第十六章・戦場の先にあるもの

 

 

 黒鵺との電話を終えて、そのまま躯は司令室で陣を待とうとしていたが、時雨から陣が目覚めた事と死々若丸とのやりとりを聞き、自分から酎達が待機していた客間へ移動する事にした。おそらく、陣はしばらく身動きが取れないだろうと予感して。

 目指す部屋のドアを開けると、案の定陣は、仲間達の温かくも手荒い歓迎によってもみくちゃにされている真っ最中だった。あまりにも予想通り過ぎて、おもわず苦笑いを零す。

 「あ、躯悪ぃ! オラ呼び出されてるんだったべな。待ってただか?

 「待たされる前に、来てやった。まったく、こんな気の利く大統領はどこの次元にもいないぞ。酎、そろそろヘッドロック外してやれ。鈴駆も降りろ」

 陣の頭を左腕で小脇に抱え、右手の拳で脳天をぐりぐりと押し付けていた酎と、抵抗しようとしていた陣の腕に、そうはさせじとばかりにしがみついていた鈴駆が、ようやく攻撃の手を止める。その光景を携帯で撮影しようとしていた鈴木も合わせて、表情を引き締めた躯につられたようだ。

 「オレ達が同席していてもいいのか? 陣に個人的な話しがあるんだと思っていたのだが」

 小鬼姿のままの死々若丸が、鈴木の肩にいつものように鎮座しながら問いかけた。

 「その判断は、本人にさせる。・・・・・・陣、教えたい事というのは実は、お前と凍矢の両親についてだ」

 「! 吏将の記憶読んで、何かわかったんか?

 「厳密には、吏将本人の記憶ではなく、あいつが見た過去の映像だ。悠焔の街ができるはるか昔、そこで、四強吹雪は全滅した」

 「あの街が?!

 弾かれたように叫んだ陣の脳裏に、遠くない過去が呼び戻された。無残に破壊された街。吏将との望まぬ再会。そして、凍矢の姿で現れた雹針。

 「以前、黒鵺の結界でその当時の詳細が再現されたことがある。雹針はそれを言玉に録画し、自分の五感を通じて凍矢にも見せているんだ。四強吹雪全滅の真相を」

 「真相、とはまた、穏やかじゃないな」

 事が思ったより深刻そうだと察した鈴木が、その面差しに影を落した。

 「・・・・・・雹針によって過去の映像が録られたと気付いていなかった黒鵺は、お前にも凍矢にも見せるべきではないと判断していたようだが、凍矢の方がすでに見てしまったのなら、また話は違ってくると思う。陣、お前はどうなんだ? 凍矢が見たのと同じ過去を、お前もその目で見る覚悟はできるか?

 「覚悟も何もねぇだ。むしろ、望むところだべ! オラずっと知りてぇって思ってただ。とーちゃん達ほど強ぇ使い手が、どうしていきなり全滅しちまったのか、今までひとっつもわかんなくてよ・・・・・・たとえどんな事があったんだとしても、今更逃げねぇだ」

 あの当時、誰に問いただしても極秘任務に当たっていたから、の一点張りで、些細な手がかりすら得られなかった。諦めきれずに引きずり続ける内に、心の片隅が思い出したように傷んでいた。

 「・・・・・・それ見たら、陣、まっすぐこっちに戻ってくる?

 遠慮がちに陣を見上げ、だが鈴駆ははっきりと問いかけた。まだ正直不安だったのだ。四強吹雪全滅の真相。悪い予感しかしない。きっと衝撃的で凄惨なものに違いない。だから、躯はあんな聞き方をしているのだ。

 それを突きつけられた陣が、どうなるのか。また負の感情に突き動かされるがままに、一人で無謀な真似をしないだろうか。彼と凍矢の両親達の事となると、非常に繊細な問題になってくるから踏み込むわけにはいかないけれど、本当なら片時も目を離してはいけないような気がした。。

 「おう、もちろんだべ。この程度で説教部屋が終わるとは、思ってねぇだよ」

 もちろん陣は、鈴駆の不安をわかっていた。わかった上で、あえて軽口を叩いて見せた。

 正直、怖くないわけが無い。両親の死の瞬間を見ると言う事は、彼らを二度喪うに等しいから。目の当たりにする真実を自分がどう感じるのか、見当がつかない。だけど凍矢はその『過去』を見させられて、それでもなお己を見失わずに、陣のために命をかけてくれた。

 同じ真実を受け止められなければ、凍矢を助けられない。雹針に、勝てない。

 

 

 魔界各地、いずれの層でも瘴気がどんどん濃度を増していた。あちらこちらで、観測史上最大の数値を更新している。

 妖怪には直接的な害は無いのだが、原因不明であるがゆえに、なんとも不気味な現象だ。

 諜報機関本部に、各地から寄せられる報告と、どんどん塗り替えられていく情報の狭間で、黄泉は眉間に深くしわを刻んでいた。

 これが単なる異常気象の類ではなく、雹針によるものだとしたら、こんな事に何の意味があるというのか。つい最近頻発していた異常災害の方が、まだわかりやすいというもの。何せ、瘴気の濃度が増したところで痛くもかゆくも無いのだから。魔忍のほとんどは77戦士によって倒されたか、捕縛されたかのどちらか。ナンバー2だった吏将でさえ、いまや百足に囚われている。引き出せる情報を全て引き出したら、おそらく百足の燃料にされるだろう。

戸愚呂という妖怪はまだ雹針の側についているらしいが、それだけでは出方が読めない。

 とりあえず今は、瘴気濃度が急上昇した各地に手の空いている77戦士を派遣して、状況の確認と周辺調査をさせている。そこへ、不意に通信が入った。

 『パパ? 修羅だけど』

 一人息子の声だった。仕事上のとはいえ、何だかずいぶん久しぶりに声を聞いた気がする。無意識に表情が和らいだ黄泉だが、紡がれる声は諜報機関の総司令官としての、毅然としたものだった。

 「現地報告か? 何か変わったことは」

 『それがさ、拍子抜けしちゃうほど異常ナシ。瘴気濃度の数値以外はね。あ、ちなみに今ウチの班、第127層のJ-20地点ね。近くに農村があるんだけど、そこでも作物とかに特に変化は見られないってさ』

 「そうか・・・・・今の所、濃度急上昇地点それぞれの特徴もバラバラだな。共通点すらない。土地柄に類似性でも出てくるかと思っていたんだが」

 ここまででまとめられているデータと突き合わせて、黄泉はため息混じりに言った。

 『でもこうまでバラバラだと、かえって作為的な感じがするよね。パパも雹針のしわざだと、確信してるんでしょ?

 「しているからこそ、この現象で奴が何を狙っているのかがわからん。できることなら、瘴気濃度以外の異常事態が起きる前に手を打ちたいのだが・・・・・・」

 と、黄泉がそこまで言った時、修羅があっ、と声を上げた。

 『おかしいよ、パパ。動いてる!

 「動いてる? 何を言ってるんだ、修羅」

 『だから、瘴気が動いてるんだよ! 霧か雲みたいに凝り固まって、どっかに流れてる!!

泡を食ったような修羅の声の末尾にかぶさるように、研究室にいる妖駄からの通信が割り込んできた。

 『失礼いたします、黄泉様! 我が最新鋭のコンピューターで、魔界各地の瘴気濃度分布図をチェックしていたのですが、一斉にそこここで動きが!!

 「何だと・・・・・・? 修羅も、瘴気が流れていると言っているんだが、行き先の予測はつくのか?

 『そこまでは、まだなんとも。それより、各地それぞれで高濃度となった瘴気が、一定スピードで移動しているのですが、どうやら移動の過程で、瘴気の塊同士が融合しているようです』

 「つまり、さらに濃度の高い、しかも大きな瘴気群が形成され、それがどこかを目指して動いていると?

 『その通りでございます。前代未聞です! おそらく、魔界で発生した全ての高濃度瘴気が、一つになるものと思われます。これは、かなり巨大なものになりますぞ。濃度は現時点ですでに予測不能! 計器を振り切っています』

 「雹針め、魔界中の瘴気をかき集める気か? 修羅、お前達はそのまま追跡調査しろ。他の77戦士とかち合ったら、合流して瘴気の行方を追うんだ。躯にはオレが報告する」

 『了解! じゃ、行ってきます!!

 電波越しに、息子の声が元気よく翻り、通話が途切れた。

 

 

 ・・・・・・凍矢・・・・・・ま、守って・・・・・・あなた・・・・・・涼矢・・・・・・あい、し

 

 どうせ後悔するのなら、この世に生まれた事自体を、悔いた果てに死ね

 

 オラの名前呼んでくれてる声、聞こえちまったら、たまんなくなってよ・・・・・・

 

 オメの、好きになん、か・・・・・・させねぇ・・・・・・オラ達の、チビ共だべ・・・・・・あいつらの未来、光・・・・・・オメなんかに奪わせねぇだ!

 

 

 そこに刻まれていたのは、かつて誰より陣と凍矢を愛した者達の最期。命尽きる瞬間まで、忌まわしい運命に抗った戦士達の形無き墓標。

血と、泥と、嘆きに塗れてもなお、鮮烈さを失わなかった四強吹雪の、文字通り命を賭した戦場だった。

 雹針を魔忍の里へ帰すまいと、渾身の力を振り絞って彼の長衣の裾を握る、閃の手。赤く濡れて震えるそれに、陣は思わず手を伸ばす。

 「とーちゃん・・・・・・!

 過去の映像をすかして、儚くすり抜けたのと同時に、雹針の槍が父にとどめをさした。断末魔さえあげる間もなく、閃は事切れてしまった。なおも裾を離そうとしないその手を振り払って、雹針は瞬間移動の魔法陣をくぐる。

 そこで、周囲を取り囲んでいた過去の世界が、現実のそれへと入れ替わった。

 気がつくと陣は、遠い昔に父が死んだその場所は、廃墟となった悠焔の街のちょうど真ん中辺り。噴水であっただろうがれきのすぐ近く。

 この目で確かめた真実は、やっぱり残酷で。だけどこれで全て繋がった。両親達が何故帰ってこれなかったのかはもちろん、幼い頃、人間界遠征の際に残っていた小さないくつかの謎も。

 かつての父へと伸ばした腕で、陣はずっと止まらなかった涙を乱暴に拭った。きっと、両親達のために泣くのはこれが最後だ。悼むよりも、誇りたい。決して揺らぐ事はなかった彼らの生き様と、自分や凍矢の中に流れる、彼らから受けついだ血潮を。

 「とーちゃんは、やっぱ強ぇだな。オラ、まだまだかなわねぇだよ」

 ぐいと空を見上げて、語りかけるように陣は呟いた。自分の中の、魔界最強の男に誓う。もう二度と、絶望したりしない、と。

 「どうやら、取り越し苦労だったらしいな」

 背後から、黒鵺の苦笑まじりの声がする。

 「雹針はきっと、お前や凍矢を嘆かせ、動揺させるのが目的なはずだから、意地でも見せるまいと思ってたんだが、二人とも、そんなにヤワじゃねぇか」

 「おう! なんたって、オラ達は四強吹雪の子だかんな」

 カラリ、とした笑顔を見せてふりかえった陣に合わせ、びゅう、と心地よい熱を孕んだ風が吹きぬけた。ただ、と陣は怪訝そうに眉を寄せた。

 「一個だけ、新しくわかんねぇ事が出てきちまっただな。あん時、魔忍の里さ戻ってきたとーちゃんかーちゃん達な、もう骨んなってたんだべさ」

 「・・・・・・はぁ? 何だそりゃ。ここで戦死してから里に連れ帰られるまでの間に、火葬でもされちまったって事か?

 頷いて、陣は険しい表情になる。

 「雹針は当然しらばっくれてたし、遺体処理班も・・・・・・多分何か知ってたんだと思うけんど、あいつら、忠犬みてぇに従ってたかんな」

 その辺の真相も、明らかにした方がいいのだろうか。おそらく、いや確実にろくな事実が出てこなさそうなのだが。

 と、憂鬱な思考を巡らせ始めた刹那、陣と黒鵺の携帯電話が同時に着信を告げた。しかもこのけたたましい着信音は、躯が77戦士全員に一斉同時通話をかける緊急用のもの。二人は一瞬張り詰めた表情を見合わせ、通話ボタンを押した。

 『77戦士全員に告ぐ。諜報機関より緊急連絡が入った。魔界各地で発生した高濃度瘴気が、同時に一箇所を目指して移動している。たった今、妖駄率いる研究チームのコンピューターが到達予測地点をはじき出した。魔界第一層F-37地点』

 「陣、この場所に心当たりあるか?

 「んにゃ、全然・・・・・・っと、待てよ。話に聞いた事あったような・・・・・・あ!

 『一部の妖怪は覚えているかもしれないが、ここはかつて、四聖獣とかいう連中がアジトを構えていた場所だ。霊界がかろうじて統治していたエリア内でもある。それというのもここには、霊界と人間界、両方に繋がっている巨大な次元の狭間があるからだ』

 そんな所に、高濃度瘴気がかき集められようとしている。妖怪には何の害も無い瘴気だが、霊界人や、ましてや人間の身体にはたまったものではない。

 『これが妖術のものであると想定した場合、術者である雹針がそこに潜伏している可能性は極めて大きい。だとすると、戸愚呂や操血瑠をつけたテロリスト軍団の最後の残党も控えているはずだ』

 そこで一瞬間を置いて、躯はよりいっそう毅然とした声で続けた。

 『よって、総力戦をしかける。いい加減ここで決着をつけるんだ。また、個別に現地へ向かうのは危険、との見方もあるため、77戦士はひとまず全員、百足に集合せよ。全速力で連れてってやる』

 そこで、通話は切られた。躯も自ら、最前線に向かうつもりらしい。雹針は彼女にとっても因縁のある相手だ。

 「思い切ってくれたぜ、大統領閣下。魔界の守りが手薄になるっつーリスクは、この際気にしてられねぇようだな」

 まぁ、77戦士の面子を仕切るなら、そんくれぇでなきゃよ。と、黒鵺が不敵な笑みを浮かべる。留守を預かる黄泉と癌陀羅の自衛軍にとっても、これは大勝負だ。

 「いよいよ、なんだべな」

 正直、今の陣は病み上がりだ。お世辞にも本調子とは言えない。だが、のんきに完治を待つ気は毛頭無い。足元に集めた風が、熱気を孕んで渦を巻く。それにのって、ふわりと身体が浮く。魂の内側から、みなぎってくる衝動を感じる。突き動かされるように、陣は声を上げた。

 「今度こそ負けねぇ!!

 

 

 躯からの連絡を受けて、旧雷禅国にいた幽助も、さっそく百足に乗り込んだ。すでに百足は第一層・F-37地点を目指して移動しており、解放されたそこここの入り口から戦士達が次々と乗り入れている最中だった。

 とりあえず白狼の乗り移ったプーのいる、大広間へ向かって・・・・・・幽助は一瞬とまどった。暗黒武術会の決勝戦の時に幻海が憑依した時以上に、プーの表情や取り巻く空気が通常のそれとは違っている。

 「・・・・・・妙に威厳があるツラんなってやがんのな。会話が成立するって事は、すくなくとも今のオメーは子狼形態の精神じゃねぇって事か?

 「無論。子狼では意思疎通が困難と判断したのでな。精神レベルの調整に時間をとられ、参じるのが遅くなってしまったのだ」

 そっか、と頷いて、幽助はひとまず躯から直接最新の戦況を確認しようと、奥へ進み始めた。大広間には、続々と77戦士達が集まって賑やかになっている。途中で蔵馬と合流し、別件で一時百足を離れていた陣と黒鵺も、今正にこちらへ向かっていると教えてもらった。

 「浦飯、来たか。北神達はどうした?

 「国に残る連中に、色々引継ぎしとくってよ。多分、陣や黒鵺と同じくれぇの時間に来ると思うぜ。そんで今、どんな状況なんだ?

 「ついさっき、霊界にも高濃度瘴気大移動について連絡した。で、その返事がお前の搭乗直前にあったんだが・・・・・・」

 そこまで言って、躯は短い嘆息を零した。

 「念のため、霊界特防隊に、霊界側と人間界側から次元の狭間に結界を張らせようと試みたそうなんだが、妨害妖波のせいで失敗したそうだ」

 「ちっ、準備のいいこって。じゃあ向うからは瘴気を防ぎようがねぇんだな?

 「あぁ。瘴気の浄化術の心得がある霊界人を、片っ端から動員して最悪の事態に備えるのが精一杯だと、コエンマが言ってたぜ。ただ、今の所その狭間を雹針側の残党が通った形跡は無いらしい」

 それを聞いて、蔵馬の声のトーンも一段階重くなる。

 「おそらく、オレ達を迎え撃たせる捨て駒として、F-37地点に配備しているんでしょう。どんな大掛かりな妖術で、瘴気を移動させているのか知らないが、これのための生贄として使い尽くしているとは思えない。雹針ならきっと、まとまった数を手元に残しているはずだ」

 「そういえば、四聖獣とかいう連中がいた城は、どうなったんだ?

 躯からの質問に、今度は幽助が答える。

 「オレと朱雀がガチバトルした結果、派手に壊れて廃墟になったぜ。今じゃもう、養殖人間すらいねぇとさ。霊界と魔界が紳士協定結んだ後は、コエンマ達もあのエリアに干渉してなかったみてぇだ。協定結んだ以上、もう霊界の領土じゃねぇって考えたんだろ」

 魔界側を尊重して霊界側が身を引いた形だが、今回は思いがけなくそれが仇となったようだ。雹針にとっては、誰に見咎められる事もなく、霊界と人間界を同時攻撃できる格好の舞台。

 正に、最後の幕が上がろうとしていた。

 

 

 移動要塞百足がいくつかの層を越え、ついに第一層に到達した。白狼は外に出て、百足に伴い大空を翔る。その視線の先。かつては霊界がかろうじて管理していたエリアが見える。

 そこだけ、空気の色が異様だった。暗く淀んだ色彩が流れ、うねり、その向うの風景が蜃気楼のように歪んでいた。

 「あの現象は、瘴気が人為的に固められた事による、余波だ。並の人間だったら、この距離でも生きてはいられまい」

 鈴木が、百足の屋内モニターで確認しながら言った。

 「風景が歪んで見えるだろうが、幻覚作用は無い。むしろ、あの大気の向う、すなわちエリア内に入ってしまえば、通常の視界通りに辺りが見えるはずだ」

 「移動してきた瘴気の塊も、人間界と霊界につながる次元の歪みも、あれの向う、ずっと奥か」ぐびり、と酎が景気づけの酒を飲み込んだ「やっこさん、本気で三界征服するつもりかよ」

 「征服というか、あいつにとっちゃどこの世界も、実験場みてぇなもんだべ」

 思いのほか静かな声で、陣が呟いた。

 「オラの推測だけんどよ、雹針は多分、妖術研究をどんどん極めていきてぇだけなんじゃねぇんかな。三界それぞれに眠る資源や失われた技術を好き勝手に掘り起こして、気の向くままに試していこうとしてんだべ。『実験体』も三界ぶん揃うんだからよ。それも、大勢」

 今思えば、魔忍の里もその目的のための一部にすぎなかった。魔界の裏側から情報をかき集め、魔忍達の活躍によって得た富を利用して、研究を掘り下げていく。ただ、それだけのための。両親達を殺したのも、その延長線上のこと。

 「奴も、マッドサイエンティストってわけか。とはいっても、鈴木の方がまだマシだね」

 自慢のヨーヨーを取り出しつつ、鈴駆が苦笑した。

 「ちっとも褒められている気がしないのだが・・・・・・まぁいい。ともかく! 奴がどんな妖術で小細工しようと、77戦士の総攻撃を持ってすれば必ず看破できよう!

 鈴木が気を取り直し、右手の拳を左の掌にパンッとうちつけた。隣で、青年姿となった死々若丸が、ちゃき、と刀の鍔を鳴らす。

 「霊界や人間界を守るつもりは特に無いが、雹針の思惑を潰した結果がそれとなるのなら、悪くはない」

 百足が、さらに移動速度を上げる。砂煙をもうもうと巻き上げて、突進する。高濃度瘴気の余波エリアを、突き破るようにしてその内部へと切り込んだ。

 

 

 禍々しい色彩に彩られた空間に、百足が一時停止する。と、同時に、77戦士達が次々に降り立った。ただし時雨だけは、凍矢が眠るカプセルがある医療ルームで待機となった。

 「・・・・・・普通の状況じゃないんだろうけど、とりあえずこっちにも不都合は無さそうだよね?

 辺りを見回し、ついでに深呼吸もしてみて、鈴駆が仲間達をふりかえった。空気が淀んでいるようではあるが、決して不快というほどではない。

 「人間界と霊界に通じるっつー次元のひずみは、こっから近ぇのか?

 ごきごきと、手指の関節を鳴らす酎に、鈴木がこたえる。

 「この階層の再北端付近だそうだ。ここはまだ中央よりだから、もうしばらく先になる。で、我々の現在位置とそのひずみの中間地点に、移動してきた高濃度瘴気の塊があるのだろうな」

 ここからは、77戦士達を二分して、百足の前後を守るような隊形で進む事となっている。六人衆らは、前衛側だ。指定の位置に移動する途中、死々若丸が口を開いた。

 「陣、雹針が瘴気を大量移動させて、どんな妖術を使おうとしているのか見当つくか?

 「悪ぃがさっぱりだべ。魔忍の里にいた頃も、研究所によく篭ってる事は有名だったけんどよ、中には雹針以外誰も入った事ねぇから。直弟子で後継者候補だった凍矢でさえ、近づけさせなかったくれぇだかんな」

 「オレとしちゃあ、戸愚呂の兄貴があの後どうなったのかも気になるぜ」

 陣と死々若丸の肩にぽんと手を置き、酎が参加してきた。

 「蔵馬も言ってた通り、あいつぁ生贄要員だろ? どんなタチの悪ぃ妖術が完成するのか、それこそわかったもんじゃねぇよな」

 厄介な野朗だぜ、と酎が眉間のしわを深くしたその時、一足早く百足を降りて高濃度瘴気の現状を探るため、文字通り飛んで行っていた黒鵺と痩傑が戻ってきた。

 「おい! 全軍一時停止だ! 隊形組み替えた方がいいって、躯に伝えてくる!!

 明らかに緊迫した面持ちの痩傑が、宙に浮いたままそう叫ぶと、即座に窓から百足内部へと飛び込んでしまった。突然の知らせに騒然となる77戦士達を黒鵺が宥め、状況説明を始める。

 「このまま直進すると、岩山の山脈にぶつかる。瘴気の塊はその向うにあったんだが、もはやただの塊じゃあなくってな」

 彼の話によると、山脈の向うの開けた大地に、凝縮されてドス黒く変色した瘴気の塊が、実体化して要塞のような建造物の形を模していたのだそうだ。しかもその周りには、操血瘤をつけたテロリストがまだ大量に配備されていて、しかもその全員に、瘴気の塊が鎧のように纏わりついていたらしい。

 「瘴気一つで、建築やら防具作成やらやってくれちゃったって事?! 何その無駄な器用っぷりは!!

 本当、鈴木のが断然マシだよ! と鈴駆が頭を抱えた。

 「蔵馬、お前は瘴気製の鎧って、強度はどんなモンだと思う?

 黒鵺に話を振られたが、蔵馬はお手上げだといわんばかりにため息をついた。

 「それ以前に、実体化そのものが前代未聞だ。もっといえば、人為的に濃度を高めたり移動させたりする事だってそうだ。発想できたってだけで感服ものだよ」

 「さっき、痩傑は隊形組み替えた方がいいって言ってたけんどよ、どんな変更になりそうなんだべか」

 憂鬱になりそうな色合いの空間を、射抜くようにまっすぐ前方を睨みつけながら、陣が静かな声で誰にともなく問いかける。

 「おそらく、77戦士は四つのグループに分けられる」思慮を巡らせながら、死々若丸が応えた「正面突破部隊と、百足防衛を兼ねたしんがり部隊。そして、山脈を迂回して左右から攻め込む挟み撃ち部隊、と言ったところか」

 そこまで言って彼は、ただ、と区切ってわずかに渋面になった。

 「それくらいの戦術は、雹針もお見通しだろう。どこに属する事となっても、難易度及び危険度は大差無い」

 「構やしねぇだよ。そんくれぇは望むところだべ」

 好戦的な笑みを浮かべ、陣は病み上がりとは思えないほどの鮮烈な妖気を纏い始めた。

 

 

 魔界中からかき集め、凝縮した瘴気で形成された要塞は、もとが気体のようなものだったとは思えないほど強靭だ。闇が凝ったような屋内から、雹針は暗殺者時代の甲冑を身に纏い、窓辺まで進み出る。足音は鳴らない。それは彼が魔忍の長だからというより、暗殺者だった頃の癖だった。

 その腕の中には、凍矢の核を収めたカプセルが抱えられている。心なしか、うっすらと蒼白い光を灯しているように見えた。身体が雹針の支配を離れ、保護された事が関係しているのだろう。

 「……脆弱な希望だ。壊された時の絶望が、さらに深く救いようが無いものだと、わからぬはずが無かろうに」

 喉の奥を鳴らすように嘲笑して、雹針は前方に聳え立つ山脈を眺める。あれを越えて、あるいは迂回して、もうすぐ77戦士が総攻撃をかけてくる。それこそが、終わりの始まり。

 魔界はもちろん、霊界も人間界も、真の闇に支配される。全ては自分の思いのまま。生きとし生けるもの、全ての生殺与奪を掌握し、妖術研究のモルモットにしてくれよう。

 「いずれは、死後の世界も生者のまま行き来できるようになるやもしれん。そうしたら、そこも制圧してみるか」

 悪くない、と雹針は笑みを深めた。

 「死という安らぎに逃げ込んだ裏切り者どもを、今度は消滅させてやるのも、面白そうだ」

 

 

 六人衆の面々は、正面突破のグループに配属された。頑強な山脈を越え、左右に散った挟み撃ち部隊からの連絡が、百足の司令室に入るのを待つ。実際にこの目で見る瘴気要塞と、瘴気の鎧を纏った兵士達は、想像よりもずっと忌まわしい存在に見えた。どす黒く固まり、だけど完全な固体ではなく、まるで生き物のようにかすかに蠢いている。

 もしもここで自分達が負けたら、魔界はもちろん三界全部があの不気味な色彩に染め上げられるのだ。

 岩場の影から要塞を見下ろし、陣は静かに精神を集中させ妖力を高め始める。ここは魔界第一層。雹針達をこれ以上進ませるわけにいかない。

 「やっぱり、正面突破部隊には血の気の多いメンツが揃ってるな」

 周囲の面々を見回して、鈴木が頼もしい、と笑った。

 「飛影達や孤光ら、それに幽助もこっちだ」

 「おう、奴らの妖気に煽られて、オラまでテンション上がってくんべ」

 「士気が高いのは結構な事だが、陣はもう少し防御にも気を配れ。攻めの一手だけよりもメリハリをつけた方が、戦い方としても美しいんだぞ!

 「・・・・・・・・・ごめん、な」

 「ん? いや、別に謝るほどのことではないんだが」

 「じゃなくてよ、オメにゃもっと前の段階で大事な約束してたってぇのに、オラ、破っちまったから」

 いつだったか癌陀羅で、二人だけで交わした会話。凍矢が居なくなって間もなく、今よりもっと陣が不安定に見えた時。

 「いい、気にするな。過ぎた事だ」

 今度は否が応でも、単独行動はできまい。

 「それに、今は凍矢もすぐ近くにいる。オレ達はちゃんと、六人揃ってる。だから・・・・・・勝ちに行くぞ」

 「おう! もちろんだべ!

 びゅうっ、と瘴気に満ちた空間とは思えないくらい、爽快な風が駆け抜けた。牙を見せて笑う陣を見て、鈴木は久しぶりに現れた彼らしい表情に、これから死線に向かうというのに安堵していた。

 

 

 百足を囲んで、鉄壁の防御をしいたしんがり部隊の面々と共に、白狼は長い首を伸ばし正面突破部隊の進行を見守りながら悠々と飛んでいた。借り物とはいえ、思いのほか動きやすい。宿主である幽助が、魔族大覚醒として生まれ、今は妖気を纏っているためだろうか。しかもプーはプーで、専属召還魔獣に近い存在だ。

 今しばらく、借り受けるぞ。

 本来は自分のものではない翼を見やりながら、心の中で呟く。精神を白狼に快く譲り渡し、今は意識の底で眠っているプーに聞こえたかどうかは定かでないが。

 と、そこへ、彼と平行するように滑空する、妖怪ではない人影が不意に現れた。

 「おやおや、一見プーちゃんなのに、ずいぶん男前な面構えになったもんだねぇ。大統領は司令室かい?

 空飛ぶオールに乗った、ぼたんだった。その隣には、同じタイプのオールに乗るひなげしもいる。

 「お前達は霊界の・・・・・・何故ここに来た? まもなく戦場になるのもそうだが、こんな濃度の濃い瘴気は、霊界人にもつらかろう」

 「いえ、大丈夫!」ひなげしが胸をはって見せた。「来る前に、法術で瘴気耐性を高めておいたの。それに、コエンマ様にも許可を貰ってきたから」

 まぁ、実はだいぶ無理を通したんだけど。と、ひなげしはこっそり無言で付け加える。

 「ここはしんがり部隊、なのよね。・・・・・・えっと、黒鵺さんの班はどこか、聞いてもいい?

 「あやつ達は、蔵馬と共に右翼の挟み撃ち部隊に配属された。それがどうかしたか?

 「ちょ、ちょっとね、総力戦になるって聞いたから、頑張って欲しいな〜と思って」

 わずかに頬を上気させ、声を上ずらせたひなげしを「青春だねぇ」と生暖かく見守りつつ、ぼたんが白狼と視線を合わせるように高度を調節した。

 「・・・・・・うん、よかった。あんたのはもちろん、内側で眠ってるプーちゃんの妖気も安定してるみたいだね。開戦合図は、もうそろそろかい?

 「おそらく、あと10分かかるまい。躯に用があるのなら、急いだ方がいいぞ」

 「あぁ、そうするよ。あんたも気をお付け。今はプーちゃんと一心同体なんだからさ」

 「当然だ、心得ている」

 悠然と、自信たっぷりに白狼が頷くのを見届けて、ひなげしとぼたんは百足の『屋根』部分を警備していた鉄山を介し、内部へと入っていった。

 それにしても。コエンマの許可が出たとはいえ、いや出ているのなら、何故こんな無謀な行動が認められたのだろう。彼女達はお世辞にも戦闘向きとはいえない。心霊医療の腕前はあると聞いたが、それでも時雨には遠く及ばないはずだ。何の任務できたのかは見当もつかないが、協定を結んだ今の魔界にとって、マイナスの結果にはならないだろう。彼女達も自分の仕事を無事全うできるよう、そして何より友と認めた妖怪のため、自分は必ず百足を守る、と白狼は決意を新たにした。

 

 

 正に嵐の前の静けさに似た、少し張り詰めてはいるけれど、おだやかな時間。それぞれに去来したつかの間のひとときは、開戦の火蓋が切って落とされたのと同時に、泡がはじけるように儚く消え去った。

 正面突破部隊が、六人衆を先頭に猛然と傀儡の群れに雪崩れ込む。応戦のために動いたそれらの左右から、挟み撃ち部隊も攻撃を開始した。そして、突破部隊が開いた道を、百足と白狼が進む。

 「な、何だこの鎧は?!

 縦横無尽に戦士達が暴れまわる混戦状態の中、瘴気の甲冑ごと敵を斬りつけた死々若丸が、驚愕した。斬ったそばから、まるで意思を持った生き物のようにざわざわと蠢き、まるで斬られる前に時間を巻き戻したかの如く修復してしまったのだ。しかも、一見身軽そうなそれは、思いのほか分厚く、甲冑の下の本体まで届かない。

 「ゴムの塊ぶん殴ってる気分だぜ」酎がじれったそうに歯噛みする「決定的に凹ませてやったと思ってもよ、次の瞬間には弾き返す見てぇにぼよん! ってな感じで元通りだ」

 この、異様なまでに早い修復。どんな攻撃を受けても無限に繰り返される形状記憶。・・・・・・まるで

 「あいつ、やっぱり使われたんだ!

 鈴駆が確信する。小柄な彼に覆いかぶさるように襲い来る無表情のテロリスト達を、デビルヨーヨーで蹴散らしながら。

 「この分だと、きっと要塞もだな。馬鹿正直に攻め込んでも壊せないだろう」

 レインボーサイクロンを連発して、後続の活路を開きつつ、鈴木が聳え立つ瘴気の城を見上げた。あれを壊す方法は、たった一つ。

 「術者の雹針さぶっ倒すしかねぇってことだべな。わかりやすいのは大歓迎だべ!!

 有翼種の敵を次々に迎え撃って、陣はさらに拳を固める。闘志と妖気をぎらぎら燃やす彼の顔には、笑みさえ浮かんでいた。

 ここへ至るまでに、何度も嘆き、怒り、迷い、そして心乱れてきたが、今はその心の真ん中に、揺らぐ事の無い芯が通っている。これは賭けじゃない。一か八かじゃない。進む先にあるのは、完全勝利だけでなくてはならない。

 勝ちに行くのだから。

 

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