第二章・魔界惑乱

 

 

 イチガキが暗黒鏡を盗み出した、あの満月の夜から2日後。霊界特防隊の働きのおかげで、イチガキがかつて人間界にいた頃の研究所が発見された。だが、そこは暗黒武術会終了後以来、まったく人の出入りが無かったようで、ほとんど   

廃墟と化していたそうだ。周囲は人の背も超える勢いで伸び放題な草むらで覆われ、主としていた妖怪はとっくに立ち去った後だというのに、今の方がよっぽど化け物屋敷のようだったらしい。

 「中は実験道具や研究資料が散乱しておってな、その中に操血瘤に関する設計図もあったそうじゃ。念のため、一通り押収させてはおいたが、大した手がかりにはならんじゃろう」

 浦飯家リビングで霊界側からの報告を終えたコエンマは、テーブルを挟んだ向こうで腕組みしながら聞いていた幽助に「それで、そっちの首尾はどうじゃ?」と、尋ねた。

 「どうもこうもねぇぜ。何しろ、あの野郎がまったく動きゃしねーんだからな。どんな卑怯の極みをやらかすのかと思ってたが、オレ達自身はもちろん、家族含め周辺全て、被害ゼロだ。有害そうな妖気の気配もナシ!  ここまで平和だとかえって不気味なくらいだ」

 「あたしも、せっかく防犯グッズとかその他揃えて、できるだけ対抗しようと思ってんだけどね〜。拍子抜けもいいトコ」

 お茶と大福を用意した温子が、少々二日酔いの残る気だるげさを纏いながらも、相変わらずの豪胆な一面を見せた。

 「テメーは余計な事しなくていいんだっつの! 大体、人間界のスタンガンや催涙スプレーが、妖怪に効くわきゃねーだろが!

 「・・・・・・いやそれよりも、ワシとしては『その他』の部分が気になるんじゃが」

 だがその辺は、あまり追求しない方が良さそうだ。すぐに悟ったコエンマは、気を取り直して話題を変えた。

 「ところで、魔界で災害が異常連続発生している事は、もうお前も知っとるじゃろう。今のところ77戦士達の活躍で、被災者救助も災害抑止も何とかなっとるそうじゃが、そろそろ霊界からも医療チームを派遣しようかと考えておってな」

 「絶対そうした方がいいって! 霊界の心霊医療は、効果覿面って評判だもんな。オレも心配でさ、実は救助部隊に助っ人しようかと思ったんだけど、お前はそれどころじゃないだろって、躯に断られちまった」

 「当然じゃ。お前が人間界を離れたら、その隙を突いて温子や螢子達がどんな危険な目にあうか、わかったもんじゃないわい」

 「平気平気! そうなった時のために違法改造のスタンガンとか、非合法のアレとかいつでも装備できるようにしてるんだもん」

 「だから、オフクロは何もすんなっつーの! 余計事態がややこしくなるだろーがよ!

 「・・・・・・いやいやいや、今いくつか妙に引っかかる単語が出てきたんじゃが・・・・・・」

 だがまたしても、追求したら後悔しそうだったので、コエンマはそれ以上の言葉をぐっと飲み込んだ。

 「でも、その躯が言うには、魔界の災害とイチガキは関係無ぇんだろ? タイミング的に、偶然で片付けていいのかどうか、オレはまだちょっと疑ってんだけどさ、コエンマ的にはどうよ?

 うーむ、と今度はコエンマが腕組みして考え込んだ。彼も人間界に来る直前まで、ホットラインで躯と話していたのだが、やはり躯の言っている事の方が正解のような気がしていた。

 「幽助の気持ちもわかるがな、ワシも今回は悪い偶然が重なったんじゃないかと思う。躯もさっき言っていたが、もしイチガキが天変地異を起こす能力を欲し、それを叶えていたとしたら、人間界で何もおきないわけが無いじゃろう」

 「でもよ、関係性こそ無いにしても、奴の今の潜伏先が魔界って可能性はあるんじゃねーか?

 やけに自信ありげに言い切った幽助に、コエンマは思わず目を丸くした。これまで、霊界の対策本部で会議した時は、イチガキは災害連続発生の魔界を避け、人間界を逃亡しているのではないか、という意見が多かったし、コエンマ自身もそんな気がしていたのだ。。

 「今の魔界にか? わざわざあの危険な状況を選んで行ったとでも? 避難民の三割強が人間界に移動してるというのに」

 「だからだよ! 77戦士が出払って、躯も災害や避難民の事で手一杯なんだぜ。とどめに、たくさんの被災者が住んでた所離れるハメんなって、右往左往してる。三界指名手配犯が身を隠すには、正にもってこいってもんだろ」

 「・・・・・・こりゃあ驚いた」

 おしゃぶりをうっかり落としかける寸前まで、ぽかんと口を開けていたコエンマは、短く感嘆の息をもらした。

 「幽助、お前でも推理なんてできるんじゃな。近い内に人間界でも天変地異が起きる前触れで無ければよいが・・・・・・」

 「ってかさ、今ので脳細胞を酷使しすぎて、またバカさ加減に磨きかかっちゃうかもよー? ただでさえクオリティ低いんだから、もっと大切に使いな、もったいない」

 「二人ともちょっと、いや永遠に黙らせてやろうか、コルァアアアア!!!

 幽助が額に青筋立てて握り拳を出したその時、ベランダの窓がコンコン、と軽くノックされた。振り返ってみると、そこにいたのはオールに乗ってベランダに降り立ったぼたんであった。

 「おう、ぼたんか。珍しいな、オメーが人間界に来るときは、ふつーに人間のカッコして玄関から入ってくるのによ」

 「コエンマ様がこっちにいらしてるって聞いてたし、ちょいと急ぎだったもんでね、はしたないマネして悪いやねぇ」

 すっかり勝手しったる場所となった浦飯家リビングに上がりこんだぼたんは、さっそくコエンマに歩み寄った。

 「パトロールがてら空から周囲を回って来たんですが、幸い不穏な気配は感じられません。それとたった今、ひなげしから連絡があったんですよ。特防隊隊長がコエンマ様の代理で出席なさってた重役会議での結論ですが、魔界に派遣する医療チームの人員を、当初の予定より増やした方が良さそうだとの事ですって」

 「・・・・・・そうか。そんな気はしておったわい。大方また、魔界で新たな災害が起こったんじゃないのか?

 まだ終わらないような予感がしていたコエンマは、気を引き締めつつも努めて冷静に問いかける。するとぼたんは、飲めないものを飲み込むかのような顔で頷いた。

 「第3Z-10地点にある森で、広範囲の山火事発生。原因は不明らしいです。森の中に古くからある集落の住民達がほとんど焼け出されたんだとか。それから第26V-33地点で、海底噴火と巨大津波が同時発生だそうです。凍矢が白狼を召還して凍結させたから、津波そのものの被害は無かったんですが、噴火が原因で地震が起きたせいで、周辺住民が避難を余儀なくされちゃいましてね。しかも、悪徳業者の欠陥住宅が多かった街じゃ予想外の建築物倒壊が相次いで、重傷者も多数でてるそうですよ」

 「ふむ。そっちは人災じゃが、被災者には責任が無い以上、どの道放っておけんだろう。人員調整は、ワシが戻り次第すぐに行う。済んだら、速やかに派遣するぞ」

 二人の会話を聞きながら、幽助は抑えきれない焦燥を持て余し、下唇を噛んだ。自分がコエンマや母親と話しこんでいる間に、魔界ではさらに状況が悪くなっている。イチガキが何を仕掛けてくるのかは危惧しているが、だからといってこのまま実際に危機に瀕している魔界を離れたままで、本当にいいのだろうか。

 あちこちに駆り出されているという飛影や陣達は、どうしているだろう。旧雷禅国は無事だろうか。北神は心配要らないと言っていたが、いつまでも安全圏とは限らない。油断していたら、いずれ自分があずかり知らぬタイミングで、取り返しのつかない事態になどなりはしないか。

 なまじ情報だけ届けられていると、ついつい悪い方に考えが沈み込んでしまう。

 「そんな気になるなら、もう行ってきちゃえば?

 見透かしたようなその言葉に、幽助がハッと顔を上げると、悪戯っぽく微笑む温子がさらに紡ぎ重ねてきた。

 「っていうかさ、あんたしか向こうの様子見に行けないんじゃないの? 桑原くんは生粋の人間だし、蔵馬くんはご家族にも妖怪だって事隠してるから簡単に動けなさそうじゃんか。こっちは幻海のばーちゃんはもちろん、黒呼ちゃんもいてくれるんだから何とかなるって!

 一緒に出歩いていると、未だに姉弟に間違えられてしまうほど若い温子だが、それでもやはりここぞという時には「母」の顔になる。思えば、幽助が魔族として目覚め、魔界へ行く事を決めた時もそうだった。まるで海外旅行に送り出すかのような調子で、笑って背中を押してくれた。

 「・・・・・・悪ぃな、オフクロ。お言葉に甘えて、ちょっと行ってくるぜ。もしもの時は、すぐ呼び戻してくれよ。無理と無茶だけは絶対すんなよな!

 「心配無い無い! 裏ルート使って個人輸入したアレとかソレとかコレとかで、鉄壁の守りにできるんだから」

 

 「・・・・・・・・・あのーコエンマ様、温子さんが言う所のアレやソレって、一体何の」

 「突っ込むな! 考えてはならぬ! 世の中には知らんままにしておいた方がいい事もあるんじゃ。幽助も全く詮索しておらんではないか」

 「や、単にあいつにとっては日常会話だから、気にする事さえできなくなっちゃったんじゃないですか?

 「・・・・・・・・・・・・・・・」

 慣れとは恐ろしい。コエンマはそう思った。

 

 

 黒鵺と流石を中心にして、噴火の被害からどうにか避難した喩愚弩の住民達は、かつての火山地帯から十分離れた場所で難民キャンプを形成していた。

 魔界各所で災害が連続発生している今、大型都市でも大量の避難民を受け入れる準備が容易にできなくなっているためだ。先が見えない上、いつまたここも何らかの災害に見舞われるかもしれない。避難民達は言いようのない不安に押し潰されそうになるが、それに答えるかのように77戦士達が積極的に動き、霊界からも医療チームや救援物資が届き始めていた。

 しかしここへきて、新たな問題が浮上し始めている。

 妖駄を委員長として癌陀羅に設けられた、災害対策本部の調査をもってしても解明が進んでいない連続災害のために、ほとんどのテロリスト組織が活動を鈍らせるのではないか、との見通しが当初のうちはあったのだが、現実はそれをあっさり裏切ってしまったのである。

 躯や黄泉が災害の対応に追われ、浦飯幽助と妖狐蔵馬は仇敵のせいで人間界を動けず、とどめに77戦士達は魔界のあちこちに散っている。これを好機とみなす輩の方が、圧倒的に多かった。彼らは、避難のために住民達が去った町や村にやすやすと侵入し、俗に言う火事場泥棒を働いたり、もっと悪質な者達に至っては避難民キャンプを襲って略奪に手を染める始末。

 また、広範囲に分散した77戦士を一人一人倒して、躯が抱える戦力を徐々に削ろうとまで企む無謀な組織も早々に現れだした。その内の一角が、何と喩愚弩住民らのキャンプに出没してしまったのである。

 しかも運の悪い事にこの日は、霊界から派遣された医療チームと、彼らを先導してきたひなげし(はからい担当・ぼたん 協力者・あやめ)が訪れた直後であった。

 戦闘能力に恵まれていない彼女は、テロリストからすれば格好の餌食。

 

 黒鵺の結界や鎌、流石の足技を中心にした連続コンボによって、順調に無法者達を片付けてきたと思っていたが、一瞬の隙を突かれた。

 「う、動くんじゃねぇえええ! 躯の犬ども!! ちょっとでも動いたら、この霊界娘の喉笛ぶっ刺すぞおお!!

 ようやく手に入れた勝機を逃すまいと、らんらんと目を輝かせたテロリストの内の一人は、まるですがるように左腕でひなげしを抱え込み、右手の爪をぐんっと伸ばしてその白く細い喉元にぴたりとあてた。

 避難民や同胞達を逃がすことに気を取られていたひなげしは、悲鳴すら上げられないまま硬直する。ほんの少しでも喉を動かせば、その瞬間血しぶきが上がってしまうような気がした。

 「ひなちゃん!!

 しまった、と流石が蒼白になった。黒鵺は素早く白銀の鎌を内部結界に収め、丸腰を証明してみせる。

 「要求があるなら、聞いてやる。結界の詠唱どころか暗誦もしない。だからまずは、そのコを放せ! かすり傷一つつける事も許さねぇからな!

 二人の行動や態度を見て、もともと赤黒い肌を持つその妖怪の顔が、勝利を確信して鮮やかに紅潮した。流石と黒鵺。77戦士の中でも、かなり相手が悪かったかと思ったが、むしろ当たりクジだったようだ。

 偶然捕まえてみた霊界の少女は、どうやら流石と親しいようだし、黒鵺は噂で聞いていた以上に情が深いとみた。とっさの人質作戦だったが、功を奏したらしい。

 「へへへ、物分りのいい戦士様達で、助かったぜ。要求か、そうだなまずはこのキャンプに集められた物資を全部と、霊界の奴らがもってきた便利そうなもの、あとは・・・・・・」

 男ははやる心を懸命に抑えながら、わざとゆっくりとした口調で要求をあげ始めた。その大根演技っぷりに、流石も黒鵺も単なる時間稼ぎだと悟ったが、そいつが何を狙っているのか具体的にはまだ読めずにいた。

 物資の品定めをするフリをして、男はキャンプの背後にちらちらと視線を飛ばす。ここは、もともとの火山地帯から遠く離れた森の中。広場のようにぽっかりと開けた空間だ。上を見上げれば、まるで穴でもあけたように魔界の暗雲立ち込める空が、丸く切り取られている。それ以外は、木々に囲まれているのだ。

 枯れ果てた火山地帯とは対照的に、ここは鬱蒼と生い茂った森。その木々の陰にはまもなく、狙撃手を主とした後続部隊が加勢のために配備されるはずだ。それまで戦士達の注意をひきつけなければならない。

 だが。

 突然その木々の陰から、恐怖に絡めとられた悲鳴が響き渡った。枝に止まっていた鳥達が、驚いてばさばさとたくさんの葉を揺らしながら慌しく飛び去っていく。

 「何だ?!

 黒鵺達以上に、男が一番うろたえた。森の狭間から飛んでくるのは悲鳴ではなく、77戦士を狙った、妖気を孕む魔弾銃の弾丸のはずだ。

 気がそれたその瞬間を逃すまいと、黒鵺が鎌を投げる。素早く、音もなく投げられたそれはひなげしの喉笛にあてられていた男の長い凶悪な爪を、根元から全て叩き折った。

 「ひぎゃああああ!

 折られた拍子に爪が剥がれ、思わぬ激痛に喚いた男の左腕からも力が抜けて、ひなげしは転がるようにそこから脱出しする。彼女と入れ替わるようにして、流石が跳躍した。かと思うと、足をしならせて下から男の顎を蹴り上げる。

 加減はしておいたが、後方に少なくとも三メートルは吹っ飛んで昏倒ししてしまった。

 「他力本願ならぬ人質本願の奴は、やっぱその程度ね。ひなちゃん大丈夫? 怪我はしてない?

 「だ、だ、大丈夫・・・・・・!

 緊張の糸が切れてへたり込んだひなげしは息を切らせながら、、まだ引きつっている声を懸命に絞り出した。

 「足手まといで・・・・・・ごめんなさい。救助活動のために来たのに、あたしが助けられてる場合じゃないよね」

 「いいって、気にすんなよ」

 自らのふがいなさにしょんぼりとうなだれてしまったひなげしの傍らに、黒鵺が片膝をついて微笑みかけた。

 「そっちもそっちで色々仕事抱えてるだろうに、紳士協定のためとはいえ、殆ど好意で来てくれてるんだからさ。こっちこそ、危険な目にあわせて悪かった。立てるか? ひなげし」

 ほら、と黒鵺が右手を差し出した。骨ばったたくましいその手と、手の主の顔を、ひなげしはどぎまぎしながら見比べて頬を染める。そして意を決したように、差し出された手を握り締めた。恐怖でこわばっていた面差しが、一瞬で恋する乙女の顔へと変貌したが、それを向けられている黒鵺に限って気付けない。

 「ん? 熱でも出たか? 手まで何か熱いぞ」

 「い、い、い、いいえええ! あた、あたしなら、いつでも必要以上に健康優良児ですから!!!

 助け起こされ立ち上がったが、舞い上がっているせいかいまいち足元が覚束ない。気をつけないと、また腰を抜かしてというか、腰砕けになってしまうんじゃないかと、流石はひそかに危惧していた。

 (・・・・・・黒鵺さんって、ツボは外さないくせに、どうしてこうもフラグクラッシャーなのかしら)

 そういえば。先ほど、キャンプの向こうから響いてきたあの悲鳴は、結局なんだったのだろう。もしも新手が現れているのだとしたら、速やかに見に行く必要があるだろうか。

 流石が、そう考えた次の瞬間、急に周囲の気温がすうっと明らかに下降した。しかし不吉な感触は微塵も無い。むしろ覚えがある気配。

 「外敵は排除した。こちらもすでに、問題はなさそうだな」

 霧のように白い冷気が漂ったかと思ったら、通常形態の白狼が姿を現したのだ。普通の狼より一回り大きい彼の背中には、術者である凍矢がまたがり、同様に後ろには鈴駆が控え、さらにその背後では、陣が白狼の尻尾を握っていた。

 白狼の特技の一つ、短距離瞬間移動は、自身以外を伴って転移する場合、体の一部分でも必ず接触していないとならないのだ。

 「流石ちゃーん会いたかったよ!! こっちでもテロリスト出没って聞いて、もう気が気じゃなくてさぁ!

 ぴょんっと軽やかに飛び降りて、鈴駆は一目散に流石へと走り寄る。ここ数日会えなかった恋人の突然の来訪に、流石は核が跳ね上がるほど驚きそして、それ以上に喜んだ。お互いがお互いに抱きついて、そのまま離さない。

 「あたしも超寂しくて心細かったのー!! しかもこの辺携帯の電波ろくに届かないから、連絡もできなかったし。鈴駆くんの方こそ、色々大変だったんでしょ?

 「ま、それなりにね。でもどっちかてーと、陣と凍矢の方が奔走してるかな。風害や水害の類は、二人の能力でほとんど相殺できるから、オイラ達はそのサポートやってたって感じ」

 「実は今日も、この階層のB-7地点で津波と竜巻の同時発生を抑えてきた所だ」

 「喧嘩と違って神経使うから、どうも肩こってしゃーねーべ」

 白狼の背中から下りて答える凍矢が、ほんの少しとはいえ疲労を滲ませている。隣に立つ陣も、いつもの空中座禅をやろうとはしていない。少しでも妖力体力を温存しようとしているのだろう。

 自然界の属性を持つ二人は、災害の連続異常発生が起き始めた当初から、各地で引っ張りだこだった。陣は竜巻や台風を相殺できるし、凍矢は雪崩を止め、洪水や津波の凍結が可能。同様に飛影も、火災抑止の要として重宝されている。魔界で起きる火災は、凍矢の冷気で消火しようとすると第二回魔界統一トーナメントの億年樹粉砕(『ドキ! 女だらけの? トーナメントプレイバック』参照)のような、二次災害を引き起こしかねないと考えられたため、飛影が黒竜に蹴散らせることによって防いでいるのだ。。

 それでも最近は、災害の異常発生が治まるどころかさらに頻発しているため、彼らの奮闘もなかなか間に合わない状況だった。癌陀羅の諜報員達を中心に結成された救助部隊も人員増加が追いつかないので、77戦士は班員を分割して、被災地に散らばっている。鈴木と死々若丸、それに酎の姿が見えないのも同じ理由によるものだろう。

 実際、喩愚弩の被災キャンプにいる77戦士は黒鵺と流石だけだった。避難直後、当初彼らが担当していた任務を遂行した痩傑、九浄、棗と合流したのもつかの間、三人はすぐ別の地点で発生した直下型大地震の避難民救助へと駆り出されていった。よって黒鵺と流石のみが喩愚弩住民を避難させ、救援物資を受け取りキャンプを整えかつ警護に当たっていたのだ。。

 「そりゃお疲れさん。ところで、お前らがここに来たって事はもしかしなくても、どっかで難民の受け入れ態勢ができたって事か?

 黒鵺が思わず、少し緊張を緩めた。ここではただキャンプを張っていたのではなく、さらに安全な場所へ難民達を移動できるタイミングのために待機を続けていたのである。今朝躯からの使い魔が、今日中に見通しが立ちそうだと告げて来たので期待していた所だ。

 「あぁ、ここから西へ移動した所――U-29地点に、絽魏(ろぎ)という都市があるだろう。先日、急速干ばつがあった所だが、このキャンプに来る途中立ち寄って、陣が風で雨雲を引き寄せたから今頃都市機能も回復しているはず。現地までの案内は、オレ達も同行する事になった」

 凍矢の答えに、黒鵺は今度こそ本当に安堵した。この場所から絽魏へは少々距離はあるものの、同じ階層内で難民の受け入れ先が見つかったのは僥倖だ。

 「そりゃありがてぇぜ。さっそく大移動の準備だな。怪我人も順調に治ってるから、整い次第出発だ。ひなげし、難民と霊界の派遣チームに連絡してきてくれ」

 「はい! きっと皆さん喜びますよ」

 ぱっと顔を輝かせて、ひなげしは駆け出していった。いってらっしゃい、と手を振り見送って、流石はほっと一息つく。

 「避難民の人達の不安がピークっぽかったけど、これで一安心かな。とりあえずこっちは、班長さん達と合流しとくべき?

 「あ、その事なんだけど」

 思い出したように、鈴駆が流石を見上げた。

 「黄泉んとこの諜報員が、イチガキの魔界ラボを見つけたってんで、ついさっき酎達と棗さん達が合流して向かってったよ。今頃到着してんじゃないかな」

 「そうなんだ! それにしても、ずいぶん物々しいわね〜。ウチの班と鈴駆くん達の班の合同になってまで、そのイチガキってじーさんとっ捕まえなきゃならないなんて」

 「実は、オレ達も軍勢としては大げさかと思ったんだが」

 白狼の背中を撫でながら、凍矢が会話に参加した。

 「先日霊界に侵入した実行犯、調べてみたらあるテロリスト組織の末端なんだそうだ。万が一イチガキが操血瘤を大量生産していたとしたら、組織丸ごとを手中に収めている恐れがある。なので、念のためこちらも人員を増やしたと言う事さ」

 「幽助はついさっき旧雷禅国さ着いたばっかみてぇでよ、躯からの連絡でこの事聞いて、『やっぱもっと早く来くりゃ良かった!!』 っつってたらしいべさ。まぁ、あの国も砂嵐と山火事の挟み撃ちにあって、しかも飛影が別んとこさいて消火間に合わなかったから、今復旧に追われてるべ? どの道幽助は動けなかったと思うけんどなぁ」

 持参したミネラルウォーターで喉の渇きを潤した陣が、少し余裕が出てきたかニカっと牙を見せて笑った。だがそれを聞いた黒鵺は逆に怪訝そうに首をかしげた。

 「だがそうなると、ますます奴が未だ行動起こさねぇ理由が見えてこねぇな。こっちの予想通りもしテロ組織ごと操れてるんだとしたら、臨戦態勢は万全じぇねぇかよ。なのに何もしなかったばかりか、ラボは発見されたし実際、今正に痩傑達が身柄拘束に向かってる。このままじゃ肝心のリベンジ計画が、準備段階でおじゃんだ」

 「・・・・・・むしろそのために、わざわざ六人もの人員を揃えたのだろう」

 それまで黙って戦士達のやり取りを見守っていた白狼が、不意に口を開いた。

 「イチガキとやらがどのような願いを成就させたのか、その解明すらなされておらぬ。今ここで捕らえておけば、奴が叶えた願いを潰せるやもしれん。ただでさえ連続災害によって今の魔界は、混迷を極めているからな。しかも霊界に借りができている。紳士協定を侵した三界指名手配班だけでも、速やかに排除したいのではないのか」

 リベンジの対象で、コエンマ直々にイチガキ逮捕を依頼されたのは幽助だが、彼の参加を待たずに躯が痩傑達に指令を出した理由はそこにある。連続災害は、沈静の気配が全く見えない。被災者救済と被災地の復興、そして77戦士の負担を減らすためにも、霊界との連携を強化したい所だ。そのためにはまず、協定違反者を捕らえて差し出す必要があった。

 正聖神党が全滅したとはいえ、霊界住民や審判の門重役らの全員が、手放しで魔界を信頼しているわけではないと、躯は誰よりも心得ているから。最も好意的なコエンマが板ばさみにならぬよう、常に注意を払っていた。

 「なるほどね〜・・・・・・まぁ、それはそうとしてさぁ」

 ひとまずイチガキの件に関しては、これで解決したも同然と思ったか、流石は緊張を緩めて白狼に一歩近づいた。

 「せぇっかく久々に白狼に会えたのに、子狼形態じゃないのね。あっちの方が可愛くて好きなのに。ただでさえ小さい時も抱っこさせてくれないし、こんな大きかったら持ち上げられない所かまず、腕が回んないじゃないの」

 あからさまに口を尖らせた流石に、白狼は不愉快そうに喉の奥で唸った。

 「その勘違いをやめろと、何度言わせる気だ。我はお前の愛玩犬ではなく、凍矢の専属召喚魔獣以外の何者でもない」

 白狼はどうもこの少女が苦手だった。凍矢が任務中でない限り、彼は大抵子狼形態で己の友のそばに現れるのだが、頻繁に六人衆邸を訪れる流石と鉢合わせる機会は、少なくない。初対面の時、彼女は子狼を見つけるや否や、「超可愛い〜♪」と嬌声をあげて追い掛け回した。その時点ですでに十分すぎるくらい閉口させられたのだ。

 白狼の習性として、術者以外の何者にも従属せず、まして馴れ合う事など絶対にありえないと理解してからも、こちらがうっかり気を緩めた隙を狙って抱き上げようと試みてくる。短距離瞬間移動という特技を持ち合わせていなかったら、とっくにその腕の中に強引に閉じ込められていただろう。

 鈴駆の恋人とあってか、凍矢は「一度くらい、いいんじゃないか」と言うのだが、自らが友と認めた術者にのみ、忠実かつ誠実であるべきを、誓いと言うよりむしろ本能としている白狼はやはり抵抗感がぬぐえない。

 「まぁまぁ流石ちゃん、そのうちまた人間界にデート行った時、オイラが新しいぬいぐるみ買ったげるよ。それでも抱っこして気ぃ紛らわせれば?」 

 「だな、それで手ぇ打っとけ。飛影んとこの黒龍みたく、いきなり暴れだす事はないにせよ、こいつの機嫌は損ねないに限ると思うぞ」

 鈴駆と黒鵺。二方向から窘められて、流石はしぶしぶ頷いた。だがおそらく、本当にあきらめたわけではないだろう。

 「とにかく、早いとこ絽魏さ移動すんべ。そしたら今日は多分、任務遂行ってことになると思うしよ、そのままそこでみんなで飯でも食ってかねぇか?

 陣の提案に、凍矢もそうだなと同意した。

 「癌陀羅からは相当離れているし、酎達も遅くなるだろう。夕飯だけじゃなく、今夜は絽魏で宿を探した方が良さそうだ」

 「絽魏か・・・・・・あの辺は、めったに次元のひずみが出ねぇんだよな〜」

 痩傑の目が届かない内に、人間界へ行こうと企んでいた黒鵺だが、どうやらその計画は頓挫したらしい。

 「別にもう、蔵馬の方は心配いらねぇべ? 酎達がふんじばるの、時間の問題だべさ」

 気楽に笑ってみせる陣に、しかし黒鵺は首を横にふった。

 「そうじゃなくて、オレが個人的に蔵馬に逢いたいだけだよ。千年振りに再会できたはいいが、住んでる所が次元隔ててるんだぞ。しかもあいつの寿命は今人間並みだし、本当なら一日だって無駄にできねぇの。一緒に盗賊やりながら、魔界をあちこち旅してた頃が懐かしいぜ」

 「(黒鵺って兄馬鹿というかむしろ、ほとんどブラコン入ってるよな・・・・・・)

 「・・・・・・何か言いたそうじゃねぇか、鈴駆?

 「べべ、別に何も!!

 「だったらいいが・・・・・・。そういや、陣と凍矢も相当付き合い長いんだよな? 地獄にいた頃画魔から聞いたけど、凍矢が生まれた時からずっと、だっけ?

 「「生まれた時から?!」」

 思わず、鈴駆とひなげしの声がハモった。幼馴染とは聞いていたが、まさかそれほどとは。しかし本人達にとっては、すでに特別視するほどの事ではないようで、陣と凍矢は何をそんなに驚かれているのかわからない、とでも言うように互いの顔を見合わせた。

 「互いの両親が仲良かったからな。母上がオレをお産みになられた時、取り上げてくれたのが飛鳥さん、陣の母親だったんだそうだ」

 「懐かしいだな〜! とーちゃんや涼矢さんと一緒に、部屋の外でオメが産まれんの待ってたんだっけ。初めて見た時、オラうっかり女の赤ん坊が産まれたと勘違いしちまってよ、『大人さなったら、嫁コにすんだ!』とか言ったら、とーちゃんからゲンコツされ」

 昔話が話題に上り、一気にそこへ花を咲かせかけた陣だったが、己がまたしてもうっかり――どころか、踏んではならない地雷を踏んでしまった事にようやく気がついた。時には、もう遅い。

 ひゅううう、と陣の周囲だけ急速に気温が下がり始めている。その冷気には明らかに怒気が含まれているようだ。ビリビリと肌を刺す。おもむろに、凍矢が口を開いた。

 「陣・・・・・・その話はバラすなと、ずいぶん昔に釘を刺したはずだぞ・・・・・・。髪型の理由(『ドキ! 女だらけの? トーナメントプレイバック』参照)といい今回といい、お前という奴は・・・・・・!!

 凍矢の怒りに呼応したか、白狼まで毛を逆立てて唸っているではないか。というか、お互いが共鳴しあってさらに増幅されているようだ。

 「陣って本当にバカだよね」

 「死亡フラグ大決定〜♪」

 今度は遠慮せずハッキリ口に出した鈴駆に、流石が便乗した。

 「(話題振ったのはオレだが・・・・・・悪く思うなよ、陣)

 黒鵺といえど、凍矢と白狼のタッグには積極的に立ち向かえないようだった。

 

ややして、ひなげしが戻ってきた。移動に向けて準備も、スムーズに進んでいる。後ものの数分もあれば出発できると知らせに来たのだが、彼女は言うべき事も忘れて絶句した。

 先ほど会った時はいつも通りだった陣が、氷の彫像と化していたのである。

 

 

 同時刻。魔界第6層、N-11地点。およそ五十年ほど前に深刻な過疎化の末、とうとう住民達に打ち捨てられた廃墟の街。かつては町長が住んでいたであろう屋敷。離れや警備員の詰め所はほとんど跡形も無く崩れ去り、辛うじて人がまともに暮らしていた当時の面影を残しているのは、母屋にあたる屋敷のみだった。

 諜報機関経由の情報によると、そここそがイチガキの魔界ラボなのだそうだ。確かに、ここなら盲点になる。

 「・・・・・・母屋の周囲を取り囲んでる連中、護衛役かな。全員操血瘤つけてるぜ」

 屋根が剥がれ落ちた民家の、壁の影から伺いつつ、九浄が舌打ちした。

 外壁が土台を残して崩壊しつくしているため、遠目からでも母屋は丸見えだった。ラボ周辺の様子はおかげでわかりやすい。

 「よく見ると、何人か見覚えのある顔がいるぞ」

 言いながら鈴木は、自分の記憶を掘り起こす。

 「要注意リストに載ってる、テロ組織の幹部だな。イチガキはやはり、複数の組織を自分の操り人形にしたらしい」

 「あのじーさん、一体何十、いや何百回手術したんだ?! ってかそれ以前に、どうやって手術までこぎつけたってんだよ」

 気の遠くなる作業だぜ、と酎が眩暈を覚えた。

 「テロリストの連中だってバカじゃねぇだろ。どこの馬の骨ともしれねぇ怪しいジジイに、外科手術させろと言われて、ハイそうですかなんて応じるかよ。円達をだまくらかすのとは違うんだぞ。何て言って了解させたんだ?

 「別に合意など得ずとも、一人や二人には手術くらい施せるだろう」

 死々若丸が、にべも無く言い捨てた。

 「末端の雑魚を罠に嵌め、麻酔銃でも撃てば昏倒は可能だ。そこから先は、何でも自分の思い通りにできる操血瘤の力を利用すればいいだけの事。つまり、自分の医療技術を操り人形にコピーさせるのさ。テロ組織の者どもも、身内には油断する。組織内で人形が人形を作り出していけば、多少時間はかかれども、イチガキ一人が全員に施すよりはるかに効率がいい」

 暗黒武術会の時には、操血瘤にそこまで複雑な機能は無かったようだが、雪辱を狙うイチガキはきっといや確実に装置を改良しているはず。死々若丸は、自分の推測に自信を持っていた。そこにいる一同、どうやら納得したようだ。

 痩傑が苦々しくため息をついた。

 「どの道、虫唾の走るような輩らしいな、イチガキってのは。手配写真からして外道の匂いがプンプンしていたが。・・・・・・それにしても最高に気に入らないのは、そのふざけた装置にオレと似たような名前つけやがった事だ!  偶然の一致とはいえ史上最高に気に入らん!!

 「ちょっと、大声出さないでよ!」棗が顔をしかめながら、自分の口の前に人差し指を立てた「まだあの護衛役達に気づかれるわけには・・・・・・あ」

 彼ら六人が身を潜めている廃墟の、目と鼻の先。寂れ果てた大通りを腹に響くような、唸るようなエンジン音を撒き散らしつつ、武装したジープが走り抜けた。ジープはラボを隠している母屋の前で停車し、後部座席からは件の三界指名手配犯・ドクター・イチガキが降りてきたではないか。彼は護衛役二、三人を従えつつ、屋敷の中へ入っていった。それを確認して、棗が嬉々とした面差しを見せる。

 「戻ってきたわ! いよいよ潜入開始ね。じっと隠れて待つのは性に合わないのよ、とっとと終わらせましょう」

 「同感だ。しかし見た所イチガキの奴、武術会当事と比べてさほど妖力値は上がっておらんようだな。己自身も雑魚の分際でオレの手を煩わせるとはいい度胸だ。真・魔哭鳴斬剣の錆にしてくれる」

 「死々若、生け捕り生け捕り」

 ツッコミを入れつつ、鈴木は怪訝そうに首をひねった。浦飯チームへのリベンジを目的としているなら、本当にイチガキは何を願ったのだろう。自分の妖力を高めることさえしていないとは、ますますわけがわからなくなってくる。何にせよ、この後捕らえてしまえば、今ここで巡らせている思案など徒労に終わってしまうのだが。

 「やっぱ、正面玄関と裏口からの挟み撃ちか? 基本だもんな。とりあえず、二手に分かれねーと」

 ぐっと背伸びをして気合を入れながら提案した九浄に、酎がここぞとばかりに張り切って挙手した。

 「それならお義兄様! その内の一手は自分が棗さんと担当したいであります!!

 「せっかく六人なのに、何で四人と二人なのよ。三人ずつに決まってるでしょ、当然もともとの班員同士で!

 『もともとの』をことさら強調して、棗はあっさり一蹴した。

 

 「・・・・・・手始めに、このモヒカンを刀の錆にしていいか?

 「死々若、身内身内」

 

 裏口とその周辺に配備されていた警備役達を、あっさり一瞬で卒倒させてから、鈴木、死々若丸、そして酎は内部に潜入した。人手は惜しみなく使っているが、意外にもセキュリティシステムはほとんど設置されていなかった。操血瘤の大量生産やテロ組織複数を抱えるのが精一杯で、それ以上の資金が都合できなかったのだろうか。

 屋敷内部にも、そこここを武装したテロリストが徘徊している。目はガラス玉のように生気が無く、しかし侵入者に対する感覚は異様に鋭い。こちらに目線を向けるより先に手が、足が反応している。

 「ある意味こいつら自体が、セキュリティシステムと言った所か」

 背後から襲いかかってきた一人を、四肢の関節を続けざまに外す事によって返り討ちにした鈴木が、皮肉交じりに呟いた。屋敷は外観から察するに5階建て。地下室もあるかもしれない。あらかじめ痩傑達と打ち合わせ、地下室の有無とその中の確認は、自分達が担当することになっていた。

 エントランスの階段付近で一度痩傑らと落ち合い、鈴木達は(未練たっぷりの酎をひきずりつつ)改めて一階を探索する。警備役らを倒してしまえば、後は楽だった。

 とりあえず、一階にイチガキは見当たらない。なるべく音を立てないように戦ったから、おそらくまだ自分達の侵入には気づいていないだろう。気づいていたとしても、逃げ場など無い。

 地下室へ続く扉は、案外簡単に見つかった。廊下の突き当たり。鍵はかけられいたので、それを破壊して降りてみる。

 じっとりと汗ばんだように湿度が高い。階段には電灯も取り付けられていたが、念のためそれはつけず、足元のみをペンライトを調節し、微弱な光で照らしながら慎重に降りていく。

 最深部まで辿り着き、三人は神経を研ぎ澄ませて見る。妖気は感じられない。アイコンタクトを交わし、まず酎が怒声を張り上げる。

 「おい、イチガキのジジイ!! いるのか? 久しぶりじゃねぇか、武術会の思い出話でもどうでぇ?!

 返事は無い。同時にペンライトの光を最強にして、室内を照らす。打ちっぱなしの、殺風景な壁に囲まれている正方形のそこには、今現在誰もいないのはもちろんの事、もうずいぶん長い間人の出入りがあったとは思えないほど古びて、埃が積もっていた。

 「無駄足だったな。このままここを調べても、収穫は無いだろう。オレ達も上へ行くぞ」

 死々若丸の声が、空気の淀んだ地下室を穿った。三人はすぐさまきびすを返し、今度は電灯をつけた状態でもと来た階段を駆け上がっていく。

 行こうとして、最後尾の鈴木がはっと後方を振り返った。視界の隅で、何かひらめいた気がした。しかし、彼が注意深く凝らした眼差しの先にあったのは、自分達が来た騒音や空気の流れに翻弄されたであろう、黄ばんだ紙切れの端が、朽ちかけた木箱の影からのぞいて揺れていただけだった。妖気らしきものも感じられない。

 「我ながら神経質だな」

 自嘲を一つ零して、鈴木はすぐに仲間達の後に続いた。

 地下室を出て、エントランスへ戻ってきたそのとき、吹き抜け状態になっている二階の踊り場から、九浄が顔を覗かせた。

 「よぉ、地下室どうだった? とりあえず二階はもぬけの殻だったぜ。これから、三階に行こうとしてたところだ。棗は四階、痩傑は五階に向かったばかりだぞ」

 「こちらも無人だ」死々若丸が首を横にふった「この分だとあやつは三階以上、もしくは屋根裏にでも隠れ」

 不意打ちのように、言葉が途切れる。

 その場の誰もが、いや、ここにはいない棗と痩傑も、空間が張り詰め、きしみ、わなないている気配を嗅ぎ取っていた。それは彼らほどの力量でなかったら、絶対に感知できないほどの小さな、そして儚い刹那。

 

 

 次の瞬間。

亡霊のように佇んでいたその廃墟は、大地を揺るがす凄まじい轟音と真紅の業火に包まれ、ほとんどが木っ端微塵に弾け飛んだ。

 

 

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