が魔忍の里さ帰って来た時、なしていきなり骨だけになってただ? 悠焔の街で、黒鵺に見せてもらった過去の映像と、結びつかねぇ・・・・・・なしてだ?!

 噛み付くような問いかけに、雹針はまるで、それを待っていたかのような嬉しそうな表情で応えた。

 「妖怪の死後、個人差はあれどしばらくは遺体に妖気が残る。加えて四強吹雪ならば、死体でも十分使い道がある」

 歌うような言葉が紡がれるにつれ、陣の心を虫唾が走るような不快感が侵食した。解明したい謎。だけど、聞いてはいけない気がする。その機微を手にとって品定めするかの如く、雹針は朗々と続けた。

 「風にしろ氷にしろ、自然界の属性を持つ。奴らの死体を媒介に、災害を操作する妖術を考案したまでの事! 魔忍の里に運び込ませたあの白骨は、当時の悠焔で戦死した赤の他人だ。元の主の妖気を消し、かわりに四強吹雪の妖気の一部を染み込ませただけに過ぎぬ」

 こんな事になる前。雹針の介入など、微塵も考えなかった頃。魔界各地に駆り出されて、抑止していた、異常災害。陣自ら、その風をもって止めてきた竜巻。あれらの出所は。

 「別属性の元で引き起こせる災害も含め、妖術が完成したのは覇王眼を取り戻した後だったがな。あの術の礎は、確かに四強吹雪だった。強くなったな、陣よ。父と母の死より生まれし竜巻を、自分の風が凌駕した気分はどうだ?

 もうこれ以上、雹針に踏み潰される場所などなかったはずの心のどこかが、声にならない悲鳴をあげた気がした。

 「てめぇ、徹底的に踏み台にしやがっただな!

 両親達の命。消えない喪失感。自分が流した涙。凍矢の氷泪石。一緒に悼んでくれた、画魔。何もかも。

 「殺す。地獄のどん底に魂が落ちて、二度と転生できなくなるまで、何度でもぶっ殺してやる!!!

 暴走した殺意が、そのまま陣が纏う風に反映される。制御不能の爆風が吹き荒れて、鈴木がまずい、と察した。感情の箍が外れた陣が、また捨て身になるかもしれない。雹針はそんな彼の性格を計算済みで、包み隠さずあんな話をしたのだろう。

 「陣、待て……!

 制止を試みるが、彼の声はびょおびょおと轟音を上げる風にかき消されてしまう。そしてその風の勢いをものともせずに、瘴気の矢が、鞭が飛んでくる。防がなくてはならないそれらに邪魔されて、陣に辿り着けない。

 完全に我を忘れた陣が、防御など考えず、ただ雹針を滅するだけのために特攻しようと体勢を変える。槍を構えた雹針が、てぐすね引いて自分の罠に抜け忍が堕ちる瞬間を待っている。

 「うぉおおおおおお!!

 病み上がりとは思えない怒号が、陣の喉から振り絞られた。そして、雹針を狙い急降下を始め―――――

 『陣』

 静かな、だけど風がかき鳴らす轟音も、陣の叫びもかいくぐって、彼の耳に届いた声があった。誰のそれよりも陣の耳に馴染んだ、涼やかでどこか厳しい声。荒ぶり燃え滾る心を、あるべき場所に引き戻してくれる、心地よい温度。

 『熱くなりすぎだ。自分で自分を制御できなくてどうする』

 陣が纏う風が、ひんやりとその気温を下げた。そして彼の目の前に、浮かんでいるのは―――――

 「……凍矢」

 夜叉のように豹変していた面差しが、夢でも見ているかのような、無垢なものに変る。そんな陣と同じ目線の位置に、懐かしい碧い瞳がある。凍矢もまた宙に浮き、固められた陣の拳を押さえるように、触れるか触れないかの所に手を伸ばしていた。

 『あぁ、オレだ。やっと会えたな』

 すい、と陣を促すように床へと下降する。よく見ると室内でも異変が起きていた。武器化していた瘴気が、いつの間にかことごとく凍結しているのだ。さまざまな形の氷柱が乱立する狭間、そこをかいくぐって、床に降り立った二人の下に、我先にと仲間達が駆け寄ってくる。

 「凍矢! ホントに凍矢なの?! いつカプセルから出てきたのさ!!

 「この野郎、美味しいタイミングで登場しやがって! ……うぉお?!

 泣き笑いの鈴駆より一足早く到着した酎が、激励とばかりに威勢良く凍矢の背中をはたこうとして、だけど盛大に空振り、その勢いのまま派手に転倒した。

 『悪いが、今のオレに実体は無いぞ。所謂、生霊と呼ばれる状態だ』

 「さ、先に言え・・・・・・! って、ん?  生霊?

 『ぼたんとひなげしのお陰だ。百足にあるオレの本体を媒介に、核から霊魂を切り離して召喚してくれた』

 「そ、そんな事になってたのか?!」鈴木が目を丸くする「一体、いつ? こっちにある核が入れられたカプセルには、特に変化は無かったはずだが」

 『これも瞬間移動の一種のようだ。霊魂に関しての技術は霊界の方が上だからな。他者に悟られないように呼び出すくらい、さほど難しくないらしい』

 「それでは、瘴気が凍結したのも、お前がやってくれたということか?

 青年姿に戻り、改めて室内を見回す死々若丸に、凍矢が静かに首を振って微笑む。

 『いや、これはオレの力じゃない。そもそも核が封印されている以上、まだ自由に妖気は使えないからな。だが、今度はオレの霊魂を媒介にして、彼の妖力を高めることはできる』

 「彼?

 聞き返す声にかぶさるようにして、またあの遠吠えが響く。冷厳なるその声を轟かせ、通常形態の白狼が出現した。

 「術者の意思が、霊体と共に顕現したおかげだ。完全形態にこそなれぬが、やっと我も役に立てる」

 「やっぱこっちの姿のがしっくりすんな〜。おめぇさんにゃ、足向けて寝られそうにねぇぜ」

 凍矢の代わりにと、酎が白狼の背中をバンバンはたいて、軽く睨まれた。心強い味方が一気に増えて、防戦一方だった雰囲気が一変した。実体こそ無いが、凍矢の声が、その存在が、自分達の力になっている気がする。

 『陣、遅くなってすまない』

 いつもは自分より下にあるはずの目線が、今はふわりと浮いて同じ位置にある。奪われ、失ったものが、壊された想い出が、帰ってきた気がした。彼と共に。

 「・・・・・・お帰りだべ、凍矢」

 ずっと、その一言を言いたくて足掻いてきた。

 まだ決着はついていないが、全員が心から安堵していた。これで、勝てる。鈴木が密かに確信する。ようやく、久しぶりに見ることができた。陣らしい、あどけなさが残る天真爛漫な笑顔を。

 

 奴にとっての白狼が、我にとっての覇王眼・・・・・・切り札、か。

 凍結された瘴気の一部に触れて、雹針は一人ごちた。どんなに妖術研究に没頭しても、何を会得しても、また新たに開発しても、あの狼だけは従えるどころか、辿り着くことすらできなかった。 

 黒龍と対を成す、極寒の専属召喚魔獣。氷属性の妖怪として頂点を極めるならば、必ず下僕にするべき、と、思っていた。

 しかし、結局それは叶う事無かった。再び手に入れた覇王眼をもってしても、白狼だけは呼び出せなかった。なのにあの魔獣は、未だ自分の手中に囚われている抜け忍のために、霊界獣に憑依までして寄り添い、ついには本来の姿で舞い戻った。

 一度交わされた契約は、白狼の命ある限り違えられることは無い。

 いつか、古文書で目にした一文が蘇る。

 「覇王眼でさえ、覆せぬというのか。躯をも凌駕する私が、三界を統べるにふさわしいこの私が、抜け忍ごときに劣るとでも?

 氷の槍を握る手に、力がこもる。妖気がほとばしり、槍はさらに長大に変形した。

 「瘴気を抑止しただけで、つけあがるとは笑止千万! 覇王眼ある限り、勝利は私のものだ!

 雹針の左目が、禍々しい黄金色の光を放つ。周囲が照らされ、そこだけ切り取ったように異様な空間が浮かんだ。凄まじく凶暴な妖気が、唸りを上げて膨張していく。

 「上等じゃん。あいつも、とうとう本気になったっぽいね」

 帽子をかぶりなおした鈴駆が、嗚咽を抑えた声で言った。嬉し泣きには、まだ早い。

 「やっぱ、あの左目をどうにかしなきゃ駄目かな?

 「今の雹針は、覇王眼に依存してるようなもんだべ。あれさえ潰せば、雹針本人を潰すのと変わんねぇだ。んだども……」

 上昇気流を使って浮きながら、陣は躊躇した。凍矢の核は、今も雹針が持っている。彼が生殺与奪を握っている。こちらの役者は勢揃いしたが、うかつに総攻撃はできない。核を盾にされたら、手も足も出せなくなるのだ。

 『焦るな。外も白狼のお陰で危機を脱したから、もうすぐ来る。忘れたか? まだ一人足りない』

 「外も……? あ!

 雹針に聞こえぬよう、低く潜めた凍矢の声に、陣が、ハッとなった。そうだ。もう一人、雹針と深い因縁を持っている仲間が居る。

 ビュオオオオオオオッ!!!

 突然、室内に猛烈な吹雪が吹き荒れた。武器化した瘴気を覆っていた凍結が粉砕され、その欠片さえ巻き込んで暴れ狂う。瘴気は解放されたが、雹針がすでに必要としていないためか、床に、天井に、そして壁に戻り、沈黙した。

 「血潮さえも凍てつくが良い」

 雹針の姿がフッ、と消え、そうかと思うとあらぬ方向に降って沸く。

 「貴様らも、白狼も、我が研究の踏み台にしてくれよう」

 部屋のあちこちに、消えては現れ消えては現れをくりかえし、雹針が次第に距離を詰めてくる。

 不規則な瞬間移動に、出現予測がつかない。陣達は互いの背中を守りあうようにして、部屋の四方八方に神経を張り巡らせる。

 「まずは、お前だ!

 陣の頭上に、凶悪な気配と底冷えのする冷気。見上げた視線の真上、彼の額寸前に槍の穂先が迫っている。その時、だった。

 キィイインッ!

 耳ではなく、脳髄に直接触れるような、鋭い音。雹針の間近で、空間が裂けようとする音。ほんのわずかな、刹那にも満たない間に雹針に到達する裂け目を、彼はまたしても瞬間移動でかわした。そしてまた、少し離れた地点に現れると、苦虫を噛み潰したような形相で、ぎりりと歯軋りを一つ。

 「躯……貴様か!

 部屋の入り口。ついに戦線復帰した女王が、凛として立っていた。

 「ようやく、本体と再会か……老けたな、雹針。妖術研究とやらは、ずいぶんと難儀だったとみえる」

 コツコツ、と静かな足音を響かせて、躯は進み出た。

 「そっか、瘴気の修復機能も駄目になって、そんで入ってこれたんだ! 他の皆はどうしてるの?

 鈴駆が目を丸くして尋ねると、躯は彼に向き直り、いつもの悠然とした面持ちで答えた。

 「テロリスト共も拘束できたんでな、その後でこの要塞を、完全包囲させた。オレの合図一つで、77戦士の総攻撃を始めることもできる。だが、その前に」

 すっと右手を構え、そこに妖気を集中させる。

 「部下の核を、返してもらおうか。ついでに、この右腕の雪辱も晴らしたい」

 「ほざけ! 紳士協定などと大義名分を隠れ蓑に、霊界におもねる軟弱者が! 死にぞこないの大統領などに、三界はおろか、魔界一つさえも支配する資格は無いっ」

 ぎらり、と覇王眼が光を放ち、雹針の妖気がさらに強大なものとなる。あの左目は、妖力の増幅装置のようなものらしいが、一体どこまで肥大化させることができるのだろう。

 「もし、無限に強くなり続けるんだとしても」

 毅然とした、陣の声。爽快な風が、彼を浮上させる。

 「そんなご大層なモン、オメの方こそ持ってる資格なんかねぇだ。覇王眼頼みしか脳が無ぇ、最低最悪の腐れ外道! オメなんかこれっぽっちも怖くねぇかんな!!

 呪いのように絡まってきた、忌まわしい鎖。自分と相棒を闇に繋ぎとめようとしてきたそれを、今度こそ断ち切る。否、解放するべきは自分達だけではない。

 『終わらせよう、陣。俺達それぞれの両親に課せられた、苦しみを』

 白狼を促して、凍矢も陣の隣に並ぶ。

 「そんじゃあ、トップバッター行っちゃうよーーー!!

 両手にデビルヨーヨーを構えて、まずは鈴駆が飛び出した。複数のヨーヨーを一気に撃ち放つ。途中、大きく方向を変えたそれらが、四方八方から雹針を取り囲んだ。

 「この程度!

 氷の槍を豪快に回転させて、雹針はデビルヨーヨーを一つ残らず叩き落す。だがそこへ、間髪居れずに死々若丸が飛び込んだ。

 「どこにも逃がさんぞ、怨呼転囚(おんこてんしゅう)(りん)!!

 おぞましい髑髏たちが、めいめい雄叫びを上げながら、雹針を中心に輪の形をとった。歌いながら笑いながら、ぐるぐる、ぐるぐると。

 「これも結界の類か? 私を捕らえたつもりとは、片腹痛い」

 嘲笑を浮かべながら、雹針は瞬間移動でいともたやすく輪の外へ転移する。しかし、髑髏の輪はその地点へと即座に移動して、再び雹針を囲うと、元の位置へと強制的に戻った。

 「怨呼転囚輪は、際限なく標的を追い続ける。何度でも、最初に設定した“的”へ貴様を引き戻す。どこへ転移しようとも無駄だ!

 「若造が、小癪な真似を……!!

 鈴駆がヨーヨーを乱発したのは、死々若丸の放つ技の発動を、雹針に気付かせないため。防御させないためだった。

 「さぁ撃て! オレが味方と認識している者の攻撃ならば、あの輪を透過する!!

 死々若丸が振り返りざま叫ぶと、待ってましたとばかりに酎が、手元にエネルギー弾を現出させる。一抱えほどあるそれを、渾身の力でもって投げ放った。

 「ううぉおおらああああああ!!

 腹の底から振り絞った絶叫とともに、弾が唸りを上げて飛んだ。そのすぐ後に、七色の光が追いすがり、背後から集中激突して加速させる。鈴木が撃ったレインボーサイクロンだ。

 「相乗効果により、命中確実! 実に美しい戦略だな」

 予想を超える速度で突進してくる、強大な波動を前に、雹針は氷の槍に妖気を結集させてそのど真ん中に突き立てる。冷気を孕んだ槍と、二人分の攻撃力が融合した妖力の塊が、互いを滅ぼさんと激しくせめぎあう。空間が軋んで悲鳴を上げる。

 「実験体になるべき分際で、こうも我に逆らうか。面白い! 地獄に勝る惨状を見せてくれるわ!」 

酎と鈴木が放った妖力の塊に、さらに深く槍を押しこんで、上に向かって縦回転させる。凄まじい轟音を上げて極彩色の攻撃波が、真上に方向を捻じ曲げられ、それに抵抗する力が雹針の妖気と拮抗し、相殺して弾け飛んだ。怨呼転囚輪も透過の許容量を超えたか、髑髏がいくつか散り消えた。弱体した輪に口の端を上げる雹針だったが、その一瞬の気の緩みを逃がさず、白金色に光る空間の裂け目が、いつの間にか彼の目前に迫っている。

 躯が、彼女も絶妙のタイミングを狙って撃っていたのだ。

 「おのれぇええええ!!

氷の槍を眼前にかざし、盾の形状に変化させる。ガリガリガリッ!! と白金色の裂け目が呪氷を削る、硬質な音がそこら中に反響する。

 青白い盾は、削られれば削られるほど、すぐさま厚みを増して雹針を守っていた。躯も負けじと右手に妖気を集中させ、雹針の元に飛ばした白金色の裂け目を前進させようと懸命だ。

 気が遠くなるほど長く感じられた拮抗は、崩れる時はあっけないほど簡単だった。呪氷の盾を削る音がふいに小さくなり、白金色の光もそれにつられるかのように弱まって、花火が消える瞬間のようにパンと軽い音を立てて散った。

 「私は無敵だ。覇王眼さえあれば!

 勝ち誇った黄金の瞳。そこに映るのは、きらきらと儚く消えようとしている白金色の火花。刹那ほどの煌きが宙に溶けようとしたその向こう。新たな光景が雹針の視界に飛び込んできた。

 「グオオオオオッ!!

 短距離瞬間移動を使い、一瞬で間合いを詰めた白狼だ。その傍らには、魔獣に力を分け与える凍矢が寄り添う。躯の攻撃を全力で防ぎ、わずかに雹針が気を緩めた空白。そこを狙って。

 空間の裂け目を退けたからこそ、盾の消耗は激しく、すぐには槍に変えられない。雹針が瞬間移動で逃げる余裕も、ほんの一瞬だが奪えるはず。

 迷いなく飛び掛った白狼が、牙を剥く。友の核が囚われた、カプセルを持つ左手めがけて。

 「なっ・・・・・・があ!

 気付いた時にはもう、雹針の左手は肘から先が食い千切られていた。白狼はそれをぶんとかるく振り、カプセルを解放させると、床に落ちる前に銜えて受け止めた。今度は、牙を立てないように優しく。そして、雹針の槍に貫かれる前に、再度、短距離瞬間移動を用いて仲間達の元へ戻った。

 「言っただろう。まずは部下の核を返してもらい、ついでに右手の報復だと」

 躯は最初から、あの一撃で雹針を無理に倒そうとは思っていなかった。それを実行したら、凍矢の核が巻き添えだ。

 「外道な研究で年食った代償は、物忘れか?

 「き、貴様・・・・・・!

 立て続けに不意を打たれ、かつての暗殺ターゲットからは嘲笑を浴びせられ、雹針の妖気がますます温度を下げる。ぼたぼたと、音を立てて血が滴る左腕も気にせずに、雹針は右手一本で再び槍を現出させて構え直す。が、頭上で異変が起きているのを察知した。

 見上げながら、雹針はやっと理解した。躯がわざわざ挑発してきた理由を。あの強かな女王が、無意味なことなどするはずなかったのだ。彼女はほんの数秒でもいいから、雹針の頭に血を上らせる必要があった。

 彼の頭上に迫る、果敢な突風から気をそらすために。

 竜巻を絡めた左右の手を、祈るように組み合わせている陣が、眼前まで迫っていた。迷いの無い澄んだ、けれど強靭な眼差し。その向こうに、透けて見える。かつてこの手で殺した、あの男の面影。いまわの際にさえ、子供達を守ると誓っていた風使い。

 

 奴はまだ、諦めていなかったのか

 

 雹針がその「真実」に気付くのと、陣の修羅錬風殺が彼の左目に直撃するのとは、ほぼ同時だった。

 

 

 ぱらぱら ぱらぱら

 最初はそんな、簡単に聞き逃してしまいそうな、小さな音が始まりだった。それは徐々に音量を増し、瘴気の要塞を取り囲んでいた77戦士全員の耳に、すぐ届くようになった。彼らが音の正体を探ろうとするより早く、難攻不落の要塞を形成していたはずの瘴気が、さながら砂上の楼閣のように外側から崩壊し始めた。

 「中の連中は?! 早く助けないと!

 焦った棗が思わず叫んだが、その語尾にかぶせるようにして、戦士達の携帯電話に躯からの緊急通信が入る。

 『こっちは問題ない。それよりも、本来の形状に戻った瘴気が、次元の裂け目に流れないようにしておけ。オレ達はこれから、白狼の短距離瞬間移動で脱出する』

 そして通話をきった直後、白狼の肩やら耳やら尻尾やらをめいめい掴んだ六人衆と躯が、戦士達の前に帰還した。安どの表情を浮かべた幽助が駆け寄る。

 「おー、無事だったか! ・・・・・・って、約一名力尽きてんな? 生きてんのかよ」

 病み上がりで修羅錬風殺を放った陣だけは、白狼の背中に腹ばいで乗ったまま、ぐったりしている。しかし意識ははっきりしているのか、「みくびんでねぇ」と目線だけ上げてきた。

 「陣がそんだけ疲れてるって事は、雹針にとどめさしたのはやっぱオメーか」

 「・・・・・・まぁな。んだども、それができたのは、皆のおかげだべ」

 雹針の集中力を削ぎ、凍矢の核を取り戻す。その段階が無ければ、不可能だった。要塞の外で、暴走するテロリスト達と戦ってくれた戦士達の存在も、必要だった。

 「皆で勝っただよ。それにな、技さ撃つ瞬間、とーちゃん達が一緒に居てくれたような気がしたんだべ」

 『あぁ……オレも、同じように感じた』

 わずかに地面から浮いた凍矢が、静かに微笑みながら頷いた。

 『両親達は敗北などしていなかった。あの人達の魂はずっと、戦い続けていたんだ』

 自分達は、雹針や魔忍の里からの呪縛に、ただ囚われていただけではなかった。ちゃんと、守られていた。

 「! 凍矢、姿が……」

 死々若丸が声を上げる。もともと半透明だった凍矢が、さらにその透明度を増して、今にもかき消えそうになっているではないか。

 『どうやら、そろそろ時間だな。本来、生霊は好ましくない存在だ。要塞が崩壊して、オレ達が脱出したのを確認したぼたんとひなげしが、オレを本体に呼び戻そうとしているんだろう。それまでという約束で、オレを生霊化させるという許可を、強引にコエンマからもぎ取ってきたらしい』

 先に事情を聞かされていた白狼が、核を保存しているカプセルを銜えたまま頷く。

 「ついでだ、陣。お前も一緒に行け。その分だと、また時雨の世話になる必要があるだろ?

 「ちょ、ついでって何だべ! 失礼な奴だべな〜」

 どうにか顔だけ上げて、鈴木に向かって唇を尖らせる陣の赤毛に、凍矢の手が重なる。きっと本来ならば、ねぎらうように撫でていたであろうその手の感触は、実際には無い。けれど、涼やかな心地良い体温を、その風を、陣は感じ取って嬉しそうに凍矢を見上げて笑う。

 『またな』

 「あとでな」

 仲間達に、近い再会を約束して、二人の元魔忍の少年達と白い魔獣が、いったん姿を消した。

 

 

エピローグ

 

 

 雹針によってかき集められていた瘴気は、77戦士や霊界から派遣された協力員達によって、二日とかからずに無害化された上で霧散した。

 そこからは、異常災害からの復興にようやく集中できる環境が整い、急ピッチで各地が再生し始めていた。77戦士達も班ごとに担当区域を振り当てられ、復興作業や治安維持に忙しく働いている。

 その中の一つ。地方都市・悠焔。ここにあるプロジェクトが発足しようとしいたのだが―――

 

 「えーっ! 断っちゃったってマジ?!

 仮設店舗で営業再開した食堂の中に、鈴駆の素っ頓狂な声が響き渡った。隣で、食前酒を煽っていた酎も、思わず手酌を止めてしまう。

 「おいおい、もったいねぇな。親父さんやお袋さんの活躍を称えてやる、絶好のチャンスじゃねぇのかよ」

 「いいんだべ、がっつり話し合って決めただよ。四強吹雪の慰霊碑は、この街にゃ建てねぇって。な、凍矢」

 ようやく本調子を取り戻して、77戦士の任務に戻った陣が、同じくやっと百足の医療カプセルから解放された凍矢を見やった。ちなみに、ドクター・イチガキによる核移植の手術跡は、時雨が無償で消してくれた。

 「あぁ、話自体はありがたかったが、両親達にとって、ここで命潰えたのは無念だったはずからな」

 彼らが味わった苦痛や悲哀は、息子である自分達が記憶し、語り継いでいけばいい。

 「そもそも慰霊碑なら、亡くなった住人達のだけでいいだろう。ここには新たに移り住む者達がくるのだから、その者達に悠焔という街の歴史を知ってもらうために」

 「ンだべな。それに、とーちゃんかーちゃん達は、魔忍の里さ捨てて、人間界に移住したがってたんだから、魔界に慰霊碑なんてやっぱ建てちゃなんねぇと思うんだべ」

 「なるほど、それもそうだな」鈴木がもっともらしく頷いた「しかし、お前達としてはやはり、両親達を弔いたいんじゃないのか? オレ達にできることがあるなら、手伝うぞ。何だったら、最新闇アイテムを提供しても構わん!

 「死者を冒涜する気か、この道化」

 ちゃき、と死々若丸が刀の鍔を鳴らした

 「ん〜、弔うっつってもよ、画魔みてぇに遺体は残ってねぇし、墓とかねぇのが普通になっちまってたかんなぁ」

 陣が困ったようにがりがりと後頭部をかきむしる。

 「だったら、慰霊碑同様、墓に固執することもあるまい」

 死々若丸が腕組みしながら、さらりと言った。

 「供養の形は一つとは限らぬ。魔忍の里と雹針が滅び、陣と凍矢が揃って生きているのなら、それ自体が既に供養ではないのか? 少なくとも、四強吹雪にとってこれ以上に喜ばしい事など考えられん……何だ?

 仲間達が驚いたような表情で自分を注目してくるのに気付き、死々若丸は眉間にしわを寄せた。

 「いやぁ……死々若丸のデレが今回の一件を境に、結構わかりやすくなったなぁと思って」

 「鈴駆の言う通りだぜ。今の動画に撮ってネットに流したら、おめぇさん、またさらにモテそうだな。何なら今からでも、テイク2いっとくか?

 「死々若……成長したな。苦労しつつも育てた甲斐があった!

 よよ、とわざとらしく感涙に咽んでみせる鈴木に、酎が便乗して「おいおい泣くなよ、親父さん」と肩を叩く。

 「誰が誰の父親だ?! 人が真面目に話してやったというのに、返す言葉がそれしか無いのか貴様ら!!

 「やめろ死々若丸、刀を抜くな! 角も出すな!

 「そうだべ! 他のお客さん達ビビっちまってるだよ」

 慌てて凍矢と陣がなだめすかし、何とか丸く治める。その状況を見計らってか、店員がおずおずと「お待たせしました〜」と引きつった営業スマイルで注文した品を運んでくる。

 「おっと、そろそろ点火しなくてはな」

 鈴木がテーブルに備え付けてある、IHコンロの電源を入れる。そこに乗せられた大きな土鍋の中のスープが熱せられ、ふつふつと沸き立ってきた。

 「じゃあまず、根菜系から入れよっか」

 鈴駆が、具材を並べた複数の皿の一枚を手にとる。

 「この鍋物チェーン店って、悠焔に初出店らしいね。今度、流石ちゃんと二人っきりで来ようかな」

 「へっ、マセガキが。ところでよ、陣と凍矢がずいぶんここ推してたが、お前らそんなに鍋物好きだったか? オレぁ酒が旨けりゃ別にどこでもいいから構わねぇけどよ」

 酎に話を振られて、陣と凍矢はふと顔を見合わせ、笑みを交わした。

 ダシの効いたスープの香り。立ち上る白い湯気。ともにそれらを囲む仲間達。まるで、家族の団欒のような。

 かつては、両親や画魔と分かち合った優しい空気。どんな力を得るにも勝る幸せ。ふとすれば素通りしがちな、こんな日常に、やっと帰ってきた。

 

「おう! ずーっと楽しみにしてただ!

 「右に同じく」

 

 忌まわしい螺旋を越えた先。新たに刻まれた哀しみもあったけれど、それすら受け入れられる。

 取り戻したかった景色に、辿り着いたから。

 

 

<終幕>

 

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