第二章・非情な決定打
不知火が大統領官邸で霊界の危機を伝えてから間も無く、魔界の全TV局が一斉に放送を一時中断し、臨時ニュースを流した。 霊界が襲撃された事。閻魔大王と息子コエンマ、霊界特防隊隊長及び隊員が瀕死状態に陥った事。宝剣・蛇那杜栖が奪取され、霊界案内人二名が拉致された事。そしてそれらの犯行を行った犯人が、かつて稀代の名盗賊と畏怖されながら、魔界の歴史の闇に消えた『瑠璃結界の黒鵺』である事。彼が大統領以下、トーナメント有力選手達の抹消と魔界征服を目論んでいる恐れがあることと、三界指名手配犯に認定された事。黒鵺の身柄確保や案内人達の救助に直接繋がる協力や情報を提供した妖怪には、望むだけの報奨金を魔界の通貨に両替した上で全額一括に支払われる事。 これら全てが怒涛の勢いで報道されたのだ。 生前の黒鵺の活躍をリアルタイムで知っている者達も少なくないため、よりこの事件は魔界史上にとっても初といえる程に、妖怪達を驚嘆させた。 指名手配用として霊界側から提供された黒鵺の顔写真と全身写真はもちろん、ぼたんとひなげしのそれも電波に乗り、妖狐蔵馬との関連も取り沙汰され、さまざまな情報の濁流が魔界全土を覆いつくしたのである。
明けて翌日。 幽助は魔界で朝一に発行された号外新聞を持って桑原家を訪れていた。 「覚えのあるツラと名前だと思ったら、今度は本物かよ」 桑原は魔界の文字など当然読めないが、幽助からの説明とトップを大きく占めている黒鵺の手配写真だけで十分だった。確かにかつて、冥界と戦った時に現れ蔵馬を姦計にはめようとしたあの妖怪と、同じ姿をしている。 「それに黒鵺って、思った以上に有名人だったんだな。今頃、魔界はごった返し状態だろ?」 「まぁな。どこもかしこも緊急特別番組だったぜ」 明るい日の差し込む桑原家の広々としたリビングにいても、魔界を陥れんとする混沌が背後で漂ってる気がしてならない。この家で飼われている愛猫達の内の一匹が、自分の膝でうたた寝しているのをそのままに、幽助は大きく深くため息をついた。 「ここ来る前にオヤジの国にも寄って初めて知ったんだけどよ、黒鵺ってガキの頃からそれなりに名の知れた少年盗賊だったらしいんだ。でも本格的に有名になり始めたのは、やっぱり蔵馬と組んで以降なんだと」 「・・・・・・その蔵馬さんは今、どうしてるの? 大丈夫なの?」 幽助の隣で、ぬるくなったコーヒーのカップを両手で覆うように持つ螢子が、心配そうな顔で彼を見上げている。 「それが・・・・・・オレより先に帰っちまって・・・・・・。気付いた時にはもう、会社行ってる時間だったから、まだ連絡ついてねぇんだ」 昨夜は、幽助も大統領官邸に一泊したのだが、彼が起床するより先に蔵馬は官邸を後にしていた。煙鬼の話では、顔色は元に戻っていたし普通に話していたけれど覇気が感じられず、どうも危うげに見えたとか。 「後・・・・・・そうだ、黒鵺って奴から何かしらの要求は未だに無いわけ?」 桑原から魔界新聞を借り受け、やはり全く読めない文字は無視して、カラー写真で掲載された三界指名手配犯の姿を見ながら、螢子はさらに質問を重ねた。 「誘拐だったら、普通は身代金なりなんなり、解放と引き換えの条件をつけてくるはずでしょ。じゃなかったら、わざわざ人質をとった意味がないわ。ぼたんさん達に利用価値があると踏んだから、さらったのよ!」 綴る言葉の数に比例して、螢子の中でぼたんとひなげしへの不安と、犯人・黒鵺に対する怒りが増幅した。並の人間で、この中でただ一人、霊感さえ持たない自分がもどかしくてしょうがない。 「うん・・・・・・不知火も、その辺がわからねぇって言ってた」 膝の上に肘を突き、指を組み合わせた上に顎を乗せて、幽助が重い声を零した。 「どうやらぼたんもひなげしも、連絡手段を絶たれた上でさらわれちまったらしい。・・・・・・それと黒鵺は、あいつらがオレや蔵馬と関わりがある事まで承知だったかもしれないんだと」 「確かに、十分ありうることだよな」桑原が同意する「あの二人、狙われてたってのかよ・・・・・・畜生、せめて安否だけでもわかんねぇかな」 「本当にお二人とも・・・・・・ご無事なんでしょうか」 雪菜が、不安そうに瞳を曇らせる。 「今の状況では、どうしても悪い方へ悪い方へと考えてしまいそうで・・・・・・。一日も早く、解決して欲しいです」 「大丈夫ですよ、雪菜さん! 霊界魔界が一丸となって追ってるんです。それに他ならぬこのオレも、人間界代表として捜査に参加しますから! 大船に乗った気でいて下さい!!」 「大船ってか、タイタニックだよ。あんたの場合」 「実の姉としての言い草がそれか、テメエェェェ!!」 「ってかマジな話、黒鵺と戦わなきゃならなくなったとしたら、あんたどうすんの? 勝てるかどうかは別として、本気で攻撃できる? 蔵馬くんの目の前でも?」 煙草を灰皿に押し付けながら、真摯な口調で問いかけてくる静流に、桑原は返答に詰まった。幽助越しに聞いただけでも、蔵馬がいつに無く動揺し、憔悴しているのがわかっている。その上で戦闘が避けられなくなった事態を想像すると、どうしても霊力が萎えてしまう。だけど、それを無くしてはぼたんとひなげしを助けられないかもしれないのだ。 「そこんとこは、オレもずっと考えてる」 飲み残したまま冷めてしまったコーヒーに視線を落として、幽助はボソッと独り言のように呟いた。 「冥界とやりあった時は、偽者だった事が幸いした。死んでた事に変りはなくても、やっぱり黒鵺が自分と敵対するはず無いって事がはっきりして、蔵馬はどっかで安心もしてたはずだ。だからあの時はそれで解決した。でも、今度は違う」 今立ちはだかっている黒鵺は、間違いなく本人なのだ。本物が自らの意思で敵方に回った。このまま見逃そうと追いかけようと、どちらにしても蔵馬は今までにない苦境に立たされる。 それに、もしも黒鵺の身柄を拘束したとして、その後彼はどんな処分を受けるのだろう。 幽助は霊界の法律に詳しくないが、確実に輪廻転生を取り消されるだろう事くらいは想像できる。もしかしたら、地獄へ逆戻りになるかも。 それでも、追わなければならない。今の友人達が捕われていて、自分達は抹消の危機に晒されているのだ。 相反する二つの危機感に挟まれて、そこから生まれるさらに大きな苦悩が、蔵馬を苛んでいるに違いない。 だから、幽助にはずっと一つの疑問があった。 この事件が解決した時、それは大団円になるのだろうか? どう転んでも、蔵馬が救われない気がする。 「・・・・・・とにかく、いよいよとなったら黒鵺とはオレが戦わせてもらうぜ」 「浦飯?」 「そもそも、悲願達成か何だかしらねぇが、あの野郎がトチ狂った真似しでかしたせいだろうが! コエンマ達は面会謝絶でオレ達は霊界に行く事さえできねぇし、ぼたんとひなげしの安否すらわからねぇ。大体よ、地獄がどんだけキツイ所か、オレにもわかりゃしねーけど、心境とか価値観とかそりゃーシャレになんねぇくらい変わっちまうかもしんねぇけど、それでも!」 五臓六腑までもかきむしるような勢いで、幽助は言葉を吐き出し続けた。 「それでも・・・・・・仲間を、ダチを裏切っていい理由になんか、なるわけねぇ。そこだけは、何回死んでもオレは認められない! そんな奴の目指す魔界統一なんざ、もっと認められるかってんだ!」 悟っていた。きっと、自分が黒鵺と戦うしかない。 「例え蔵馬にどう思われようと、鉄拳制裁だけは絶対にやらせてもらうからな!」 殺気立つ幽助に怯えて、膝で寝ていた猫が怯えて飛び起き、静流の傍らに逃げ込んだ。その光景も目に入らない幽助の脳裏をよぎるのは、昨夜見た蔵馬の表情。 今まで自分達のブレーン的存在として、いつでも頼もしかった彼が、初めて見せる顔だった。不安を、心細さを、そして何より悲愴を一切隠しもせずに。その術を、忘れてしまったかのように。いや、そんなもの、最初から持っていなかったかのように。 もしかして、黒鵺に死なれた当時もあんな顔をしていたのだろうか。 爪が食い込むほど拳を固め、幽助は下唇をぎゅっと噛み締めた。
「・・・・・・さん、南野さん!」 後輩に当る女性社員の何度目かの呼びかけで、蔵馬はようやく自分が声をかけられているのだと気がついた。 「あ、ごめん。ちょっと・・・・・・考え事してて。何か用?」 「用というか、そのコピー機、紙が切れて止まってますよ」 「え? ・・・・・・あ、本当だ」 使い慣れているはずの機械を前にキョトンとする彼を見て、女性社員はつい吹き出してしまった。 「南野さんがボーっとしてるなんて、かなり珍しいですよね。よっぽど気になることでもあるんですか?」 「まぁ、そんなとこ。でもちょっと注意力散漫だな。とにかく、すぐに補充しないと」 「私が取ってきます。資料室行くついでですから、このまま待ってて下さい」 女性社員の背中を礼を言いつつ見送って一人になると、蔵馬は再び表情に影を落とした。 ふと気がつくと、昨日の記憶と千年以上昔の記憶とが、頭の中で複雑に交錯している。 脳裏で目まぐるしく入れ替わる映像につい気を取られ、手元が覚束なくなっていた。 いかんせん、情報が少なすぎる。ぼたんとひなげしの現状すらつかめていないのだ。 それに・・・・・・まだ、信じられない。黒鵺があんな凶行に走るなんて。彼は名目上でこそ盗賊と認知されていたが、その実情は殆ど義賊と言った方が正しかったのに。盗んだ金品の一部を貧困に喘ぐ集落に分け与え、忍び込んだ先の豪邸に虐げられている奴隷が居たら、片っ端から路銀を渡した上で逃がしていたような男なのに。 涙を流しながら崇め感謝する彼らに、黒鵺は決まって照れくさそうに笑いながら、こう言っていた。 「礼なんざいらねぇけど、どうしてもって言うなら・・・・・・いつかオレが自分の国を興した時、そこの国民になってくれよ。歓迎するぜ」 そんな時、蔵馬は決まって呆れ半分に苦笑いしながらこう言ったものだ。 「お人好し」と。 「そういうのは、礼とは言わんだろう。利益しか頭にない輩はオレも嫌いだが、黒鵺はあまりに真逆すぎる。本気で王を目指すなら、もう少し貪欲になるくらいがちょうどいいんじゃないのか?」 だが黒鵺は、いつだって自信たっぷりに胸を張っていた。 「わかってねぇな〜、いかなる国家も国民がいなきゃ始まらねぇだろ。オレ達の国に住んでくれること以上に、どんな利益があるってんだ。ちゃんと覚えとけ、未来の宰相!」 「そう思うなら、いいかげん頭撫でるな! 子供扱いはやめろと、何度言えばわかる!」 「心外だな、子供扱いなんざハナからしてねぇよ。子狐扱いならずっとしてるけど」 「なお悪いわ!!」 わかっていた。自分がお人好しの国王の宰相として、彼に救われた者達を迎え入れている未来が必ず来ると、確信していた。 黄泉が癌陀羅を治め三竦みが確立するまで、魔界では気の遠くなるような長い長い戦乱時代が続いていた。滅ぼされた国や街、種族が後を絶たなかった。黒鵺の一族も、某国の兵士達の略奪と虐殺によって滅亡してしまった。彼だけを残して。 一族最後の長となった黒鵺の父親は、長の地位に就いた者がその証として首からさげることを許される、紅い宝石のペンダントを最期の力を振り絞って一人息子に托し、息絶えたのだという。 行き場を失い、大切な人を失い、帰る場所をも失った者達が、当時は本当に多すぎた。 黒鵺が建国したかったのは、そういった者達こそ受け入れて、今度こそ安住の地となれるような国だった。もう誰も、最後の一人になんてならずにすむように。そして願わくは、魔界全体にそんな国が広がるように。 全ての妖怪達が帰れる、失われない故郷。 「なぁ、蔵馬」 あの頃、事あるごとに黒鵺が紡いでいた言葉がある。今も、蔵馬の心の奥に宝物のようにしまわれている言葉が。 「いつかオレ達の国を造って、一緒にそこへ帰ろう」
懐かしい回想を打ち破るように、携帯電話が鳴った。 またしても心の内側に沈みこんでしまった自分を叱咤しつつ、蔵馬は急いで携帯を開く。 ワンコールで着信の切れたそれは、やはりメールだった。差出人は煙鬼。件名は「大至急」。本文には「今すぐ、魔界不死TVの番組を見てくれ」とだけ記されていた。しかも複数のあて先に一斉送信したようだ。幽助達の下にも、同様のメールが届いていると見て間違いないだろう。 魔界の番組の報道内容が、漠然とだが見当がついた。とてつもなく嫌な予感がした。自分の中で脈打つ鼓動が、悲鳴を押し殺して呻いているように感じた。 周囲に誰も居ない事を確認しつつ、震える指で携帯を操作する。
前回に引き続き、今回のトーナメント中継権も獲得した魔界不死TVのスタジオで、若い女の妖怪(人間界で言う所の、女子アナに相当すると思われる)が 鬼気迫った面差しでカメラと手元の原稿の間で目線を行き来させていた。 「たった今、ここで新たな情報が入りました! 三界指名手配犯・黒鵺から、当局宛に犯行声明とみられる言玉が届いた模様です! つい先ほど、報道部専任部長のデスクにいつの間にか乗せられいたのですが、警備員はもちろん、防犯カメラ等でも不審者を発見できておらず・・・・・・あ、はい、こちらが、その言玉だそうです」 女性は、スタッフが横から差し出した薄ぼんやりと光る手の平サイズの玉を慌しく受け取った。言玉は、一度『再生』すると消滅してしまうため、録画体勢が万全に整うのを待ってから彼女は席を立ち、数台のカメラが集って注目しているスタジオの壁に向けて、その言玉を注意深く投げつけた。 ざわざわざわ・・・・・・と囁くような音を立てて粒子が寄り集まり、映像を結ぶ。 そこに最初に映し出されたのは、正しく件の黒鵺であった。 「た、確かに奴だ! 本当に化けて出やがったのか!?」 スタジオサブで、年配のディレクターが唸る。かつて見た人相書きそのままの姿だった。 言玉の中の黒鵺の背景には、ごつごつした岩肌が見えた。照明も簡易なランプしかないのか薄暗い。どこかの洞窟の中らしく、彼が口を開くとその声が明らかに反響していた。 『一緒に送りつけた、「言玉の映像を、全て生中継するように」という注意書きが守られている事を前提に話させてもらうぜ』 揺らぎの無い凛とした口調に、中継しているTV局関係者はもちろんの事、視聴者一人一人もTV画面を前に固唾を飲んだ。今やその存在が神話と化した瑠璃結界の黒鵺が、現世へ再びその姿を現したのだ。 『まず、先に霊界側が流した報道は、全面的に肯定する。全てオレが自分の意思で招いた事だ。特に補足や修正はつけねぇよ』 あっさりと、涼しげともとれる表情で黒鵺は断言してみせた。 癌陀羅市内に設置された、巨大街頭ビジョンの前で、ぎゅうぎゅうにひしめきあう群衆の間に、波打つようなどよめきが広がる。 「あれってつまり・・・・・・大統領やファーストレディはもちろん、浦飯や躯、果ては黄泉様まで消すつもりだって事か?!」 「修羅様や浦飯の仲間達も、当然危ないぞ。何つー恐ろしい抹消宣言だ!」 「・・・・・・なぁ、それでいくと・・・・・・元相棒だっていう妖狐蔵馬も、って事になるよな?」 「だと思うぜ、個人名こそ出してないものの、除外するとは言ってねぇし」 「それはそうと、こいつにオレ達全員支配されるかもしれねぇだろうが! そっちの方が重要だってぇの!!」 癌陀羅に限らず放送を見ている視聴者達全員に、にわかにパニックが広がっている様を、すでに予想していたかのように言玉の黒鵺は口元に酷薄な笑みを浮かべた。 『サービスだ。見せてやりたいもんがある』 言玉のアングルが変えられ、洞窟の奥のスペースが映し出される。そこに居たのは何と、ぼたんとひなげしであった。二人は後ろ手に拘束された上で背中合わせになっている。ぼたんの方が正面を向いているので、ひなげしは友人の肩越しに振り返り、首を一生懸命伸ばすようにしてこちらを伺っていた。 彼女達はいずれも恐怖と不安にこわばった表情で、ぼたんの方が耐え切れないといった風に叫ぶ。 『た、助けて! 誰か・・・・・』 『黙ってろ!』 か細い悲鳴が、黒鵺の一喝で打ち切られた。ひなげしまでびくっと肩をすくめる。 『消されたくなかったら、余計な事はしゃべんな』 言いながら、黒鵺はもう一度自分の方に言玉を向けた。 『ひとまず、現時点で霊界の女達が無事だって事はわかっただろ?』 そこでふと言葉を区切り、呼吸を改めて整え、かつての名盗賊は挑むような眼差しを言玉越しに魔界全土へ投げかけた。 『よく聞け。オレには目的達成に至るまでの計画がある。今から出す要求は、その計画完遂のための準備段階の一つに過ぎない。だがそれらを踏破し、オレの望み通りに何もかも成功したら・・・・・・その時には、無傷のままで女達を解放してやるつもりだ』 今度は、先程までとは打って変わって、水を打ったような不気味な静寂が漂う。 『まず、大統領官邸、癌陀羅、移動要塞百足、そして旧雷禅国。これら全てのセキュリティーシステムを完全解除しろ。最近の魔界は、どうやらオレの生きていた時代とは段違いに技術進歩してるらしいからな。侵入するにも、瑠璃結界の能力だけじゃ通用しない恐れがあるんでね。警備員についてはそっちの好きにしたらいい。増やしたきゃ増やせ。ただし、魂消滅の覚悟は決めてもらうぞ。もし、この要求がのまれなかった場合や、オレの許可無くシステムを復旧させた場合、即刻女達を消す。それだけじゃない、手当たり次第に魔界の住民達の魂も同様に片っ端から消して回る。できれば、オレも無駄な抹消はしたくない。賢明な判断を頼むぜ・・・・・・以上だ』 言玉の映像は、黒鵺の残像を壁にうっすら残しつつ、ぽろぽろと崩れるように消え去った。TVの画面は、元通りの無機質な壁を映し出したまま、まるで停止ボタンでも押したかのように動かない。張り詰めた恐怖に絡め取られ、カメラマンもその他のスタッフ達も微動だにできなかった。
補充用の用紙を抱えた、先程の女性社員がコピー機の所に戻ってくると、南野秀一の姿は無く、彼女の同僚が待っていた。一体どうしたのかと聞く彼女に、同僚はこう答えた。 「急に気分悪くなったから、申し訳ないけど今日は早退しますだって。私は、コピーの続きを頼まれたのよ」
一方その頃。 百足では、躯が自室のTV電話を霊界の不知火と繋いでいた。 『セキュリティーシステム解除を命じたのは、やはり自分に敵対するだろう者達を襲撃しやすくするためと考えて、間違いないでしょう。昨日、官邸に集まって頂いた方々全員が関わりの深い場所ばかりですからね』 「だろうな。ちなみに、ここにいるウチの邪眼師に、言玉に映っていた洞窟を探させてみたぜ。場所自体はすぐ見つかったが案の定、もう誰も居なかった」 『そうですか・・・・・・。おそらく、TV局に言玉を送りつけた時にはもう、別の場所に移っていたのだと思います。何か、痕跡らしきものは?』 この問いには飛影が答える。 「無い。妖気や霊気の残滓すら全くだ。その周辺もくまなく見てみたが、それらしき者の姿も気配も感じられなかった」 『黒鵺が、移動式の妖気遮断結界を張っていたのだと思われます。長時間もつ術ではないらしいのですが、姿をくらますのには十分ではないかと』 不知火の整った面立ちが、悔しそうに歪む。 『しかし、敵もさるものです。昨晩、霊界側から派遣した捜査員が主に駐在する地点のセキュリティーを解除させようとは。・・・・・・こちらの行動が読まれていたとしか思えません。しかも複数ヶ所同時とあっては、どこに最初に侵入するつもりなのかが読みにくい』 「まぁ、それくらいは基本だろ。伊達に『瑠璃結界の黒鵺』とまで謳われた男じゃないんだ。それより、どうやら奴にとって人間界はノーマークらしいぜ。向こうにいる連中を、何人かこっちに呼んでみたらどうだ?」 『私もその点は考えてみましたが・・・・・・ノーマークと見せかけて、こちらが手薄になった隙を突こうとしている可能性もある以上、それは危険です。後手に回るのは不本意ですが、今はこのまま静観するより他は無いと思います』 不知火は躯や煙鬼、黄泉らの了承を得て、特防隊を中心に編成した捜査チームを魔界と、そして人間界にもそれぞれに派遣していた。 無論、黒鵺の行方と動向を探る事が第一目的だが、人間界担当の捜査員達は特に、彼がかつての相棒・蔵馬やその関係者への襲撃を図るかもしれない事も視野に入れている。それともう一つ。人間界には桑原以外、突出した戦闘力を持つ人材がほとんどいない。そこを攻め込まれ人質や被害者が増える事も恐れていた。もし黒鵺がこれらの人物に接近しようとしたら、その時すぐに察知できるようにするためでもあるのだ。平たく言えば、蔵馬や幽助達の周辺は常に霊界の捜査員に監視されているということであった。 『・・・・・・それから実はもう一つ、私が個人的に推測している事というか、恐れている事があるのです。もし万が一黒鵺が蔵馬殿を言いくるめるなりなんなりして 協力するよう持ちかけたら・・・・・・二人が結託してしまう可能性が出てくるのではないか、と。黒鵺にとっては抹消の手間が一人分省けるし、貴女や大統領夫妻はもちろん、殆どのトーナメント有力選手の詳細を知る蔵馬殿と手を組めるとあったら、これほどの好都合はないでしょう。最悪の事態はますます避けられなくなるかもしれません。躯殿と飛影殿も、考えの内に入れておいてください』 不知火がそう考えるのも無理は無いと、躯はすんなりと納得していた。 昨夜の蔵馬が見せた、剥き出しの動揺。あの光景を直視したなら、そのような疑惑を持つ者が居ても不思議は無い。不知火ならなおの事。だが。 躯は、ちらりと隣に立つ小柄な邪眼師を一瞥した。 「とにかく、黒鵺があげた全箇所、すでにセキュリティーシステムを完全解除したからな。これでしばらく、人質二人が危害を加えられる可能性は無くなっただろ。黒鵺が嘘をついてなければ」 『えぇ、それを祈るばかりです。今夜にでもまた、私も魔界へ参ります』 不知火の最敬礼を締めくくりに、映像と音声が切れた。それを待っていたかのように、躯は飛影を振り返る。 「そんなに気に入らないか?」 「何がだ」 「不機嫌全開ってツラしてるぞ。お前は基本、無表情だから不知火は気付かなかったようだがな」 「だから、何がだ」 「さっきの、不知火の発言。蔵馬が黒鵺に寝返るかも云々のくだりで、あからさまにイラついてただろ、お前」 「・・・・・・何を言い出すかと思えば、下らん勘違いか」 「別に夕べのお前の発言と今の心情を照らし合わせて、矛盾してるとは言わんさ。自分が言ってなんてこと無くても、他人に言われると腹立たしいって事は、よくあるからな」 「勘違いだと言っている。というか貴様、オレの話を聞いてないのか」 「聞いてるから言ってるんだよ。オレにしてみれば、黒鵺よりもお前の方が嘘をつく確率が高いもんでな」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
幽助の元に黄泉から連絡が入ったのは、彼が当初の予定よりも一週間ほど早く、魔界滞在準備を進めている真っ最中のことだった。 「え、蔵馬がもう、癌陀羅に着いてる?」 旅行用バッグを前に床に座った体勢で、幽助は携帯電話を持ち直す。 桑原も加えた三人で、プーに乗っていこうとしていたものだから、少々面食らった。 『あぁ、つい一時間程前にな』 「マジで? 勤務時間内じゃねぇかよ。・・・・・・わざわざ早退したってか?」 『の、ようだ。逆算すると、黒鵺の犯行声明を見た直後には、こちらに向かったと思われる』 「・・・・・・あの野郎か」 その名を聞いた瞬間、血が沸騰する気がした。霊界での犯行を全て認めた不敵な表情と、捕われの身とされたぼたんとひなげしの様子を思い出すと、それだけで身体に闘神の模様が浮き出てきそうだ。 「あいつ、本気で蔵馬の魂まで消すつもりかよ! コエンマに大怪我させて、ぼたんとひなげしを攫って……もうこの時点で何度裏切りやがったかしれねぇってのに!」 蔵馬は、自分の過去について殆ど語らない。黒鵺について詳しく聞かされた記憶もない。冥界と戦った時、敵の一人が化けたりしなかったら、今回までその存在すら自分は知る事はなかっただろう。だけど、蔵馬にとって黒鵺がどれほど重要な存在かは察する事ができた。今回の件で蔵馬があんなにも取り乱し、急な行動に出たりするのは、共に生きていた頃、黒鵺への信頼がそうとう深かったからに他ならない。 だがそれを、黒鵺本人が覆して叩き潰した。彼が犯した罪ごとひっくるめて、全部許せないと、幽助は煮えくり返る腹の内で叫んだ。 『・・・・・・浦飯、オレも十分注意するが、お前も蔵馬を気をつけて見ていろ』 「は? どーいうこったよ」 『お前に電話する直前、躯から聞いた話だ。どうも不知火は、黒鵺と蔵馬の結託を恐れているらしい。もし今黒鵺に協力を促されたら、流されるんじゃないかと疑っているそうだ。憶測にすぎんとも言っていたがな』 「ありえねぇ! マジありえねぇって!! 前に偽者が出た時だって、あいつは黒鵺と戦うこと選んだんだぞ! 今更寝返るわけがねぇよ! 黄泉、まさかてめぇまで疑ってんのか!!」 『・・・・・・前にも言っただろう。怒鳴るな』 うんざりした返事を返しつつ、黄泉は幽助が落ち着くのを待ってもう一度話し始める。 『オレは別に、不知火の見解を鵜呑みにしてるわけじゃない。だから、自分が実際に見た事をもとに意見をのべさせてもらう。昔、オレが蔵馬の率いていた盗賊団の副将だったことは、知っているか?』 「あぁ、オレ達がオメーら三竦みに呼ばれて魔界に行くってなった時に、『黄泉って奴とはどーいう知り合いなんだ?』って聞いたことがあってよ。そん時に、少し」 口ぶりからして、幽助は自分の盲目の理由についてまでは聞かされて無さそうだなと考えながら、黄泉は瞼の裏に過去を映し出す。 『そもそも、あの盗賊団は蔵馬が副将をやるはずだった。本来、大将の座につくのは黒鵺の予定だったんだが、盗賊団を結成しようとしていた矢先に死んでしまったので、オレと蔵馬の地位が一つずつ繰り上がったんだ』 今にして思えば、お互いその立場に向いていなかったが。 「・・・・・・黄泉は、生前の黒鵺に会ったことあんのか?」 『あぁ、一度だけ。元々、オレを盗賊にスカウトしに来たのは奴の方だったからな。『力が有り余ってんなら、オレの盗賊団入らないか? 思う存分暴れさせてやるぜ』と言われたんだ』 「そん時の黒鵺って、どんな感じだった?」 『そうだな・・・・・・。人懐っこくて開けっ広げで、警戒するのが馬鹿馬鹿しくなるような男だったよ。だからオレも、正直霊界のビデオや犯行声明に映し出された黒鵺には、違和感を覚える』 それまで黄泉が見てきた妖怪達の、誰とも違っていた。ともすれば魔界では命取りになりかねない性格だが、黒鵺はそれを補って余りあるほど強かった。妖力云々以前に、心が。 『それと、妖狐時代の蔵馬は伝説の極悪盗賊と評されているが、それは盗賊団結成以後のことだ。黒鵺と組んでいた頃は、誰もそんな風に呼ばなかった。というか本人も、後の風評なんて夢にも思ってなかっただろう』 「つまりそれって・・・・・・黒鵺が死んだ後って事にもなるよな」 『あぁ。オレが蔵馬と最初に会ったのもその頃だ。だが一度だけ、それ以前の・・・・・・黒鵺と組んでいた頃の奴の片鱗を見たことがある』
あれは、黄泉の目が光を失うより数年前の事だった。 蔵馬率いる盗賊団総出で、とある貴族の豪邸を襲撃したのだ。 魔界のさらに裏社会で様々な品々を取引しているその男の下には、法外な値段をつけられているお宝が埋め尽くされているという。 しかも一番の目玉商品は、志半ばでこの世を去った『瑠璃結界の黒鵺』唯一の遺品らしい。彼が肌身離さず着けていた、紅い宝石のペンダントをその貴族が所有しているというのである。 黒鵺が死亡した竹林には、妖怪の肉や内臓はもちろん骨まで残さず腹に収めてしまう幻魔獣が多く生息していたため、罠にかかった彼の亡骸は骨の一片さえ残らなかったらしい。 だが、唯一血だまりの中に残されていたそれを、蔵馬と黒鵺が侵入した宮殿の警備兵達の一人が偶然発見したとの事だった。それが巡り巡って件の貴族の所へたどり着いたのだと。 蔵馬がその情報に飛びつかないはずがなかった。情報収集と分析にはことさら慎重な彼が、この時ばかりはとるものもとりあえず襲撃を決定したのだ。 襲撃自体は何の問題もなく成功した。 貴族本人はもちろんの事、警備に雇われていた者達も、蔵馬や黄泉達の足元にさえ及ばなかった。 悠々と宝のチェックと採集に盛り上がる団員達を尻目に、蔵馬は必死に唯一つだけを探していた。今は亡き相棒の形見を。 「・・・・・・あった!」 鍵のかけられた小さな、だが、いかにも高級そうな箱。封印としてぐるりと巻かれている紙には、確かに(蔵馬にとっては)簡単な暗号で『黒鵺の遺品』と記されている。 もどかしそうに封印を解き開錠し、ついに蔵馬は目的のペンダントを手に取った。 ・・・・・・が、その表情はみるみるうちにこわばっていく。 それに気付いた黄泉が、何とはなしに声をかけてみた。 「どうした? それなんだろ、瑠璃結界の黒鵺のペンダントって」 「・・・・・・違う。よく似ているが贋作だ。ここの主自らがオークションか何かで売りさばくために作ったのか、騙されて売りつけられたかは知らんが、とにかくこれは、黒鵺がつけていたものじゃない。オレにはわかる」 「へぇ、お前でも偽物掴まされることなんかあるんだな。ま、それはそれで宝石としちゃ結構な値打ちモノ・・・・・・って、おい!」 黄泉が言い終わらない内に、蔵馬は警備兵の死骸の中にその贋作を投げ捨ててしまった。 「もったいねぇなぁ。あんなんでも、売ればかなりの額になるぜ」 「じゃあ、お前にやる。後の事も任せた」 「は? 後の事って・・・・・・」 「オレは、先にアジトへ帰る」 「おいおい本気か? 今回大漁な分、運搬がかなり面倒なんだぞ!」 財宝も部下達も見向きせず、すたすたと立ち去ろうとする銀髪の妖狐を、黄泉は慌てて追いかけようとしたが、途中でハッとしたように足を止め、その場に縫い付けられた。 現在ほどの聴力は持ってなかったが、黄泉は確かに聞いた。 今まで耳にしたことの無かった、蔵馬の声を。切なく哀しげに震える、かすかなそれを。 「やっと、会えると思ったのに・・・・・・」
『・・・・・・極悪非道で通っていたあの頃も、蔵馬は黒鵺の事に関してだけは冷静になれなかった。今も同じだという事は、もう浦飯もわかっているだろう』 それが今回、大きな落とし穴になるかもしれない。黄泉が危惧しているのはそこだった。 しかも蔵馬に近しい者達が黒鵺によって直接被害にあい、危機に晒されている現状だ。かつて偽者が出現した時とは比べようも無く深刻な事態である。 「わかった。そういうことなら、オレも肝に銘じとく。とりあえず今夜の所は、オレはオヤジの国に行かなきゃなんねぇけど、そっちは蔵馬の他に誰か来るのか?」 『陣と凍矢に応援を頼んだ。酎と鈴駒は大統領官邸。鈴木と死々若丸はお前と同じく旧雷禅国に派遣される。百足はどこにでも移動できるし、躯や飛影はもちろん、時雨や麒麟といったトーナメント出場選手が最も多く勤務してるから、こちらは心配いらんだろう。さらに念のため各所の中間地点には、雷禅の旧友達も配備されている』 「OK! んじゃオレも、そろそろ出るぜ」 いったん携帯を切り、幽助は黄泉の言葉を頭の中で反芻した。 ――蔵馬は黒鵺の事に関してだけは冷静になれなかった―― つまりそれは、蔵馬にとって最大の弱点という事だ。きっと黒鵺本人もそれを熟知しているはず。その弱点がいつどこでどのように狙われるか・・・・・・。 幽助は思わず固唾を呑み、拳をきつく握り締めた。
|