〜第四章・風の慟哭〜
―――四年前
暗黒武術会が終了したその日の夜に、陣と凍矢は密かに首縊島を脱出した。浦飯チームの面々や、この大会をきっかけに最初に親しくなった酎と鈴駆、そしてもちろん吏将と爆拳にも一言も告げず。誰の目にもとまらないようにして。
三竦みが永い事続いた魔界だが、闘神・雷禅の死期が近いと噂され始めた。数年の内に魔界を二分する大戦争が起こると予見した雹針は、人間界に第二の拠点を置こうと目論んだ。躯と黄泉の直接対決となったら、いずれかに魔忍も参戦することになるだろう。今度という今度は、尋常じゃない被害が出るに違いない。戦場と化した魔界に留まっていては、全滅の危険もある。人間界に避難所を兼ねた基地を設け、戦力の確保と体勢建て直しに利用しなければ。そう考えた雹針が、魔界忍者の歴史史上異例とも言える武術会参加を許可してから、画魔を含めた三人で決めていた。 大会に優勝しようと、もしできなかろうと、もう二度と魔界忍者の隠れ里には戻らない、と。抜け忍として追われる身となる事がどんなに危険かはわかっている。だがそれを押してでも自由になりたかった。闇に束縛される日々から解放されたかった。亡き両親の分まで。 四強吹雪が全滅してまもなく、画魔の師匠・彩露もついに病に屈しこの世を去った。そして画魔も戦いに敗れ還らぬ人となった。信頼していた人達は全員いなくなってしまった。もはや故郷に帰る意味など無い。 「流星群が見える時期じゃねぇけんど、人間界の夜はやっぱり綺麗だべな」 夜空に浮かぶ十六夜の月と、満天の星空をまぶしそうに仰いで、陣はゆっくりと風を集め始めた。名残惜しそうに、この島から離れがたいかのように。 島自体に魅力を感じていたのはもちろんだが、ほんの数日の間に色んな事がありすぎた。大好きだった兄貴分との別れ。敗北と挫折。そして、新たな戦友らとの出逢い。一つ一つが鮮烈過ぎて、まだとても想い出とは呼べなくて。 そんな陣の横顔を見上げて、凍矢が口を開く。 「本当に、バラけなくていいのか?」 言いながら、彼は目の前にある画魔の墓標に目を落とした。まだ傷が癒えきらぬ頃、雨に降られるのも構わずに陣と共に画魔を葬った丘。 「雹針はきっと、唯一の弟子にして後継者候補でもあるオレの方に、よりはらわたが煮えくり返るはずだ。所謂『飼い犬に手を咬まれる』ってやつだな。どんな手を使って抹殺しようとするか、想像もつかない。巻き添えくらっても知らんぞ」 物心付いた時から、家を空けることの多かった両親に代わって、自分と陣の面倒を見てくれていた画魔を永遠に喪い、凍矢はずっと危惧していた。いつか目の前で、陣の命も潰えてしまうのではないか、と。その危険を少しでも回避するにはどうしたらいいのか、眠れないほど考えていた。心を、すり潰してしまいそうなくらい。 例え離れ離れになっても、陣の生存確率が上がるのならそちらの方がいいとさえ、思うようになっていた。別々に逃げた方が追い忍の戦力も分散する。しかし。 「今さらだべ。どの道殺されようとしてんのは、オラもかわんねぇだよ」 陣は相変わらずの陽気な、どこか飄々とした笑顔を浮かべ、凍矢の肩に手を置き答えた。 「どんな追い忍が来ようと、雹針がどんな手段に打って出ようと、二人でならきっと返り討ちにできるだ! だからさ凍矢、一緒に行くべ。オメがいてくれりゃー、なんも怖くねぇ」 一度言い出したら、てこでも動かない相棒の性分を誰よりも知っている凍矢は、ついに降参して苦笑を零すしかなかった。だけどそれ以上に、安堵していた。この世に生れ落ちたその日から、ずっと陣と共に同じ日々を過ごしてきた。本当は今更、彼のいない日常など、それこそ想像できない。 「そうだな・・・・・・その通りだ。共に行こう。お前になら、この背中を預けられる」 星明りの下、心は決まった。
―――現代
魔界各地で頻発していた災害が、突然全て収まった。妖駄が統括している災害対策本部が捕らえていた前兆現象も、一斉に消滅した。 しかしそれは事態が解決したわけではなく、この先訪れる本当の災いが虎視眈々と狙いを定めている状態に過ぎない。不気味な静寂に包まれた魔界は、それまでとは違う色の空気で張り詰めていた。 「一連の災害が、全部妖術のせいだっただぁ?!」 百足の広間で、幽助が思わず叫んだ。 緊急集合を命じられた戦士達と彼をあわせ、現在総勢70人が集められてはいるが、それでも広間は十分な広さと天井の高さだ。無遠慮な叫び声が大きく反響する。ちなみに、姿の消えた凍矢以外の六人衆メンバーと黒鵺、そして蔵馬は、蘇空時読結界で凍矢の消息を辿らんと、彼が最後に確認されたあの天幕のあった場所へ向かっていてここには不在である。 一段高い場所にしつらえた大統領専用席で、躯が頷いた。 「雹針は暗殺者時代から、妖術の研究家としても優れていた。滅骸石から作り出した妖具を、自分の体に直接装着していたほどの腕前だったからな。オレに敗れた雪辱を晴らすため、さらに研究に没頭していたはずだ。戦闘集団・魔界忍者を束ねながらも、自らは決して戦場に赴かなかったのは、新たな妖術の開発に時間を割いていたからかもしれない」 覇王眼を奪われ、落ち込んだ妖力でも妖術研究そのものには支障はなかったはずだ。長い年月をかけて、雹針は過去に存在したもの、現在使用されているもの、片っ端からつきつめて解き明かし、または進化させていたのだ。 その中に、どうやら天変地異を操る妖術があったらしい。駆使するための妖力だけが欠けていたが、彼はそれを取り戻した。 暗黒鏡によって。 膨大な力を再び手にした雹針は、ついに万を持して動き始めたのであった。 思わぬ所から現れた巨大な伏兵の影が迫ってくるのを感じつつ、幽助はぎりっと奥歯を鳴らした。暗黒武術会で魔性使いチームと対戦した時には、全く意識しなかった得体の知れぬ存在。陣と凍矢が抜け忍として追われていた事があったと、話では聞いたことがあったが既に済んだものとして認識していた。蔵馬と幻海の元で修行した事により、妖力が数段跳ね上がった彼らにかなう者が、今更魔忍の里にいるわけ無いと。本人達もそうだった。 しかし実際は、決して逃げ切れたわけではなかった。雹針は何も諦めてはいなかった。機が熟すのをずっと待っていたのだ。 「凍矢が居なくなったのは、やっぱり雹針のしわざなのか? そいつがさらいやがったって事か?!」 怒気を孕んだ幽助の問いかけに、躯が頷いた。 「他に該当者は考えられん。どんな手段をもって、煙鬼達の班がいたあのキャンプ地のど真ん中から、誰にも気付かれず凍矢をさらったのかは検討もつかんがな。だが覇王眼を装着し、昔よりもさらに多種多様の妖術を駆使できるようになったのに加え、冬眠状態の凍矢を狙ったわけだから、不可能を可能にできても不思議は無い」 「抜け忍ってのは、捕まっちまったらどうなるんだ? ってか、何で凍矢の方だけ?」 その場に集まった一同を代表するかのような質問を、投げかけたのは九浄だった。 この時答えたのは躯ではなく、大統領席の隣に設置されていた、癌陀羅と通信を繋いでいる大型モニター越しの黄泉。 『オレの配下にいた頃、陣と凍矢から聞いた話によると、捕らえられた抜け忍は例外なく拷問の上、処刑されるらしい。ただし、当人達もそれを実際に見た事はないそうだ。彼ら以前に里を抜けた忍びはいなかった、と。雹針による支配力は相当なものだったようだな』 つまり陣と凍矢は、魔忍の里の歴史上、類を見ない大罪人なわけだ。間違いなく、ただではすまない。想像するのも恐ろしい。 『とはいえ、おそらく凍矢を即処刑という事はないだろう。処刑対象は陣も同様だし、何より現在の雹針は魔界の覇権を狙っているに違いない。凍矢を人質にするのを足がかりに、まず陣を始め六人衆を潰し、徐々に77戦士の戦力を削り落としていく算段と考えられる。それと、これはだいぶ前に途絶えた妖術だが、滅骸石を基にした妖具を使えば、自分以外の妖怪の潜在能力を大幅に引き出せるというものがあったんだそうだ』 「ってことはまさか!」 黄泉の言わんとしている事を察して、幽助は目を見開いた。脳裏をよぎったのは、土と霧をそれぞれ司る妖怪達。 『あぁ、雹針は今自分に仕えている魔忍達に、いわばドーピングを施しただろうな。付け加えると、滅骸石の妖具を使用する妖術は、いずれも生贄を必要としている。イチガキを仲介にして、奴はいくつかのテロリスト集団を手中に収めていたが、その中の大多数が生贄として殺されたに違いない』 つまり、今まで起きていたあの災害の一つ一つも、発生のたびに何人もの犠牲者が出ていたというわけだ。その躊躇なき残忍さに、幽助は怒りを通り越してめまいを覚えた。 「黄泉」 それまで、ざわめきやどよめきの一部にすらなっていなかった飛影の声が、静かに空間を揺らした。 「雹針がイチガキに命じて、凍矢にも操血瘤を取り付ける可能性は? 六人衆をとっかかりに77戦士壊滅を企んでいるなら、そっちの方が有効策の気がするが」 『それはあり得ん』黄泉は、あっさりと即答した『霊界が押収した操血瘤を調べさせてわかったんだが、一定以上の妖力値だと、拒否反応を起こすようだ。それに確か、幻海とかいう浦飯の師匠に当たる人間は、操血瘤を無傷のまま取り外す術を知っているのだろう?』 「確かに・・・・・・凍矢だったら、修の行がちゃんと効くだろうな」 幽助が、暗黒武術会のワンシーンを回想しながら呟いた。幻海がこちらのサイドに居てくれる限り、万が一凍矢に操血瘤がつけられたとしても、彼を取り戻すことは可能だ。逆にその手段があるからこそ、雹針は凍矢を操り人形にはできない。 『しかも雹針は、冬眠状態を狙って拉致したと見られる。この時に何らかの手段を持って凍矢の妖力を封じてしまえば、白狼も出現できない。そのまま純粋に人質として利用した方が賢明だ』 「なるほど、納得した」 飛影は短く答えて、再び押し黙った。 もし凍矢がイチガキの意のまま動いてしまうようになったとしたら、白狼も同様になってしまうのではないかと考えていたが、その危険は無いようだ。トーナメントの引き分けは未だ心残りだが、どうやら不本意な形で決着をつける羽目にはならないらしい。 「ねぇパパ、そもそも魔忍の里って、一体どこにあるの?」 続いて挙手と共に声を上げたのは修羅だった。この問いには、黄泉は一瞬言葉に詰まり眉間にしわを寄せる。 『・・・・・・現在調査中だ。魔界忍者は基本、移民だからな。しかも里全体には不可視結界も張られている。知っている者も居るだろうが、魔忍の里よりも氷河の国を見つける方が遥かに簡単だといわれているほどだ。今では陣でさえ現在地がわからないらしい』 そこは、飛影の邪眼でも見通せない場所にある。地図上にもどんな情報にも片鱗さえのらない、だけど確実に魔界のどこかに存在する。音も無くその場所がじわじわ距離をつめてきているかのようだと、躯は感じた。 「ともかく、次に何かあるとしたらそれはもう災害じゃない。既にほとんど生贄にされちまっただろうから、操られたテロリストも来ない。・・・・・・雹針率いる魔界忍者そのものが、いよいよ直接動き出すはずだ。黄泉の言葉通りなら、配下にいる魔忍達すらも、かつて浦飯達が戦った時を遥かに凌駕する妖力を身につけている。ただでさえ情報が少なかったから、連中は未知の戦力だ。今まで以上に、油断大敵と思え」 えもいわれぬ緊迫感が、波打って広がった。妖怪によっては、魔界忍者という存在そのものに対してほとんど馴染みがない。今はまだ、戸惑いがぬぐえない。だがそんなことを言っていられる余裕など既に無い事は、その場の全員が悟っていた。
ほんの数時間前まで避難民のためのキャンプ地だったそこは、もう既に閑散とした空き地に戻っていた。連続災害は収束したため、皆本来の住居へ帰っていったのだ。孤光達が使用していた天幕も既に取り払われている。 確かに先程ここへ来たのに、まるで見知らぬ土地のようだと陣は思った。不安と心細さがさらに煽られた気がして、彼は頭を振ってそれを追い出そうする。その刹那。
バチイイイン!!
電流が暴走したかのようなけたたましい音と発光が、耳をつんざく。思わず呻いた黒鵺が抑えた右手が、火傷のように赤く腫れあがり血まで滲んでいた。 「黒鵺?! 一体どうした!」 驚いて駆け寄る蔵馬に、黒鵺は大丈夫だと安心させるように微笑んで、しかしすぐその表情を引き締める。 「まいったな、妨害電波ならぬ妨害妖波だ」 「? 何、どういうこと?」 鈴駆が首をかしげる。 「この土地で、結界はもちろん妖術の類が何かしら発動しそうになった時、それを妨げるよう細工されてやがる。これはこれで結界に似たようなもんだから破るのは可能だが、こいつの解除に必要なくらいの妖力をここで使うと、土地に染み付いてた残留思念も巻き添えで押し流されちまう」 つまり妨害妖波を破ろうと破るまいと、凍矢が拉致されたであろう瞬間とその足取りは追えないと言う事だ。 「この分ではおそらく、イチガキが潜伏していたあの場所にも、同様の措置が施されているだろうな」 まだ冷静さを装いつつ、けれど死々若丸は無意識の内に、組んだ腕を掴む己の指に力をこめていた。痛みを感じるほど強めてしまってから、やっと気付く。その指先が妙に冷たい事にも。雹針の事と凍矢の事を聞かされてから、血の気が引いたままだ。 その隣で、鈴木がハッとなったように顔を上げる。 「だとすると、雹針はいつの間に妨害妖波をしかけたんだ? 煙鬼達がキャンプ地を設営したのは、三日前だぞ。それ以前から罠をはり、この近辺で津波を起こす計画だったって事か?」 雹針の妖術によって、人工的に起こされていた一連の異常災害。層をまたいで魔界全土を襲っていたそれは、術者が一箇所に留まり遠隔操作する定点式のものだったと見られる。津波抑止に凍矢の呪氷は適材適所ということくらい、雹針も当然読んでいたはずだ。鈴木が言ったような計画の実行は、確かに可能なはず。 「・・・・・・だと思う」蔵馬が苦々しく呟く「もっと言うと、今日に限って急に規模の大きな竜巻と津波が起こったのも、雹針の計算の内だろうな。少しでも長く陣から凍矢を引き離し、冬眠に追い込むため、白狼の完全形態を召還せざるをえない状況をつくったんだ。さらに、雹針が連続災害を起こしていたのは、躯や77戦士を疲労させるためもあっただろうね。その間魔界忍者は力を温存し、来るべき戦いに備えて強化されていたということさ」 「つまりはオレ達全員、雹針の掌の上で踊らされてたって事かよ。っざけやがって!!」 酎が舌打ちした。気を落ち着けようと、さっきから何度も酒をあおっているが一向に酔えない。空になった酒ビンの軽さが、何だかむなしかった。 「・・・・・・今度の敵さんは、想像以上に厄介で狡猾だな」 嘆息交じりの酎の呟きに、鈴駆がその肩の上に乗って頷いた。 「雹針こそが天災みたいだよ。忘れた頃にやってくるなんてさ! 今更奴が同じ土俵に上がってくるだなんて、オイラ夢にも・・・・・・っ、?」 ひゅうううっ、と、風向きを変えた風が吹き荒れる。帽子を飛ばされそうになり、とっさに抑えた鈴駆の視界で、風を集めた陣が今にも飛び立とうとしていた。 「おい待て! どこへ行く気だ?!」 浮かび上がりかけた肩を慌てて掴んで、鈴木が声を荒げる。が、振り返った陣と視線がかち合った瞬間、彼は息を呑み硬直した。 いつもと変わらぬ、空色の双眸。そのはずなのに、陣の瞳には血の匂いを孕んだ昏い色の嵐が吹き荒んでいる。にこやかな表情もごっそり抜け落ちて、まるで別人のような雰囲気が怖いというより、むしろ痛々しい。 凍矢という存在を切り離されたと同時に、陣の中の、それこそ核に匹敵するほどの肝心な一部分がもぎ取られてしまったかのように見える。 「里、探すに決まってんべさ」 陣の唇から、呪詛でも呟くかのように低い声がゆっくりと紡がれる。自分の問いへの答えだと気付くのに、鈴木は少し時間を要した。 「魔界全部をしらみつぶしにして、草の根一本虫の子一匹でも、何か痕跡あったら見逃さねぇ。這いつくばってでも血反吐はいてでも辿りついて、凍矢を助ける。そんで」 いったん言葉を切り、陣はカッと目を見開く。 「雹針を殺す!」 飛翔こそしなかったものの、その瞬間、陣を中心にぶわっと音を立てて爆風が駆け抜けた。手をかざして、後ずさりそうなのを耐えた仲間達に構わず、陣はさらに叫ぶようにして言葉を続けた。 「あの野郎、今度という今度は絶対に許さねぇ!! あいつが生きてる限り、オラも凍矢も自由になんかなれねぇだ。二度と生き返れないように、八つ裂きにした上で核を潰してやるんだべ!!」 逃れてはいなかった。逃れたつもりになって、気付かなかった。雹針という名の闇色の鎖が、本当は自分達をがんじがらめにしているままだったと。鎖の末端はあの男の手にずっと握られていたのだ。 陣の足がふわりと浮かんだ。鈴木は、今にも彼が肩に置かれた自分の手を振り切って、空へ飛び立とうとしている気配を感じ、いっそうその手に力をこめて怒号を飛ばす。 「よせ! 今よりにもよって、お前が単独行動をとるのは危険だ! 連中の思う壺だぞ。お前も処刑対象の抜け忍じゃないのか?!」 「百も承知だべ。魔忍がオラ狙って動き出せば、そんだけ里も見つけやすくなる」 「正にそれこそが思う壺だと言ってるんだ! 雹針はお前が一人になるのを待っているのかもしれない。大体そのような短絡的な手段、誰も納得しないぞ。こんな時こそもっと落ち着いて行動しろ!」 「落ち着く?」陣の双眸が、さらに凶暴な光を放つ「落ち着いてる間に、凍矢がどんな目にあわされるかわかったもんじゃねぇだ!! 白狼も動けねぇらしいんじゃ、あいつ今、万策尽きた状態なんだぞ。自滅や自爆怖がってたら・・・・・・取り返しつかねぇ事になっちまうでねぇか!!」 「だからって、やみくもに動き回れば間に合うってわけでもないだろう!」 「陣!」 足元で、悲しそうな声が破裂した。 ようやく我に返った陣が見下ろした視線の先、鈴駆が右足にしがみついて彼を見上げている。今にも泣き出しそうな顔で。 「頼むから、一人で無茶しようとしないでよ。この上陣にまで何かあったら、それこそ取り返しつかないじゃんか! 第一、凍矢を助けたいのはオイラ達全員一緒なんだからね。置いてくだなんて許さないよ!!」 「・・・・・・鈴駆」 徐々に陣が纏う風は弱まっていくが、それでも鈴駆はしがみついたまま離れようとしない。陣を繋ぎとめるために。そんな鈴駆の姿と、緩み始めた陣の表情を見比べて、酎がふっと口元をほころばせた。 「こいつぁもう、お前と凍矢だけの問題じゃ無さそうだぜ。77戦士VS魔界忍者での戦争だ。陣一人だけで背負うには、ちっと重すぎやしねぇか? オレらチームだろ? 独り占めせず、平等に分けてくれよ」 「同感だ。この戦い、結束が崩れれば足元をすくわれる。もし、陣が何が何でも単独で動きたいというのであれば・・・・・・」 死々若丸が進み出て刀を抜き、陣の鼻先に突きつけた。 「まずは、オレを倒してから行くがいい」 彼は本気だ。冗談でこんな事を言う性質ではない。それくらい真摯に陣を止めようとしている。口先では平常を装いつつ、内心を酷く揺らし、痛めているのが手に取るようにわかる。それもそのはず。冷静に振り返ってみれば、出会ってからまだ数年とはいえ、伊達に同じ釜の飯を食ってきたわけでもないのだから。 完全に風をおさめ、とん、と地上に降り立った。うなだれたまま小さく「ごめんな」、と呟くのを聞いて、ようやく鈴木と鈴駆は安堵しつつそれぞれの手を離した。 ゆるぎないチームワークを確認して、蔵馬も胸をなでおろす。彼らが団結しているなら、凍矢奪還も可能な気がしてきた。そんな蔵馬に黒鵺がひそめた声で耳打ちする。 「蔵馬、ちょっと」 この先どう作戦を練るか、を緊急ミーティングし始めた陣達から少し離れるよう促して、黒鵺は先を続けた。 「さっき陣が言ってた、『今度という今度』ってどういう意味だ? 以前にも雹針って奴のせいで、陣と凍矢が危害を加えられた事があったのか?」 「そっか・・・・・・黒鵺にはまだ、話してなかったね。彼らが抜け忍として逃亡生活してた頃の事なんだけど、説明すると長くなるから、後で。今日はオレも、百足に寄るから」 了解したものの、明らかに蔵馬の表情が曇ったのが黒鵺は気がかりだった。逃亡、という言葉のイメージだけで、陣と凍矢が過酷な日々を強いられていたのは想像できる。だがそれをさらに上回る何かがあったようだ。 黒鵺の脳裏を、人の良い化粧使いの姿がよぎった。
―――四年前
黄泉の要請により、十万ポイントを超える妖力値の妖怪を六人集める事となった蔵馬は、暗黒武術会でしのぎを削りあったライバル達に声をかけてみようと早々に決めていた。他に見込みのありそうな妖怪は思い当たらないし、実際に存在しそうにない。既に十万ポイントに達しているのではなく、修行を積み重ね、そこまで力の伸びる事が重要なのだ。 それはつまり、潜在能力が秘められているということ。将来的に、さらに力量を増していくはずだから。 諜報機関の協力もあり、まず酎と鈴駆の居場所が特定できた。続いて、鈴木と死々若丸も思ったより簡単に見つけられた。彼らとの再会も交渉もスムーズで、ここまではトントン拍子だったのだが、その先はとたんに暗礁に乗り上げてしまった。陣と凍矢の行方が、要として知れないのだ。 二人がおとなしく魔忍の里に戻るとは、最初から蔵馬も考えていなかったが、まさか癌陀羅の諜報機関の力をもってしても見つけられないとは計算外だった。だが、それは無理もないと蔵馬はすぐ思い直した。 抜け忍には必ず追い忍が差し向けられ、地の果てまで逃げても追い詰められ捕らえられる。そのくらいは知っていた。魔忍のように閉鎖的かつ排他的な集団は、そこから外れようとする者を決して許さない。掟の下、そして見せしめのために、筆舌に尽くしがたい制裁が与えられる、とも。だから陣と凍矢は、自分達の痕跡を細心の注意を払って消し、潰し、ごまかしながら逃げ続けているはずだ。 戦力になるからという理由以上に、蔵馬は一刻も早く二人を保護したかった。幻海の敷地内に設けられた修行場には、妖力が漏れないよう結界を張ることになっている。その内側に入ってしまえば、如何なる追い忍でも彼らの足取りは辿れまい。 それに・・・・・・。 命を賭してまでチームの命運を繋ごうとしていた画魔。おそらくいやきっと、彼が本当に力を尽くしてやりたかった対象は、陣と凍矢の二人だけだ。彼らを光の世界へ導くために、画魔は死んでいった。一戦交えた者として、何としてもその遺志に答えたかった。 その願いもむなしく、一向に陣と凍矢の消息が掴めぬまま、またしばらくの日数が過ぎ去り、当然ながら酎達も彼らの安否を懸念していた矢先。 ついに一報が入った。それは決して、喜ばしいものではなかったけれど。 「雹針が、殺し屋雇ったって?! それも何人も?!」 鈴駆が青ざめた顔で叫ぶように問い返した。幻海邸本堂に、悲痛に反響する。夜の帳が下りたため、蝋燭のみの照明のせいか、空気の揺れが見える気がした。 「どうやら、追い忍だけでは陣と凍矢を捕縛できないと踏んだようだ。皮肉にもそのおかげで、諜報機関が尻尾を掴めたわけだけど」 雹針が雇わざるをえなかった殺し屋達の中には、諜報機関の要注意リストにデータが記載されている者達がいたのだ。常にその動向をチェックしていたため、偶然にも魔忍の里の動向が垣間見えたということである。 「多分、雹針としても苦肉の策だったんだろうな」 鈴木が短く息をついた。 「お抱えの魔忍以外の力を借りるとなると、絶対の秘密にしておきたい魔忍の里の情報が、少なからず漏れるかもしれない。そのリスクを承知しなければならないほど追い忍を差し向けても、陣と凍矢は捕らえられなかったともいえるが・・・・・・」 不安に揺れる語尾を受けて、蔵馬が頷いた。 「あぁ、それだけ二人が受けた追跡や追撃は、過酷を極めていたと考えられる。そこへさらに、腕利きの殺し屋が大量投入だ。もはや一刻の猶予も無い」 諜報機関からの情報によると、雹針に雇われたと思われる殺し屋達は、一斉に人間界に向かったとの事だ。霊界の監視下であまり激しい戦闘をする事も、本当なら避けたいはずだろうが、そんな事を構っていられないほど、雹針は陣と凍矢の捕縛に執着しているらしい。 蔵馬、鈴駆、酎、鈴木、そして死々若丸の五人は、急いで諜報機関がデータ送信してきた地図に記されている地点に向かった。幻海邸のある山から、遥か北の方角。そこもやはり、人里から遠く離れた人跡未踏の森の奥深く。 目標地点には割りと簡単に到着したが、どうやら一足遅かったようだ。 樹齢数百年とみられる巨木の根元に、殺し屋三人の死体が転がっていた。周囲の一部は冬でもないのに凍結し、また別の一部は竜巻でなぎ払われたかのような惨状になっていた。 「ここいらで、ドンパチやってみてぇだな。まぁとりあえず、陣と凍矢は無事なんだろうが」 「いや、事態は思ったより深刻だぞ」 一安心しかけた酎に、死々若丸が首を横に振る。 「あやつらは、自分達の痕跡を完全に消し去りながら逃亡していたのだろう? なのに、殺し屋どもの死体がわかりやすく野ざらしだ。これがどういう事かわかるか?」 「・・・・・・! つまり、足取りをもみ消す余裕も無くなっちまった、っていうのかよ」 二人の会話を背後に、蔵馬はすばやく死体を検分した。死後間もない。陣と凍矢はまだ、この近辺にいるかもしれない。 手分けして探索にあたる。氷と風の属性を持つ妖気が感知できないか、神経を限界まで研ぎ澄ませる。彼らの焦燥をあざ笑うかのように、時間だけが経過していった。だが。 鈴駆が、四人目の殺し屋を発見した。首をはじめ全身の骨があり得ない方向に捻じ曲がり、既に虫の息だ。医学的知識はほとんど無い鈴駆だが、死線をかいくぐった戦士として判断した。こいつはもう、助からない。 「おいちょっと! まだ死ぬなよ。あんたが殺しの依頼を受けてた、風使いと呪氷使いはどこにいるのさ?!」 耳元に口を近づけ力いっぱい怒鳴ると、殺し屋は言うことを聞かない手の代わりに、目線だけである一方向を示した。それを辿った先、蔦に覆われた崖がそびえている。そこに闇に紛れそうな小さな洞穴が、ひっそり口をあけていた。外からは、塗りつぶされたような闇に邪魔されて、中が全く窺い知れない。だけど、何だか尋常じゃない程の殺気がそこから溢れ出ていて、鈴駆でさえも足がすくんでしまうくらいだ。 ここに本当に、陣と凍矢がいるのだろうか。果たして二人は無事なのか。どちらにせよここからは単独行動は避けるべき、と考えた鈴駆は、自分の妖気を放出して他の四人を呼び寄せた。そして彼らもまた、戦慄せずにいられないほどの殺気に動揺した。戦闘の気配は無い。だが、その殺気は時間を追うごとに強くなっていくかのようだ。 懐中電灯を点した蔵馬を先頭に、五人は縦一列で洞穴に入る。横に二人以上並べないほどの幅しかないのだ。一番背の高い酎は身をかがめながら進む羽目になった。 洞穴の奥へ歩めば歩むほど、濃度を増していく殺気に、息が詰まりそうになる。まだ、明確に自分達に向けられているわけではないのに、今この瞬間、喉笛に刃の切っ先を突きつけられている気がした。 およそ数分後、少し開けた空間に出た。と思った刹那。 「来るんじゃねえええ!!!」 激しい咆哮が洞穴内に反響した。同時に、外気が入らないにも関わらず突風が荒れ狂う。叫びすぎて割れた声の主が陣だという事に、気付くのが遅れた。武術会で邂逅した時に耳にした彼の声とは、正しく別人のようだった。 「陣? そこにいるのか!」 蔵馬が懐中電灯を向けた先。開けた空間の最奥。行き止まりになった洞穴の壁際。丸く切り取ったかのような光の中に、二人分の姿が照らし出される。 目を、疑った。 陽気で人懐っこくて、心から純粋に戦いを楽しんでいたあの陣が、あどけなさの残っていた瞳を殺気と憤怒でらんらんとギラつかせ、猛獣のごとく牙をむき出しているではないか。予想だにしなかった豹変ぶりに、蔵馬達は愕然とした。が、それ以上に彼らを襲った動揺がまだあった。 どれほど激しい死闘に晒されてきたのか、彼はこれ以上傷を負う場所が無いのではと思うくらいの満身創痍だ。壁に背を預け腰を落としているとはいえ、大声で叫び、上体を起こしていられるのはもはや奇跡的だろう。もともとの赤毛は、一部が血を吸ってさらに色合いを濃くし、濡れたようにべったりと張り付いていた。 そして、陣はその血みどろになった両腕の中に、凍矢を抱きかかえている。出血多量のせいか小刻みに震えるそこで、凍矢はぐったりとしたまま微動だにしない。顔は見えないが、おそらく意識を失っている。彼もまた体中の至る所に深手を負っており、特に目を引いたのは背中だった。 おそらく陣が応急処置を施したのか、布が巻かれ止血が試みられている。が、気休めにもならないのか布は既に深紅に染まりさらなる血が滴っていた。 ふと視線を落とすと、矢が二本打ち捨てられている。二本。 容易に想像がついた。凍矢は陣を庇い、その背中に二人分の襲撃を受けたのだ。 「何という事だ・・・・・・!」鈴木が呻いた「すぐに手当てしなくてはな。陣、もう大丈―――」 「来んなっつったべや!!」 鈴木が一歩踏み出そうとした瞬間、噴火のように燃え上がる殺気と突風の塊が爆ぜて、足をすくませた。 「それ以上近づいたら殺すオラの風で砕き殺してやるだ絶対負けねぇ許さねぇこんな所で殺されてたまるか雹針に殺されてたまるか凍矢を殺されてたまるか殺させるもんか死なせたくねぇこいつまで喪いたくねぇ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ誰も来んでねぇ近寄んでねぇ全員殺す殺す殺す!!」 息つくまもなく殺伐とした声と言葉を乱発していた陣が、カッと目を見開き、はっきりと輪郭を持った声で叫ぶ。 「死ぬのも生きるのも全部凍矢と一緒って、オラはとっくに決めてんだあああああ!!」 二人を守るように、竜巻が取り囲む。武術会で見たものより格段に弱いはずなのに、何故かそれは果てしなく高く強固な壁のようだった。 「ちょ、陣! どうしちゃったんだよ! オイラだよ鈴駆だってば!!」 悲痛な声で叫んだ少年の肩に手を置いて落ち着かせながらも、蔵馬は己の声が痛ましさで揺れることを抑えられなかった。 「完全な錯乱状態だ。今の陣の目には、オレ達すらも追い忍か殺し屋に見えるんだろう」 「って言われてもでも、早く助けなきゃ二人とも死んじゃうよ!」 「大丈夫、もう手は打った」 蔵馬が言い終わるのと同時に、洞穴の天井から蔦が一本するすると垂れ下がってきた。竜巻の中心にいる陣の頭上に迫り、彼の顔の前まで降りて止まる。ようやくそれに気付いた陣が僅かに表情を動かした瞬間、不自然に丸まっていた先端の葉っぱが唐突に開きふわっと粉状のものが舞い上がった。 「―――? ・・・・・・・・・」 とたんに般若のような形相だった陣の顔から力が抜け、眠そうに緩んだかと思うとあっという間に風も殺気も消えうせる。だけど凍矢を守る腕だけはそのままに、ずるずると背中を壁に引きずらせるようにして横倒しになり、陣は睡魔に捕らわれ落ちていった。ようやく、見覚えのある顔に戻った。 「陣! 凍矢!」 酎が陣を担ぎ上げ、鈴木が凍矢を抱える。鈴駆も必死に二人に呼びかけ、その光景に死々若丸は安堵しつつ、蔵馬を振り返った。 「貴様、今何をした?」 「入り口付近の蔦を一本引き寄せて、夢幻花の花粉を持たせたのさ。殺意も敵意も無いから、あれなら近づかせても陣に気取られない。極端に体力と妖力が落ちてる今の陣になら、効くはずだと思ってね。記憶までは消せないし目覚めるまでの時間も本来より短いだろうけど、でもそれで十分だ」 何はともあれ、間に合った。自分が得意とする薬草、幻海の心霊医療、そして雪菜の治癒能力。使える手立てはいくらでもある。それにしても・・・・・・。 蔵馬は、ついさっきまでの陣の形相を思い出さずにいられなかった。そこについ、デジャヴを感じてしまったのだ。血まみれの体。魂を振り絞らんばかりの咆哮。引き千切られそうな心。全て、かつての自分も体験した事だ。 黒鵺を喪いそれ以降、人格や生き方まで変貌してしまった蔵馬。今回凍矢は助けることができたが、もしも自分達が間に合わなかったら・・・・・・。
二人の内のどちらかでも欠けてしまったら、残された一人は―――――
―――現代
「なるほど、そんな事が・・・・・・」 百足内のプライベートルームで、蔵馬から一通りの話を聞いた黒鵺が、深く息をついた。 「陣にとっちゃ、トラウマなんてもんじゃねぇな。雹針の野郎、酷なマネしやがる。地獄で一緒だった頃、画魔も相当心配してたっけ」 「その後始めた修行で、二人が順調に妖力を伸ばし、10万ポイントを超えた時点でオレも油断してた。魔忍の里に関しては限られた情報しかなくて、雹針の恐ろしさを知らなかったんだ」 それに、魔忍の里での事を、蔵馬をはじめ鈴駆達も聞こうとしなかった。決死の覚悟で脱出したくなるほどの場所について、ろくな記憶があるとも思えなかったからだ。たまに、陣と凍矢が思い出話のように語っていたくらいだ。以前、流星群見物の時に六人衆が幻海邸に到着してから、蔵馬達も四強吹雪の事を聞かせてもらったが、あんなにも詳しく二人が過去を語るのはあれが初めてだった。 「凍矢を助けたいのはもちろんだけど、それと同じくらい、陣をオレの二の舞にしたくない。もし最悪の事態になったら、きっと誰にも彼を止められなくなる」 「あぁ、わかってるよ。もうオレの時みたいな特例は、通用しねぇだろうからな」 黒鵺は立ち上がり、テーブルを挟んだ向こうに座る蔵馬の頭に手を置いたかと思うと、少々乱暴にかき混ぜるようになでた。 「こっからが本番で正念場だぜ! ややこしい状況ではあるけど、どれもこれも何とかしてやろうじゃねぇの」 な? と元気付けるように微笑みかけると、蔵馬も少し表情を緩めてうなずいた。 その時、黒鵺の携帯電話がメール着信を告げた。 「お、諜報機関から一斉配信だ。えっと・・・・・・」 液晶画面に落とされた黒鵺の眼差しが一瞬驚愕に揺れ、すぐに厳しい光を放つ。あまり良くない知らせが来たらしいことを、蔵馬は即座に理解した。 「何て?」 見上げながら短く問うてくる親友に視線を戻し、黒鵺は低く押し殺した声音で答える。 「・・・・・・ドクター・イチガキの死体が出た」 |