第十四章・闇の牢獄

 

 

その閉鎖された空間こそが、本物の闇なのかと思った。瞼は開いているはずなのに、一切の光をとらえられない。

 ぼやけた記憶の糸を、凍矢は手繰り寄せてみる。自分は確か、黄泉からの指令で津波を一つ凍結させた後、妖力が尽きて冬眠状態に入ったはずだ。意識が落ちる前、同行してくれた才蔵に回収してもらったのを覚えている。それが、映像として覚えている最後の記憶だった。

自分で確認こそしていないが、それ以降は煙鬼の班がまとめている避難民キャンプに移動したと思う。仮眠用テントがあるからそこで休んでいればいいと事前に才蔵から言われた。

 だから目覚めたここは、その避難民キャンプであるはずだ。こんなに真っ暗なのは夜になってしまったからだろうか? だったらなおさら不自然だ。テントの中に灯りがともっていないなんて。しかも、おかしいのは視界だけではなかった。

 物音すら、何も聞こえないのだ。沈黙というより、最初から音の鳴るものが存在していないかのような、消音状態。

 冬眠の間に、またしても異常災害が起きたのだろうか。煙鬼か孤光を呼ぼうとして、凍矢は愕然とした。

 声が、出ない。

 どんなに張り上げようと思っても、自分で自分の声が聞こえない。喉が、声帯が振動する感覚さえわからない。まるで、目も耳も、そして口も、なくなってしまったかのような喪失感。それに気付いた時、凍矢はさらに己を取り巻く異様な状況を自覚する。

 視覚や聴覚に続いて、触覚まで無いのだ。手足のありかがわからない。手や指を動かそうと思っても、意識があるべき神経へと繋がらない。

 つまり彼は今、上下左右も感知できないくらいに塗りつぶされたような狭苦しい闇の中に、精神だけが頼りなくたゆたっているのである。

 一体自分の身に何が起きたのか、皆目見当もつかなかった。白狼を召還しようにも、妖気すら振るえない。しかしその時、ようやく意識が浮上する感覚があった。遠く上の方から、光が差し込んでくるのがわかって、安堵した。

 光の向うに広がる光景の中には、必ず陣が、仲間達がいるはずだ。

 そう思っていた。

 突然、大量に光が差し込んできて目がくらむ。沈み込むような鈍痛に耐えていると、横から声が聞こえた。

 「ご気分はいかがですかな」

 ヒョッヒョッヒョッ、と癖のあるしゃがれた笑い声は、ひどく耳障りだが聞き覚えがあった。次に、声の主がぬっと光を遮るようにして覗き込んできた。

 

 ドクター・イチガキ? 何故、奴が今更オレの前に姿を現した?

 

 何の用だ、と問おうとして、まだ声が出せない事に気付く。もしやイチガキの仕業だろうかと、訝しんだその時だった。

 「悪くない。大儀であった」

 次に聞こえたのは、冷静に思い返せばイチガキのそれよりももっと聞きなれている声。だけど、こんな風に聞こえるはずが無い。

 

 今のは……オレの声? そんなバカな! 何も言えやしない状態なのに!

 

 「手術は無事成功ですぞ。妖力の定着にはまだ多少の時間はかかるでしょうが、あなた様なら問題ありますまい」

 「構わん。ここまで来たら、今更焦らぬ」 

 またしても、発せられるはずの無い自分の声が聞こえる。というか、この口が、喉が、勝手に動いて声を出しているようだ。普段は冷静な凍矢も、これには混乱した。必死で己を宥める。

 

 まさかとは思うが、誰かがオレの身体を乗っ取っている? 五感は戻ってきたけれど、何というか、間接的に追体験させられているみたいだ。そういえば以前、人間界の映画が放送された事があったが、あれにどこと無く似ている気がする。

 何だか難しそうな機械を使い(鈴木が食い入るように見ていた)、人間の意識をロボットに繋いで、そのロボットの行動や体験を人間の意識に『転送』していた映画。

 だけどあれは、あくまで本人が操作していた。対して今の自分は、違う第三者が勝手に動かしているようだ。

 ぬぐいようの無い違和感と不快感。

 「この目で確認したい。鏡を持て」

 視界が動き、上体が起き上がったのだとわかる。自分で頭を動かし、周囲を見回すことさえ叶わないが、とりあえずここは手術室のようだった。血に塗れた医療器具が、視野の端に入り込んでいる。その傍らに立つ老人は、かつて暗黒武術会に参戦していたドクター・イチガキ。

 手術? オレの身体に何をしたんだ?

 新たな疑問が沸いたその時、目の前に鏡がかざされた。視界のほとんどを占めるのは、その鏡に映された自分の顔。

 だけどその表情は、凍矢本人でさえ覚えが無いほど酷薄で、冷徹だった。そして何よりも彼に衝撃を与えたもの。

 

歪な黄金に光る、左目。

 

 

入魔洞窟内に移転した魔忍の隠れ里は、ほぼ壊滅状態となっていた。ここは既に居住地などではなく、陣と『雹針』、この二人のための戦場と化している。

その『雹針』が呪氷の結界で、凍矢の核を持つ自分の本体を防護している以外は、無残に壊され、吹き飛ばされて、ただ残骸が転がるのみ。

「酷い荒れようだ。これではまた、移転しなければならないな」

息一つ乱さない上、余裕の笑みまで湛える『雹針』が、歌うように紡いだ。それを聞きながら苛立ち紛れに舌打ちする陣は、既に氷の槍に身体のあちこちを切り裂かれ、あるいは抉られて、おびただしい鮮血が滴っている状態だ。風を使って飛翔すれば、血の雫が吹き散らされる。

「ふざけんな。オメはどこにも逃がさねぇだぞ」

しかし陣の双眸は、今も闘志がもえてらんらんとギラついている。失血のためか手足が冷たくなってきたけれど、そんなものはひるむ理由になんてならない。

「凍矢を解放しろ、そして返せ!!

風の轟音に、陣の咆哮が重なる。凄まじい突風が暴れまわり、雹針の結界で補強したはずの洞窟の内壁が、みしみしと悲鳴を上げ始めた。慣れない者では、呼吸さえままならないほどの風圧。

 洞窟内を、まるで大蛇がのた打ち回るように荒れ狂う風は、吸い寄せられるようにして陣のもとへと集約する。両の拳に、それぞれ竜巻を纏わせて、陣は飛ぶ。砂利や土埃、地下水までも巻き上げ、何度も鋭角な空中旋回を繰り返しながら、『雹針』の隙を伺う。

 チャンスは、一度だけ。一撃で相手を昏倒させなくてはならない。『雹針』にはやはりそうそう隙など無いし、中途半端な攻撃を何度も繰り返しては、凍矢の身体にダメージが蓄積するだけだ。

 何よりこれ以上戦闘が長引くと、陣本人がもちこたえられそうになかった。

 全神経を改めて集中させ、陣は思い切って『雹針』の懐に飛び込む。槍による攻撃は、間合いを詰められれば詰められるほど当てづらくなるはず。

 がら空きになったみぞおちの少し上。今は、にっくき宿敵の核がはめ込まれているそこに、陣は竜巻をまとった両手を組み合わせ、渾身の力で突き出した。

 

 許してけろ、凍矢。すぐ時雨んトコさ連れてってやっから。

 

 

 入魔洞窟内での激闘が始まるより、少し前の事。

 迫りくるテロリスト軍団の襲撃のために、旧雷禅国において戦闘配備を終えた幽助が、躯の要請通り人間界に向かって飛翔するプーの背中を見送りつつ、携帯電話を取り出していた。

 「よぉ、躯。たった今、プーを飛ばしたぜ。一応報告しとこうと思ってな。オレもすぐ出陣しなきゃなんねーし、今のうちかけとこうと思ってよ」

 一足先に、北神をはじめとする先発部隊が最前線に向かっている。蔵馬も参謀兼即戦力として、幽助に協力中だ。

 「ちなみにオメー、今どこだ?

 『黄泉の宮殿に着いた所だ。ここから各所各人員に指示を出す。それと酎達も、こっちが一段落したら入魔洞窟に急ぐと言っていた』

 「そっか、早く行けっといいな。オレもなるべく早く終わらせるようにするぜ。まぁプーは他ならぬオレの分身だからな! 絶対、力になってくれるって。大船乗った気でいろよ」

 『・・・・・・あぁ、恩に着る。取り返しのつかない事態になる前に、間に合ってくれるといいんだが』

 急に声のトーンが落ちた。躯にしては珍しい。明らかに何か、悪い予感を抱えているようだ。

 「オメーの想定する“取り返しのつかない事態”か・・・・・・それ、一応オレも覚悟しといた方がいいなら、教えてくれよ」

 電波の向うで、僅かに逡巡の気配が漂う。それを振り払うように、躯の声が再開する。

 『なぁ浦飯、そもそも今の雹針に後継者は必要だと思うか?

 突然関係のない話題を振られたようで、幽助は面食らった。が、躯が意味なくこんな話をするはずもないので、とにかく考えてみる。

 「後継者って、凍矢の事だよな。まぁ、組織を大きくしてさらに存続させようってんなら、自分の思い通りになる後釜は欲しいんじゃねぇの?

 『正論だな。だが雹針の場合それが通じるのは、覇王眼を取り戻す前の事なんだ』

 「・・・・・・どういう意味だよ」

 『まず、一匹狼の暗殺者だった雹針が魔界忍者という組織を作ったきっかけは、覇王眼をオレに破壊され、妖力が格段に落ちたせいだ。極端な話、もし覇王眼を失わなければ、あいつは徒党を組まなくても魔界を制圧できたのかもしれん』

 しかし予想外のアクシデントに見舞われ、雹針は方向転換を迫られる。失った妖力を埋め合わせるには、自分に従う頭数を確保しなくてはならない。そこで結成されたのが魔界忍者だった。雹針が培った暗殺者として経験が、もっとも有効に利用できる。

 『表立った事は、四強吹雪や修羅の怪のような実行部隊に任せ、自分は組織を仕切りつつ妖術研究に打ち込む。ところが妖術研究というのは、結構リスクやデメリットも多くてな。心身に負担がかかり、老化を早めてしまう事もある。今の雹針本体は、人間年齢にすると大体50代半ばくらいに見えるだろうが、本来ならオレとそう変わらんはずだ。妖怪の寿命や老化スピードは個体差が大きいが、それを差し引いても、ここまでオレとあいつの身体年齢が開く事は、まずありえん』

 目に見えて年老いてきた雹針は、若い実力者、それも自分と同属性の凍矢を後継者に指名し、自分の権力や影響力が隠居後も変わらない事を魔忍達にアピールする必要があったのだ。

 『ところが、その後継者は抜け忍となり自分を裏切った。組織のトップ、カリスマとして君臨するための切り札に逃げられちまった雹針は、さすがにこの時ばかりは焦っただろうな。だけど数年後、また新たな展開が訪れる』

 「イチガキの野郎か!

 『そうだ。どちらが先に目をつけたのかまではわからんが、とにかく両者は利害が一致した。イチガキはお前らに復讐し、雹針は抜け忍を処刑すると共に魔界の覇権を手中に収める。暗黒鏡の「正しい」利用方法も、イチガキの協力があれば使えるしな。そうして覇王眼を取り戻し、雹針は強大な力を再度得た。それによって魔界を制圧し、浦飯チームの面々をもその過程で惨殺するとでも言って、イチガキを従わせたんだろう』

 「うん、そこまではオレも見当ついてたけどよ、後継者云々の話がどう関わってくるんだ?

 幽助は、頭の中で改めてこれまでの経緯を整理しながら、問い返してみる。躯の声が途切れ、短い沈黙。

 『・・・・・・覇王眼を取り戻した今の雹針に、後継者はおろか、組織すらも必要無いはずなんだ。なのに手元に置いているのは、イチガキや爆拳と同じく捨て駒と割り切ったからに過ぎない。どうせ捨てるなら、最大限利用しなければ損、程度の認識さ』

 「つまり、実は凍矢も捨て駒の一つだって事かよ?!

 愕然とした幽助の叫びに、躯はそうだと嘆息混じりに肯定した。

 これまで、雹針にとっての凍矢が唯一無二の後継者という重要ポジションと考えられていた。それのお陰でわずかながら希望的観測ができたのだ。早急に、凍矢の命が危険に晒されることはないだろう、と。無茶苦茶な手術までして取り戻した後継者を、雹針が粗末に扱うはずがない、と。

 だが、躯の言っている事の方が事実ならば、その考え方は根底から覆される。

 「ヘタすりゃあ、凍矢も雹針の気分一つでどうとでもなる可能性があるってか」

 「

『気分一つというか・・・・・・奴のやり口は、おそらくもっと残忍だ。オレでさえ、気付いた事を後悔したくなるくらいにな』

 「・・・・・・何が言いてぇんだ?

 『百足の司令室で、オレが雹針とやりあった時。あいつは自分の核と凍矢の核を瞬時に入れ替えた。その間だけ、凍矢本人が確かに帰ってきた。言い訳がましく聞こえるだろうが、そのせいでオレはつい戦闘状態を解除して隙を見せ、雹針に右腕千切られるわ虐鬼の泉にとばされるわと、散々な目にあったんだが・・・・・・思い返してみればあの手口、違う使い方もできるんだ。いやむしろ、それが本命かもしれない』

 あの時は、純粋に躯を油断させるためだった。敵意も殺意も無い凍矢本人を目の前に突き出すことで、躯の戦意を削ぐ。ただ、それだけのため。

 だが、あの時『雹針』は言っていた。この手段はまだとっておきたかったと。彼が本来計画していた使い所は、本当の狙いは、別にあった。

 

 

「修羅錬風殺!!

 風向きの異なる二つの竜巻が、組み合わさる事によって相乗効果が現れ、さらなる爆風に生まれ変わる。それを『雹針』の胸に叩き込んだ。

 ・・・・・・と、思った。

 陣が絶好のタイミングで技を繰り出した、正にその瞬間。冷酷無比をはりつけていた表情が、不自然な黄金の光を帯びていた瞳が・・・・・・彼がよく知る元の蒼色に戻ったのだ。殺伐としていた妖気も、同時に消え失せた。

 「え」

 待ち望んでいたはずの、本当の再会。時が止まったかのような錯覚。その中で、凍矢の――今度こそ、凍矢本人の声が、目の前にいる親友に何か言おうとしていた。しかし現実にはとても儚い刹那で、陣の意思などお構い無しに、時間は無情に元通りに流れ始める。

 次の瞬間、陣の耳元でドン!!! と鼓膜が破裂しそうな轟音が炸裂した。大技の反動で、足元がよろける。これまでで一番激しい土煙が舞い上がり、視界を阻んだ。慌てて新たに風を巻き起こし、それを吹き散らす。その僅かな間、陣の脳髄で筆舌に尽くしがたいノイズが鳴り響いていた。一瞬しか見えなかった光景に理解が追いつかず、思考回路が処理しきれずにひどく混乱しているのだ。

 「今、今のは・・・・・・オラが見たのは?

 情けないほどに狼狽し、震えた声。乱れた呼吸を繰り返しながら、陣は土煙の晴れた向うを見る。

 雹針によって補強されたはずの、洞窟の内壁を抉り、大きなクレーターが形成されていた。その周囲は放射状に大小のひびが走っている。修羅錬風殺の威力を物語るのに十分すぎるが、その技を本当にくらったのは、もちろん内壁などではなかった。

 クレーターの下。真っ赤な血だまり。その中心に、うつ伏せで倒れたまま、微動だにしない。

 「・・・・・・・・・・・・凍矢?

 途方に暮れたような呟きが、零れ落ちた。

 停止していた記憶の回路が、今、ついさっき何があったのかを再現し始める。

 回避はおろか防御さえする間もなく、まともに修羅錬風殺が命中した彼は、そのまま背後の内壁に向かって吹っ飛ばされて激突し、真下に落ちたのだ。

 凍矢が。『雹針』ではなく、凍矢本人が。

 「え? ・・・・・・え?

 喉の奥が引きつって、心もとない細い声が絞り出される。頼りなく泳いだ視線が、ふと、決定的な一撃をくりだした己の手に落とされかけた、その時。

 身体の芯に、鈍い衝撃が走った。かと思った次の瞬間には、陣の腹部から彼の血に濡れた氷の槍が「生えて」いた。あっという間に喉元までせりあがってきた血を咳き込むように吐き出すと、背後から聞き覚えのある声が、笑みを含んで紡がれる。

 「閃と同じように処刑するつもりだったが、今はあえて核は外しておいた。あっけなく死なれてもつまらんのでな」

 それは確かに、陣がかつて聞いた声。魔忍の里を、底知れぬ闇を統べる者の声。紛れもなく、雹針自身の声。背後から覆いかぶさるように陣を圧倒する妖気も、確かに雹針のものだった。

 まさか、雹針の本体に彼の核が戻ったというのか。いつの間に?

 「ぐっ―――!!

 ずるり、と陣の血肉を逆撫でるようにして、槍が引き抜かれた。支えをなくした陣の身体は、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。どくんどくんと、脈動に合わせて体内から血が流れ、その中に陣は沈んでいく。

 雹針は先ほど核は外したといったが、急所を外したわけではなかったようだ。脊髄が、内臓が、動脈が、狙い撃ちで貫かれている。手足の感覚もすぐ鈍り、青白くこわばっていく。

 白濁しようとする意識を懸命に繋ぎとめながら、陣の頭の中には新たな疑問がぐるぐると巡っていた。

 とーちゃんと同じように・・・・・・処刑? とーちゃんは戦死したんじゃなかったんか? 

 父の、母の面影が浮かび上がりかけたが、その寸前、雹針は陣の髪をひっつかみ、無理やり顔を上げさせる。そして勝ち誇ったように、悠然と言い放つ。

 「さぁ、朽ち果てる前に、もう一度よく見ろ。あれは何だ? ・・・・・・凍矢の死体だ! お前が殺した!

 ぼやけかけた視界が、瞬時に焦点を結んだ。そこに映し出されるのは、変わり果てた親友の姿。

 あの時。凍矢の左目が元の色に戻った時、彼の唇が僅かに動いていた。

 

 陣

 

 確かに、そう呼ぼうとしていた。しかし、あんなに待ち焦がれていたその瞬間は、叩き壊されたまま葬られてしまった。凍矢の、命と共に。

 「あ、あ、うぅ―――・・・・・・うあああああああああああ!!!

 瀕死の状態であるにもかかわらず、どこにそんな力が残っていたのか、陣の絶叫がほとばしり、洞窟内にこだました。

 

 

 「浦飯、悪いが想像してみてくれ。核を入れ替えるタイミングを、もう少し遅くするだけでいいんだよ。凍矢本人の核を戻す瞬間を、オレが攻撃をためらうより遅く、なおかつ雹針に乗っ取られた状態の凍矢の身体に、オレの攻撃が当たるより早く、そういう瞬間同士の狭間にぶちこむのさ。付け加えると、核が入れ替わった直後の凍矢は、核の定着が不安定なために妖気も整わず無防備状態だぜ」

 「おいおい何言い出すんだよ、ンな事したら・・・・・・・・・・・・え? って、ま、まさか!!

 「わかっただろ? 雹針の目的は凍矢を乗っ取って陣を殺す事じゃなく、陣に凍矢本人を殺させる事なんだ」

 

 

 髪を掴んだ雹針の手を無我夢中で振りはらい、陣は自らの血の中に手をつき、立ち上がろうと試みた。しかし身体のどこにも思うように力が入らず、うまくいかない。

 急な大量失血のせいで体温が下がり、視界が霞んでいる。それでも陣は、重い荷物のようになってしまった全身を、懸命に動かして這ってでも凍矢のもとへと進んだ。けれど

 「あきらめの悪さは、やはり父譲りか」

 雹針の槍が、陣の右膝裏を刺し貫いた。

 「―――――!!

 声にならない悲鳴とともに、陣の喉の奥からごぽっ、と血の塊が吐き出された。こんな状態でもまだ痛覚が生きているのかと、頭の片隅が冷静に観察している。

 「ほら急げ、地べたに這いつくばっている場合か?

 くっくっ、と喉の奥で笑いながら、雹針は今度は陣の左ふくらはぎに槍を突き立てる。強引に縫いとめられ、陣の身体が引きつるように震えた。しかし、槍を引き抜かれたら、彼はまた懸命に地面を這って進んでいく。わずかずつだが、陣が凍矢に近付けば近付くほど、紅く濡れた軌跡がのびた。

 凍矢 凍矢 死んだなんて嘘だ やっと会えたのに 

 うわごとのように幼馴染の名を繰り返しながら、自分の命も風前の灯だというのに、陣はそれを忘れたかのように凍矢の側を目指す。

 やっと、顔をのぞきこめる位置まで来た。血だまりに突っ伏し、だけど少しこちら側に向いている。乱れて落ちた前髪の間から、閉ざされた瞼が見える。

 「凍、矢・・・・・・」

 血がせりあがってくる喉を振り絞って、陣は呼んだ。凍矢の瞼は、ぴくりともしない。もともと色白だったが、さらに血の気が失せて痛ましいほど蒼白だ。力なく投げ出されている彼の手に、陣は自分の手を伸ばす。触れて、確かめたかった。そこに彼の体温があることを。

 「何をしても無駄だ」

 揶揄するような声が、降ってくる。同時に槍まで降ってきて、凍矢の手に触れられる寸前だった陣の手の甲を貫いた。

 「!! ・・・・・・っ」

 「だが、あの処刑ぶりは評価してやろう。抜け忍にしては上出来だぞ、陣。よくぞ凍矢を葬った」

 槍を引き抜かれた手が、ぶるぶると痙攣して思うように動かない。

 「と、や・・・・・・」

 ほとんど吐息だけで、ただ一つの名を呼ぶ。ようやくここまでたどり着いたのに、もはや何も届かない。陣の脳裏に、先ほどの映像がフラッシュバックする。わずかな一瞬、凍矢自身のそれに戻った双眸。それが目の前で儚く破壊された刹那。

 ・・・・・・否、壊したのは、自分だ。

 凍矢を助けるために、77戦士の規則を破り、仲間達を偽り、鈴木との約束さえも違えてまでここへ来たというのに。

 何もできなかったばかりか、この有様だ。よりにもよって、最悪の形で凍矢を裏切ってしまった。

 

 全部、全部オラのせいだ

 

 心が、魂が、奈落の底に堕ちていく。

 

 

 「次は、およそ50メートル先の三つ角の、一番左だそうだ。その次は、80メートル先の分かれ道を右」

 諜報機関から送信された、入魔洞窟の地図を見ながら、鈴木が行く先を指差す。他の三人が77戦士用の特製ペンライトで照らしているお陰で、洞窟内はありえないほど明るい。その中を、彼らは気のはやるまま駆け抜けていた。そのスピードにあわせて、洞窟内を照らす光も猛スピードで移動する。

 「んで、あとどんくらいでゴールなわけ?

 見上げてきた鈴駆を、少々ばつが悪そうに見返して、鈴木は短く答えた。

 「80メートル先の分かれ道で、ようやくあと1/3というところか」

 「やっとかよ! 人間界の洞窟と思うと、やたら長い感じするなぁ」

 彼ら4人の走るスピードでなら、入り口からここまで大して時間は要していない。洞窟を歩き慣れたかの能力者達であっても、足元にすら及ぶまい。だがそれでも、事態が事態なだけに一分一秒が切実に惜しかった。

 「霊界獣は、もうすでに到着していると思うか?

 怪我のために最後尾とはいえ、決して遅れをとってはいない死々若丸が鈴木に問いかける。

 「多分な。敵が張ってないひずみを、通らなきゃならなかったロスを差し引いても、オレ達より早いはずだ」

 「幽助の霊界獣なら頼りになるだろうけどよ、早いとこオレ達が加勢しなきゃやべぇだろうな」

 酎の語調に緊迫感が増した。いくらなんでも、覇王眼を取り戻した雹針と、彼に乗っ取られた凍矢に敵うとは思えない。あくまで自分達が着くまでの時間稼ぎ、と思った方がいいだろう。

 と、その時だった。

 「あれ?

 最初に、思わず足を止めたのは鈴駆だった。

 「何かさ、ちょっと寒くなったような気、しない?

 「言われてみれば・・・・・・洞窟内のはずなのに、冷気が漂ってくるような」

 死々若丸が呟きながら、怪訝そうに眉根を寄せた。

 「もしかしなくても、前方から来ているようだぞ」

 冷気の出所を探っていた鈴木の声に、全員がハッとなった。彼らは皆、察知した冷気の感触に覚えがあった。

 「急ごう!!

 号令のように飛んだ鈴木の声に触発されるかのごとく、さらなる速度で4人は疾走した。その途中で、鈴駆がふと、不安そうな顔で酎を見上げる。

 「躯の言ってた悪い予感・・・・・・外れる、よね?

 戦場へ出る直前、癌陀羅の病院で躯から聞いた話を思い出していた。雹針の本当の狙い。あれが本当なら、自分達は大切な仲間を二人も同時に喪ってしまうのだ。自分達に、躯の想定を外すことは、果たして可能なのか。

 「シケたツラしてんじゃねぇよ! 最悪のイメージってのは案外、現実にゃあならねぇもんだぜ」

 人生の先輩を信じろと、酎はふてぶてしい笑い方で鈴駆を安堵させた。自分が抱えている焦燥は隠したままで。

 

 

 身体が動かない。声が出ない。呼吸の仕方さえ忘れそうだ。なのに、涙だけは止まらない。揺らめく視界には、凍矢が無言で横たわっている。だけども陣は、見つめ続けていれば、この視線に彼が答えてくれるような気がまだしていて、目を離せない。すぐ側に憎き宿敵がいるとわかっている。そいつが、両親達を殺した張本人かもしれないと言う事も。

 それでも凍矢の事しか考えられない。自分が彼を手にかけてしまった瞬間のフラッシュバックが、いつまでも連続して脳裏で再生され続けている。

 何もかも、崩れていく気がした。両親の想い出も、懐かしい画魔も、六人衆として過ごした日々も――凍矢が隣にいてくれた、全ての時間も。

 あの一瞬、陣の名を呼ぼうとしていた凍矢は、その後何と続けようとしたのだろう。親友にして、唯一の幼馴染である陣から攻撃された瞬間、何を思ったのだろう。

 

 痛かったべ、凍矢 苦しかったべ? 今のオラなんかとは、比べモンになんねぇくらい

 

 自分を苛む苦痛や死への恐怖でなく、陣はただ、凍矢が受けたであろう痛みのために泣いた。散々と酷な目に合わされていた彼を、よりにもよって自分が手にかけてしまった罪で心が折れたまま。

 そして雹針は正に、その瞬間を心待ちにしていた。自分の後継者に指名されていながら、役目を放棄して立ち去った凍矢。彼を外の世界へとそそのかした陣。双方にもっともふさわしい罰を与えるために、これまでの時間を費やしたといっても過言ではない

 「我が子飼いでありながら、分不相応な真似をしおってからに」

 呪氷よりも冷え切った視線が、かつての直弟子とその相棒を見下した。

 「私を裏切り楯突くとどうなるか、魂にまで刻み付けてやろう。お前達の亡骸は見せしめとして、間もなく魔界でさらしものにしてくれるわ」

 長年の溜飲が一つ、これで降りる。この報復劇が終わってしまうのが、惜しいくらいだ。それ程に、雹針にとっては心躍る日々だった。

 自分を裏切った元弟子をのっとり、核を切り離して手中に収めた。妖怪の命の源である核をだ。その生殺与奪を自由にできると思うと、誇らしい上に楽しくて仕方が無かった。しかも、その姿を使って宿敵・躯さえも翻弄した。右腕を落とされた瞬間の彼女の顔! 額に入れて飾っておきたいくらいだ。

 妖狐・蔵馬が余計に頭を働かせたせいで、陣に四強吹雪の最期を見せてやれなかった事だけが心残りだが、それを補って余りあるくらいの成果だった。

 凍矢に外の世界の事を吹き込み、雹針を裏切って里を捨てるよう誘導したのは、陣に間違いない。画魔とグルになってまで。あの腹立たしいほどに能天気な面構えが、見る影も無く崩れ、影を帯びていく様は傑作というほか無かった。

 中でも最高なのは、新たな大技を放った直後。

 それまでみなぎらせていた殺気や怒気が一瞬で消え失せた、あの無様な瞬間。

 「・・・・・・恩知らずの凍矢は、親友の陣に処刑されるという罰。そして陣、お前は凍矢を殺した挙句、私に父親と同じ方法で処刑されるという罰を与えてやろう」

 改めて、雹針は氷の槍をかざす。今度はその切っ先を、寸分違わず陣の核を貫ける位置に構えて。

 「さぁ眠れ。地獄の底にて目覚め、嘆きの続きを」

 歓喜に震える声を合図に、槍が突きおろされる。かと思った、刹那。

 ヒュウウウウウウウウッ

 雪が混じった冷気が、洞窟内の空間を揺さぶるように、叫ぶように吹きつけてきた。雹針のそれとも、もちろん凍矢のそれとも違う。

 その冷気に混じって、毅然とした低い声が響く。

 「雹針よ、図に乗るな」

 その声を追いかけるようにして、バサバサという羽音が耳に届いた。威厳ある重厚な声も、軽やかな羽音も、陣にはそれぞれ聞き覚えがある。ようやく我に返った彼が、必死に顔を上げた先。そこにいるのは間違いなく幽助の霊界獣・プーだ。

 とはいえその眼差しと、纏っている気の流れや質が、まるで違う。だがそれさえ、陣はよく知っていた。

 「気をしっかり持て、風使い・陣。我が友はお前を死なせるために、これまで耐えてきたわけではないぞ」

 プーから発せられるその声に、陣は完全に覚醒する。

 「オメ、白狼・・・・・・!!

 「白狼だと?!

 かすれてはいるものの、輪郭のはっきりした陣の声に、思わず雹針は驚きそのままに叫び返していた。

 「馬鹿な・・・・・・術者の死後、どういう状態であれ、専属召還魔獣が現出するなどありえん! 雷禅の息子から生じた霊界獣が、それらしく猿真似しているだけにすぎぬはず」

 「我をみくびるでない!

 間髪入れずに、プーの姿から白狼が一喝した。

 「いかなる状況であろうとも、術者を守護するためならば、我は何としてでも降臨する。ただそれだけのこと」

 注意深く観察してみると驚く事に、プー本来の霊気に織り込まれるようにして、白狼の妖気が混在しているではないか。完全に、白狼がプーに乗り移っているようだ。

 「雹針、本来の姿に戻ったのなら、速やかに立ち去るがいい。これ以上我が友と、その知己をいたぶる事は断じて許さぬ。これは借り物の身体であるが故、手荒な真似は避けたいが、我が要求に応じぬのであれば我もおとなしくはしておれぬぞ」

 陣と凍矢を守るように、『白狼』が翼を広げて雹針から二人を遮った。

 冷厳と立ちふさがる『白狼』を前に、それでも雹針はすぐに動揺を静め、不遜な態度を崩さない。

 「笑止。確かに貴様は白狼なのであろうが、完全形態のそれとは妖力が桁違いに低いではないか。乗り移った霊界獣も、本来は戦闘向きではなさそうだな。その程度で、覇王眼を取り戻した私にかなうとでも?

 「力量差は問題ではない。我はただ、友を守りに来た。お前に勝てずとも、それだけは貫く」

 「守るだと? 物言わぬ亡骸をか。そんなものにまで忠義を尽くすとは、獣の分際でずいぶんと律儀な事よ」

 「・・・・・・それ以上の冒涜は許さん。立ち去れと言っている」

 「ふん、まだそのような物言いをするか。私が気付かぬはずがないと、お前ならもうわかっているのではないか?

 なにやら核心を突いているかのような雹針の言葉にも、白狼は冷静な表情を崩さない。二人の会話の裏が読めず、陣は息を潜めて次の言葉を待った。一言一句、聞き逃してはならないような予感がした。

 次の瞬間、雹針が持っていた核保存用のカプセルが、淡い光を放つ。ぱっとはじけるようなそれが収まると、そこには青白く弱弱しい光を放つ、拳大の氷の塊が収まっていた。

 「それを戻せ!

 あれは何だろう、と陣が疑問符を浮かべるより早く、白狼がとうとう声を荒げた。それを満足そうに見やりながら、雹針はやはりな、と愉悦の笑み零した。

 「核の凍結か! あの刹那にも満たぬ隙を突いて、このような芸当をするとは、さすが私のもと直弟子といったところか」

 「核の、凍結・・・・・・? じゃああれは、凍矢の!? どうして、あんな・・・・・・」

 精一杯の力を振り絞って、陣は上体を起こし、自分の盾になっている、白狼を宿らせたプーの翼越しに確認した。

 「気を抜くことは許されぬが、一つだけ安心材料をやろう。我が友は、まだ死んではいない」

その白狼が、視線だけを陣によこしながら答えた。突然告げられた事実に、陣は涙の乾かない目を見開いた。一瞬前までの絶望が根底からひっくり返されて、言葉も出ない。どう反応していいかもわからず、ただ硬直する。

「強制的に自らの核を氷漬けにし、生命活動の一切合切を停止させる。それが、核凍結だ。仮死状態よりも、さらに完全なる死に近い状態での生命維持が可能だが、妖力がほぼゼロなばかりか、意識が全く無い植物状態だ。しかも治療が遅れたりあるいは技術不足であったり、何よりも当人の精神力の程度によっては、凍結を解除するための力が戻らず、そのまま死に至る。氷属性の妖怪達にとって、禁忌中の禁忌だ」

 それでも、と白狼は続けた。

 「雹針の思惑を見抜いていた我が友は、核凍結に賭けた。雹針が自分の本体に核を戻す瞬間を、ずっと狙っていた」

 「失うのが惜しい逸材だな」雹針が乾いた声で嘲笑した「結局、凍矢の思い通りになったというわけだ、今のこの状況は。喜べ、抜け忍。貴様の相棒は確かに、往生際悪く生きながらえているぞ」

 だがそれは、ただ単純に延命するためではなく、陣が自分を殺さなくてすむように。彼に、罪を背負わせないために。

 

 

 『雹針』の視界越しに見る陣は、憎悪にかきたてられ殺意に突き動かされ、なのにどこか泣き出しそうに見えた。自分を蝕む不安と恐怖を振り払おうと、必死のようだ。

 閉ざされた暗黒の精神世界で、凍矢は陣からほとばしる苦痛と慟哭を思い、それが少しでもやわらぐことを祈って覚悟を決める。失敗すれば、陣を始め、仲間達を二度目の絶望に叩き落す事になる。契約していた白狼も、死滅してしまうだろう。しかしこの賭けに勝利する以外、今の自分は雹針に対する抵抗の術を持っていない。

 最初に、雹針が躯の前で凍矢の核を戻した時、彼女の右腕を落とした時、気付いてしまった。雹針の真の目的がどこにあるのか。奴が二番煎じなどするはずがない。躯に仕掛けた罠の、さらに上を行く何かを企んでいるはずだ。曲がりなりにも直弟子として、雹針を誰よりも間近で見てきた凍矢だからこそ、確信した。

 雹針がどんな狡猾で卑劣な罠を張って、陣を待ち構えているのか。

 何としてでも、阻止しなければ。奴の思い通りにだけはさせない。最悪の結末から、陣を助けたい。

 そして辿りついた答えが、核凍結。氷属性ならではの手段に至った時、(もしも本体であったなら)凍矢はふっと笑みを零した。

 この禁忌の技の存在を、自分に最初に教えてくれたのは、他でもない両親だったからだ。

 やはりオレの師にふさわしいのは、雹針などではなかったな。

 その真実が、こんな非常時だというのに嬉しかった。きっとうまくいく。失敗する気がしない。

 だから凍矢は、囚われていた核が本体に戻った瞬間、間に合うかどうかわからないけれど、とにかく陣にどうしても伝えたい事があった。少しでも、安心させたくて。

 儚い刹那、祈るように紡ごうとした。

 

 陣

 

 大丈夫だから

 

 

 一方の魔界では、諜報機関がにわかに緊迫していた。先日変死した、若手の諜報員の死亡現場へ赴いていた黒鵺の携帯電話からのGPS反応が、突然途絶えたのだ。

 そこへ、彼と同じ班を組む痩傑からも、黒鵺が応答しないと連絡が入った。

 『単に結界張りに行っただけなんじゃねぇのか? あいつが自分から電源切るなんてありえねぇし、アクシデントがあってぶっ壊れたとしか思えねぇぞ』

 これも雹針が関与しているに違いない。確信しながら、黄泉は口を開いた。

 「お前たちは確か、癌陀羅郊外北東部でひずみを解放するため戦闘していたのだったな。そこが片付いたのなら、黒鵺が向かった諜報員死亡現場に急行してくれ。何があるかわからん、班員全員で頼む。旧雷禅国のテロリスト軍団の方もそろそろ鎮圧できそうだから、蔵馬にはオレから知らせておく」

 『おう、頼むぜ』

 通話が切れて、つかの間の沈黙。それを打ち切ったのは躯だった。

 「間違っても、何事も無いはずはないな。まったく雹針の奴、次から次へと・・・・・・」

 忌々しそうに舌打ちする。

 「お前も、厄介な暗殺者に目をつけられたものだ。前回はどうにか撤退させたらしいが、今回の勝算は?

 黄泉に問いかけられ、躯はまた少し黙る。ようやくまともに感覚が戻り始めた右手を開いて、握って、低い声で答えた。

 「正直、わからん。操り人形のテロリスト共や魔忍軍団を全滅させても、覇王眼を持っている限り、雹針にとっては大したダメージじゃない。確実に、昔よりも使いこなし方を心得ていやがる。ただ、捨て駒が無くなった以上、そろそろ小細工はできなくなるだろうさ」

 「・・・・・・やはり、覇王眼が問題か。唯一にして、最大の難所だな」

 「あぁ、昔は運良く破壊できたが、今度はどうだろうな。左目への攻撃に対して、さらに警戒心を強めているはずだ。そもそも凍矢に核移植したのだって、左目を狙われない状態で覇王眼の力を存分に利用するためだったにちがいないんだから。本体さえ、安全圏に引きこもってりゃいいんだもんな」

 荒々しく吐き捨てて、躯は歯噛みした。

 昔だって、ここまで翻弄されてはいなかった。雹針一人、覇王眼一つで、今の魔界は最大の危機に晒されている。

 しかし躯を含め最前線に立つ77戦士でも、陣を除いて誰も雹針本人にたどり着いてすらいない。その陣も、宿敵が仕掛けているであろう罠に飛び込んでいったようなものだ。

 霊界獣は、彼の仲間達は、間に合うだろうか。間に合って、何とかなるのだろうか。そして、黒鵺の安否は。

 

 

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