第十三章・戦線に臨む者達

 

 

 遺体回収班によって発見された時、四強吹雪は既に骨だけとなっていたという。その骨に染みついていた妖気の残滓が感知されて、初めて認められたのだそうだ。生命力とともに放出されている妖力は当然、絶命の瞬間に絶たれるが、死後しばらくの間、遺体に妖気は留まっている。肉体がどんなに損傷していても、今回のように骨と化していたとしても。

 破壊され、死者の次元に引きずり込まれようとしている命の欠片が、懸命にすがりつくかのように。

 個人差は多少あれど、その妖気の残滓も時間の経過に比例して薄まり、ついには完全に消える。しかしそれまでは確実に、遺体に染みついている。多少他の妖怪と接触したところで、(その妖怪の生死とは関係なく)妖気が混ざったりすることはなく、あくまで遺体の主の妖気のみがそこにある。だから、回収班も四強吹雪の遺骨だと断定したのだ。

 

 

 火葬の段階をとばされたせいだろうか。里に無言で帰ってきたその日の内に、閃、飛鳥、涼矢、魅霜の遺骨は細かく砕かれ、里の付近にある崖の上から振り撒かれた。魔忍最強の精鋭部隊と謡われた彼らだったが、その最後は誰にも看取られる事はなく、そしてこれまで戦死してきた者達と変わらぬやり方で、特に葬儀もなく処理された。

 しかもこれらの工程は、全て遺体回収班のみに任されている仕事だった。四強吹雪が魔界の瘴気の中に散っていった瞬間を、画魔はもちろん、陣と凍矢でさえ見送る事は許されなかった。全て魔忍の里のしきたり通りにすると、皆その一点張りで。

 ここは、おかしい。

 声にこそ出さないものの、画魔の心の中ではそんな言葉が何度も繰り返し鳴り響いた。今まで彼は、一人前の魔忍として認められ免許皆伝すること、四強吹雪のように武勇伝を轟かせる戦士になることに憧れて、わき目もふらずひた走ってきた。だが、あんなにも焦がれていた夢や目標が、急激に色褪せていく空しさしか、今は感じない。しかし、そんな画魔の心情などお構い無しに、状況は進んでいく。

 今正に、閃達の遺骨が振り撒かれている頃合だろうかという時刻、もうすぐ正午になるかという時。突然雹針が画魔を呼びつけた。

 「凍矢を、私の後継者・・・・・・すなわち、魔忍の里の次期里長に指名することにした」

 淡々と、一方的に告げられた事実に、画魔は息を飲んだ。あの子が両親をいっぺんに亡くした当日に、当然のようにこんなことを言える雹針が信じられなかった。一切私情を見せない冷徹な妖怪だと心得てはいるつもりだったが、よりにもよってこんな日に。第一、この里長が昨日や今日の思いつきでものを言うはずがない。きっと彼の中ではずっと前からの決定事項だったのだと、画魔はすぐに理解した。

 だからこそ、薄ら寒い嫌悪感が背筋を走る。まるで雹針が、涼矢と魅霜の死をこれ幸いととらえているかのようで。

 「それにあたってだな、画魔。お前に、凍矢の目付け役を任せたい」

 「オレが、ですか? ・・・・・・あいつの力になれるなら何だって構いませんけど、目付け役が本当にオレでいいんですか? 属性が違うのに」

 「凍矢の潜在能力を鑑みれば、そんじょそこいらの呪氷使いでは足手まといになりかねん。たとえ属性が別でも、あやつと肩を並べられるくらいの力を持っていてなおかつ、信頼のおかれているお前の方がよほどふさわしい」

 謁見の間は、窓を開けていても薄暗く、ただでさえ感情の起伏を見せない雹針がなおさら無機質な存在に思えてくる。

 おぼろげな闇の向う、画魔の当惑を見透かしておきながら一瞥もせず、雹針はさらに言葉を続けた

 「それと、これはまだ内密事項だが、凍矢とお前、それに陣は、四強吹雪にかわる新たな精鋭部隊に入ってもらう。他の面子はまだ審査中だが・・・・・・とりあえず、土使いの吏将は当確と見ていいぞ」

 知っている名前だった。土使い部隊で最も期待されている若手の筆頭株。彼もまた、画魔と同じ時期に免許皆伝の試験を受ける予定のはずだ。

 「凍矢が魔忍の里を受け継ぐまで、お前の働きが頼りだ。改めて、期待している」

 「・・・・・・・・・もったいない、お言葉です」

 喉の奥から搾り出すように答える一方、画魔は憧れが褪せていく空しさを、遥かに凌駕する不安を感じ始めていた。

 これから凍矢が、雹針の直弟子になること。次期里長という肩書きを背負わされること、彼と陣が、雹針の手足として戦場に駆り出されること。四強吹雪のように。

 あの人達は、息子達に待ち受ける運命をどう思うだろう。自分達の戦死を怖れているようには見えなかったが、幼子達が自分達と同じ道を辿ることを、本当に望んでいるのだろうか。

 今となっては、確かめる術など無い。だけど、画魔は一つだけ、心に決めた。

 凍矢と陣は、絶対に死なせない。どんな過酷な戦場においても、オレが命に代えて守る。二人の運命を変えられるチャンスが来る、その日まで。

 

 重い瞼をこじ開けると、目の前に凍矢の顔があった。彼はまだ、目を覚ます気配が無い。陣もまた、起き上がる気力も体力も無かった。頬に何かが当たっている。探ると、凍矢の瞳から零れた氷泪石だった。横になったまま視線を巡らせると、自分達の周囲にいくつもいくつも、数え切れないほど散らばっている。

 壊れそうになった心と一緒に、無残に散らばっていた今日これまでの記憶が、元の形に結びついた。両親の死を知らされ、当然信じられず混乱した陣と凍矢は、静止する画魔を振り切って遺骨を目の当たりにしてしまった。

 間違えないようの無い両親達の妖気。だからこそ、残酷すぎた現実。ほぼ同時に絶叫も涙も、二人ほぼ同時にほとばしっていた。それぞれを抱きしめながら、必死で宥める画魔によってここに連れ戻された二人は、それでもなお彼に取りすがって慟哭し続けいたのである。

 やがて、とうとう泣き疲れてほとんど失神するように陣と凍矢は眠りに落ちたのだが、その後に画魔は雹針に呼び出された。命令とはいえ彼らを置いていくことが心苦しくて、何度も何度も振り返りながら。

枕元に、その画魔が急いで残したらしい走り書きを記した紙が、残されていた。『里長の屋敷に行く。用が済んだら、すぐ戻る』 寝たままそれを手にとって読んで、陣はもう一度、凍矢の顔を見る。普段は透けるように白い肌の少年だが、今日ばかりは目元を痛々しいほど赤く泣き腫らしていた。いつもは、陣よりよほどしっかりしていて背伸びしたがる凍矢が、身も世もなく泣き崩れていた。

 氷泪石の輝きが、陣の胸に刺さる。同じ哀しみを共有するものとして。

 でも本当は、オラが画魔のあんちゃんみてぇに、凍矢を慰めなきゃなんねかったんだよな。

 『陣、オメの方が兄ちゃんなんだぞ』

 困ったような、からかうような母の声が脳裏をよぎる。

 じわりと、新たな涙が滲む。それをぐいと拳でぬぐって、陣は上体を起こした。頭の芯に鈍痛がのしかかり、泣き腫らした瞼はもちろん全身が、感覚を失くしたようにだるくて重い。その一方で、鮮やかに蘇る記憶があった。

 両親から聞かされた、抜け忍計画。星が降りそそいだあの人間界の夜、全員で光ある世界に移り住もうと約束した。四強吹雪亡き今、その計画の難易度はさらに上をいっているだろうが、だからといってあきらめるわけにいかない。

 抜け忍計画は、両親からの唯一にして最大の形見だ。彼らが成し遂げられなかった分まで成功させるべきなのだ。こんな暗く哀しい闇の底とは、いつか必ずおさらばする。

 「もっと大きくなったら、強くなったら、絶対一緒に行くべ、凍矢。大丈夫、画魔のあんちゃんや彩露のじーちゃんはきっと味方についてくれるべさ」

 まだ眠り続ける親友を起こさないように、陣は小さな声で語りかけ、そっと髪を撫でる。するとまるでそれに反応するかのように、凍矢の唇が小さく震えた。そこから、か細い音が零れ落ちる。

 「・・・・・・父上、母上・・・・・・」

 閉じられたまつげの間から、滲んだ涙が宝石になって一粒転がった。つられてまた泣き出しそうになった陣だが、歯を食いしばってこらえる。

 もう、泣かねぇ。オラがいつまでも凹んでたら、凍矢の風までずっと哀しいままだ。笑わねぇと。バカみてぇに笑って脳天気なツラしてやんだべ。そーすりゃ凍矢もつられっかもしんねぇ。ただでさえ、辛気臭ぇ里なんだ。せめてオラだけは笑っていなきゃ。凍矢の、隣で。

 

 

 バリバリッと、木材が粉砕する音が耳元で弾けた次の瞬間にはもう、陣は背中から洞窟の岩壁に叩きつけられていた。むせて咳き込む陣の頭上から、彼がぶつかった衝撃でぱらぱらと小石や土くれが降ってくる。それを払いながら、陣はすぐに顔を上げ体勢を立て直す。

 たった今、自分の身体が突き破った穴が、屋敷の壁に広がっていた。足元の瓦礫を氷の槍で邪魔そうに払いのけ、『雹針』が悠然と姿を現す。

 「いくらお前でも、本当に雷禅の遺骨を持ってくるほどバカ正直ではないと思ってはいたが、まさかあんなにもあからさまな偽物を渡されるとはな。あの程度では、初心者用妖術にも使えん。ガラクタに等しい」

 「ハナっから本物持ってく気は毛頭無かっただよ。そもそも、テロリストを片っ端から生贄にしてたオメ相手に、わざわざ遺骨の吟味なんざやってらんねぇだ」

 緊迫したやりとりだが、謁見の間の奥で凍矢の核が保管されたカプセルを抱えて鎮座している雹針の本体は、そちらを一瞥もせずまっすぐ前を向いたまま微動だにしない。

 乗っ取った凍矢の身体と、もともとの本体、二つを同時に動かす事は不可能なためだ。

 里長の謁見室に入った時、まず口を開いたのは本体の方。その間、雹針の核を移植された凍矢の方は妖気こそ雹針のものだったが変調がみられず、まるで人形のように棒立ち状態だったために陣はすぐに二人分の身体を、同時操作する事はできないのでは、と見抜いた。

 雷禅のものと偽って持ってきた遺骨を、陣が麻袋ごと雹針本体の足元に放り投げた時、雹針は中身を確認するために凍矢の身体へと意識を移した。そしてまるで自分と陣の間に割って入るように、本体の盾にするかのような位置へと凍矢の身体を移動させたのだ。

 これで確信した陣は、その瞬間跳躍した。意識がカラになった雹針本体から、凍矢の核を奪還せんと突っ込んでいったのだ。しかし、先手撃ちはあえなく失敗。凍矢を乗っ取った『雹針』からすかさず反撃をくらい、吹っ飛ばされてしまったというわけだ。

 「浅はかな・・・・・・おおかた、先に凍矢の核だけでも私から奪い、その保護を最優先としていったん魔界に逃げ帰ろうという算段だったのだろう。見くびられたものよ、この私が、のこのこ舞い戻ってきた抜け忍を生きて返すなど、万が一にもありえん」

 どうやら、こちらも見抜かれていたようだ。陣は小さく舌打ちする。やはりできることなら、ギリギリまで、最後の最後まで、中身が雹針とはいえ凍矢とは戦いたくなかった。一方的な手術で核を奪われた彼に、かすり傷一つさえ本当ならつけたくない。

 だから、どうあがいてもそれを回避できなくなるその時まで、どうにか先延ばしにしたかったのが、陣の本音だった。

 凍矢の完全救出には、確かに戦ってでも彼の体を取り返さなくてはならないが、もう一つ、身体から切り離された核も救い出す必要がある。だからまず、凍矢の核だけでも安全圏へ、仲間達のもとへつれて帰ろうとしていたのだ。

 「私に言わせれば、無謀というより幼稚な賭けだ。単身魔忍の里に戻ってきた時点で、本来なら処刑されてもおかしくはないというのに。今の私には躯も勝てんというのを忘れたか」

 もちろん、危険極まりないと言う事くらいわかっている。我ながら、無茶な作戦だと自覚はしていた。だけど、雹針からの要求をのみつつ、里の現在地を知り、凍矢の核に近付くにはこれしかなかった。自分の命が潰えることになったとしても。

 「まー、すんなり成功する気は正直してなかったべ。最初の賭けには負けちまっただな。どうせ小細工バレたんなら、なりふり構わず一番の大穴狙いでいっちゃるだぞ!!

 「ほう、この場合の大穴とは?

 『雹針』が面白そうに、口の端を持ち上げる。

 「今目の前にいる『雹針』も、本体もブッ倒して、凍矢の身体と核両方を連れて帰ってやるだ!!

 どうやらとうとう、「どうあがいても回避できない」時が来てしまったようだ。今までで一番決めたくなかった覚悟を、決める時が。

 

 頼むから、お前からはそーいう状況を作り出さないでくれよ

 

 「・・・・・・すまねぇだ、鈴木。オラやっぱり約束守れそうにねぇ」

 哀しげに呟かれた言葉は、彼が右の拳に集める風によってかき消された。通常なら、人間界の洞窟なんぞ、この時点の風圧だけで崩壊してもおかしくない。だが入魔洞窟は少々地響きがして、数箇所のひびが入るだけだ。肉眼ではわかりづらいが、やはり雹針の妖術による補強のためのようだ。

 「貴様が凍矢と戦えるのか。強敵相手の腕試しをことのほか好んだ割りに、凍矢とだけは修行での手合わせすら、お互いに避けあっていた貴様が」

酷薄なオッドアイが、容赦の無い言葉が、覚悟を決めた今も胸に痛い。凍矢本人のものではないと、わかっているからこそつらい。こんな事になる前の、本来の凍矢の静かな面差しが、涼やかな声が、鮮明に蘇ってきてしまう。その落差に心が折れそうになる。

 「その覚悟に敬意を表し、先手は私が討ってやろう!

 身の丈程の槍を片手で軽々と構え、雹針はその切っ先を陣に向けたかと思った次の瞬間、陣めがけて槍を投げた。とんでもない速度で飛んできたその槍をかいくぐり、陣は低い姿勢のまま『雹針』にむかってダッシュする。足元に集めた風が爆ぜて、さらに加速する。

 「修羅旋風拳!!

 みぞおちに沈もうとしていた拳は、硬質な鈍い音と共に阻まれた。雹針が、左手の甲に分厚い氷の盾を一瞬で作り出し、爆弾のような暴風の塊を完全に塞き止め、四方八方に散らしてしまった。

 陣の拳はもちろん腕の骨から脳天まで、鈍い衝撃が突き抜ける。頭の芯が、がんがんするようなそれを振り切り、陣は風の逆噴射で上空へ一気に舞い上がった。雹針が新たに作り出した氷の槍による第二撃が、僅かにつま先をかすった。

 凍矢とその父・涼矢が愛用していた技、呪氷剣。彼らは利き手に直接武器を装着するようにしていたが、雹針は対照的に盾を現出する事ができたのだ。これまで誰も戦った事がなかったから、知らなかった。

 空中旋回しながら、陣は右手に新たな竜巻をまとわせようとする。しかしその背後で、急に冷気が忍び寄っていた。

 寒気と悪い予感の両方で、背筋がぞくりと騒ぐ。はじかれたように振り仰いだ視線の先、洞窟の天井一面に、青白い呪氷が張り巡らされていた。そしてそこへ縦横無尽に、ビキビキと生き物のような亀裂が走る。

 地上から、『雹針』の声が駆け上ってきた。

 「戒刃呪氷(かいばじゅひょう)殲滅天(せんめつてん)!!

 その声の振動がきっかけであるかのように、けたたましい音を立てながら大小さまざまな氷の欠片が天井からはがれ、鋭利なそれらが一斉に陣を的にして全方向から降り注いできた。

 「やばっ・・・・・・! 爆風障壁!!

 陣の周囲を風の鎧が取り囲む。凄まじい勢いで渦を巻く強靭な風に、氷の刃が次々とあおられはじかれていく。しかし一部の刃達が、わずかな風の隙間を縫うようにして滑り込んできた。竜巻の中心で、陣は新たに風を発生させて刃の方向を変えたり、あるいは避けたりしていたが、それらの内の一枚が右のわき腹を、もう一枚が左のふくらはぎを浅くだが切り裂いていった。

 暴風に乗って、血の雫が飛ぶ。

 最後の一枚を避けきって、陣は今度こそ地上めがけて旋回した。槍を構えた『雹針』が、そこで待ち構えている。

 

 

 癌陀羅には、吏将が率いる魔忍軍団が、土使い部隊によって召還された無数の巨大土人形らを伴って、四方八方からなだれ込んできている。黄泉は一般市民のため、宮殿はじめ病院や図書館など、公共施設の地下に建設していた巨大シェルターを開放。避難命令を出した。

 そしてその一方、幽助や蔵馬が滞在している旧雷禅国には、操血瘤によって殺戮マシンと化した大量のテロリスト達が、とめどなく押し寄せてきていた。躯は77戦士全員に連絡を取り、癌陀羅と旧雷禅国それぞれに二分するようにして戦士達を割り振った出撃命令を出すと、こう付け加えた。

 「オレの戦線復帰を、敵に知られるな。もしも凍矢の姿で雹針が現れたら、目の色の変化に注意しろ。左右同じ色になったら、それは雹針じゃなく、中の人格含めて凍矢本人に戻った証拠だ」

 魔忍側も、そろそろ躯が意識を取り戻す頃だと踏んで、その前にと今回の総攻撃に踏み切ったのだろう。だから、核の部分的瞬間移動を77戦士がまだ知らないかもしれないと、向うが考えている可能性がある。

 もしかしたら『雹針』はまた、凍矢の核を彼の本体に戻して、六人衆の面々はじめ戦士達をゆさぶり、翻弄する恐れがある。躯でさえ一時的とはいえ右腕を失ったのだ。命を落とす危険は十分ある。魔忍側の予測より少々早く、躯が目を覚ましたのは僥倖だったと言っても過言ではない。

 「ってーか、もし『雹針』の奴がこっち来ちゃったら、入魔洞窟に乗り込んだ陣に何があったんだって話だよ!! そもそもこんな状況じゃ、誰もすぐにあいつのトコ行けないじゃんか!!

 鈴駆が激昂に任せて激しく地団太踏んだ。今までで一番深刻な緊急事態なのだ。一人でも多くの戦士が事態の収束のために全力を挙げて、魔界を魔忍達から守らなくてはならない。それは鈴駆もわかっている。わかっているが、でもそうしたら、陣はどうなるのだ。

 しかも、諜報機関から回ってきた情報によれば、癌陀羅と旧雷禅国の近辺にある次元のひずみは、テロリストや魔忍達が占拠して封鎖しているのだそうだ。強引に突破するのは不可能ではないが、それに戦力を割いていては市街地を襲撃してくる本隊を駆逐するのに、さらに時間がかかる。もしシェルターまで到達されたら、民間人にまで甚大な被害が出るだろうことは間違いない。

 「……これも、雹針の計算の内か。助太刀すら封じようというのだな」

 死々若丸の形相が変わり、角が生える。

 「悪いな、オレ個人として入魔洞窟に行かせてやりたいのは山々だが、大統領としては首を縦に振れん」

 さすがの躯も、沈痛な面持ちを隠し切れない。正に苦渋の決断だった。どちらをとっても、雹針の術中にあることには変わりないのだから。

 「まずは、敵を迎え撃つしかあるまい」鈴木が意を決したように顔を上げる「戦況を見極めないことには、好機を見出すのもまた不可能だ」

 「言ってることはわかるけどよ、でも何か、何とかなんねぇかな?

 あぁくそ、シラフだってーのに頭まわんねぇ。酎が眉間にしわを寄せて悪態をついた。その時。

 ズウウウン

 腹の底に沈みこむような、鈍い轟音と振動が病院内に響き渡った。小さな悲鳴をあげてよろめいた雪菜を、とっさに桑原が支える。

 「やべぇ、もうこんなトコまできてやがんのか! 雪菜さん、一刻も早くここのシェルターに避難しててください。オレもこいつらと一緒に、一暴れしてきます。何、心配いりません。すぐにカタつけてきますから!

 勤めて明るい口調で宣言した桑原の覚悟を感じ取りながらも、雪菜は彼を安心させるように微笑んで見せる。 

 「はい、わかりました。シェルターでお待ちしてます。和真さん、皆さん、どうかお気をつけて」

 一礼した雪菜を、病院スタッフがシェルターへと誘導する。見送って、後ろ姿が見えなくなって、それが合図であるかのように全員が臨戦態勢に入った。

 「オレはひとまず、連中に見つからないようにして諜報機関本部に向かう。それと、浦飯に連絡がついたら奴の霊界獣を入魔洞窟に直行させようと思うんだが」

 「霊界獣って、プーを?

 躯からの思わぬ提案に、鈴駆は目を丸くした。

 「戦闘には向いてないようだが、なかなかの守備力が備わっていると聞いた。このまま誰も行けないよりはマシだろう。多少離れたひずみを利用しなくてはならんだろうが、あれの飛行能力なら大したロスにはならないはずだぜ。それに魔忍どもからも、さほどマークされてないとみて間違いない」

 「もうこの際贅沢言わないよ! オイラ達よりも早く、陣のトコに行ってくれるなら誰だって!

 むしろ、ほかならぬ幽助の霊界獣なら頼りになる可能性の方が高いと、鈴駆は思った。

 「では、オレ達のとりあえずの出方は決まったな」

 死々若丸が抜刀した。その刀身が、鋭利で青白い輝きを放つ。

 「魔忍どもが調子づきすぎた。これ以上好き勝手は許さん。……特にあの土使い、オレが直々に引導を渡してくれよう」

 悠焔で邂逅した時を回想して、死々若丸の語気が強くなった。雹針にとっては吏将もまた使い勝手のいい駒の一つに過ぎないだろうが、それでも爆拳よりは優秀な駒のはずだ。あの男はより、雹針に近い位置にいる。

 

 

 癌陀羅と旧雷禅国の窮地を知らされ、躯からの出撃命令を受けた時、黒鵺はちょうど例の諜報員が絶命していた密林に到着し、蘇空時読結界を張ろうとしていたところだった。位置的に、自分はすぐにでも癌陀羅に向かうべきなのだろうが、やはり変死した諜報員の真相も気にかかる。

 それほど長時間を必要とはしないだろうし、とりあえず諜報員の死亡時刻に何があったのかだけ確認して、すぐに癌陀羅へ行こうと決め、黒鵺は気を取り直し呪文を詠唱しようと呼吸を整える。

 しかし、そのタイミングを狙っていたかのように、突如として周辺を濃密な霧が漂い始めた。あっと思った時にはすでに、前後左右が1メートルほども見通せないほど霧がたちこめ、黒鵺の視界を阻んでいた。同時に鼻をつく、すえたような臭い。

 「この霧……まさか、霧使い爆拳か? 今頃でてこなくていいっつーの」

 両手に白銀の鎌を装備し、黒鵺は舌打ちした。脱獄は絶対不可能なはずの癌陀羅の宮殿地下牢から、黄泉にすら気付かれずに逃走した爆拳。諜報員の死が、もしや関係しているのか。

 鎌を持つ手に力を込め、黒鵺は臨戦態勢のまま相手の出方を伺おうとじっと待つ。相手もタイミングを狙っているのか、動きが無い。こんな所で、無駄足踏んでいる暇は無いというのに。

 「どうした、ビビってんのか? どっからでもかかってきていいんだぜ」

 焦燥を隠して、黒鵺はわざと余裕たっぷりに挑発して見せる。何重にも折り重なっているかのような霧は、視界はもちろん、相手の妖気の位置を測ろうとする彼の集中力すら妨害する。周囲に張り巡らせたい感覚が阻まれ、押し戻されてくるかのようだ。

 その時、ふと、霧の壁の一部が揺らいだ気がした。

 「―――!!

 些細な変化を脳が認識するより早く、身体が反応した。黒鵺の背中の羽が、ばさりと音を立ててしなる。次の瞬間、黒鵺は羽の力も利用して高くジャンプしていた。視界は変わらず霧に塞がれ、どれほどの距離ではびこっているのか考えるのも面倒になる。

 だが足元だけは、かろうじて確認できた。彼のつま先を、靴の裏を、細く鋭利な先端の杭のようなものが、何本も何本もかすめているではないか。獲物を捕らえられなかったそれらは、すぐに物凄いスピードで地上に引っ込んで行ったようだ。爆拳の武器だろうかと一瞬思ったが、武器にしては何か妙だった気がする。

 それの行方を追って、黒鵺は自身の武器を構えたまま地上に戻る。

 「おい、いい加減出てこいよ。こっちは急いでんだ。不意打ちに失敗しといて、まだもったいぶる気かよ?

 そろそろ苛立ちを隠しきれなくなってきた黒鵺の耳を、けたたましい不協和音がつんざいた。それが何者かの笑い声であると気付いた時、目の前を覆っていた霧が一瞬で晴れる。

 「くききき、けけけっきゃーーーーー!!!

 長い髪を振り乱し、小柄な男が高笑いしていた。上下黒尽くめの服装で、あからさまに人相が悪い。甲高い声でげらげら笑う様子は、露骨にこちらをバカにしているようなのだが、腹が立つよりもまず不気味に感じる。

 がくんと、一度大きくのけぞって喉仏をさらし、男は一瞬声を途切れさせた。そのまま再びがくんと頭を正面に戻す。陰険な眼差しが、舐めるようにじろじろと黒鵺にまとわりつく。

 「一応初めまして、とでも言っておくか? 瑠璃結界の黒鵺さんよ。とはいえあんた多分、オレの名前くらいは聞き覚えあると思うぜ」

 「……こんなけったくそ悪い笑い方する妖怪に、まったく覚えがねぇんだがな」

 「くくくくくくく、オレ達はお互い初対面さ。だが共通の知り合いならいるぜ。今、旧雷禅国でテロリスト達を迎え撃とうとしている、あんたの相棒」

 わざとらしく含みを持たせた言い方が、なおさら癇に障る。

 「蔵馬に、どんな因縁があるってんだ?

 平常心を装いながら、黒鵺は射抜くような目線で男を睨みつけた。

 「おぉ〜怖い怖い。そんなにあいつが心配か。オレがどんな危害加えようとしているのかが気になるか。完全にてめぇを二の次にしてでも!! これはいい、予想以上の獲物にありついたぜ!! いいねぇわかりやすいよ、お前」

 ひゃーひゃっひゃっ、と男は全身を使って大笑いする。

 「最初に言っとくが、オレは魔忍じゃねぇ。爆拳の野郎は能力ごと喰わせてもらったがな……そろそろ名乗ってやろうか、オレはな、戸愚呂だよ。どっちなのかは、さすがにわかるだろ?

 戸愚呂。思わず黒鵺は、おうむ返しに呟いた。確かに、聞き覚えがあった。暗黒武術会で、蔵馬達が対峙したチーム。そのリーダー格となっていた兄弟。弟は決勝戦で死んだらしいから、目の前にいるのは必然的に兄の方と言う事になる。

 「ざっくりとだが、入魔洞窟でひと悶着あったことは、蔵馬から聞いてるぜ。魔忍があの場所を占拠したって聞かされて嫌な予感はしてたんだけど、まさか本当に関わってきやがるとはな」

 

魔忍が入魔洞窟に里を移転してまもなく、下忍の一人が、戸愚呂を発見した。邪念樹に囚われ死ぬ事もできず、妖狐蔵馬を永遠に屠り続ける悪夢にうなされたままの戸愚呂を。驚異的な回復力と生命力に興味を持った雹針は、あっさりと邪念樹を枯らして戸愚呂を解放してしまった。

 そして、自分達に協力するなら、妖力を高めるだけでなく、より効果的な復讐の方法も教えてやろうと懐柔したのだ。

 千年以上前に死亡した蔵馬の相棒にして親友だった男が、最近蘇った。そいつを再び地獄に送り戻せば、蔵馬本人への襲撃をはるかに凌駕するダメージになると。

 

「てめぇを全身串刺しにして、グチャグチャのバラバラしてよぉ、鴉を見習って頭だけは綺麗なまま蔵馬にたたきつけたら、あいつどんな顔すると思う? 絶対傑作だよなぁ、あ、でもてめぇは見らんねぇか死んでるから。こりゃあ残念!!

 雹針の妖術によるドーピングで、以前は頭部のみの再生が精一杯だった戸愚呂の全身が、弟に砕かれる前と同じように元通りになった。仮宿としていた牧原の肉体を捨て、戸愚呂は久しぶりに自分の身体で地上に降り立った。その解放感も、急上昇した妖力に拍車をかけているのか、とにかく今まで経験した事もない力がみなぎっているのを感じている。

 「ちょっと待て、爆拳を能力ごと『喰った』だと? 奴と会ったのか? 投獄中に?

 「けひひひひ、その通りだ。今のオレ様はなぁ、喰うだけじゃなく『寄生』する事もできるんだよ。第三者の妖怪の体内に入り込み、そいつの妖気を隠れ蓑にして、乗っ取っちまうんだぜ〜。癌陀羅の諜報員にひょいっと取り換わったら、どいつもこいつも気付かねぇんでやんの!!

 見えてきた。戸愚呂は各地を飛び回っていた諜報員の一人に寄生し、黄泉に聞き取られぬよう自らの妖気や生命活動の音も何もかも隠した上で、癌陀羅に潜入。防音設備や装置を巧みに利用して爆拳が拘留されている地下牢を探し出し、かの霧使いの能力も命までも食い尽くした。白紙は、爆拳が脱獄した可能性を匂わせ、諜報機関や77戦士をかく乱させるために置かれたものだったのだ。

 「……その諜報員も、お前が殺したのか」

 「結果そうなるかなぁ。寄生にはちょいとネックがあってよ、一度これやっちまうと宿主の能力は喰えなくなるし、せいぜい数時間程度で死んじまいやがるんだよな」

 「何がネックだ、ゲス野朗。大方、無理やり寄生された負担のせいで、生命力ってか、寿命削られちまってんじゃねぇのか? 黄泉から聞いたぜ、諜報員の死因は老衰だってな!

 げたげたと品の無い不協和音を撒き散らしていた戸愚呂が、ぴたり、と押し黙った。笑いすぎた勢いでのけぞっていた身体が、先ほど以上の勢いで、ぐいん、とバネのように引き戻る。その表情に浮かんでいるのは、憤怒と殺意。

 「今……今、オレのことをゲス呼ばわりしやがったな。蔵馬もそうだ、同じようにほざきやがった!! ほざいてそんであいつはあいつは! オレを! 卑怯な罠にはめて! あんな! 胸クソ悪い木なんざ植えつけやがって!!! オレに悪夢を、おぞましい悪夢ををおおおおおお!!!

 さっきから思っていたが、戸愚呂の妖気の波長はアンバランスどころか目茶苦茶だ。人格以上に破綻している。それが露骨に言動に表れていた。

 「鯱といいこいつといい、ウチの子狐は結構敵が多いねぇ。まぁ、イコールオレの敵でもあるんだけどよ」

 ぎゃあぎゃあわめきたてる戸愚呂と対照的に、黒鵺は落ち着き払って不適な笑みを浮かべてみせる。その両手に、白銀の鎌がきらめく。

 「蔵馬に戦闘の基礎を叩き込んだのはオレだぞ。弟子に勝てなかったゲスごときが、師匠に勝てると思うな」

 「まま、また言った! あの化け狐ですら一回だったのに、二回も言ったな!! この世に舞い戻った事、心底後悔させてやるぜ死にぞこないいいいいい!!

 

 

 ここからそう遠くない場所で、戦いの気配がある。それを感じ取って、死々若丸は一瞬振り返ってみた。しかしすぐに、熾烈な戦場と化した癌陀羅の大気に紛れ、溶けて、すり抜けていく。気にはなったが、心にとどめておくのはあえてやめた。自分は今、それどころではない。

 土の甲冑をまとった足が、死々若丸のみぞおちを狙ってくるのを、紙一重で交わす。足のバネをつかい、魔哭鳴斬剣を振りかざしながら彼は、再び吏将の懐に飛び込んでいった。

 今、癌陀羅では全属性の魔忍部隊と巨大土人形を相手に、自分の仲間達含めた77戦士が応戦している。死々若丸はその間に、迷いも淀みもない足取りで戦渦をかいくぐり、魔忍達を統率している吏将を探し出し攻撃を仕掛けていた。

 とにかくまずは、自分が単独ででも吏将を討ちにいく。部下達や土人形を77戦士らが制圧している隙に、現場のリーダーを仕留めて戦闘の主導権を確保し、次元のひずみを封鎖している忍者達も殲滅して、入魔洞窟に向かう。

 死々若丸は、癌陀羅が攻撃されたと知った直後から決めていた。危険すぎると鈴木達は反対したが、彼は頑として譲らなかった。

全員が土巨人や下忍中忍にてこずっているわけには行かない。多少の無理を通さなければ、また相手のペースに翻弄される。それに、捨て駒の一つだとしても、吏将は今魔界忍者のナンバー2だ。雹針は当面利用するつもりだろう。早い内に制し、相手方の内情を引き出すべきだ。

 一分一秒でも早く、陣の元へ加勢しに行かなければ。その突破口は、必ずオレが開いてみせる。

 そこまで宣言した彼に、仲間達はようやく首を縦に振ってくれた。皆、陣と凍矢を案ずる本音は同じなのだ。

 

 ギイイイン!!!

 硬質な不快音が、死々若丸の耳をつんざいた。吏将の腕を防護する土の鎧が、魔哭鳴斬剣をはじき返す。

 間合いを取り直し、お互い睨み合う。

 それぞれの背後で、轟音を立てながらまた新たに建物が崩れていった。

 「裏御伽チームの主戦力と対戦できるとは、今後道を歩く時気をつけなければな。貴様のファンクラブに刺されてしまいそうだ」

 「余計な心配は無用。お前が往来を歩ける日など、未来永劫来ない。諜報機関に引き渡した末に、百足の燃料にさせてくれる!

 毅然として言い放つ死々若丸だが、吏将を探し出しここまで強行突破するのは容易ではなかった。襲い来る敵を、いちいち迎え撃つのではなく回避しながら疾駆し続けていたため、着物にも身体にも小さな傷が点在している。

 「本来ならば雹針を切り捨てたいところだが、陣に免じて貴様で妥協してやろう」

 死々若丸の形相が鬼のそれに切り替わり、二本の角が現れる。

 「爆吐髑触葬!!

 怒涛の勢いで髑髏が溢れ出し、嬌声をあげながら吏将を食い殺そうと襲いかかった。

 「髑髏どもの餌食となるがいい! くされ外道!!

 「図に乗るなよ、青二才め!

 奔放に暴れ回っているように見えて、確実にこちらの命を狙っている髑髏たちを、吏将は蹴り技を中心に23つまとめて豪快に粉砕していく。その一方で冷静に、禍々しい髑髏を放出し続ける死々若丸が、次にどんな動きにでるかを注視していた。

 最後に、一際大きな髑髏をこれまでの最速で撃ち出し、死々若丸はその影に隠れ吏将の視界から外れた。

 「む! こしゃくな」

 僅かに表情をゆがめた吏将だが、最大級の髑髏が迫ってきても微動だにしない。むしろ体勢を立て直し、正面から迎撃体勢をとった。妖気を高め、自分のみを守る土の鎧にしっかりと浸透させる。

 「とっとと消え去れ、ボンバータックル!!

 ためらい無く突進すると、そのままばっくりと開いた髑髏の口の中に飛び込む。それまで反響していた嬌声が、明らかな悲鳴に変わって、中心から風船のように弾ける。そして頭上から降り注ごうとしている、容赦ない殺気。

 「自分の血とともに、ここで沈め!!

 魔哭鳴斬剣を真下に構え、吏将の脳天から貫かんと、まるで死々若丸自身が鉄槌であるかのように吏将に迫っていた。上空からの襲撃に、気付くのが遅かった。はたから見ればそんな状況だろう。しかし。

 ボコッ

 鈍い音が響いたかと思うと、吏将の足元から地面が裂けた。次の瞬間、ばきばきと派手な音を立てて地面がえぐれ浮き上がる。吏将は不敵な笑みを一つ残し、その裂け目の中に飛び込むと、同時に手足を縮めて丸くなった。

 「何だと?!

 してやられた。死々若丸の本能が危機を告げる。しかし今更、体勢は変えられない。次の瞬間、えぐれた大地が吏将の身体を一瞬で包み込む。大砲の弾を一回り大きくしたような、丸い岩が形成されたかと思うと、死々若丸めがけて撃ち放たれた。

 とっさに顎を引き、両腕を顔の前で交差させ同時に身体をくの字に曲げて、受身の態勢をとったものの、正に焼け石に水。重い衝撃が死々若丸の全身を突き抜けていく。土巨人の拳でまともに殴られたかのようだ。

 はずみで剣が手を離れてしまい、着地もままならずに死々若丸は背中から落下した。咳き込むと、生々しい鮮血が喉の奥からせりあがってくる。手足の指先が、電流でも流されたかのように痺れている。

 あばらを2、3本と……おそらく、内臓も一部やられたか。

 どこか冷静に自分の状態を確認しつつ、頼りなく感覚が鈍っている手足に鞭打つようにして、死々若丸はどうにか起き上がろうとしたものの、みぞおちを踏みつけられて阻まれた。

 「がっは……!

 「お望み通り、沈んで見せてやったぞ。次は貴様の番だな」

 吏将が己の勝利を確信して、悠然と笑っていた。その手には、魔哭鳴斬剣を持って。

 「しかし、意外な奴が来たものだ。オレに直接攻撃しかけてくるならば、元六遊怪のどちらかだろうと思っていた」

 死々若丸を踏みつける足に力を込め、吏将は剣の切っ先を本来の持ち主の喉下に突きつける。

 「まさか死々若丸よ、お前ともあろう者が仲間のために熱くなったとでもぬかすつもりか? 片腹痛い。チームメンバーの死に眉一つ動かさず、あまつさえこの刀で処分してみせていた冷血漢の分際で」

 くくく、と、さも楽しそうな低い笑い声が漏れる。

 「悪や暴力について、ずいぶんご大層な持論も展開してくれていたな、そういえば。あれには正直、オレも共感させてもらったが、今やお前自身がかつて忌み嫌っていたえせ平和主義者に堕ちるとは、どんでん返しにしては安っぽいぞ」

 「……忘れてなど、いない。今更オレなんぞに、仲間意識だの、ましてや友情だの、似合わんのは百も承知だ」

 まともな戦力は、自分と怨爺こと鈴木のみ。あとの三人は捨て駒であり踏み台だった。自分がのし上がるための。当時はそれだけが死々若丸の全てだった。だが、敗北と挫折をきっかけに彼を取り巻く状況はどんどん変化した。

 「流されまいと、馴れ合うまいと、思っていた。だがどいつもこいつも、オレの都合など全くお構い無しでな」

 言葉を発するたびに、喉元をちりちりと鋭い切っ先が掠める。だけど死々若丸は、黙らない。

 大会が終わればそれきりだと思っていたのに、何故か鈴木は相変わらず付きまとってくる。蔵馬の誘いに乗ったのは、雪辱戦のためだけだったはずなのに、新しい仲間達はこちらが張りに張った垣根を巧妙にすり抜けたり、あるいは無遠慮に破壊したりと、ペースを崩されっぱなしだった。

 しかし、苛立ちや戸惑いは時間と共に和らぎ、気付けば同じ輪の中で順応していた。そんな自分も悪くないと。

 「あいつらに、六人衆という名の居場所に、オレは少々毒されすぎた。今更、何も知らなかった頃には戻れぬ」

 「フン、それが遺言か。つまらん。三流青春ドラマでも使えんわ」

 小馬鹿にしたようにしたように吐き捨て、吏将は死々若丸の喉笛に魔哭鳴斬剣を押し当て、一気に切断しようとした。

 その時。

 

 オオオオオオオ・・・・・・!

 

 刀から地を這うような唸り声が沸きあがり、刀身からはしゅうしゅうを音を立てて瘴気が立ち上った。すると、吏将がどんなに渾身の力を込めても、魔哭鳴斬剣はそれ以上微動だにしなくなった。まるで、そこだけ時が止まったかのごとく。

 「なっ・・・・・・何だこれは! どうなっている!?

 両手を使っても、刀は動かせない。それどころか、死々若丸を斬殺しようとする吏将の力に、意思を持って抵抗しているかのようだった。

 「おしゃべりが過ぎた割りに、言い忘れてしまったな」

 不意に響いた死々若丸の静かな声に、吏将はハッと顔を上げる。手足から一瞬力が緩んでしまったその隙に、刀も死々若丸も目の前から消えた。踏みつけていた相手の身体が急になくなったことで、思わず吏将はつんのめる。

 しかしいつのまにかその眼前に、小鬼の姿をとった死々若丸が迫っていた。

 「魔哭鳴斬剣は、持ち主以外には絶対に扱えん。そういう風に作られた」

 勝利を確信していた吏将は、思わぬフェイントをかわせないどころかまんまと捕らえられてしまった。死々若丸は小鬼の姿のまま、一見何の変哲もない針のような形状に変わった魔哭鳴斬剣を、吏将の左目に思い切り突き刺す。

 「ぎゃあああああ?!!

 眼球、それも黒目のど真ん中。ただならぬ激痛が脳髄をも貫いた。絶叫する吏将を前に、死々若丸はもう一度青年の姿に戻る。

 「貴様は終わりだ! 闇以上の暗黒にて、絶望するがいい!!

 「ぐううう、そっ、そうはいくかーーー!!

 左目を抑えながら、それでも吏将は一歩も退こうとしない。さらに妖気を振り絞り、死々若丸の背後に新たな土巨人を召還した。

 「ちっ、この期に及んで!

 地響きをたてながら、土巨人が歩み寄ってくる。敵が手負いとはいえ、挟み撃ちに加えて21では分が悪いか。死々若丸が歯軋りした、その時だった。

 「レインボーサイクロン!!

 巨人の足元で、七色の閃光が爆発した。予期せぬ方向からの攻撃に、巨人は体勢を崩し膝をつく。

 弾かれたように光の出所を振り返ると、少し離れた瓦礫の上に鈴木が立っていた。彼はすぐに、立ち直りかけている巨人に向かって突進しながら叫んだ。

 「あの土巨人は、オレが片付ける! 死々若! 吏将の方は引き続き任せたぞ!

 「あぁ、言われるまでもない!

 鈴木の声に背中を押されるように、死々若丸は刀を構え直す。最後の土巨人まで阻まれて、万策尽きたはずの吏将だが、それでもあきらめてはいないようだ。身に纏う土の鎧をさらに強化して、飛び掛ってくる。

 だけど死々若丸には、その動きがやけにゆっくりに見えた。相手が次にどう動くのか、次の一瞬でどうやって自分に致命傷を負わせる気でいるのかが、はっきり読み取れる。タイミングを計って、死々若丸は雌雄を決するために跳んだ。

 「奥義!! 戒髑触波斬!!

 まるで、舞でも舞うように繰り出される剣戟が、一分の狂いもなく正確に吏将に撃ち込まれていった。刀の残像が銀色の筋を描いて空中に溶ける。死々若丸が動きを止め、踊り狂っていた髑髏が煙のように霞んで見えなくなると、悲鳴すら上げる余裕もなかった吏将が、白目をむいて倒れた。

 「・・・・・・躯と黄泉に引き渡す必要が無かったら、ただの肉片と化していたであろうな。せいぜい生き恥でも晒せ」

 反トーナメント派からなるテロリスト達と同様、魔忍達、とりわけ吏将のような部隊長クラスは生け捕りが厳命されている。全ての元凶、雹針に辿りつくまでは。そのため死々若丸は一応峰打ちで吏将を倒したわけだが、一打一打に髑髏たちの瘴気や毒素を叩き込んだため、これはこれでかなりのダメージだ。格下の妖怪だったら、峰打ちでも生きてはいられまい。

 「死々若ー! そっちは終わったか?!

 鈴木の声が聞こえたのに続いて、ズウウウン、と近くで腹の底までゆさぶるような轟音が空気を震わせる。はっとして向き直ると、鈴木が土巨人を崩壊させたところだった。沸き起こる土煙の向うから、鈴駆と酎も次々に現れた。

 「お待たせー! こっちも一段落ついたよ!!

 「さすがにプーにゃ遅れとっちまっただろうが、オレらもさっそく追いかけようぜ。遠方にいた77戦士が、どんどん援軍に来てくれてるしよ」

 「もちろんだ、急ごう」

 答えながら、死々若丸はいったん刀を収めた。しかし戦いは、まだ終わってはいない。司令塔である吏将は倒したが、それですぐに魔忍軍団や、土巨人達を壊滅させるのは不可能。それは他の戦士達に任せて問題無いだろうが、次元のひずみを封鎖している魔忍達は、速やかに排除しなくては。

 「多少敵の人数が多くても構わん。とにかく、ここから一番近いひずみに・・・・・・」

 歩き出そうとした死々若丸が、ふいに歩を止めた。先ほどの一戦での負傷が、ふいに波のように打ち寄せてきた。ぐっと背をかがめ、呻き声を噛み殺したが、それで仲間達をごまかせるはずはない。

 「? どしたの、死々若丸。どっか怪我でもした? ってかしたよね? 陣みたく隠し事すんのはダメだよ!

 心配そうに見上げる鈴駆を横目に、酎は忌々しそうに、仰向けに倒れたまま微動だにしない吏将を一瞥した。

 「こいつぶっ飛ばしてくれただけでも、大手柄だぜ。諜報員に引き渡したら、そいつらと一緒に、てめぇも宮殿行って救護班に治療してもらっとけや」

 「いらん。この戦況では、せいぜい気休めの応急手当が関の山だろう。決着がついた後で、時雨に任せられるまで放っておいても問題は無い」

 「いや大ありでしょ!」鈴駆が食いさがる「お前はお前で、陣以上に一人で抱え込んだりするタイプだもんね。絶対自覚している以上の怪我だってば」

 「見くびるな、オレがやせ我慢してるとでも思っているのか? せっかくここまで来ておきながら、最前線からおろされる方がよほど心身に悪い」

 「もー! こんな時にまで強がんなよ!! ちょっと鈴木! お前からも何か言って!

 「や、別に大丈夫だろ」

 さらり、と自然に返され、鈴駆はぽかんと間抜けに口を開けたまま固まった。

 「死々若は一度言い出したら聞かないし、何かあったらオレがフォローする。第一、久々に六人揃えるチャンスなんだ。欠員は出したくない」

 「〜〜〜鈴木はそーいうとこずるいよね。そんな言い方されちゃ、もう反論できないじゃんか」

 これだから大人は嫌なんだよ。と、ぶんむくれた鈴駆だが、本音では死々若丸だけ残していくのは心苦しくも思っていたので、渋々といった体を装って承諾した。酎は酎で苦笑いしながら、「オレも降参」とあっさり白旗をふって見せる。

 「では決まりだ! 最寄のひずみに向かうぞ!

 改めて仲間達を促すその背中に、「鈴木」と死々若丸が声をかけた。振り返るも、彼は呼んでおきながら鈴木と目を合わせようとはせず、ぶっきらぼうに呟いた。

 

「かたじけない」

 

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