第五章・星の示す先
螢子からの第一報を聞いた時は、もしや黒鵺による襲撃かと全員が肝を潰したが、全貌を確かめたら正しく拍子抜けだった。 「まぁ無事だったならそれに越したこたぁねぇけどよ・・・・・・いくらなんでも二日酔いってオチはねぇだろ! よりにもよってこの非常時に!!」 リビングのソファで桑原が憮然とすれば、その横で静流が苦笑いしながら紫煙をくゆらせる。 「父さんが出張中で、部屋が空いてたのは不幸中の幸いかしらねぇ。まぁ、居たならいたで、あの人は気にしないだろうけどさ」 「でも私、本当に腰抜かしそうになっちゃった!」 螢子がまだ目を白黒させている。 「一瞬、死んじゃってるのかとさえ思ったのよ。血の気が引いたまま大の字に倒れてて、ぴくりともしないんだもの。それも、あんな場所で!」 大学の講義を終えて、桑原家へと急いでいた螢子は、近道しようとしていつもとは違うルートを辿ったのだ。人の出入りがなくなった、古い雑居ビルをぐるっと回っていくその道のりは、真昼間でも人通りが殆どない。これが夜だったらさすがに足を踏み入れないようなところだ。 前日に雨が降ったわけでもないのにじめじめとして、しかも薄暗い路地裏に入ってまもなく、螢子は前方に仰向けに倒れている霊界側捜査員を発見したのである。 最初、彼女はその捜査員を変わった服装をした普通の人間だと勘違いして、救急車を呼ぼうとしたのだが、本人が辛うじて意識を取り戻し、自分の状況を伝えてくれたので(この直後、再び昏睡してしまうのだが)思いとどまった。 「何にせよ、助けてあげられて良かったじゃないですか。最悪の場合、急性アルコール中毒だったりするかもしれませんもの」 雪菜が紅茶を一口すすった時、家長の寝室を借りて休息中の捜査員に酔い覚ましを処方した蔵馬が、リビングに戻ってきた。 「もう少し休めば、通常通り動けるようになると思いますよ。他の捜査員、特に不知火にはどうか内密に、って頼まれました」 「しょうがないねぇ。それにしても、男一人でそれも外で酒盛りとは、ずいぶん寂しい奴とみた」 眉間のしわを深くしてため息をつく幻海に、蔵馬は「それが・・・・・・」と、戸惑いがちに話し始めた。 「どうやら昨夜、彼の元に酎と鈴駒が現れたようなんです」 「あいつらが? そりゃまたどうして?」 「彼らも魔界側捜査員として動いてますからね、しかも夕べは・・・・・・実際に黒鵺本人が姿を現したわけですから、人間界警邏と緊急定時連絡を兼ねてるとかなんとか、言ってたらしいんですよ。すぐ先ほどの彼は酩酊状態になったようで、どんな会話をしたかは全く覚えてないみたいですけどね」 「じゃあもしかしなくても、酎に酒飲まされたということかい」 「ですね、間違いなく。どんな過程を経てそんな状況になったかは定かじゃないんですが、彼の酒盛りにつき合わされたと考えた方が正解でしょう」 あーあ、と桑原がソファの背もたれに寄りかかって天を仰いだ。 「だとすると、そいつ災難だったかもな。魔界の酒ってキツそうだし」 「でも、ちょっと不自然ね。魔界側の状況報告なんて、向こうに派遣されてる同僚にしてもらった方がよっぽど早いんじゃないの?」 静流が首をかしげると、蔵馬もその通りといわんばかりに頷いた。 「その捜査員本人も、最初は不可解に思ったらしいんですが、疑問を口にする間も無く鬼殺しの水割りを一気させられたようです。オレとしても、ひっかかりますね。念のため、後で酎と鈴駒に確認してみます」 「・・・・・・ひっかかるといえばさ」 黙って状況を見ていた黒呼が、重い口を開いた。 「夕べ遅く、忙しいって言うのに省吾が、どうしても胸騒ぎがするって急遽占いをしてくれたんだけど、それでさらに気になる結果が出ちゃって」 佐藤省吾が得意とするのは、顔相占いと手相占いなのだが、三界通しての未来が気にかかるという事もあり天上の星の動きを読む事によって、今回の件そのものがどんな結果を向くのかを見定めようとしたのだ。 「何せ対象がデカイもんだから、浮かぶキーワードも抽象的な表現になっちゃうんだけど・・・・・・彼の占いは外れたためしがないから、今回も無視できないと思う」 「聞こう。分かる限りでいいから、教えてくれ」 幻海に促された黒呼は、姿勢を正して呼吸を整えた。鋭い光が双眸に閃く。その横顔はまるで、重要な予言を告げる巫女のようだ。 「キーワードは、『石』『工場』『援護』『泉』そして、『崩壊』。以上の五つよ。・・・・・・検証は難しいけど」 「崩壊なんてずいぶん不吉だけど、それより工場って? 三界全部にそれくらいあるわよね。それとも、工場そのものじゃなくそこで作られてるものの方に、何か重要性があるのかしら?」 黒呼の読み上げたキーワードをメモに書き留めて、螢子がう〜ん、と考え込んだ。 「石・・・・・・ですか。天然石かそれとも宝石・・・・・・?」 何とはなしに氷女の少女が呟いたのを聞いたとたん、桑原は血相をかえる。 「ま、まさか、この石が意味するところは氷泪石?! 元盗賊の黒鵺なら狙ってもおかしくねぇお宝かも!!」 「ちょっとだまってな、そこの妖怪短絡思考男」 「んなけったいな名前の妖怪が、いてたまるかああああああ!!」 吐き捨てる姉に食って掛かる弟。その弟の方を蔵馬はすかさずなだめ、補足説明をしてやった。 「そもそも、黒鵺は氷泪石を盗もうと考える事さえしなかったよ。『女を泣かせる趣味は無い』とか何とか、カッコつけてたくらいだ」 『ついでに、子狐泣かせる趣味もねぇけどな』 そんな風に余計な一言をわざと付け加えては、ムキになる蔵馬の反応を見て楽しんでいたような男だった。 ・・・・・・嘘つき。 彼を責められるような立場じゃないとわかってはいても、蔵馬は思わずにいられない。 頼りにしていた唯一の友を失った時、子狐は涙も心も枯れるまで泣いたよ。ずっと泣いていたよ。その果てに乾ききった魂を、涙の代わりに血で潤して。 「蔵馬?」 現在の友の声に呼ばれ、回想に引きずられていた意識がやっと覚醒した。ベランダに面したガラスの引き戸から差し込んでくる、うららかな日の光がやけに眩しい。 「大丈夫かよ、オメー。オレが奴の名前だしたせいか?」 「いや、そうじゃない。そうじゃないんだよ」 気遣わしげな桑原の言葉を慌てて否定する。彼にそんな事を言わせてしまった事が、申し訳なかった。 「・・・・・・どうやらオレは、人間界に居ても昔の事ばかり思い出してしまうようだ」 こんな事ではいけないと、わかってはいるのだ。だけど、少しでも気を緩めると過去の思い出や、恐ろしい悪夢が甦ってきて、冷静な思考を妨げようとする。 答えを出さなければならないのに。どうせ逃げられはしないのに。
燦閃玉に関しての新情報は、間も無く幽助の元にも回された。煙鬼からの電話で説明された彼は、かつて雷禅の玉座があった部屋で疑問と驚愕丸出しで言った。 「バッタモンだぁ?! 何でだよ、飛影の邪眼潰すのが目的なら、徹底的にやりそうなもんじゃねぇか!」 『やっぱり、そんなまだるっこしい事するのは不自然だな。本物を盗むのは、黒鵺の腕前ならごく簡単らしいし・・・・・・』 「あんの野郎、マジで何狙ってやがる?」 『あ、それともう一つ。躯からの連絡の直後、今度は黄泉からだったんだが』 「黒鵺の動きはねぇのに、何か今日は慌しいな。んで、黄泉が何?」 深く考えずに先を促した幽助だったが、煙鬼が綴った言葉の内容に、彼はぎょっと目を見開いた。 『六人衆の誰とも、携帯が繋がらんそうだ。自宅にも、裏庭にある鈴木の研究所にも、誰かがいる気配さえ無いんだと。それにな、あいつらは昨日、明日――つまり今日――は六人でこなす任務があるとかなんとか言ってみたいで、ワシも酎と鈴駒からそういうような話は聞いたんだが黄泉はもちろん、誰もそんな指令は出しておらんのだよ』 そういえば、鈴木もそんなような事を言っていた。 『あいにく明日は、別任務があってな』 あの後訪問した癌陀羅で、陣と凍矢も言っていた。 『明日の事もあるし、至急帰ってくるように、だと』 『明日に向けて、体勢立て直さねぇとな』 彼らは何故、どこへ消えたのだろうか。霊界と魔界が手を組んで、三界指名手配犯を追っているこの時に。 慌しいというより、何かが迫ってくるようだ。無機質な音を立てて倒れるドミノに、追いたてられているような感覚。それも、気の進まない方向へ。
リビングはもちろん、寝室やバスルーム、天井裏に至るまで、執拗に調べたり写真を撮ったりする霊界の女性捜査員達を、流石はうんざりした眼差しで眺めていた。 聞こえよがしにため息をついて、サイドボードによりかかる。 「あのねぇ、どこをいくら探しても無駄だってば! 何度も言ってるでしょ、鈴駒くん達はここにはいないし来てもいないって!!」 ついさっき駆けつけたばかりの不知火が、これも何度か繰り返した質問をもう一度唇に乗せた。 「電話もメールもですか? 貴女は鈴駒殿と大変親しいとお聞きしましたが、本当に何の連絡も無いと?」 「無いわよ。な〜んもナシ、無い無い尽くし! ご期待に添えられなくてすいませんねぇ」 突然何人もの見知らぬ霊界人に、部屋中をひっくり返さんばかりの勢いで一方的に調べ上げられ、同じ質問を嫌というほど浴びせられ続けたせいだろうか。流石はつい喧嘩腰で、不知火を睨んだ。 このマンションの一室に、一週間ほど前まで友人とルームシェアして暮らしていた彼女だが、その友人は親の家業を手伝いたいと言って、故郷に帰ってしまったのだ。結果、新たな引越し先が見つかるまで、一人で住むには広すぎるスペースを持て余すこととなった。 かと思ったら、今度は霊界人でごった返しである。しかもベランダから大きな羽音まで響いてきたではないか。 驚く霊界人達の向こうに見えたのは、青い翼をいっぱいに広げた鳥。そしてその背中に乗っている、見知った顔。 「あれー、浦飯くん。どうしたの?」 幽助はひとまずプーをごくろうさん、とねぎらって地上に降りて待つよう指示してから、流石を振り返った。 「どうしたの、じゃねぇ! なんっで鈴駒達六人衆が雲隠れしちまってんだよ? あいつらの行き先に心当たりねぇか?!」 これを聞くと、流石は今度こそ本気で深く嘆息した。 「浦飯君まで質問攻め? あたしは何も知らないってば! そっちは初めて聞くんだろうけど、こっちはさっきから何回も何回も何回も、同じ答え返す羽目になってんのよ! とにかく、知らないものはし・ら・な・い!!」 「そのご様子だと、浦飯殿もあの六人から何も聞かされてないようですね。今、念のために人間界担当の特防隊員や捜査員達にも、彼らの捜索指令を出した所です。人間界に行ったのではないかという、推測の元に。その可能性は低いと思いますが、念のため」 不知火は眉間にしわを刻み、腕を組んでいた。 「あぁ、状況が全く読めねぇ。よりにもよってこんな時にどこ行っちまったんだか。しかもチーム単位で・・・・・・今日はまだ、黒鵺は何も動きがねぇけど」 少なくとも、表立ってはどこからも黒鵺に関する情報は入っていなかった。新たな犯行声明を記録した言玉が、またTV局に送られては来ないかと各局の監視体制もいっそう強化されたのだが、それらも空振りだ。 「その状況に関してですが、本当は浦飯殿も危惧しているのではないですか?」 幽助の真正面に進み出て、不知火は声のトーンを沈めた。 「黒鵺が飛影殿の邪眼を一時的とはいえど封じた、その翌日に六人衆が揃って姿を消すなんて、偶然とは思えないタイミングでしょう」 「・・・・・・何が言いてぇんだ」 「動機まではわかりません。が、おそらく彼らは黒鵺の言う計画に加担していると思われます。行方をくらましたのは、今正に黒鵺と行動を共にしているからかも」 電光石火の勢いで、幽助は不知火の胸倉を掴んでいた。その怒気を孕んだ妖気が立ち上り、流石と捜査員達ははち切れそうな緊迫感に固唾を呑む。 「蔵馬の次は・・・・・・あいつらまで疑う気か!? てめぇは、あと何人オレの仲間を共犯扱いしたら気が済むんだよ!!」 「では、貴方がここへ来た理由は何です?」 激昂露な幽助に対し、不知火は沈着な態度を崩さない。不気味な温度差。 「六人を怪しむからこそ、我々に現状確認したかったのではないのですか?」 「そうじゃねぇ! てめぇらの無駄な疑惑を否定するためだ! 陣達が、黒鵺に協力するわけ無いって!」 「しかし、この疑惑が事実なら、新たに解釈できることがあるんです。昨夜、浦飯殿と黒鵺が戦っていた時に死々若丸殿が加勢していましたね。あれは貴方に対してではなく、黒鵺に対してだったとは考えられませんか?」 「だ、だけど・・・・・・!」 思い返してみれば、不自然といえば不自然なタイミングだった。しかも攻撃は、結局黒鵺をかすりもしなかった。あれはかわされたのではなく、最初から当てる気が無かったということなのだろうか? 「まだあります、燦閃玉です。これは躯殿がおっしゃった事ですが、短期間とはいえ飛影殿クラスの邪眼を封じたあれは、偽物といえどかなり腕に覚えのある技術者が、製作に携わっているようだ、と。六人衆の中に一人いますね、凄腕の発明家が」 もしかするとあの燦閃玉は盗んできたものではなく、作らせたものではないのか。不知火はそう考えているのだ。・・・・・・しかし。 「いいかげんにしろ!!」 幽助は、とうとう堪忍袋の尾が切れたか、不知火を反対側の壁まで突き飛ばした。軽々と吹っ飛び壁に叩きつけられた上司を、女性捜査員達が慌てて助け起こす。 背中を強打して、苦しげに咳きこむ不知火を、幽助は烈火を宿した瞳で見据えた。 「さっきから聞いてりゃ、上から目線で言いたい放題言いやがって! どれもこれも不知火の推測じゃねぇか! そんなに自信があんならなぁ、証拠出してみろよ証拠をよ!」 昨日顔を直接合わせた六人衆の内の四人。鈴木と死々若丸。陣と凍矢。彼らの言動や行動に、自分達を、ましてや蔵馬を裏切ったり騙したりしているような様子は、全く無かった。特に陣は、あんなにも蔵馬を案じていたではないか。黒鵺との直接対決に難色を示していた理由も、そこにあるはずだ。 それに煙鬼も、六人衆を疑う事にためらっていた。彼は、六人と連絡が取れないことと、任務があると偽っていなくなってしまったこと・・・・・・事実を事実として教えてきただけだ。 「気に障ったのなら、申し訳ありません」 捜査員の一人に支えられて立ち上がり、不知火はあくまでも平常通りに話す。 「私とて、彼らが悪意を持って黒鵺に協力しているとまでは、思っていません。お忘れですか、我々は人質を取られているのですよ」 新たに不知火が言わんとしている事に感づいて、幽助はハッとした。 「黒鵺が、ぼたんとひなげしの命を盾にしてきたのだとあらば、彼らは逆らえないでしょう。あるいは、何か他に弱みを握られ脅迫された可能性もあります。黒鵺の情報収集力なら、十分できそうな事です。」 脅されている風にも見えなかったが、それでもさっきよりは、不知火の言い分に弱冠といえど説得力があるような気がした。 「蔵馬殿や貴方に直接接触を図っては、即我々に察知されると奴めも気付いたのでしょう。霊界のマークが比較的甘くてなおかつ、人質にも蔵馬殿にも繋がりのある六人衆に目をつけたと考えられます」 客観的に考えれば、その可能性を視野に入れるべきだろう。だが、幽助はあえて自分の判断のみに頼る事に決めた。ここに飛影がいたら、また嘲笑されるかもしれないが。 「もし仮に万が一、オメーの言う通りの事態になってたとしても、あの六人が黒鵺の言いなりになりっぱなしだとは思えねぇ。状況をひっくり返すために、知恵絞ってるはずだぜ。オレ達の敵になることだけは絶対に無ぇよ!!」 固く拳を握り締め、一瞬の怯みも見せずに不知火を睨み返す。 放出される妖気が、マンションに影響しないように抑える事で精一杯だった幽助と、彼から目を離す事はおろか、身じろぎさえもできない不知火をはじめとした霊界人達は、皆気付けなかった。 流石がさっきからずっと、不知火が叩きつけられた壁を、じいっと食い入るように見つめていた事に。
「そーいやオレ初めて来たんだけどよ、マジでもぬけのカラだな」 意外と、人間界で見られる一般住居と大して変らない六人衆邸内を見回しながら、桑原が呟くようにして言った。 「妖気の痕跡も残していない。・・・・・・足取りを追う事は不可能だね」 壁に触れさせた手をそのままに、蔵馬はなおも注意深くリビングを観察する。 「・・・・・・なぁ、もしかして黒呼さんが言ってたキーワードの内、『援護』ってのは、まさかこのことじゃねぇだろうな?」 「黒鵺に対する、六人衆を指していたと? 確かに、あてはまるかもね」 二人が魔界へ到着したのは、桑原家でのミーティング途中、幽助からの新たな報告を聞かされた後。幽助が煙鬼から電話を受けて、大体二時間くらい経過してからだった。通常だったら夕飯時だろう。一年中暗雲たちこめる魔界の空が、夜の侵食でさらに暗く重厚に感じられる。 不知火と一触即発状態になった直後の幽助が、霊界TVの画面越しでもわかるくらい殺気立っていたのを、蔵馬は思い出していた。 「一体、凍矢達に何があったっていうんだろう。今消息を絶つ事は、どうぞ疑って下さいって言うようなものだと、当然わかってるはず。それなのにこの状況になってるって事は・・・・・・」 あまり考えたくない事だが、やはり黒鵺が人質を利用したためだろうか。ただ、幽助も言っていた通り彼らが馬鹿正直に黒鵺の臣下に下るとは、蔵馬も思えなかった。 「もしも、隙を突いて黒鵺をとっつかまえようとしてるんなら、いっそあいつらに任せちまった方がよくねぇか? どんだけ黒鵺が強くたって、六対一なら絶対六人衆の方が有利だろ」 この際言うけどよ、と桑原は思い切って遠慮無しに口を開いた。 「オレはむしろ、蔵馬は今回の件から手ぇ引いた方がいいと思うぜ。ってかぶっちゃけ、痛々しくて見てらんねぇんだよ」 友人の精神状態が、昨夜と比べて落ち着いて見えても、回復しているようにはまったく見受けられなかった。正直、もうやめさせてやりたいくらいだ。 「・・・・・・ありがとう。桑原くんは優しいね」 その面差しに浮かんだのは微笑なのに、どうしてか泣き出しそうに見える。 「だけど、やっぱりオレは黒鵺と向き合わなきゃならない。キミや幽助達が許してくれても、他ならぬ黒鵺が許さないよ。・・・・・・多分、あいつが死んだ時からこれは決まっていたんだ」 運命という名の、どうしようもない筋書き。そこに自分と彼の名は、千年以上も前から刻まれていたのだ。この舞台は、降りられない。最後まで。 それでもなお桑原が何か言わなければと、あがき始めた瞬間、蔵馬の携帯が着信を告げた。黄泉だ。 『蔵馬、魔界に来ているのなら癌陀羅の宮殿まで来てくれ。黒鵺が昨夜、旧雷禅国から持ち出した古文書のリストを元に、妖駄が我が国の資料の中から、それらと同じジャンルのものを比較検証した結果、興味深い事がわかった』 最後に、黄泉はこう締めくくった。霊界人達には、悟られないように来て欲しいと。
宮殿に着いた二人は、まず妖駄の研究室へと通され、そこで黄泉にも出迎えられた。 「そちらの人間の方には、お初にお目にかかりますな。執事の妖駄にございます」 慇懃に頭を下げる小柄な老人と向かい合い、妖怪っていうより、宇宙人みたいだと思いながら、桑原は「あ、どうも。桑原和真っす」と一礼しておいた。 何冊もの古文書が広げられたまま、所狭しと机の上を敷き詰めているのが見えた。その内の一冊を何とはなしに手にとりながら、蔵馬は尋ねる。 「さっそくだが、興味深い事というのは? 黒鵺が何を調べようとしていたのか、その目的が判明したんだと思っていいのか?」 「あぁ、推測の域を出ないが、大体な。妖駄、詳細を頼む」 「はい。私が特に気になったのは、滅骸石(めつがいせき)という宝石についての資料です。黒鵺が盗んだ古文書の中にも、この滅骸石の記述が載ったものがあったようでしてな」 そう言って、妖駄は古文書の一冊を手に取った。 「滅骸石は、太古の魔界において大変法外な値段で取引されておりました。他に類を見ない美しさもさることながら、その硬度は人間界で言う所のダイヤモンドと比べて、ざっと千倍近かったとか」 「おいおい、そんなもんどうやって加工したんだよ?」 「今は廃れた高等妖術が駆使されていましたが、当然至難の業だったらしいですな。技術者はほんの一握り。その技術料さえあれば孫の代まで贅沢三昧できたと、伝えられております。魔界史上最高の宝石ですじゃ。その利益を巡って戦争も起こり、たった三十年の内に二つの国が滅亡しました」 妖駄は桑原の問いかけに答えながら、ぱらぱらと乾いた音と共に古文書のページをめくった。 「ところが、今から七千年ほど前にただでさえ少なかったとされる鉱脈が掘りつくされてしまい、原石はもちろん加工済みの装飾品類も、もはやどこにも残ってはおりません。私の世代からしても、遠い昔話です」 「ではなぜ、その滅骸石が怪しいと睨んだんだ?」 話の真意が見えず、蔵馬が怪訝そうな顔をした。 すると妖駄はある箇所でページをめくる手を止め、古文書の向きを変えて蔵馬に「どうぞ」と、差し出したのだ。 隣で桑原も覗き込んでみたが、魔界の古代文字なぞ当然読めるはずも無い。挿絵すらないので内容の推理もままならなかった。だがふと視線を上げると、古文書に記された文字を追う蔵馬の表情が、にわかに張り詰めてきたではないか。 「どうした、蔵馬。一体何て書いてあるんだ?」 「・・・・・・これによると、滅骸石は霊界人も採集していたそうだ。当時はまだ、亜空間に結界が張られていなかったため、霊界と魔界の行き来は可能だったからね。ただ・・・・・・」 「ただ、何だよ」 「覚えてる? 魔界の穴が空けられた時にコエンマが言ってただろう。霊界が管理してる魔界の土地は、ほんの一部だと」 「あぁ、地下ビルの一階、しかも半分だっけ? 今思えば本当ちっせぇよなぁ」 「だけど滅骸石の鉱脈があったのは、そこよりもっと深い階層なんだよ。霊界の管轄を遠く離れた地域にも関わらず、発掘部隊はそうとうな危険を賭して赴いたに違いない」 「魔界で国を賭けて奪い合うようなお宝だもんなぁ。そりゃー霊界も欲しがるだろ」 「でも、それはどうやら、アクセサリーにするためじゃなかったようなんだ」 「宝石なのに? じゃあ何でわざわざ、魔界遠征までして取りに来たってんだ?」 「霊界の加工技術は、魔界とは別方面に進化していた。滅骸石を、武器にしようと考えていたそうだよ」 宝石を武器に。にわかに繋がりにくいというか、その過程が想像つかないが、魔界が妖術で加工したように霊界も人間の想像を遥かに超えた特別な術を持っていたのだろう。 「ただ、魔界でも希少価値なだけあって、霊界の発掘部隊もそれほどの量を採れなかったらしい。武器にしてせいぜい一人分程度で、限界だったとされている」 「やっぱそう上手くいくもんじゃねぇんだな。んでも、その一人分の武器くらいは作ったんじゃねぇの? せっかく命がけで持ち帰ったんだから、そのままじゃもったいねぇよな」 「・・・・・・桑原くん。霊界は滅骸石でどんな武器を作ったと思う? 古文書にはそこまで書いてないんだけど」 「どんなって・・・・・・武器っつったらまず、剣とか、刀・・・・・・」 自分の言った言葉に驚いたように、桑原は思わず押し黙った。そして、ようやく事の重大さに気付き始める。 「な、なぁ、滅骸石ってどんな色してんのかは、書いてあるか?」 「青銀に輝いていたんだって」 「じゃあ・・・・・・蛇那杜栖は?」 「・・・・・・同じだよ」 まるで台本が読み上げられているかのような、決まりきった問答に聞こえた。 そして二人は同時に一つの事に思い当たる。佐藤省吾の占いにあったキーワードの一つ。『石』とは、他ならぬこの滅骸石のことだ、と。蛇那杜栖の原料とあらば、もう疑いようが無い。 「要するに蛇那杜栖は、魔界産の原料と霊界発の技術で作られたものだったんだ」 二人分の動揺をその耳で聞きながら、黄泉が言った。 「補足すると、滅骸石を加工して作られたアクセサリーは、単なる装飾品としてだけでなく、様々な呪術の媒介となる妖具としても重宝されていたんだそうだ。見た目の美しさにそぐわぬ名前がつけられたのは、そのせいらしい」 つまり石自体がすでに、不可思議な力を秘めていたということになる。加えて、霊魂に関しては当然魔界より霊界の方が詳しい。両者の融合によって、魂を切り裂く武器が誕生したのだ。 「だけど、滅骸石の鉱脈はすでに掘りつくされたんだろ? 黒鵺は今更、無くなっちまった宝石について何を知ろうとしてるってんだ」 「多分、旧雷禅国に保管されていた古文書の方に、ここには書いてない滅骸石についての詳細が記されているんだと思う。国家としては向こうが古いから、狙いを絞ったんだろう。もちろん、その詳細が何なのかは見当つかないが・・・・・・」 桑原の疑問に答えながら、黄泉は腕組みして、軽く眉間にしわを寄せた。 「黒鵺が何のために蛇那杜栖について調査してるのか、もちろんこの研究からはうかがい知る事はできない」 だが、と黄泉は続けた。 「蛇那杜栖、または滅骸石の性質には、我々や霊界人も知りえなかった、もしくは記憶から風化してしまった側面があるのだろうな。そしてその側面は、黒鵺の計画にも深く関わっている。確実に」 「・・・・・・一体、何をどうするつもりなんだろう。明日の午後には飛影の邪眼も完治して、また不利な状況になるっていうのに」 蔵馬の口ぶりは思わず黒鵺を案ずるような響きになっていたが、誰もそれを非難しないままそ知らぬ顔をした。 そりゃ、心配なのは当然だよな。と、桑原も至極あっさり納得する。 「それはそうと蔵馬、お前も六人衆とは連絡つかずじまいか?」 「あぁ、まったく。しかも案の定、霊界から疑われてるようだ」 「やはりな。ちなみに今後に関してだが、お前と・・・・・・桑原といったか、移動ばかりで悪いが、今日この後は百足で待機しててくれ。浦飯にも向かってもらうことになっている」 「百足?」 「これは不知火側からの要望なのだが、黒鵺が援軍を得てしまった以上、さらなる脅威となるから、各地に戦力を集めて新たにチーム編成する必要があるのだと。もっとも機動力が期待される百足には、あの邪眼師がいる。躯曰く、あやつはお前達以外では、とてもじゃないが集団行動などとれそうにない、だそうだ」 これを聞いて、あからさまに首を傾げたのは桑原だった。 「や、オレらがいても個人プレーしかできなさそうだぜ、あのチビはよ」 「どの道、邪眼が完治するまでフォローは必要らしい。機能麻痺の影響が邪王炎殺拳にも出たようでな、少なくとも黒龍波は打てそうに無い、とのことだった」 確かにあれは、万全な体調でないと繰り出せない大技である。 「第一、燦閃玉の一件からしても、黒鵺が明日の午後までに何か大きな事を起こす可能性は、十分にある。事件解決のためとはいえ、霊界の言うなりは躯もオレも当然気に食わんが、連中が提案した戦力配置には首を縦に振るしかない」 「ただでさえここまでは、全て黒鵺の思惑通りに状況が動いております。このまま奴の計画がさらに進んでしまったら・・・・・・蛇那杜栖がその手に握られている限りは、大統領夫妻はじめ、黄泉様や修羅様、むろん貴方がたも無事ではすみますまい」 「・・・・・・わかってる。とにかく、オレ達は百足に行くとしよう。黒鵺や六人衆の事で、もしも何かわかったことがあったら、すぐに連絡してくれ」 黄泉と妖駄に念を押す蔵馬の脳裏に、かつて彼が自身の目で見た黒鵺と言玉で見た黒鵺が、かわるがわる浮かんで消えた。ふと窓に目をやると、すっかり夜の帳がおりている。 この夜が明けたら、長い一日が始まりそうな予感がした。
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