第十章・聖域へ、再び

 

 

閃の延髄に突き立てた氷の槍を引き抜いた雹針は、死してなお、長衣の裾を掴んでいた風使いの手を槍の柄の部分で払い落とすと、あとは一瞥もくれずに悠々と魔法陣を通過して姿を消した。

 自然発生の風が吹きすさび、無力な白紙を空へ舞い上げる。そしてその場に残されたのは、夥しい亡骸の数々。四強吹雪の遺体はその中心に、皮肉にも、ちょうど供えられたかのように並んでいた。

 生贄として利用された魅霜も、彼女を守り抜いて力尽きた涼矢も、身体のあちこちを削られ食いちぎられた飛鳥も、そして彼らの魂と想いを背負い、最期の瞬間まで闘おうとしていた閃も、もう二度と目覚めない。愛おしい子供達の元へは、帰れない。

 

 まるで本当に血の匂いが漂ってきそうだった光景は、黒鵺が結界を解除すると共に、霧が晴れるように儚く消え失せた。淀んだ夜の帳と、廃墟と化した悠焔の街が、元通り眼前に広がる。だけど黒鵺の脳裏にはくっきりと鮮烈にかつての戦場が、四強吹雪全滅の瞬間が焼きついていた。

 「雹針は・・・・・・これを陣に見せようとしてやがったのか・・・・・・」

 もはや、激昂する余裕も残らないほど、この地に染み付いていた過去の断片はあまりに哀し過ぎた。陣はもちろん凍矢も知らない残酷すぎる真相を、自分達が知ってしまってよかったのだろうかとも考えたが、それ以前に二人には絶対に見せたくないと強く強く思った。

 蔵馬は細く長いため息をついて、持参した書物に目を落とす。いっそうんざりするほど予想通りだった。

 「凍矢の身体を取り戻すには、今の『雹針』と闘わなくてはならない。奴が抜け忍である陣を処刑したがっているなら、最もそれを避けられないのはやはり陣だろう。多分、彼自身も自覚してるはず。だからなおさら見せ付けたかったんだ。『雹針』への憎悪を煽れば煽る程、陣の心は追い詰められる」

 人格が別人とはいえ、助けたいはずの幼馴染みを攻撃しなくてはならないのだから。陣がどんなに覚悟を決めていても、それは根本から揺さぶられ、本人でさえ触れられない心の最も脆い部分を傷つけられる。

 雹針にとってこれは戦略というより、娯楽だ。陣の苦悩と絶望を皮算用してほくそ笑んでいるに違いない。もう一人の抜け忍にして後継者候補だった、凍矢の顔で。

 「四強吹雪が何故全滅したのか、その謎を画魔もずっと気にしてたけどよ、もしあいつにまた会えたとしても、こんな痛ましい事実、オレには言えねぇ」

 唇をかみ締める黒鵺の脳裏に、彼自身の家族の姿が蘇った。胸元のペンダントに触れる。これを託して死んだ父と閃とが、重なった。それを悟ったように、蔵馬は黒鵺の肩にそっと手を置いた。

 「たった一つ、雹針にしてみればささやかかもしれないけど、あいつの思い通りにならなかったのは確かだ。それだけでも意味はあったよ」

 「あぁそうだな・・・・・・そう、だよな」

 沈殿する記憶に引き込まれそうな所を踏みとどまり、黒鵺は声に力を込め笑みを見せた。・・・・・・と、次の瞬間

 蔵馬と黒鵺は弾かれたように、二人同時に一方向を振り返り、前者は妖気を通したバラを一輪、後者は白銀の鎌を投げつけた。

 瓦礫が砕け、もうもうと砂塵が舞う。すぐにおさまったそれの向こう、少し開けた視界には既に何者かの姿はもちろん気配すら消えていた。

 「今、居たよな」

 「あぁ・・・・・・妖気は消していたみたいだけど、オレ達の様子を伺う者が居た」

 妖気とはまた別の、こちらを強く意識している気配。不自然な空気の流れが、一瞬触れた気がしたのだ。蔵馬の瞳が、うっすら金色を帯びる。感覚を研ぎ澄ませてみるがしかし、やはりもう逃げおおせたようだ。

 「魔忍側のスパイか何かか? だとしたら魔法陣使って逃げた、と考えるのが普通だが・・・・・・」

 瓦礫を砕いたその場所へ、二人は歩み寄り、『あれ』の有無を確認し顔を見合わせる。

 「やはり、な」

 蔵馬の小さな嘆息をからかうかのように、夜風に揺れる白紙がかさかさと鳴いた。

 「雹針の野郎、わざわざこの土地の過去を陣が見るかどうか、確認に寄越しやがったって事か」

 苦々しく舌打ちして、黒鵺は残された白紙を睨み下ろす。

 「今回に限っては出し抜いてやったけど、こっちの状況が良くなったわけじゃねぇんだよなぁ」

 「あぁ・・・・・・せめて一週間以内に躯が回復してくれたなら、癌陀羅に拘留されている爆拳の記憶を読み取って、隠れ里の現在地や雹針の動向が確認できるんだが・・・・・・もちろんオレも協力するけど、本人に自己回復能力が無いんじゃ、薬草の効果も半減してしまう。飛影は嫌がるだろうけど、雪菜ちゃんにも来てもらうか」

 黒鵺が結界を発動させる直前、黄泉から連絡が入って、四強吹雪の命日が一週間後に迫っていることを聞かされていた。もともと長くは無いだろうと覚悟していた猶予にはっきりと期限がつけられ、焦りがないといえば嘘になる。しかし、一つだけ幸いな事実があった。魔忍側の本腰の入れようも、最終段階となるはずだ。今からやすやすと里を移転させたりはしないだろう。日付変わって昨日、爆拳が捕らえられたからといって、おそらく大々的な変更や対策はなされないと思われる。

 躯さえ目覚めれば、形勢逆転のチャンスがあるのだ。

 しかし。そんな僅かな期待さえも、夜明け前に打ち砕かれる事となる。

 

 癌陀羅の宮殿。黄泉率いる諜報機関の本拠地。その地下牢に、厳重に拘留されていた筈の爆拳が、忽然と姿を消していたのだ。

 

 百足の修復を北神の班と交代して、陣達六人衆と蔵馬、黒鵺は宮殿地下に駆けつけた。もぬけの殻になったそこには、もう見るのも嫌になった白紙のみが残されていた。百足の司令室に勝るとも劣らない強さの妨害妖波が張り巡らされ、しかし黒鵺は手に裂傷が刻まれても、強引に蘇空時読結界を発動させようと躍起になり、蔵馬に止められてようやく妖力をおさめた。

 「部下による身体検査はじめ、取調べは完璧だった。確かに爆拳はここに捕らえた時、瞬間移動の魔法陣など所持していなかったはずだ。体内に隠していたとしても、ここの設備なら容易に見抜ける」

 だが事実、爆拳はまんまと脱獄していた。黄泉の眉間に深いしわが刻まれる。彼の超人的聴覚ですらも、その瞬間は聞き取れなかった。そして、だからこそこの脱獄劇には疑問点が残る。

 「絶対おかしい・・・・・・これまでの瞬間移動では、こんな現象ありえなかったぞ」

 鈴木が警戒心露に手に取ったのは、妖気を封じた上で爆拳を繋いでいた手枷だった。正確にはそれらの枷は、両手両足はもちろん首にもつけられ、鎖によって壁に縫い付けられていた。問題は、その枷の状態だ。

 現在の牢獄の扉も囚人を拘束する枷も、妖駄が管理している宮殿のメインコンピューターの操作でなければ絶対に開錠できないし、無理に破壊しようとすれば超高圧電流が流されて、拘束されている妖怪が絶命する仕組みになっている。なのに、扉はもちろん枷も壊されていないどころか、鍵が使用された痕跡も無い。メインコンピューターの操作履歴にも、そんな記録は残っていなかった。むろん、履歴を消去した可能性もあるが、少なくとも誤作動はしていないはずだ。

 また、メインコンピューターの操作方法は複雑で、一朝一夕で身につけられるものではない上に、当然機密扱いとなっている。部外者の侵入は、100%不可能。

とにかく枷は一同の目の前で輪になったまま、がちりと全て施錠されている。

 「つまりあの霧使いは、枷で拘束された状態で魔法陣に飛び込み、枷はそのままに本人だけ移動したとでも? まるで縄抜けしたかのように霧使いを解放し、逃がした・・・・・・瞬間移動の妖術は、そこまで器用な事ができるのか?

 しかも、黄泉の聴覚をも欺いて。そう付け加え、死々若丸は改めて考え込んだ。そもそも妖術云々以前に、爆拳本人にそこまでの技量があるとは思えない。一見単純そうに見えるが、直感で戦略を組み立てられる陣とは違い、あの飛影が言う所の無駄筋肉は本物の単細胞だ。

 「やっぱりここは・・・・・・雹針が、他の怪しげな術を使って救出した、とか?

 一応言っては見たものの、鈴駆は自らの言葉に対し半信半疑だった。その辺を理解した上で、陣は首を横に振る。

 「そりゃ無ぇだな。霧使いの部隊長とはいえ、雹針が爆拳如きをわざわざ助けに来るはずねぇべ。オラは捕まえた時点で、こいつはもう里から切り捨てられるだろうなって、思ってただ。今の雹針なら、部隊長の一人くらい居なくなったって痛くも痒くもないべ。しかも吏将と比べて格下だしよ」

 「・・・・・・そうだね。たとえ位の高い有能な部下でも、不要となったら容赦なく見捨てるくらいの事、雹針にとっては基本中の基本だろう」

 実際その瞬間を、蔵馬はこの目で見てきた。才能豊かとはいえ、当時の陣と凍矢は無力な幼子だった。兄貴分の画魔でさえ年端も行かない少年だったと聞く。修羅の怪結成は、だいぶ後になってからのはず。そんな戦力的空白を承知の上で、それでも雹針は四強吹雪を全滅に追いやった。

 「するってぇと、やっぱ爆拳の独断でこっから脱獄したってか?

 う〜ん、と唸りながら酎が腕を組み天井を仰いだ。

 「だとしても、あの野郎に今更行き場なんてあんのかよ?

 「そこもまた、疑問点の一つなんだよな」

 応急処置を施した手の甲を無意識にさすりながら、黒鵺がため息をついた。

 「敵方に捕縛された、なんて大失態、魔忍じゃなくても組織ん中で許されるもんじゃねぇぞ。馬鹿正直に元の巣に帰った所で、敵に買収され逆スパイしにきたんじゃねぇかって疑われ、最悪処分されるのがオチさ。だから魔法陣の行き先が隠れ里だったとは考えられないにしても・・・・・・どこに逃げたって、77戦士に再逮捕されるか魔忍に処分されるかしかないよな」

 「どの道、自滅行為ってか。やっこさん、よっぽど血迷ってたのか? それにしちゃ、ずいぶん巧妙にこの紙隠してくれやがったもんだぜ」

 と、酎がそこまで言った時蔵馬の携帯電話に着信があった。短いやり取りを交わし、蔵馬はさらにもう一段階表情を曇らせる。

 「飛影からだった。今の所、彼の邪眼でも爆拳の姿を捕らえていないようだ」

 癌陀羅に戻る途中、すぐさま捜索依頼をしておいたのだが、現時点ではまだ功を奏していないらしかった。病院警邏の合間でもいいからと、引き続き邪眼捜索を頼み込み、蔵馬は通話を切る。

 「飛影といえば、先ほど気になる事を言っていたな」

 実際には、病院で班員達を前に飛影が紡いでいた言葉を、黄泉はふと反芻した。

 「気になる事って、何だべ?

 真っ先にくいついた陣の方を向き直り、黄泉は、もし目が見えていたなら彼とまっすぐ目を合わせていただろう面差しで、つい数刻前聞いた言葉を口にする。

 「雹針には、覇王眼以外にも隠し玉があるかもしれない、だそうだ」

 「隠し玉・・・・・・?」面食らったように、陣が鸚鵡返しに呟く。

 「あぁ、見当がつかないとはいえ、その可能性は考えておくべきだろう。覇王眼だけを警戒していては、足元をすくわれるやもしれんぞ」

 「確かに・・・・・・そうだべな。どんな妖術使ってくるか、わかんねーだし。それが昔からあるもんじゃなく、雹針が新たに開発したものだとしたら、なおさらだべ」

 魔忍側から、霧使いの部隊長が戦線離脱したとはいえ、戦況はやはり芳しくない。地下牢から出てみると、すでに夜が明けてだいぶ時間がたっていた。

 四強吹雪の命日まで、あと六日。

 

 

 その日の午後、桑原に付き添われた雪菜が癌陀羅の病院を訪れた。飛影は態度にこそ自らの動揺を何ら表さなかったけれど、すぐさまこれが蔵馬の差し金だと悟り、この件が片付いたら必ず落とし前をつけてやる、と心に誓った。

 自己回復力が無い上に、酷い重症を負った挙句、その体に毒まで回った躯は免疫力まで落ちていたため、雪菜といえども集中治療室に入るには厳重な滅菌服をまとい、マスクをあてておかなくてはならなかった。

 躯の右腕にそっといたわるように両手を触れて、治癒能力を発動し始めた雪菜だったが、廊下に控えていた桑原と飛影達のもとにマイク越しで彼女の戸惑った声が届けられた。

 『お話を聞いてましたから承知したつもりでしたが・・・・・・想像以上です。氷女の治癒能力は、治癒対象者の自己回復力を仲介にして相手の体内に入りますから、私の力もなかなか届きません。こんな事は初めてです。・・・・・・回数を重ねて、根気良くやらなくては』

 「それって、雪菜さんに負担かかんないッスか?

 思わず桑原の表情が曇ったが、雪菜はすぐに安心させるかのごとく微笑むとかぶりをふった。

 『大丈夫です。この力は修行で高めるものではありますが、本来全ての氷女が生まれ持っているものですから、多少使いすぎても私に無理はかかりません』

 言い終えると、また改めて精神を集中させ、雪菜は治癒能力をさらに高めていった。これ以上話しかけては邪魔になると、桑原はいったんマイクから離れて彼女を見守る。

 つい先程、百足内部を侵食していた呪氷の除去作業がようやく終わったと、連絡が入った。しかし、本当に大変なのはここから。魔界随一の、しかも独特の技術力で形成されている百足の各設備やシステムの修復は、さらに困難を極める作業だ。蔵馬や鈴木の援護の下、癌陀羅からベテランのエンジニアが派遣されているが、百足のシステムは本来門外不出で、内勤乗組員がマニュアルに書き写さず、全て己の記憶にのみ叩き込んでいたものだったため、文字通り手探り状態なのである。

 大統領官邸でもある百足の重要機密を守るための有効手段が、思わぬ形で仇となってしまっていた。

 「・・・・・・ちっ、あの無駄筋肉め」

 忌々しそうに舌打ちして、飛影はいったん邪眼を閉じた。荒く短いため息まで加わる。

 「やっぱ、見つかんねぇか」廊下のベンチに腰を下ろし、桑原の面差しが厳しくなる「ますます意味わかんなくなってきやがったな。爆拳が癌陀羅脱獄したってのもありえねぇけどよ、オメーの邪眼からも逃げ続けてるってもっとありえねぇぞ。そこまでの腕があるんなら、そもそも捕まらなかったはずだもんな」

 「陣も言っていたそうだが、今の奴は里には戻れん。雹針にしてみれば、捨て済みの駒だ。それさえわからんほどの馬鹿でない限り、里には近づかない。逃亡生活真っ只中のはず」

 昨日、自らが考えた通り雹針にはまだ隠し玉があるのだろうか。吏将より格下とはいえ、曲がりなりにも爆拳は霧使い部隊の部隊長である。その爆拳を切り捨てるからには、新たな捨て駒を既に用意済みとも考えられはしないか。

 そうでなくても既に大勢のテロリストが雹針の妖術の生贄となり、彼に核移植手術を施したドクター・イチガキも処分されたのだ。切り捨て前提だったといえど、それらは全て雹針の策略を進めるために必要だった。

 「・・・・・・なんにせよ、雹針は手離した分の捨て駒を補充している可能性がある。しかも、最終決戦に向けて」

 「補うだけじゃなく、余りあるモンじゃなけりゃー意味ねぇってか」

 飛影の言葉に、桑原が重々しい声で呟いた。

 そこからの数日は、不気味なくらい魔忍側の動きが見られなかった。77戦士の誰もが油断せずむしろいっそう気を引き締めて、隠れ里の捜索や警戒パトロールに勤めたが、何の異変も見当たらず、諜報機関からの報告もあがってこない。

 大統領・躯に決定的ダメージを与え、百足の機能を封じた事で、向こうはよっぽど自信と余裕を持っているのかそれとも、飛影の言葉のように雌雄を決する最終段階の準備に集中しているのか。

 どの道、躯と百足の件で魔界住民の不安や動揺はピークに達した。ただでさえ連続災害で疲弊しきっていた所に、このニュースである。パニックを起こす者、人間界に避難する者、挙句の果てには77戦士への不信感まで。

 そうこうしている内にも、時間だけが何にも左右されず刻一刻と進んでいく。あっという間に、四強吹雪の命日が二日後に迫ろうとしていた。

 

 

 そんな中六人衆は、陣と凍矢が魔忍として最後に過ごしていた頃の、隠れ里が存在していた地点に来ていた。鬱蒼とした密林に閉ざされ、とてもかつて生活圏があったようには見えないそこを、魔忍はあえて切り開き不可視結界で取り囲みひっそりと暮らしていたのだそうだ。すぐ近くには、見下ろしていると危うく吸い込まれそうなくらいに深い谷が横たわっている。よっぽどの事が無いかぎり、好き好んで足を踏み入れる場所ではない。

 陣の記憶にある中では、ここが最も新しい。何か少しでも手がかりがあればと、藁をも掴む思いで訪れたのだ。

 「ここが、里の中心だっただ。広場になってて、属性の違う魔忍同士の、修行も兼ねた交流試合やったりしてたんだべ。北端に、雹新の屋敷。魔忍は同族性同士、家近づけて固まって暮らしてるだよ。ここから雹新の屋敷さ向いて、時計回りに呪氷使い、化粧使い、霧使い、入り口挟んで風使いと土使いって感じでな」

 「・・・・・・広場、ねぇ。魔忍ってのは、開拓技術にも長けてんのか?

 木はもちろん、丈の高い草木が密集し、ほとんど見えない大地を見下ろして酎が唸るように言った。身体の小さな鈴駆は、歩くのに不便なくらいで、さっきからずっと酎の肩によじ登りつかまっている状態だ。

 「開拓技術ってか、雹新の妖術で強引に拓いてたんだべ。そんで里を移転する時は、また妖術で開拓前の状態に戻してくんだ。・・・・・・言ってみりゃあ魔忍の生活は、何から何まで雹針ありきだっただよ。あいつの力無しでは住む場所さえ確保できねぇ。そこも、とーちゃん達が里を抜けたがった理由の一つかもしんねぇだな」

 まるで見えない糸でがんじらめに縛り上げられ、いいように操られているような不自然な不快感。どう動かされるか、あるいは糸を切り捨てられるか、全ては雹新の意のままである。もちろん彼は最初からその独裁システムを計算に入れた上で、魔界忍者という組織をつくりあげたのであろうが。

 「どこに移転しても、里の面積や内部の構造は基本変わらない。そうだったな? 陣」

 邪魔な草を適当に刀でなぎ払いつつ、死々若丸が確認した。陣が頷いたのを見て、彼はさらに言葉を紡ぐ。

 「里の奥に建てられる雹針の屋敷が北端という事は・・・・・・あの、二股に分かれた大木の辺りか」

 「んだ、ちなみにあの大木も、ここさ離れっ時に雹針の奴が『再現した』一部だべ。蔵馬みてぇな植物の支配者級でもねぇのに、よくもまぁあげな器用な真似できたもんだべや」

 「奴の妖術はその頃から属性の違いなんぞ、無視していたと見えるな。それにしても・・・・・・」

 死々若丸はいったん言葉を区切り、陣から聞いた里の面積を思い出しながらぐるりともう一度辺りを見回した。

 「この辺りは人里から離れているだけでなく、幻魔獣の類さえいなさそうだな。これで不可視結界を張られては、確かに見つけられん」 

「知能の高い妖怪が住んでねぇ地域ってのが、隠れ里の絶対条件だったんだべ」

 「情報漏洩防止のため、って事か」

 目分量で距離を測りながら、鈴木が言った。

 「しかし、意外と魔界では当てはまる場所が多すぎて、絞り込むのが困難だぞ・・・・・・やはり、実際に里のあった場所を直接見ておくのは必要だな」

 陣と凍矢が里を抜けた後に、一度移転してしまっているので、現在地は陣にすらわからない。よって、過去に隠れ里が存在した地点を調査しても収穫は見込めないという見方が強かったが、それでも陣は何とか時間を捻り出してでも来ておきたかった。

 あの雹針がどんな場所に里を移転したがるのか、より具体的にイメージできるかもしれないと期待して。もしかしたら今回、覇王眼を取り戻して以降、躯や77戦士らとの戦いに備えてさらにもう一度移転した可能性はあるけれど。

 隠れ里の移転ペースは不定期で、いつでも雹針の独断だ。短いと半年にも満たない内によそへ移動する。どんなに長くても、同じ場所に二年以上とどまることはない。

 「ねぇ、やっぱり陣と凍矢は、風使いと呪氷使いが集まってる所にそれぞれ住んでたの? 二人も部隊長さんだったんだよね?

 大体あの辺かな〜、と想定しながら、鈴駆が酎の肩の上から問いかけた。

 「あぁ。んだども、凍矢は時期里長候補で直弟子って事になってただから、雹針の屋敷に住み込んでたんだべ」

 「うっげ、あんな最悪陰険野郎と同居かよ!」陣の返答に、鈴駆は露骨に顔をしかめた「それもしかして、四強吹雪が全滅してからずっと? そんな境遇で、あいつよく人格ゆがまなかったよね。オイラだったら、そんな災難耐えらんないよ絶対!

 そうだな、と苦笑を一つ零して、陣は続ける。

 「でもよ、何たって凍矢は涼矢さんと魅霜さんの子だからな。そうそう簡単に雹針に毒されはしなかっただよ。それに、画魔がお目付け役だったんだべ。あいつはオラと凍矢にとって、あんちゃんみてぇなもんだったから」

 「あの化粧使いが目付け役? ・・・・・・そうか。本来はチームリーダーの吏将より、凍矢の地位の方が高くなる予定なのだったな」

 死々若丸は過去を一つ思い出した。かつての暗黒武術会、魔性使いチームVS浦飯チームの試合時に、出番を控えていた死々若丸と鈴木属する裏御伽チームは会場裏のモニターで観戦していた。

 次鋒である凍矢がマントを脱ぎ捨て闘技場に登ろうとする直前、息を引き取った画魔に声をかけていたのを、中継用マイクが偶然拾っていた。

 

 でかしたぞ。画魔。

 

 でかした、というのは、目上の者が目下の者を労う時に用いる言葉のはずだ。なのに凍矢は見るからに画魔より年下だったので、強く気には留めなかったものの、その瞬間ははて、と違和感を感じたのを覚えている。

 「そういやオメーらが希望してた優勝商品、あの島の所有権だったっけな」

 酎も回想せずにいられなくなった。六人が初めて同じ場所に集うきっかけとなった、暗黒武術会。当時は修行仲間になることも、ましてや同居することになることだって夢にも思わなかった。

 その内の一人が欠けただけで、いっそ戸惑うくらい不安と動揺に苛まれてしまうことも。

 とうとう過去の想い出を巻き戻し始めた自分に、酎は自嘲気味に苦笑いした。思った以上に、ヤキが回っちまったかねぇ。しみったれた思考がもちろん気に食わず、最近ちっとも酔えなくなった酒を無理やり飲み干した。

 「三竦みの均衡崩壊を予期して、人間界にも第二の拠点置こうってのはなかなか上手い手だよな。合法的に人間界の土地を手に入れれば、霊界からだって睨まれずにすむしよ」

 「そっだな〜。まぁもしオラ達が優勝してたとして、それで魔忍さぬけられたワケじゃねぇけんど、そうなってたら島の管理は次期里長の凍矢に一任される事になってただから、抜け忍計画やるには都合良くなってたは、ず」

 陣の言葉の語尾が、急にしぼんだ。別の事にふいに気をとられたせいだ。

 あれ? と陣は無言で呟きながら、今のやり取りを反芻した。何か引っかかる。

 あの時、武術会に出場する事になった陣達に課せられた任務は、優勝して首縊島を魔忍の所有地とすること。近い内に起こるかもしれない躯と黄泉の全面戦争を見越しての事だ。当時はまだ、躯と雹針の因縁など知らなかった。陣達は有名だったが、里長についての情報は守秘義務となっていたため、実は雹針の名も経歴も魔界住民達に知られては居なかった。むしろ里の中心人物から外敵の目をそらすために、陣や凍矢はもちろん、古くは四強吹雪の代からその武勇伝を利用してきたのである。おそらく躯も、当時はまだ魔忍を統べているのがかつて自分を狙った暗殺者だった事を、知らなかったはずだ。

 だから多分、その頃の雹針は魔界を二分する戦乱に乗じて、躯への復讐を狙っていたのかもしれない。それを磐石なものとするためにも、次元を越えた先に避難所もかねた第二の拠点を準備しようとしていた。

 そうだ。あの島を最初に欲したのは、他ならぬ雹針だった。

 魔界をしらみつぶしに捜索しても里を見つけられない理由。里の移転先がそもそも魔界に無いせいだというのなら。

 「そんな、じゃああいつら・・・・・・!!

 怒りよりも先に、哀しみが陣を混乱させる。最悪の予感。冗談じゃない。あの場所には、画魔が眠っているというのに。

 「まさか、首縊島を本当に拠点にしやがったんじゃ!!

 あ!!!!! と、五人分の短い悲鳴のような声が折り重なる。

 「そうか、人間界! 亜空間の結界が解かれ、霊界の取締りが格段にゆるくなった今なら、無人島一つ乗っ取るくらい簡単なはずだ」

 盲点だった、と鈴木が頭を抱えた。間髪入れずに鈴駆が叫ぶ。

 「こうしちゃいらんないよ!! 幸いこの辺は次元のひずみ発生率が高いし、早いトコ確認しに行こう!

 

 

 本来ならば、黄泉に連絡を入れてまずは諜報員を首縊島に派遣すべきだったのだが、いてもたってもいられない陣達は全員そこまで気を回せるはずも無かった。何と彼らだけで、独断でひずみを通って首縊島へ直行したのである。もし陣の勘が当たりで魔忍の里がそこに新たに築かれているならば、五人だけで向かうのは危険で無謀で無鉄砲・・・・・・そんな意味の言葉をいくつ並べても足りないくらい、とにかくとんでもない状況に陥ってしまう。

 だけど、誰もそんな危機感さえ持つ余裕も無かった。

 凍矢を助け、取り戻したい。その願いだけで思考回路が満たされ、他の何も付け入ることすらできなかったのだ。

 今や誰も管理する者のいなくなった首縊島へ向かうため、船の調達する時間さえ惜しんだ陣は、五人まとめて神風で飛ばし、海を越えようとしたがそれはさすがに仲間達に止められた。

 もしあの島が敵の本拠地と化しているのなら、少しでも力を温存しておきたい所なのだから。

 まず彼らは、首縊島に最も近い漁村を訪れた。本来は「人里」だが、毎年開催されていた武術会の名残か数人の半妖がひっそりと生活している。その中の一人――何度か武術会会場でアルバイトしていたらしい――に、陣は以前にも船を借りた事があった。凍矢と、蔵馬と、そして黒鵺とで画魔の墓参りをした時に。

 「オレぁもうずっと人間界で暮らしてるけどよ、魔界の現状は聞いてるぜ」

 人目につきにくい浜辺に船を用意してくれた彼は、神妙な面持ちで言った。

 「どんどんこっちに避難してきてるみてぇだ。オレも含め、ここの半妖達で一時的に世話したりもしてる。まぁ場所が場所だから、人間に近い姿のタイプに限られちまうけどな」

 「そうか・・・・・・ところで、首縊島自体やその周辺の海で、最近何か異変があったりはしたか?

 鈴木からの問いかけに、半妖はエンジンや計器のチェックをしながらかぶりを振る。

 「いや、少なくともオレは見聞きしてないぜ。漁の状況も例年と変わらずってとこだ。なぁそれより、あんたらがそろって急にあの島行くだなんて、それこそ何があるってんだよ。まさか魔忍連中、島を足がかりに人間界もいよいよ襲おうってのか?

 この質問に、今度は陣が首を横に振った。

 「んにゃ、まだわかんねぇだ。これから、確かめに行くだよ」

 一刻も早く魔忍の里の現在地を割り出したいのは山々だが、陣は正直、首縊島に何も無い事を望んでいた。もちろん、彼の一番の望みは凍矢救出。そして雹針討伐だ。だが、自分の予感が外れていてほしいと切に願った。首縊島に魔忍の里など無ければいいと。

 仮に雹針達が島に上陸していたのなら、きっと見つかってしまう。画魔のために、凍矢と二人でしつらえた墓標。最も見晴らしのいい丘の上にあるのだから。そしてもしも見つけられてしまったら・・・・・・それを思うだけで、陣は胸の奥が握りつぶされるような痛みを感じた。目の奥から染み入るような熱がほとばしる。泣き出したくなる時と同じ感覚。

 画魔の墓を発見した奴らがどんな行動をとるか、想像するのも恐ろしかった。あれは、画魔への敬意と感謝の象徴であると同時に、彼と凍矢と陣が最後に分かち合った想い出でもある。

 無免許だが、人間界の船の運転くらい鈴木なら造作も無い事。このため万一の事を考えて船だけ借りて、半妖は漁村に残る事になった。

 運のいいことに晴天に恵まれ、波も穏やかだった。船は順調に首縊島を目指しすぐに五人の視界に、未だ記憶に生々しいあの島の姿が現れる。しかし、海の状態と反比例するかのように、彼らの心中は不安と緊迫で揺れていた。

 

 

 魔忍からの偵察や攻撃を警戒していたがそんなものはなく、拍子抜けするほどあっけなく島に接近できた。それでも船を着けたのは港や浜辺ではなく、波を打ち砕く断崖の下。浅瀬に乗り上げないギリギリの所で船のロープを岩と繋いだ。そこから崖の上へは、陣達なら目をつぶってでも楽々と登れる。

 そうしてついに五人は首縊島に上陸した。崖を上った先はすぐ深い森が立ちはだかっている。島は平穏な静寂に包まれ、どこからも敵意を孕んだ妖気など感知できない。できない事に、陣は安堵した。取り越し苦労なら、いっそその方が良かった。むしろここに来たかった理由は、島に変化が『無い』のを確認するためだったのだから。

 ただ、隠れ里は必ず不可視結界で覆われているし、魔忍は例え雑魚でも妖気や気配を消すくらい朝飯前だ。

 「ここって、島のどこらへんかな?

 さほど大きな島ではないが、くまなく全体を歩き回ったわけでもない。記憶を引っ張り出そうとしている鈴駆を見下ろし、死々若丸が答えた。

 「武術会の時に使われた港との距離から考えて、おそらく島の西端あたりだろう。地形からすると、この近くに里を拓くとは思えんが・・・・・・可能性が一番高いとするなら、準決勝以降の第二試合会場跡だな」

 「オラもそうだと思うべ。あの会場は跡形も無くぶっ壊れちまったから、瓦礫さえどうにかすりゃあ集落の一つくらい構えやすいもんな」

 あの辺の面積なら、魔忍の里がちょうどすっぽり治まるはずだ。自らの記憶を照らし合わせながら、陣は頷いた。

 「んじゃまずは、そこから調べてみっか? 何ならいきなり総攻撃でも、オレ様はかまわねぇぜ」

 「調査の順番としてはともかく、総攻撃には賛成しかねるぞ、酎」

気持ちはわかるが、と付け加えて鈴木が眉をひそめた

「まずは五人で、第二試合会場に接近しよう。とはいえ、不可視結界の有無を確認するには、直接足を踏み入れなければわからんが・・・・・・一応、慎重にな」

 しかし、そんな鈴木の警戒も空回りで、第二試合会場跡は瓦礫が当時のまま残された上に、雑草が伸び放題に生い茂っているだけだった。結界が張られた痕跡も、妖気の残滓も何も無い。そこからは五人で手分けして島中を見回ることになった。鈴木は第一会場へ。鈴駆は選手や観客用のホテル。酎と死々若丸は、人はもちろん妖怪の出入りも少なかった森林地域の南北を、それぞれ分け合って担当。陣はなるべく速度を落とした低空飛行で島を慎重にぐるりと回り、異常の有無をチェック。それが済んだら上空へのぼり、俯瞰で島全体を見渡す。

 そんな個々の作業も滞りなくこなされていく。拍子抜けするくらい、島には異常も異変も見当たらなかった。どうやら、取り越し苦労だったようだ。

 あっという間に島を回り終え、天上から海の真ん中に浮かぶ首縊島を見下ろして、陣は胸を撫で下ろした。酎達を巻き込んでしまったのは申し訳ないし、何より結局事態は何一つ進展していないが、この場所が魔忍に踏み荒らされていないという事実に心から安堵した。

 だってここは、画魔の島だ。彼の亡骸を慰め、魂を安らげるための聖域だ。

 ふと、彼の墓標が立つ丘が目に入る。気がつくと、陣は吸い寄せられるようにそこに降り立っていた。前回備えた花々はとっくに枯れている。全てが終わったら、また凍矢と一緒に新しい花を持ってきたい。その時はやはり、蔵馬と黒鵺にも声をかけようか。

 「・・・・・・来れる、よな」

 物言わぬ画魔の墓標の前にひざまずき、撫でるように触れる。また、泣きそうになった。もし画魔が生きてここにいたなら、実際になりふり構わず泣きついていたかもしれない。両親の死を知らされた、あの日のように。

 「なぁ画魔・・・・・・オラちゃんと、また、凍矢に会えるんだべか」

 親友の声で宿敵が言い放った、不吉極まる一言がずっと陣を苛み、あれから夜毎、悪夢となって現れている。

 

 貴様の知る『凍矢』は、二度と帰らんぞ

 

 そんなの、信じない。信じられるわけないし、覆すべきだとわかってる。陣の使命であり、意志だ。だけどふとした瞬間に心が折れそうになってしまう。今がちょうどそのタイミングで、しかも画魔の墓標を前にしているものだから、なおさら普段は誰にも見せない脆い部分を吐露しそうになる。

 「また、六人で集まって、あの家で一緒に暮らせるんだべか・・・・・・」

 最後に全員で同じ食卓を囲んだのはいつだっただろう。その時、自分達はどんな会話を交わしていた? 誰がどんな言葉を紡いで、どんな表情を見せていたのか・・・・・・。つい最近だったはずなのに、心細くなるほど遠い。

 なぁ画魔。オメさが生きてたら、何て言ってオラに発破かけてくれんだろな。もしかして、一発か二発ぶん殴られるかも

 

 ガツン

 

 「だっ?!

 危うく舌をかむ所だった。ひっくり返った悲鳴を上げた陣が、あたふたしながら見上げた視線の先で、酎が仁王立ちしている。多分、いや確実に、陣の頭部に落とされたのは彼の拳だ。

 「なっさけねぇツラしやがって。ちったぁ目が覚めたかよ? そんなの雹針を喜ばせるだけだろうが! あの野郎、魔界史上最強のドSだぜ。嘘でもいいから胸張ってろ。大風呂敷でも何でも広げてやれ! 奴の術中にハマらねぇってトコ見せ付けて、悔しがらせて見せろってんだ!!

 力強く言い切った酎は、酒の入ったひょうたんの栓を抜き逆さにして、画魔の墓にふりかけた。

 「オレぁ花供えるなんてガラじゃねぇからな。こいつで勘弁してもらうぜ」

 その言葉は、陣に向けたものか、それとも画魔のためか。一瞬、彼の眼差しが揺らぐ。わかっている。強気な言動と態度とは裏腹に、酎もまた底知れぬ不安を抱え、それを懸命に押し殺しているのだ。

 「あんがとな、酎。画魔に代わって、礼言っとくだ」

 「いいってことよ、こんくらい。ま、それはそれとして、何も異変が無さそうなら魔界に戻ろうぜ。ここに連中が来てねぇなら、今の所人間界はノーマークだろ」

 「んだべな。黙って来ちまったから、そろそろやべぇかも」

 「あ〜・・・・・・やっぱそうだよな。今更冷静になってきたぜ。バレる前に帰れりゃいいんだけどよ。それにしてもこの墓、シンプルな割りに手間かかってんな」

 「そう見えっか? 確かに、石の形にはちょっとこだわってはみたけんど」

 「いやオレが言ってんのは裏だ裏」

 言葉通り、酎は墓標の裏側を覗き込みながら言った。

 「どっちが何て書いたんだ? これ。何か暗号みてぇだけど・・・・・・魔忍専用か?

 共に墓標の裏側へ回り、陣は答える。

 「・・・・・・あぁ、これの事だべか。これは、凍矢が書いただよ。画魔の主な戦歴を記録したんだべ。魔忍は何か記録する時、必ず暗号使うからな」

 「ふ〜ん。やっぱ凍矢の方か。こーいう細けぇ事はあいつの担当だもんな。鈴木は凝り性で鈴駆もあれでなかなか気ぃ回る方だが、凍矢とはまたちょっと方向が違うっつーか、偏りがあるしよ」

 「そんで、死々若丸は気にしぃな時とそうじゃない時とで、差が激しいもんな」

 「はは、言われてみりゃそうだ。・・・・・・さて、と。いい加減気ぃ取り直して、魔界で体勢立て直すか」

 「おう、そうすんべ」

 他愛のない短い談笑。つかの間の休息のようなそれから、過酷な戦況へ再び身を投じるため、二人は立ち上がる。歩きながら、携帯で他の三人と連絡を取り合い船の所へ戻りだした酎の後に続いていた陣は、ふと一瞬足を止めて振り返る。視界に映すは、画魔の名が刻まれた墓標。

 今にもほとばしりそうな叫びを、陣はすんでのところで飲み込む。そして目をそらす。この時の彼の表情を、もし酎が一目だけでも見ていたならば、きっとそこにありありと浮かび上がった悲壮を見逃さず、その意味を即座に陣に問いただしていただろう。

 だが不幸にも彼は気付けなかった。携帯の通話を切って振り向いた時、陣は既に普段通りの表情を寸分違わず貼り付けて、微塵も気取らせなかったのだから。

 

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