第六章・呪わしき連鎖

 

 

 これは一体、何の悪夢だろう。見た事もない戦闘装束を身に纏い、マントの裾をたなびかせ、身の丈以上の長さのある氷の槍を手に、左目を金色に輝かせている『彼』は、誰だというのだろう。

 大量に押し寄せる禍々しく重くドス黒い風は、思い出したくもなかった過去の再来。それは螺旋を描くようにして陣を囲い、飲み込もうとしているようだった。

 脈打つ度に脳髄が悲鳴を上げるように痛む。陣はその痛みすら、どこか遠くに感じながら声にならない声で叫んでいた。

 夢なら、早く覚めりゃいい。早く、一秒でも早く・・・・・オラを起こしてけろ。いつもの、あの荒い足音で。思い切り布団剥ぎ取って、いつもの調子で怒鳴ればいいだ。

 

―――陣! 何時だと思ってる。いい加減起きろ!!

 

他ならぬオメ以外に、誰がオラを起こしてくれるっていうんだ。なぁ、凍矢。

 

 ガキン!!

 

 鼓膜をつんざく硬質な音と、ひゅっと鼻先に迫った冷気のおかげで、ようやく陣は我に返った。朦朧としかけた意識が覚醒して最初にみとめたのは、盾のように陣の視界を覆う死々若丸の背中。凍矢の姿をかりた『雹針』の槍が自分に突きつけられ、それを死々若丸の魔哭鳴斬剣の刀身が寸分狂わず受け止めていたのだった。。

 「馬鹿が、気をしっかり持て!! ここは戦場だぞ!!

 振り返らぬまま叫ぶ死々若丸の声が、破裂するように響いた。その声に触発されたかのように、陣は風を巻き起こし、自身と死々若丸をとっさに上空へ逃がしてから地上に戻った。

 「ほう、さすがは六人衆は一人、死々若丸だな。刀身のみで我が一撃を制するとは」

 『雹針』のくちぶりだけは、敵にも敬意を表しているかのように聞こえるが、実際は攻撃を防がれたことに対し少しも驚いていない事に死々若丸はすぐに気付いた。むしろ、彼の行動は計算内だったのかもしれない。たぶん今の攻撃は、まだ本気ではないのだろう事も、悟っていた。だが、あの槍を受けた瞬間から彼の両手首は、その衝撃でびりびりと悲鳴を上げている。

 これが雹針の、いや・・・・・・覇王眼の力か。

 氷山の一角に過ぎないであろう、その背後から立ち上る妖気は、おどろおどろしく底冷えしておぞましい。凍矢本人のそれとは、明らかに違う。

 「次から次へと最悪なマネしやがって! 調子こいてんじゃねぇぞコラァ!!

 とうとう怒髪天をついたらしい幽助の顔に、両腕に、闘神の文様が浮かび上がる。

 「さっさと凍矢本人にその体戻せ。でもって本体でかかってきやがれってんだ!

 牙をむく勢いの幽助だが、そんな彼を吏将は軽くあざ笑って見せた。

 「貴様も貴様で相変わらず、真っ向勝負しか脳が無いと見える。だが、生憎オレ達魔忍の本分は、それとは真逆だ。狡猾な手段をもって敵の裏をかき、意表をつき、対抗策を封じ、合理的且つ徹底的に排除する。わかりやすく云えば、卑劣に徹してこそ魔忍だ。直接攻撃だけの単細胞とは根本的に相容れん」

 開き直りも甚だしい言いように、もはや言葉も出ない幽助を尻目に、吏将はついでといわんばかりにこう続けた。

 「里長の直弟子にして後継者候補だったくせに、凍矢にはその最も肝心な資質が欠落していたな。挙句の果てに抜け忍に堕ちたにも関わらず処刑を免れ、こうしてお役に立てるようにしてもらえたのだから、魔忍としては本望だろう」

 過ぎた衝撃に茫然としていた陣だったが、この言葉で一気に脳内が沸点を超えた。

「て、てめぇ・・・・・・言わせておけば!!

 しかしこの時、気色ばんだ風使いを制するように、蔵馬が鋭い声を飛ばした。

 「凍矢の核は、どこにある?!

 唐突な内容に、陣、死々若丸、幽助は思わず蔵馬に一斉に視線を向け、吏将は無言で僅かに表情を硬くした。しかし『雹針』は、感心したように口の端を上げて見せる。

 「気付いたか。お前、盗賊より魔界忍者の方が向いているかもしれんぞ。ふむ、まぁいい。これくらいは教えてやってもいいだろう。今の私は機嫌がいいからな」

 「里長、本当によろしいのですか」

 あくまで平静な態度を崩さず、後ろに控えていた吏将を見やり、『雹針』は構わぬと鷹揚に頷いた。

 「どうせ近々明かしてやるつもりだった。連中を煽り、狼狽させるための餌は、むしろ早い内にまくべきだろう」

 「? 何の話さしてんだべ? 蔵馬、さっきのどういう事だ?!

 一連のやり取りの意味が掴めず、陣はたまらず混乱した。不安げに揺れる空色の双眸をまっすぐ見つめながら、蔵馬は「落ち着いて聞いてくれ」と前置きして答える。

 「凍矢の体に別人の核が移植された・・・・・・つまり、凍矢本人の核が取り出されたという事だ。一つの体に二つの核は収まらないはず。それなのに・・・・・・いくら覇王眼の効力があるとはいえ、拒絶反応の一つも出ず正常に機能していられる理由は一つしかない」

 そこでいったん言葉を区切り、蔵馬は射抜くような眼差しを『雹針』にぶつけるようにして睨んだ。

 「凍矢の核は生きたまま別の場所に保存され、これも遠隔延命接続とやらで、本体と繋がれているからだ」

 「見事。この僅かな時間でよくぞ正解に至った。褒美を取らせてやりたいところだがしかし、先程の質問には、詳しく答えかねる。凍矢の核は現在の隠れ里・・・・・・さらにいえば我が本体の手元に、妖気を完璧に封印した上で保管されているのでな」

 これを聞いた陣は、再び気が遠くなる思いがした。凍矢の体から命の源ともいうべき核が切り離され、それぞれがいいように利用されている。さしずめ『雹針』の宿った凍矢の本体は、里にとって最強の武器。そして核の方が盾といったところだろう。

 六人衆はもちろん、誠実な性分のため凍矢は他の77戦士達からも厚い信頼を得ていた。そんな彼を、妖怪としての尊厳を奪われ踏みにじられてしまった彼を、これ以上傷つけることなど戦士らに果たしてできるのか。

 「何が後継者だ、笑わせんでねぇ!

湧き上がる激情に流されるまま、陣が吐き捨てるように怒鳴った

「てめぇは凍矢に魔忍の里を託したかったんじゃなく、自分の手足として飼い殺したかっただけだんべ! 凍矢がオラと一緒に里を抜けようと抜けまいと、ただ利用しつくす事さえできれば良かったんだべや!!

 おそらく、凍矢が生まれた時から『雹針』はそう目論んでいたに違いない。もちろん当時は核の移植までは想定になかっただろうけど。・・・・・・きっと、涼矢と魅霜も気付いていた。だから閃や飛鳥らと共に、里を抜けたがっていたのだ。彼らは陣と凍矢に、そこまでは話していなかった。いたずらに不安を煽りたくなかったのだろう。

 憤怒と憎悪に、同じ質量の悲哀が混じる。急に心細くなって、自分が今どこにいるのかすらわからなくなりそうだ。だが陣は必死で己を奮い立たせ、大地を踏みしめる足にぐっと力をこめる。目の前に立ちはだかる、最愛の友の姿をかぶった宿敵と真正面から向かい合う。

 「凍矢を、返せ!! こんなの全部間違ってるだ。絶対に元に戻しちゃるべさ!!

 「ここまでしてもまだ諦めんか。・・・・・・本当にお前は、閃によく似ている。好きにするがいい。どうせお前達は、我らの隠れ里にすら辿り着けぬ。吏将!

 『雹針』が肩越しに振り返って呼びかけると、吏将は「は!」と短く返答すると同時に新たな魔方陣を取り出した。

 「逃げんのか!!

 「もともと今日この場は顔見世だけのつもりだった。正直まだ、私の核がこの体に馴染みきっていないのでな。次に私が赴く時はさて・・・・・・誰の血の雨が降るのやら」

 楽しそうにからかうように言い残して、雹針は陣達に背を向ける。足元には、広げられた魔法陣。

 「待て! 逃がさねぇだぞ!!

 陣を先頭に、死々若丸、幽助、蔵馬も一斉突撃に踏み切った。彼らはみな、通常以上の瞬発力でもって飛び出し、敵達に踊りかからんと武器を、技を構える。だがそれよりもさらに一瞬早く、『雹針』は槍を振りかざし、自分達を取り囲むかのような分厚く高い氷の壁を築き上げて見せた。

 「くっそ、すんなり追いかけさせてくれるわけねぇか!

 「オレに任せろ、陣! 霊丸ー!!

 陣よりも少し後ろに位置していた幽助が、即座に霊丸を放つ。光り輝く球体を容赦なくぶつけられ、氷の壁はみしみしと亀裂を生じさせたかと思うと、霊丸と相殺してあたった部分のみが崩れ落ちた。

 間に合え!! 心の中で必死に叫びながら、陣は壁を越え無我夢中で、今度は自ら魔法陣の中へ飛び込もうとする。しかし、懸命に伸ばされた陣の手は、白紙に戻ったそれとその下の地面にあえなくはじかれる。

 「?! そ、そんな・・・・・・!

 手の痛みよりも、敵の本拠地へ続く唯一の道が閉ざされてしまった事の方が、よっぽど陣にとって痛烈だった。

 かさかさ、と地面とこすれ合う無力な白紙に、無駄と知りつつ死々若丸が剣を突き立て忌々しげに吐き捨てる。とうとう角が生え、文字通り鬼の形相に変わった。

 「おのれ・・・・・・! 一体どこまで愚弄する気か! あやつの本体ならば、肉片になるまで切り刻んでやったものを!!

 幽助は茫然と氷の壁を振り返る。手加減なしで撃ち込んだが、壁と相打ちで霊丸は消えた。しかも、撃った場所以外の壁は未だ強固にそびえ立っている。まとわりつく冷気が重い。

 「これで、あいつ本調子じゃねぇってか・・・・・・。しかも凍矢の体使いやがって、酎達に何て説明すりゃあいいんだよ・・・・・・!!

 途方にくれた彼に、安易な言葉などかけられず、蔵馬は痛みを耐えるかのような面持ちで改めて悠焔の町並みを見渡した。そして、思う。

 何故、奴らはここを襲った?

 

 今や何の役にも立たない一枚の白紙と、そこに刺さる死々若丸の剣。両者を見比べながら陣は再び膝をついたままなかなか立ち上がれなかった。自分の体が、自分のものじゃなくなったような感覚。どこに力を入れればいいのかわからない。この体は、今までどうやって動かしていたのだろうか?

 ぶん、と大きく一回陣は頭を振った。目の前の白紙のように茫漠としかけた自らを、叱咤するかのごとく。

 「雹針の好きになんかさせねぇだ。あいつから逃げられねぇんなら、ぶっ倒すしかねぇべ。その前にまず、凍矢をぜってー助けてやんだ!!

 核も体も、必ず両方取り返す。もう一度、凍矢という存在をあるべき姿へ戻すために。きっと、何もかも元に戻る。戻してみせる。そして帰る。今や遠くなってしまった、あの六人での日常に。凍矢本人は今もそう望んでいるはずだ。彼自身がその口で言っていた。

 

 わかった。待ってる。

 

 

 四強吹雪が、人間界遠征の任務から戻ってわずか三日後。四人は雹針の屋敷に緊急招集された。これを絶好の好機とみなして暗殺し、予定を繰り上げて里を抜ける事も可能だったが、あえてそれはこらえておいた。

 免許皆伝の試験のために、画魔が積み重ねてきた努力を無駄にするのは、酷だと思ったからだ。彼の才能を里に埋もれさせる気はないが、日ごろの鍛錬の成果が形として認められる機会は少ない。せめてそれを享受させた後で画魔とその先代師匠・彩露を里から共に連れ出そうと、四人は考えていたのである。

 奥の間に通されると、雹針はいつになく緊迫した面持ちで閃達を待っていた。

 「想定外の事態が起きた」

 雹針は短く、しかし重々しい声で言った。

 「蛾渇公国の軍隊が、この隠れ里を目指して進軍している。目的は、我々魔界忍者の殲滅だ。理由は、戦争が起きた際に我々が雅淘側に加担するのを阻止した上で、敵に動揺を与えるためだろう」

 一瞬、言葉どころかその場の空気の流れ自体が断絶した気がした。突き刺すような沈黙を振り払うかのように、飛鳥が叫ぶ。

 「そげな馬鹿な! 里の所在地が知れるなど、ありえねぇはずだべ!

 「私もそう思っていた。だが、蛾渇公国の諜報機関は思っていた以上に優秀らしい。雅淘国に間者を送り込んでいたそうだ。おそらく、見せ掛けの同盟を持ちかけてきた漣葉の事を警戒していたのだろうな」

 「あの大臣さんをマークしてたら、雅淘の国王がオラ達に依頼してきたのもわかったってか」

 閃の言葉に雹針は硬い表情を崩さぬまま頷いた。蛾渇の間者は、諜報の任務の延長線上で、雅淘国王の事も調べていたのだろう。そうしたら思いがけなく、魔界忍者と国王が接点を持った事を嗅ぎつけられたのだ。

「眉唾ものの言動や行動を繰り返す漣葉を葬ってくれるという四強吹雪は、間者にとって正に願ったりかなったりだったのだろう。自分が何もせずとも、ターゲットの企みを暴き、抹殺してくれるのだから」

「つまり、私達が漣葉の私邸に潜入する事も、暗殺を命じれられていた事も、蛾渇公国は先に知っていたのですね。知っていて、わざとその情報を漣葉には流さなかったというわけですか」

魅霜の声がこわばっている。それを感じながら涼矢は、自らの声音も固く張り詰めていくのさえも自覚していた。

「ご丁寧に機密文書までかわしていたようだが・・・・・・今となってはその中身も怪しいな」

忌々しそうに吐き捨てる。魅霜が危険を賭して入手してくれたあの文書も、蛾渇公国側にとっては茶番劇の一つだったかもしれないのだ。

 あえて静観し事が起こるのを待っていた間者は、あの時、全滅した漣葉の私兵らの亡骸が累々と横たわる真ん中に現れていた四強吹雪を、どこからか見ていたに違いない。

 まさかあの日すぐ、閃達に気付かれぬよう尾行する事までは不可能だっただろうが、彼らが全く間者の存在を知らなかったあの当時なら、何らかの方法を講じてはいられたかもしれない。あの夜をきっかけに、間者を通して蛾渇公国は魔界忍者の隠れ里の在り処の手がかりを掴み、細い細い今にも途切れそうなそれを慎重に辿って今日に至ったというのか。

 「で? 里長。蛾渇公国軍隊の数と現在地はわかるんだべか?

 今にも臨戦態勢で、文字通りすっ飛んでいきそうな閃と、「まだ風さ起こすんでねぇ!」とたしなめる飛鳥を交互に見比べて、雹針はいつも通りの抑揚が無い、だけどさらに重苦しい響きの声で答える。

 「兵は陸・空合わせて1万。現在地は、ここから二つ分上の階層のZ-34地点。そこで今夜は休息をとるそうだ」

 音も無く引きつれた呼気を飲み込んだのは、誰のものだったか。

 「い、1?! 魔忍の里を、たった100人前後の集落潰すためだけに・・・・・・!

 飛鳥の声の強さと抑えられない混乱は、あともう一歩で、たしなめていたはずの夫をさしおいて戦場へひとっとびしてしまいかねない勢いまでも伺えさせる。

 「四強吹雪はもちろん、他の実力者やこの私を始末し、一人の生き残りも出さないつもりだろうから、この数字は当然と言えよう。それと、蛾渇公国程の軍事力を持つ国の進軍ならば、明日の今頃にはもう、この階層に入っているに違いない」

 涼矢の拳の内側に、きつく爪が食い込んだ。誰にも辿りつけないといわれてきたこの隠れ里が、一国の軍隊に迫られていようとは。頭数こそこちら側の方が圧倒的に少ないが、鍛え抜かれた戦闘集団の拠点だ。雹針の言うとおり、蛾渇側が10万もの兵を動かしたのも頷ける。自分達四強吹雪が奇襲をかければ、最悪の場合でも雹針が戦線に立てば、よもや全滅させられる事は無いだろう。だが、

 「もし、里そのものが攻撃を受けるか、そうでなくてもこの近辺で戦闘状態になれば、確実に子供達が巻き込まれてしまいますね・・・・・・」

 魅霜の唇が小さく震えている。いくらなんでも近くまでこられたら、戦禍を完全に防ぐ事はかなり難しい。まだとても戦場になど出られない陣と凍矢、素質には恵まれているが経験の浅い画魔、そして・・・・・・病床の彩露。彼らを巻き込むわけにはいかないのだ。決して。

ちなみに里を取り囲む結界は、あくまで不可視のためだ。不可侵ではない。蛾渇側が、里の位置をどこまで把握しているのかは定かではないが、これ程の規模で攻め入ろうとしているからには、かなりの根拠を持った詳細を掴んでいるのだろう。里の近辺を一気に焼き払われでもしたら、結界も焼け落ちて里が丸裸だ。

 「里の移転を早めようかとも思ったが・・・・・・それももう間に合わん。こちらが動きを見せれば、その瞬間に里の正確な所在が奴らに知れる」

 忌々しそうに雹針が顔をしかめた。極秘を徹底してこそ魔忍であり、里の安全を守る最良策。その根幹を思いがけなく揺さぶられ、さすがに感情の一端が滲み出ているようだった。

 「四強吹雪よ。今宵の内に蛾渇公国の軍を殲滅させて来い。これは極秘任務だ。軍の動きとその目的を知っているのは、ここにいる我々のみ。お前達の子供達にも決して口外するな。ただでさえ免許皆伝の試験期間が始まる直前だ。他の者達を混乱させたくない。それと、軍が片付いたらすみやかに里を移転する」

 確かに、里の存在を隠し通したいのならば、内部の混乱を防がねばならない事は必須だ。

 どうやら里を抜ける前に、もう一仕事しなければならないらしい。閃、飛鳥、涼矢、魅霜は、誰からともなく悟った。自分達だけならば蛾渇の軍が攻め入った際、激戦のどさくさに紛れて逃げ出せばいい。しかし、子供達や病人を守りながらとなると、そうもいかなくなる。万が一の可能性も考えると、里を抜けるのはまだもう少しお預けだ。むしろ、里の移転が早まるのなら、それに乗じた方が賢明というもの。

 「いいか、軍をこれ以上接近させてはならん。雑魚以下の一般兵も、一人残らず殺せ。魔界の闇に深入りした事を後悔させてやれ」

 「御意!

 間違いなくこれが、四強吹雪にとって、魔忍としての最後の任務になる。里から抜けるために、里の安全を守りに行くとは、何とも皮肉なものだ。しかも、この後暗殺せねばならない雹針と利害が一致するとは。

 屋敷を出てしばらくした後、閃が他の三人を振り返って言った。必要最低限の、呟くような声で。

 「思いがけなく、魔忍引退の花道さできちまっただな」

 

 

 一通り、事の次第を聞いた幻海は、申し訳なさそうに首を横に振った。

 「すまんが、あたしの手にゃ負えん。修の行じゃ、凍矢は助けられないよ」

 「何でだよ、ばーさん!」幽助が思わず叫んだ「洗脳とは違うけどでも、梁達ん時と似たようなもんだろ! 雹針の術だけ取り除くぐらい何とかなんねーのか? それとも、人間が使う術じゃ妖怪には効かねぇってのかよ。だったらオレに教えろ今すぐ!!

 「残念ながら、そういう単純な問題じゃない」

 本堂に鎮座する仏像を背に、幻海はすっかり冷めてしまった湯のみの中のお茶に目を落とした。気を落ち着けるために淹れたのだが、少しも効果が無かった。それどころか飲むのも忘れていた。目の前の弟子も、同じく。

 怒号に揺らされつつも、根底は揺らがない静謐な空間には今、幻海と幽助の二人だけだ。77戦士として魔界を離れるわけにはいかない陣をはじめ六人衆らに代わり、幽助がプーに乗って幻海の元に文字通り駆け込んでいるからだ。蔵馬には一応念のため、旧雷禅国に残ってもらっている。

 「修の行が通用しないんじゃない。通用するからこそ使えないのさ」

 「・・・・・・そりゃ、どーいう意味だ?

 「思い出してもみな。暗黒武術会で、あたしが梁達に修の行を使った時。操られていただけだったあの三人の魂に術が呼応して、操血瘤のみを破壊させただろう」

 「あぁ、もちろん覚えてるぜ。あいつらがギリギリの所で魂だけは蝕まれてなかったから、助かったんだよな」

 「だが今回、凍矢は体内から核を取り出され、その核が雹針本体の手中にあるそうだな。逆に雹針の核が凍矢の体をのっとり新たな宿主となっておる。・・・・・・つまり、今の凍矢の体に修の行を使ったら、術は雹核の核――すなわち精神――とあいつの体とを同一人物と判断してしまう。・・・・・・どういう事か、わかるかい?

 これ以上は言わせてくれるなと、幻海は遠回しに訴えた。実際に修の行を叩き込まれ、それを使いこなしてきた彼女には、嫌でも予想できてしまう。今の『雹針』にあの技を使ったら、凍矢の体がどうなってしまうのか。

 おそらく、いや確実に八つ裂きか木っ端微塵だ。

 本体がそんな事になったら、遠隔接続されているという凍矢本人の核も、無事ではいられまい。肉体の死滅に連動して息絶えるのみ。雹針は、もしやそこまで想定した上で核移植に踏み切ったのだろうか。

 幻海ほど具体的ではないにせよ、幽助にも最悪の事態を招いてしまうという事が理解できたようだ。何かいいたげな顔で、だけど言葉が見つからずに無理やり飲み込んでしまった。

 「そういや、白狼はどうしたんだい? 凍矢の妖気が封じられてるんじゃ、やっぱり専属召喚獣は現出できんのか」

 「みてぇだな。冬眠中を狙われちまったみてぇだし・・・・・・まぁどの道、あいつが雹針の言う事聞くとは思えねぇけどよ。妖力の強さ云々も重要だけど、本当に従う決め手になるのは術者の人格らしいぜ」

 と、その時。幽助の携帯電話が着信を告げた。蔵馬だった。

 『幽助、今まだ、幻海師範の所か? 修の行の事、師範は何て?

 この上なく答えづらい質問だったが、誤魔化しても意味は無い。幽助は仕方なく幻海から聞いたままを話した。自分の口で改めて説明していると、のしかかる現実の重さ残酷さが、さらに増してくる気がする。

 「オメーは魔界に残ってんだろ? 今の状況は?

 『とりあえずは変わりなし。表面上はね。何しろ相手は忍者だ。癌陀羅の諜報機関でさえもあずかり知らぬ所で、何か姦計を巡らせている可能性もある』

 「確かにな・・・・・・陣達はどうしてんだ? 大丈夫・・・・・・そうには思えねぇんだけど」

 『彼らが諦めてないのが最大の救いだよ。覇王眼の力を借りたにせよ、イチガキに核移植ができたのなら、時雨にできないはずが無いし、医療設備は百足も充実してるからね。とにかく今は隠れ里の現在地を割り出すため、諜報機関が集めたどんな些細な情報でも片っ端から77戦士が総力を挙げてあたるそうだ』

 不幸中の幸いは、凍矢が処刑される可能性が極めて低いとわかった事だ。雹針が霊界にまで手を伸ばして取り戻した『後継者』を、自ら殺してしまうわけはない。いくらなんでも、それはありえない。諜報機関と77戦士は、やっと地道な作業に集中できるようになった。凍矢の状況が全くわからなかった時に比べると、当面の目的が見えた分まだ身動きが取りやすい。

 一筋の光を見出せた気がして、ようやく冷静さを取り戻し始めた幽助は、受話器の向こうから紙と紙が擦れあっているかのような音がするのに気付いた。正確には、本のページをめくる音。

 「蔵馬、オメー何か読んでんのか?

 『ん? あぁ。今、書庫を借りてるんだけどね。悠焔の郷土史はもちろん、街ができる前の、あの土地の歴史もわからないかと思って』

 「何だってそんな事・・・・・・しかも街ができる前も、だって?

 『個人的にだけど、雹針が吏将達にあの街を襲わせた理由が気になったんだ。何の意味も無く部隊長を派遣して、襲撃するとは思えない。陣には心当たり無かったみたいだけど、もしかしたら彼と・・・・・・たぶん凍矢も、あの街が襲われた事に関して、何かしらの接点があるのかもしれない。イチガキの死体を、わざわざ爆発跡地まで遺棄したように』

 陣が瞬間移動の魔法陣を思い出すであろうと計算した上で、雹針はあえてあんな事をしたのでは、と蔵馬は考えていた。陣の焦燥を煽り、憎悪をたきつけ、絶望に叩き落す過程を楽しんでいるかのように思えてならない。

 核移植などという、魔界史上を振り返っても確実に前代未聞かつ無謀な手段を選んだのも、その一つなのではなかろうか。凍矢の命を魂を心を隔離し、彼の姿を奪い取って陣の前に現れるだなんて、悪趣味という次元では収まらない。

それこそが、もう一人の抜け忍である彼に対する、処罰なのだろうか。

 『本当なら、黒鵺にあの土地の過去を読んでもらいたい所なんだけど、まだしばらく出先から戻れないみたいだから、せめてオレが調べられる所まで調べておこうと思ったんだ。諜報機関も、自分達の仕事で精一杯だからね』

 「そっか、そーいう事か。了解したぜ。オレはとりあえずまた、北神の所に戻るからよ。何かわかったら、即連絡頼む!

 幻海に短く別れを告げ、幽助は庭に待たせておいたプーの背に飛び乗った。外はすでに黄昏時。西の空が鮮やかな朱に染まり、東へ移るにつれ空は絶妙なグラデーションを描きながら闇を呼び寄せる。そんな色彩の空に飛び上がりながら幽助は、柔らかな羽毛に覆われたプーの背中を縋るように握り締めようとして、やめた。プーが分身である以上、自分がマイナス思考に捕らわれていてはならない。もう悟られているだろうが、せめて表面上くらいは強がっていたかった。

 

 

 同時刻・癌陀羅

 

 ニュース番組では、最近魔界が警戒を強めている魔界忍者についての情報が、ここ連日トップで特集を組まれている。 

 昼間にも速報が流されていた、悠焔襲撃と凍矢の核移植について、夕方の時間帯でも改めて報道された。政治機関とは無縁の場所でも、もはや油断は許されない、とも。

 魔界統一トーナメントで、黒龍を駆使する邪眼師・飛影と壮絶な死闘を演じた呪氷使い・凍矢が核を奪われ、その体を乗っ取られてしまったという事実は、癌陀羅をはじめ魔界住民達を一様に驚かせ、また動揺させた。あれほどの、白狼を従えるほどの戦士にそこまでの仕打ちができるとは、魔忍の長・雹針とはどれほどの猛者なのか。覇王眼とは、そんなにまで強大な力を持つ妖具なのか。

 今までのテロリスト達とは、レベルも勝手も何もかも違う。今までテロ関連のニュースといえば、77戦士の誰それの班が、どの組織をどうやって打ちのめしたか、そういう内容しか伝えられていなかった。戦士達が不利な状況に立たされているだなんて、誰も聞いた事なかった。きっと、ろくに想像もしなかっただろう。

 あの躯大統領のお眼鏡にかなった77戦士を、窮地に追い込むようなテロリストの存在など、これまでいったい誰に想定できたであろうか。

 魔界住民達の不安は、災害の異常発生の頃より遥かに増大する一方だった。

 黄泉の城・最上階、さらにそこを見下ろす高度に浮かびながら、癌陀羅が良くない風に覆われていくのを陣は感じていた。恐怖や焦燥、苛立ちなど、感知しているこっちが気が滅入りそうになる。風使いとして生まれた以上、それらを無視する事もできず、好ましくない風に当てられてついため息が零れた。

 何だか、酷く疲れていた。悠焔から死々若丸と戻った後、鈴木らや躯に事情を説明し、他の77戦士達と共に里の現在地を割り出すための人海戦術へ乗り出したのがつい昨日の事。怒涛のように膨大な時間が流れた気がするのだが、まだ一日しかたっていないのだ。

 とりあえずは諜報機関の集めた情報を元に、班別でローテーションを組んでいる。魔界忍者の襲撃を迎え撃つ班と、里の捜索に回る班。それぞれが決められた時間で交代しているというわけだ。六人衆も、つい三十分前まで捜索側にいた。しかしどこの班も未だこれといって有力な手がかりすら掴めていないのが現状だ。

 魔忍の方はといえば、どうしてもこちらが手薄になりがちな辺境の地方都市や街を襲い、77戦士をおびき寄せ疲弊させてから瞬間移動の魔法陣で撤退する事を数回繰り返している。いずれも、悠焔の時とは違い、吏将や爆拳のような『部隊長』クラスはもちろん、階級が上の上忍はほとんどいないらしかった。当然、雹針の目撃情報も全く無い。いつでも捨て駒にできそうな中忍、下忍を駆り出している。まるで今の魔界は、雹針の手のひらの上でいいように転がされているようだ。

 雹針の核が、凍矢の体に馴染むまでの時間稼ぎだとでも言うのだろうか。

  

 ―――誰の血の雨が降るのやら

 

 最も身近に聞こえていた声が、不吉な言葉を紡いで反響する。繰り返しそうになったため息をすんでの所で飲み込み、陣はキュッと下唇をかみ締めて魔界の空を見上げた。

 ―――とーちゃんだったら、こんな時どうすんだべか。オラが生まれて初めて目標にした、魔界一強い男。本当に本気出したら、雹針はもちろん三竦みだって誰も敵わねぇって、信じてたっけな。

 広くたくましかった父の背中。あの頃より自分はずっと成長して、妖力だって強くなったけど、何だかまだ遠い気がしてならない。

 「陣! 探したぞ」

 足元から、鈴木の声が放り投げられるように飛んできた。

 「携帯鳴らしたのに、気付かなかったのか?

 「・・・・・・あ、あぁ悪ぃ。充電切れてんの、忘れてただ」

 答えながら窓から屋内に戻る。凍矢が最初に消えたあの日から、当たり前の事や無意識でできていた事を、陣はつい忘れがちになっている。酷い時は、寝食までも。

 どことなくうつろな眼差しは、仄暗い影を帯びている。ほんの数日なはずなのに、鈴木はどうも、ずいぶん長い事この『陣らしくない』表情ばかり目の当たりにしてきたような気がした。そういえば、彼も自分も、いや皆、笑っていない。

 「悠焔について、何か思い当たる事はあったか? 蔵馬も気にしてただろう」

 つとめて声に力をこめて鈴木が尋ねると、その意図を汲み取ったかどうか、陣ははっきりと顔を上げた。

 「んにゃ、なんも。あの街はオラも凍矢も行った事ねぇだし、とーちゃんかーちゃん達も関係ねぇはずだべ。あの人達が死んだの、悠焔ができるよりずーっと前だったかんな」

 「そうか・・・・・・まぁその内、黒鵺が手すきになった時に過去読みの結界張ってもらえば、何かしらわかるだろ。もっとも、妨害妖派が無ければの話になるが」

 「鈴木」

 不意に、陣が改まった声で呼んだ。軽くも重くも無い、言った本人ですら、そこにどんな感情を乗せればいいのか決めかねているような声で。だから鈴木は、つい息を飲んでこわばるように立ち止まった。

 「あのさ、多分・・・・・・いや確実に、『雹針』の最終目標は、オラを処刑する事だと思うんだべ。凍矢の、姿で」

 何だ、何を言い出す気だ。

 「抜け忍は、万死に値する。耳にタコこさえるほど、さんざん叩き込まれてきた里の常識だかんな。個人的には躯へのリベンジも外さねぇだろうけんど、あいつ倒して魔界の覇権奪うなら、余計に里を抜けたオラを生かしておけねぇはずだべさ。示しつかねぇし、何より奴のプライドが許さねぇと思う。きっと近い内に、『雹針』はオラを殺しに来るべ」

 まるで、自分自身に宣戦布告しているかのようだった。感情を、そこにあるはずのゆらぎを押さえ込んだ声音が、鈴木の脳髄を圧迫するように響く。

 「もちろん、凍矢を助ける事は絶対に諦めねぇ。取り戻せるって信じてるだ。でも、『雹針』とはきっと戦う事になる。そこから逃げられるほど、今回の事態は甘くねぇんだべ。・・・・・・本音さ言えば、もちろんヤだけんど・・・・・・」

 無理に浮かべた苦笑。だが、鈴木の目には陣が今にも泣き出しそうに見えた。だが、彼の言葉を止める術がわからなくて、ただ黙って一言一句もらさず焼き付けるように聞き取るしかできない。

 「だから、もしそうなったら・・・・・・」

そこまで言って、陣は一呼吸間をおいた。何気ない行動だったのだろうが、鈴木は陣が零れ落ちそうな嗚咽を必死で引っ込めたのかもしれないとも思った。

 「そうなったら、止めねぇでくれな。誰にも加勢なんかさせんでねぇぞ」

 そこから先、何か付け加えようとして、陣は結局やめた。これ以上この事について言葉を増やしても、意味は無いと考えたのだろう。

 実は何となく、鈴木もその事態を予感していた。仲間達も、77戦士達も、言葉にこそ出さないが危惧しているに違いない。それとも、あえて考えたくないのか。

凍矢の核は、里の現在地が掴めれば奪還のチャンスがある。しかし本体を取り戻そうと思ったら、雹針との直接対決は絶対に避けられない。戦って捕らえ拘束して、まずは雹針の核を取り除かなければならないからだ。よって陣が覚悟を決めたのは、至極当然。他ならぬ自分の役割だと、腹をくくったのだろう。

だから鈴木は、一つだけ尋ねた。

 「何故、オレにだけその話をしようと思ったんだ? や、厳密には黄泉にも聞かれただろうけど」

 嘆くでなく責めるでなく、あえて受け入れる事を選びつつ、聞いた。

 「酎は怒りそうだし、鈴駆は泣きそうだし、死々若丸はヘソ曲げそうだからに決まってんべ。それに黄泉は、わざわざチクッったりしねぇべさ」

 「・・・・・・なるほど、賢明な人選だ」

 「損な役回りさせて、悪ぃだな」

 「わかってるんだったら、せめてお前からはそーいう状況を作り出さないでくれよ」

 「・・・・・・ん、もちろんだべ」

 窓越しに閃いた雷光が、二人のシルエットを一瞬鮮明に浮かび上がらせる。それに誘われたように、陣と鈴木は窓の外へ目をやった。どうやら、天気が荒れそうだ。これは紛れもない自然現象なのだろうが、なぜか魔忍の・・・・・・いや、雹針の気配が絡んでいるような気がしてしまう。そんな風に心を乱すことこそ、奴の術中にはまるのと同じとわかっていても。

 「陣ー! 鈴木ー! 大変だよ〜!!

 前方の曲がり角から、鈴駆が転がるように走ってきた。その後に、緊迫した面持ちの死々若丸と酎も続いている。一体どうしたと尋ねるより先に、鈴駆は陣と鈴木の足元までダッシュして叫んだ。

 「飛影の班がいる所に、吏将と今度は爆拳が出たって!

 「何?!

 「場所は?

 陣と鈴木が同時にそれぞれ叫ぶと、間髪入れずに死々若丸が答えた。

 「第40X-16地点。堕落の森の中だそうだ」

 「煙鬼達ん所も今加勢に向かってるらしいがよ、オレ達も急ごうぜ! 飛影達の事も心配だけど、万が一、時雨の身に何かあったらシャレになんねぇだろ!

 いてもたってもいられないような酎の言葉を聞いて、陣と鈴木は同時に背筋が凍る思いをした。飛影と時雨は同じ班だ。凍矢の核を本体に戻せる技術を持った時雨。おそらく今の魔界には、時雨以上の腕を持つ妖怪などいない。もしや彼を優先して始末するつもりなのではなかろうか。部隊長が、それも陣や凍矢と同じく修羅の怪に属していた二人が揃って出現した辺りに、敵側の本気が見えた。

 「ここ癌陀羅には黄泉がいる。それに躯を通じて、別の班から何人か来てくれるよう手配しておいた。今ならオレ達は、自由に動けるぞ」

 「そうか。死々若、よくやってくれた。陣、急いで行こう!

 「あぁ、全速力だべ!!

 改めて思い返した。爆拳ももう、あの当時とは違うのだ。覇王眼という名のドーピングが施されているのだ。しかも吏将がいる。

 改めて気を引き締め闘志に火をつけて、五人はすぐさま城を、癌陀羅を飛び出すと、堕落の森へと急行しはじめた。

 

 

 無数に近い修羅場をかいくぐってきた飛影だが、霧に重量を感じたのは生まれて初めてだった。薄闇をさらにぼかしたような色合いのそれは、じっとりと粘着質で非常に不快である。全身に余すところなくじわじわのしかかるその重みは、振り払っても振り払ってもぴったりまとわりついてくる。濃度の濃い霧は、耳の中にも入り込んでくるかのようで、何だか聴力が落ちたような気がする。いや実際、落ちているに違いない。

 「無駄に器用な真似しやがって・・・・・・」

 舌打ちしながら、飛影は霧の壁の中から遅い来る土の巨人の攻撃を、炎殺剣で叩き落した。巨人達を倒すのは容易だが、いかんせん数が多すぎる。肉眼での視界はほとんど霧で覆われてしまっているので、邪眼を頼ろうにもなかなか集中できない。班員達の大まかな位置は掴めたが、お互いがどんどん離れてしまっている。

 「時雨! 麒麟! 周! 今の位置を動くな!!

 叫ばずにいられなかったが、これこそ無駄だと飛影は内心わかっていた。彼の発する声は、どうやら周囲の霧にすぐさま吸収されて、全く響かないらしい。

 暗黒武術会の時には、隠れ蓑の役割しか持たなかった、霧使い・爆拳の妖術。しかし現在では視界や聴覚を阻み、敵の動きを鈍らせる効果まで加わった。黒龍波を撃てば、その爆風で晴らせるかもしれない。しかし、時雨らが飛影の現在位置を掴めず、しかも技を放つ予告が届かないこの状況での遠距離攻撃は危険だ。巻き添えにせずにすむ保証はない。

 と、ふいに足元がぐらりと傾いだ。

 「!!

 すぐさまバランスを立て直している間に、地面がどんどん隆起して飛影を押し上げていく。自分の真下から巨人がぬうっと出てきたのだと一瞬で悟った飛影は、とりあえず煉獄焦を叩き込み、頭部を破壊。落下する勢いのまま炎殺剣を構え、渾身の力をこめて振り下ろす。

 「うぉおおお!!

 ガンッ!! ビキッ、バキバキバキ!!!

 残った胴体をちょうど縦半分にするように、飛影の持った炎殺剣が割り進んでいく。見事な真っ二つ状態分かれ、左右に倒れた真ん中に飛影は着地した。

 「らちが明かんな。一体いつまで」

 つい一人ごちかけた彼だが、頭上に土の巨人のそれとは違う気配――殺気――を感知し、ぱっと飛びのいた。次の瞬間、飛影が立っていた場所で轟音が鳴る。地面がえぐれ、クレーターが刻まれる。

 「誰かと思えば・・・・・・幽助に粉砕された、無駄筋肉か」

 クレーターの中心に立つ爆拳は、飛影による舌打ち混じりの憎まれ口などどこ吹く風といった感じで、当時と変わらぬ下卑た笑いを浮かべていた。

 「くくく、言葉は大切に使えよ、チビ。どれがてめぇの遺言になるかわかんねぇぜ」

 「遺言残す羽目になるのはどっちだ、馬鹿が。性能があがったとはいえ、この程度の霧でオレに勝てるとでも?

 「里長の素晴らしさを、そして覇王眼の恐ろしさをしらねぇから、そんな口利けるんだぞ。よく聞け! オレ様は里長直々の命によって、躯の筆頭戦士、邪眼師・飛影を抹殺しにきてやったんだ。その首もぎとって、百足に送りつけてやるから覚悟しろ!!

 やれやれ、と飛影は嘲笑をうかべる。

 「雹針もとんだ無駄手間をとったようだな。いくらドーピングしても、頭の中身に進歩がないようじゃ、宝の持ち腐れってやつだ。それとも、奴は捨て駒にお情けでもかけてやったのか?

 「けっ、いつまで余裕ぶっていられるかな。オレ達魔界忍者の目的が、魔界だけで済むと思っているようじゃ、お前も案外めでたい野郎だぜ」

 ぴたり、と飛影の言葉が、表情が固まって止まる。それを動揺と感じた爆拳は、得意満面で高らかに続けた。

 「里長は人間界や霊界にも目をつけておいでだ。三界を統べる王になると! 全ての世界に存在する技術や眠る資源を、残らず手中に入れて見せると!

 人間界。聞き捨てならない単語が出てきた。

 「だから、あのお方は調査も念入りだ。お陰でオレや吏将も、色々面白い話聞かせてもらえてよ」

 どこか芝居がかった口調で、爆拳は自分の手柄でも話すかのように言った。

 「邪王炎殺拳の使い手に、氷女の妹がいるとは、意外だったぜ」

 ひひひひひ、とさも楽しそうに笑って見せる。まるで鬼の首でも取ったかのようだ。それが、飛影に対する最大にして最悪の禁句だとはわからずに。

 「・・・・・・訂正だ。進歩が無いどころか、退化したらしいな」

 邪眼師の体内をめぐる血潮が、一瞬止まる。かと思ったらそれはあっという間に燃え上がり隅々まで駆け巡った。しかし飛影はそれを顔や態度には出さず、代わりに漆黒の炎を身に纏う。

 この世で唯一血の繋がった妹――雪菜の声が、柔らかな微笑が、脳裏を掠めた。それが通り過ぎるのを待って、飛影はクレーターの中心めがけて跳んだ。

 

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