〜序章〜

 

 

涼やかな夜風が木の葉を揺らし、さあっと滑らかに駆け抜ける。そこに虫達の鳴き声が重なって、さざめく波のようにそっと広がり夜空に溶けた。その夜空の天上で、月齢15の満月が煌々と輝いている。地上に降り積もっては儚く消えていくかのような、透明な光を十分すぎるほど浴びながら、それでも暗黒鏡は己が力の発揮を戸惑っていた。

 一見、ただの『鏡』にしか見えない彼が、確固たる自我を持っている事を知っている者は少ない。ただし哀しいかな、『意思』を持っているわけではなかった。

 厳密には暗黒鏡には彼なりの思惑なり思考なりあるのだが、それらが何をどう思い描こうと実際は全くの無駄であった。何故なら彼は、どんな願いでも条件さえ出揃っているならば必ず叶えなくてはならない

 異を唱えたくても、いや唱えようともそんなものとは関係なく、自分は暗黒鏡としての使命を、存在意義を全うするようにできているのだ。それはどんな生き物の本能よりも絶対的で、覆すことは100%不可能なのである。わかっている。だけど暗黒鏡は、こう問わずにいられなかった。

 「・・・・・・これは本当に、おまえ自身の願いなのか?

 先ほど、暗黒鏡を前に願い事を言い終えたその妖怪は、鏡に映し出された映像に目を向けているようで、実際は何も、どこも見てはいない。

 うつろで無感情な、さながらガラス玉のような目のまま、抑揚のない声でまるで与えられた台本を棒読みするように「そうだ」と呟くのみだった。おそらく、何度問いただそうとも彼は、肯定以外の言葉を口にはしない・・・・・・できないのだろう。

 「成就の代償が、お前の命でも構わぬと? 他人のために全て投げ打つというのか」

 そう遠くない過去に、母親の病を治すため暗黒鏡に願った妖怪と、その妖怪の絶命を阻止するために身体を張った少年がいた。

 だが今、暗黒鏡に願っている妖怪は、彼らとは全く違う。そもそもこの妖怪は、意思どころか自我すら奪われている状態であった。背中に取り付けられた、忌まわしき装置によって。

 「ヒョヒョヒョ・・・・・・どうした暗黒鏡よ。満月の晩に、命を差し出すことをいとわぬ者が願いを言っているのじゃぞ。さっさと叶えてやったらどうじゃ」

 その装置の製作者でもあり、ずっと事の次第を見守ってきた二人目の妖怪 ――ドクター・イチガキが、さも楽しそうに笑いながら、暗黒鏡を前にしている妖怪の肩越しに覗き込んできた。

 もし暗黒鏡に双眸があったなら、きっと遠慮なく怒りを込めた眼差しで、イチガキを睨み付けていたであろうが、表情を持たぬ彼の本音は見た目では到底図り知ることなどできない。

 高く上り詰めた満月を悠々と見上げ、イチガキはらんらんと目を輝かせる。

 「これから始まるは、欠けることのない満月。明けることのない夜。終わることのない、復讐という名の宴じゃ!!

 耳障りな高笑いが夜の静寂を濁す中、暗黒鏡から強い光がほとばしりそして・・・・・・・・・

 

 心はおろか、とうとう命まで奪われた哀れな妖怪の亡骸が一つ、静かに倒れこんだ。

 

 

第一章・報復の再来

 

 

 コエンマから携帯電話に連絡が来た時、幽助のラーメン屋台はちょうど彼の内輪による貸しきり状態だった。なので幽助は、幸いとはいえないが周囲をはばかることなく、驚く事ができたのだ。

 「暗黒鏡がまたパクられた、だぁ?! 」

 素っ頓狂な声と言葉の内容に、桑原と蔵馬が談笑と食べる手を止めて幽助に注目する。

 「しかも今夜が満月じゃねぇかよ! 今こうしてる間にも、願い叶えちまってるかも・・・・・・ってかそれより、霊界のセキュリティ甘くねーか?

 一度ならず二度までも秘宝をまんまと盗まれた失態を思い知らされたのか、電波の向こうでコエンマがぐっと言葉に詰まった。実際は、さらに設備を整えて人員も増やし、以前よりも数段強化していたのだが、結果に結びついていないのなら反論のしようがない。

 『・・・・・・返す言葉も無いが、とにかく非常事態じゃ。事件解決のために、どうか力を貸してくれ。第一、暗黒鏡抜きにしても、お前達は今回の件について無関係ではないのじゃぞ』

 「そりゃ、どーいうこった?

 『直接盗んだ実行犯は、前科も何も無い無名の妖怪じゃったが、防犯カメラに移った映像では、背中に操血瘤とかいう装置が着けられておった。よって黒幕はおそらく、いや確実にドクター・イチガキじゃ』

 「イチガキ、だって?

 その名を聞いて、桑原と蔵馬がハッと互いの顔を見合わせる。暗黒武術会において、卑劣な謀略を仕掛けてきたあの老いた妖怪が、まさか今になって動きを見せるとは。

 「暗黒鏡ってのは確か、命と引き換えに何でも願いを叶えるってーアレだろ? そんなもん盗みやがったってか?!

 「奴の事だ。きっと今回も外道な事を企んでるに違いない」

 実際、当時も操血瘤という忌まわしい装置を使って人の心を支配し弄ぶという、大した非道っぷりを見せ付けてきた相手だ。妖力的には当時から敵ではないが、暗黒鏡の悪用の仕方によっては、こちらの予想以上に悪い展開が来るかもしれない。

 そんな一瞬で緊迫した友人達とカウンターを挟んで、今正にコエンマから直接イチガキの名を聞かされた幽助は、携帯電話を握り直して声のトーンを落とした。

 

「・・・・・・・・・・・・それ、誰だ?

 

 目の前で桑原がひっくり返るのと同時に、電波の向こうでコエンマが盛大にズッコケているであろう事が伺える音が次元と電波を超えて重なった。(蔵馬はすんでのところで踏みとどまったらしい)

 「てっ、てめーは真顔でなんちゅーボケかましてくれてんだよ!! あの陰険ジジイのツラ、忘れたとは言わせねぇぞコルァーーーーー!!

 「あ、悪ィ悪ィ、今思い出した! イチガキな! 梁達の事はもちろん覚えてんだけどよ、あいつはロクに戦いもしねーままふっ飛ばしちまったから、いつのまにか記憶からも吹っ飛んでやがった」

 「まぁ、正直オレも、今名前を聞くまで奴の事は思い出しもしませんでしたが・・・・・・」

 蔵馬の苦笑いに被さって、コエンマの呆れ返った声も聞こえた。

 『プーの時と言い今回といい、お前は相変わらず記憶力弱いというか、学習せんの〜』

 「るっせえ! それが協力してほしい相手に言う台詞かよ! ・・・・・・っておい待てよ、イチガキが黒幕って事は、やっぱ目的はオレ達に対するリベンジか?

 ようやく事態を飲み込んだらしい反応にコエンマは少々安堵すると、気を取り直して話を続ける。それと同時に幽助は携帯電話のスピーカーをオンにして、桑原と蔵馬も直接コエンマの声が聞こえるようにした。

 『まぁ、他に予想を立てろと言う方が難しいな。魔界転覆や人間界征服も企みそうだが、それらもおそらくお前達への復讐の後からついてくるじゃろう。今の所、そっちに何か異常事態は無いな? 周囲の人々への警戒を第一に優先しておいた方がいいぞ。ちなみに、幻海の所や梁達の所にも、先程それぞれ特防隊隊員を派遣したが、幸い全員、現時点では無事じゃった』

 「それを聞いて、ひとまず安心しました。ところでコエンマ、イチガキが具体的に何を願ったかは見当がつきますか?

蔵馬が身を乗り出して、幽助が差し出す携帯電話の通話口に向かって問いかけた。

 『残念ながら、さっぱりじゃ。動けるだけの霊界人を全員人間界に派遣して、人海戦術フル活用で行方を追っているが、まだつかめておらん』

 今の所、幽助達やその周辺で何も異常は起きてはいないが、だからといってイチガキが願いを成就していない事にはならない。どの道今夜は満月なのだから、何が何でも今夜中に願うのは間違いないのだ。

 「でもよ、確か願いの代償がテメーの命なんだろ? だとしたら、叶った瞬間にあいつおっ死んでじゃねーのか?

 桑原が、幽助や蔵馬から聞いた話を回想しつつ言ったが、蔵馬はあっさり首を横に振った。

「だから、イチガキは操血瘤を使ったんだ。暗黒鏡は確かに、自分に願い言を言った本人の生命を代償として奪い取る。言った者自身の願いじゃなくてもね。おそらく、いや確実に、暗黒鏡に直接願をかけたのは、イチガキに操られて霊界に送り込まれた実行犯の方だ」

 『その通り』コエンマが補足した『洗脳でも催眠でも、別の第三者を操って自分の願いを言わせれば、願いは叶うし死ぬ事も無いのじゃ。あえて不謹慎な言い方をすれば、イチガキは暗黒鏡の理想的な使用方法を実践した事になる』

 「・・・・・・胸クソ悪ぃぜ。あの野郎、反省してねぇどころかさらに腐ってやがんな!

 呼び起こされた記憶と怒りが、幽助の闘志に火をつけ始める。

 「ひとまず、飛影を呼ぶとするか。あいつだって無関係じゃねーし、邪眼で探せば何とかなるだろ!

 

 

 幽助の予測通り、いや予測以上の速さで、飛影は暗黒鏡の所在を発見した。ただイチガキ本人は、何らかの手段で妖気を絶っているらしく、残念ながら見つけられなかったようだが。

 「・・・・・・時、既に遅しだな。暗黒鏡のそばに、背中に操血瘤をつけられた妖怪の死体が一つ、転がってやがる」

 邪眼を閉じて、淡々と吐き捨てた飛影の言葉に、霊界から飛んできたコエンマは「やはりな」と嘆息した。

 「その者には気の毒だが・・・・・・それにしてもこれで結局、イチガキが何を願い、しかも成就させたのかはわからずじまいか」

 「次の満月の夜、暗黒鏡に願って聞いてみろ。お前の命か、生贄を差し出すかすればいいだけだ」

 77戦士の任務から帰って早々、今度は人間界に呼びつけられた飛影は少し、いやかなり機嫌が悪そうだ。ちなみに、直接彼自身に電話をかけても素直に来てくれるわけがないと悟っていた幽助は、まず躯に連絡を取って大統領命令を出してもらっていた。

 「・・・・・・こんな時、黒鵺もいてくれたらな」

 蔵馬がぽつりと零した。イチガキ程の腐敗した性根の持ち主なら、人間界の家族にも危害を加える可能性は極めて高い。抑えきれない不安と危機感が、ついつい親友の名を呼ばせた。

「あいつが使う結界の中に、その場所に染み付いた残留思念を読み取り、映像として再生する類のものがあるんだ。超能力で言う所の、サイコメトリーに似たものと思っていい。それが使えたら、イチガキが犠牲にした妖怪に、何を願わせたのか一発でわかったのに」

 あいにく、その黒鵺は77戦士任務のために遠方へ出張中だ。思った以上に難航中で、まだあと一週間は帰れそうもないと、先日蔵馬は本人から電話で聞いたばかりだった。

 「黒鵺だけ至急こっち来てもらうってのはダメか? オメーが呼び出しゃすぐ飛んでくるんじゃね?

 三つ目の誰かさんとは違って、と桑原が暗に含めたのを知ってか知らずか、飛影がますますの仏頂面でそっぽを向いた。

 「まだ具体的にどうこうなっていない内から、戦士として忙しい黒鵺に迷惑かけられないよ。それにあいつの班だったら、もしかしたら予想より早く任務遂行して戻ってくるかもしれない」

 「んー、後手に回るのはオレの流儀に反するんだけどなぁ。こればっかりはしょーがねーか」

 幽助が腕を組み、眉間にしわをよせて唸った。事態は確実にどこかで動いているはずなのに、それを知る術が今の所無い。予測の届かない所で発生した小さな波が、徐々に広がって増大し、近いうちに押し寄せてくる。そんな嫌な予感ばかりが膨らんで、気が滅入りそうだ。

 「いや、何もアクションを起こせんわけでもないぞ」

 コエンマが、自らも鼓舞するように一同を毅然とした目で見渡した。

 「霊界の秘宝が妖怪によって盗まれたわけだから、これは紳士協定に違反するものじゃ。今からワシが直接躯にかけあい、イチガキを三界指名手配犯として魔界で大々的に報道してもらう。黄泉の諜報機関にも、できたら協力してもらわんとな。77戦士を動かすことは無理でも、それくらいだったら何とかなるじゃろう」

 「なるほどな、その手があったか!」展開に光明が差した気がして、幽助は小さく笑みを零した「多分、何かコトが起こるとしたら人間界だろうし、こっちにゃオレと蔵馬がいるもんな!

 「ちょ、待て! オレもいんだろーが! また記憶吹っ飛びやがったか?!

 「フン、元から無い記憶がどうやって飛ぶんだ」

 「飛影! テメーまで入ってくんじゃねー!!

 これでもう何度目か、数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほどの、お約束ともいえる桑原と飛影による漫才じみたやり取り(本人達は全力で否定するであろうが)が始まり、幽助、蔵馬、コエンマは呆れ混じりに苦笑した。

 まだ何も解決してはいないが、そのためのとっかかりはある。その事にひとまず安堵していた。まだどこにも悪影響は出ていない。出る前に食い止められるかもしれない。もしもの時は、魔界の仲間達だってきっと協力してくれる。

 イチガキが何を願ったのかは知らないが、そもそも暗黒鏡が叶えられる願いは一つだけ。その一つでどれ程の事ができるというのか。今度こそ本当に三界指名手配犯だが、黒鵺とは比較の対象にもならない程、イチガキは小物なのだから。

 

 皆、共通してそんな事を考えていた。油断していたわけではない。だけど、楽観視はしていた。一度、完膚なきまでに叩きのめしてやった相手だから、無理も無い。

 だから、誰も夢にも思わなかった。

 この復讐劇の果てに、大きく深い哀しみが待ち受けている事を。

 

 

 明けて翌日。

 魔界の朝のワイドショーでは、ドクター・イチガキが三界指名手配犯とされた事を、トップニュースで伝えていた。イチガキ自身はこれまでの魔界ではほとんど知名度が無かったが、幽助達を始め、六人衆も出場した暗黒武術会で悪名を轟かせていた事から一気にフューチャーされてしまっている。

 スタッフとして雇われ、しかもイチガキチームの試合で審判を務めていた小兎が、コメンテーターとして緊急出演している番組を見ながら、鈴駆は味噌汁を飲もうとしていた手を止めて言った。

 「あ〜、そーいやいたね、このじーさん。武術会の開会式でちらっと見かけたくらいだけど。試合も見てなかったから、実は戦力的にどうだったのもわかんないんだよね。誰か、覚えてる?

 「一言で言えば、ただの雑魚だ」

 焼き魚の骨を取り除きつつ、真っ先に答えたのは死々若丸だった。

 「あんな手の込んだ装置を作ってはいたが、どうやら完璧なものではなかったようだし、幻海があっさり粉砕しておったからな。何やら怪しげな注射までしていたが、それもまったく功を奏してはいなかった」

 自分のあずかり知らぬ所で、――暗黒武術会という共通項こそあれど――まさかこうまで徹底的にこきおろされていようとは、おそらくイチガキにとっても想定外だろう。

 隣に座り、広げていた新聞をたたんだ鈴木が、大きく頷いた。

 「同感だ! 装置のデザインといい注射したあとの姿の変化といい、これっぽっちもセンスが感じられなかったぞ。発明者としての美学と品位が著しく欠けていたな」

 「・・・・・・鈴木、貴様、センスとやらについてどうこう言える立場か。あのピエロ姿を思い返せば、どんぐりの背比べだぞ」

 「インパクトだけなら、鈴木が勝ってたかもしれないけどねー。それでも美的センスって点においては、確かにどっこいどっこいかもよ」

 「し、死々若、鈴駆! あの微妙な色彩感覚にまでこだわったオレのピエロ姿を、お前達そんな風に思ってたのか!?

 「なーに言っちゃってんの、今更ー」

 ケケケ、といかにも悪ガキ、といった風に鈴駆が笑ってみせる。そんな三人のやり取りを面白そうに見物していた凍矢だったが、ふと真顔に戻って呟いた。

 「それにしても、イチガキは結局、暗黒鏡に何を願ったんだろうな」

 一夜明けても、どうやら幽助達の所にはまだ異変が無いらしい。番組では、飛影が使用済みの暗黒鏡と生贄とされてしまった妖怪を発見したという事実も報じていたから、イチガキは確かに自分の願いを成就させてしまった後なのだ。仇敵への復讐が目的ならば、すぐに行動を起こしていても不思議は無いはずなのに。

 「何ってやっぱ、強くなる事でねーのか? 幽助達よりもっともーっと強くなって、リベンジする気なんだべ!

 愛用のどんぶりに、既に三杯目となるおかわりをよそった陣が、それを頬張りながら言った。

 「・・・・・・飲み込んでから喋れ。でもそれなら、とっくに幽助達を襲撃しているはずだろう。時間がたてばたつほど、警戒態勢は強化されてしまうからな。それにこうして三界指名手配される事くらい、いくらイチガキでもすぐに想像がつくはずだ。だったらなおさら、速やかに行動を起こしてなければおかしい」

 「だども、他に検討つかねぇだぞ。第一、こげにもったいぶる理由なんて、オラにはさっぱりわかんねぇだ」

 「うぉお〜〜〜い、おはようさ〜ん」

 夕べも孤光と飲み明かしていた酎が、ようやく起きだしてきた。これでもまだ早い方だ。おぼつかない足取りでダイニングに入ってきた彼は、なだれ込むように自分の席について、突っ伏しそうになるのをこらえながらテーブルに右肘を突き、手の平で額を抑えた。いつものことだが深酒がたたり、声がガラガラにしゃがれてしまっている。

 「凍矢、とりあえずキンキンに冷やした奴たのむわ、くれぐれも凍らせんじゃねぇぞ」

 「オレは冷蔵庫じゃない! 麦茶なら夕べから仕込んである、自分で取れ」

 「麦茶じゃねーよ、冷酒だ冷酒! ここまでの二日酔いは、迎え酒でも飲まなきゃやってらんねぇって」

 「・・・・・・お前、悪循環って言葉知ってるか?

 凍矢を中心として、にわかに室内の温度が低下し始める。真っ先にそれを察知した鈴駆が、顔をしかめた。

 「ちょっとそこの酔っ払い! 凍矢怒らせるのやめてよね。味噌汁冷めちゃうじゃん」

 「ってか酎、オメ酒飲むって事は朝飯食わねぇだか? だったらオメの分のおかずオラがもらっちまうだぞ♪」

 「はっはっは、いつも思うんだが、我が家の家計は毎度毎度酒代と食費に圧迫されているな!

 「そこに貴様の研究費用も加わっているだろうが。いい加減自覚しろ、色々と」

 男六人の、しかも世代がそれぞれ異なる大所帯は、今日も今日とて必要以上に賑やかだ。ワイドショーの内容も既に別の話題に移っており、騒がしくも平穏な日常がまた紡がれる、はずだったのだが・・・・・・・・。

 突然。

 六人衆全員の携帯電話が、一斉にけたたましくなり始めた。着信メロディは個々で違うものの、彼らの携帯が同時に鳴った理由は容易に想像がつく。

 「これはもしかしなくても・・・・・・」

 普段通りだったはずの朝の食卓が、緊迫していくのを感じた凍矢に、大急ぎでどんぶり飯をかき込んだ陣が頷いた。

 「躯からの緊急通話だべ」

 躯が大統領に就任し77戦士が新編成された時、鈴木が彼女から直接要請されて、百足に特殊な電話回線を設けたのだ。緊急で任務が入った時、担当の班員全員と同時通話できるように。というかむしろ、今まで使われてこそいないが、77戦士全員と通話することも可能である。

 もしかしたら久々に、難しい案件が回ってきたのだろうか。だとしたら六人衆にとって、それは幸いだった。戦って手応えを感じなければ意味が無いし、修行にもならない。

 それぞれの携帯電話を手に取った六人は、誰からともなく「せーの!」と同時に通話ボタンを押した。

 

 

 「なぁ班長さんよ、ちょっと相談があるんだが」

 「早退なら認めんぞ」

 言わんとするところを瞬時に察知した痩傑から、とりつくしまも無い返答で突き返される。だけど黒鵺は怯まなかった。

 「ちょっと行ってぱっと結界張って、さっと帰ってくるっつってんだろうが! 蔵馬に恨み持ってる野郎が、霊界の三大秘宝の一つかっぱらって未だ逃走中なんだぞ! これがじっとしてられっかよ!

 「オレだって『魔性のくちづけ』を涙を飲んで、今回はビデオ鑑賞のみで我慢してるんだぞ! お前の場合、兄バカといっていいのか親バカといっていいのか判断つけづらいが、とにかくいい加減私情を挟むな!

 そんな痩傑自身も十分私情を絡めた発言をしているのだが、本人は当然自覚が無い。木々の枯れた山肌から吹き降ろす、突き放すかのような強風が吹きすさぶ中、九浄は彼らが今立っている絶壁の端から、改めて目標地点となっている小さな集落を見下ろした。

 だがそこは実際には、遊牧民を装った某テロリスト集団の本部なのだと、既に諜報機関の調査で判明していた。痩傑の班に今回課せられた任務は、テロリスト達の身柄確保はもちろん、魔界各地に潜んでいるだろう支部の所在地やメンバーの詳細を掴んでくる事だった。

 「出張の時は手当つくんだし、儲けになると割り切ろうぜ、痩傑」九浄が手首の間接を鳴らし始めた「カルトの魔界ツアー追っかけ費用に当てられるって事でさ。目指せ全箇所コンプリート!!

 「最も、躯はそんな事のために、あんた達に給料払ってんじゃないと思うけど」

 慣れたか諦めたのか、棗のツッコミも最近なんだかゆるくなってきた。

 「どっち道、あたしだって早いトコこの遠恋状態から脱したいですよ! そろそろ潜入しちゃいません? どっか遠出してたリーダーさんが、よーやっと帰ってきてくれたんですから」

 臨戦態勢のまま、じれったくなったのか流石の声のトーンが上がる。だが。

 ふと流石の尻尾が、ぴくん、と小さく震えた。彼女自身、まだ視覚や聴覚でも捕らえられない『何か』に感づいたかのように、表情が微妙にこわばっている。

 「流石? どうかしたの?

 棗の問いかけに、宙を睨む眼差しの位置はそのままにして、流石は慎重に言葉を選び出す。

 「何て言ったらいいか・・・・・・その、嫌な感じがするんです。大気の流れがおかしくなったみたいな」

 戦士としては、まだまだ発展途上の流石だが、仲間内では突出して第六感が鋭い。両腕を自分の手でさするようにしながら、彼女は眉をひそめた。

 「この辺が、ぞわぞわってするの。どうも落ち着かなくって」

 「シッ!

 黒鵺が人差し指を唇の前に掲げ、静寂を強いた。どうやら彼も、異変に気付き始めたようだ。

 「何か聞こえねぇか? 長くて低くて、腹の底にクる感じの・・・・・・」

 注意深く耳を澄ますと、九浄達にもすぐに聞こえた。足元、いや遠い地の果てからさざめき、打ち寄せ、這い上がってくるかのような、唸り声のような、それ。徐々に近づき、急激に大きくなって

 

 ドオオオオオオ・・・・・・・ンン

 

 凄まじい地鳴りが鼓膜を穿ったかと思ったら、黒鵺達から見て、テロリストのアジトを挟んだ向こう、灰色の山頂から真紅の火柱が吹き上がり、黒煙が空を侵食するかのようにどんどん巨大化していった。大量のマグマがみるみる内に山肌を辿り、ふもとを目指して流れ落ちてく。それはまるで生き物のようにうねりながら。

 「噴火?!

 「馬鹿な! ここいら一帯が火山地帯だったのは、300年前までのことだぞ! 今は全部死火山のはずだ!

 思わず叫んだ九浄に、痩傑が叫び返すように答えた。そんな彼らのところにも、容赦なく火山灰が飛んでくる。それらを払いのけ、視界の片隅に捕らえたのは、集落を模したアジトでテロリスト達が右往左往している姿だった。距離が距離な上にこの状況なので声は聞こえないが、悲鳴や怒号が伝わってくる気がした。死火山のはずの山が突如として火を噴いたのだから、無理も無い。

 大幅な作戦変更を余儀なくされることを感じ、九浄が舌打ちした。

 「このまま噴火の被害で死なれてもやっかいだが、散り散りにでもなられたらもっとまずいな」

 「でも、パニック状態になってるならチャンスよ。一気に総攻撃してふんじばって、火砕流が流れ込んでくる前に重要書類とか押収しておかないと」

 言いながら、棗は改めて噴火直後の火山を睨んだ。吐き出され続ける煙の根元、火口付近からせりあがって流れ落ち始めるマグマの色が、やけに鮮やかに視界へと焼きついた。

 「だったら、今すぐ」

 突撃だな、と言いかけた痩傑を止めたのは、新たな噴火だった。またしても、死火山のはずだった山だ。彼らから見て後方、最初に噴火した火山よりもさらに離れてはいるが、その付近に何があったかを思い出して、黒鵺が青ざめた。

 「まずい! あっちは喩愚弩(ゆぐど)が近いはずだ。確実に大量の被災者が出るぞ!

 喩愚弩は、歴史的遺産を多く集めた巨大な博物館があり、先日リニューアル・オープンしたばかりだ。もともと有名な観光都市だった所へ、またさらなる観光客が押し寄せていると聞く。現在は、本来の街の人口を遥かに上回る人数がそこにいるのだ。

 なぜ立て続けに死火山が蘇ったのかは大いなる疑問だが、今は解決の糸口など無いし、考えるだけ時間の無駄だろう。

 「任務ではないものの、民間人が危機的状況とわかっていて、放置するわけにはいかないな」

 最初は驚愕を隠しきれなかったようだが、痩傑は早々と開き直った。応援を今から呼んでも、到着を待っている余裕など無論無い。自分達が何とかするしかなさそうだ。

 「黒鵺と流石は、喩愚弩に行って救助と避難誘導を頼む。火山ガス発生も確実だから、とにかく急いでくれ。テロリストどもは完全に浮き足立って警戒態勢も崩壊しているし、オレ達三人でどうにかできるさ」

 「了解! こっちも任しときな」

 「早速行ってきまーす!!

 黒鵺が片腕で難なく流石の細腰を抱え、羽根をばさっと勢いよく広げたか思うと、次の瞬間にはもう高く飛び上がっていた。急速に遠くなる二人を見送って、痩傑、九浄、棗は軽くアイコンタクトを通わせると、目標地点に向かって絶壁から身を躍らせた。

 

 

 喩愚弩へ向かう途中、黒鵺につかまったまま流石は躯に連絡を入れていた。喩愚弩が大規模な観光都市である事を考えると、やはり他の77戦士達による応援が必要だからだ。とりあえずそれが来てくれるまでは、自分達だけでも持ちこたえられるだろう。

 「もしもーし躯さん? 流石です。実はですね、ちょっと想定の範囲を大きく飛び越えた事態になっちゃってましてー」

 死火山が二つも噴火だなんて、信じてもらえるだろうか、と流石は若干不安に思ったが、その場合はムービーメールでも送れば一目瞭然だと考え直し、思い切って本題に入った。

 「目と鼻の先で、噴火二連発しちゃったんですよ! そんで、今は黒鵺さんと喩愚弩に民間人らの救助に向かってる最中で・・・・・・・って、え?

 携帯電話を握り締める流石の表情が、明らかに変わった。まるで予想だにしていなかった一言が、電波を通じて躯から発せられたのだ。

 「あの躯さん、今なんて?

 呼吸を整え、流石が改めて尋ねると、その問いかけを躯の方では予測済みだったのか、あくまで落ち着き払った声が聞こえてきた。

 『そっちもか、と言ったんだ』

 よりいっそう聴覚を研ぎ澄ませて見ると、躯の背後が騒々しい。百足の内勤乗組員達が、慌しく奔走している気配が手に取るように感じられた。

 「そっちもかって、まさか、他のところでも死火山が噴火したとか?!

 思いもかけなかった言葉に、黒鵺がぎょっとして流石を見た。

 『いや、噴火じゃない。ただ、自然災害には間違いな。魔界第35U-19地点で大規模の津波、同じく35層のQ-28地点で直下型大地震。豪雪地帯の第8H-9地点では、雪崩と吹雪が続発中。それからたった今入った情報によると、第11Y-16地点では原因不明の山火事発生だそうだ。さっきから77戦士も動員して、事態の収拾や民間人救助に向かわせている』

 躯が伝えてくれる内容を、流石は聞いたそばから逐一黒鵺にも教えた。彼の面差しも、さらに緊迫の色が濃くなっていく。

 もともと、魔界の気候や環境は決して安定しているとはいえないが、そこで暮らす妖怪達にとってはそれが至って普通だ。だが、今回はその範疇を大きく飛び越えている。妖怪からしても、この災害の連続発生は明らかにおかしい。いくらなんでもこんな短期間で、しかもいくつもの層をまたぐようにしてほぼ同時発生するだなんて、いまだかつてありえなかったはずだ。

 『で、お前らの所にも、応援をやったほうがいいか?

 「あ、はい! 大至急お願いします! 躯さんも知ってるでしょうけど、今の喩愚弩は観光シーズン真っ只中ですから、余計に混乱が大きくなると思うんです」

 その後にも二、三言やり取りして、流石は電話を切った。その時にはもう、二人は喩愚弩上空に到達していた。まだ街に直接火砕流が流れ込んではいないようだが、それも時間の問題だ。大量の火山灰で視界を遮られ、大勢の人がパニックに陥っている。

 また、火の粉が引火してあちこちで小火がでていた。

 「とりあえず、おりるぞ。オレが防護結界張れば火山灰はもちろん、火砕流も防げるから、まずは火事を消してやらねぇとな」

 「OKです! でも、こんな大きな街一つ、結界で覆えるもんなんですか?

 「一番簡単な基本結界だし、オレは支配者級だからその程度朝飯前さ。それでも残念ながら、そこまでデカいと長時間もたせるのは厳しくなってくるから、応援が来るのを待って火山地帯を離れたところに避難だな。他んところも死火山といえど、今回は油断禁物だろ」

 言いながら、黒鵺は街のど真ん中に急降下していく。悲痛な喧騒が近付くにつれて、彼らの胸の内に渦を巻く不安も増幅した。

 どう考えても、これは普通じゃない。

 

 

 通話ボタンをきった躯の元に、新たなる一報が寄せられた。癌陀羅の地下水脈が謎の水量大量増加と逆流を起こし、街のあちこちで地表を突き破って噴水のように吹き上がっているのだそうだ。激流が至るところで発生し、建築物も既にいくつか倒壊している、と。

 ただ、他ならぬ黄泉の統治下にある都市だ。突然のアクシデントで直後は混乱するだろうが、すぐに黄泉本人が制御してくれるだろう。念のため、他の土地に駆り出しておいた修羅に、そこでの任務に一区切りついたら癌陀羅に戻るよう命じることにした。

 司令室の巨大モニター画面を、振り返る。躯の隻眼が映すのは、魔界の地図。今災害が起こっている地点が、赤く点滅している。そしてたった今、癌陀羅の位置にも点灯した。

 「・・・・・・オレもそれなりに長く生きてきたが、こんな事は初めてだぞ。魔界は今、何がどうなっている?

 かつて無い異変は、躯でさえも動揺させた。77戦士のほとんどが、既に出払っている。対テロリスト以外で、彼らに指令を下す事になるとは、ついさっきまで思いもしなかったのに。

 ふと、霊界から昨夜要請された、三界指名手配の老人の名を思い出す。ドクター・イチガキ。逃走を続けている彼の、暗黒鏡に叶えさせた願いとは、まさか天変地異を自由に起こす能力がほしい、などというものなのだろうか。

 いや違う、と躯は即座に自分の考えを否定した。一応先ほど、霊界と人間界に確認してみたが、この二界では魔界のような災害の異常発生などどこにも起こってはいないというのだ。もしイチガキが災害を操れる能力を手にしていたのなら、犠牲となるのは人間界、それも皿屋敷町でなくては意味が無い。

 浦飯チームメンバーだった5人の内実に4人が、人間界在住なのだから。

 科学的解明はまだなされていないが、やはり悪い偶然が重なっただけだろう。少なくともイチガキには、魔界に天災を起こすメリットは無いはず。幽助達をおびき出そうとしているにしても、回りくどすぎる。

 とにかく今は、魔界住民の救助と避難誘導、それに医療体制も強化させなくては。

 躯はすぐに頭の中を切り替えて、内勤乗組員達にきびきびと指示を飛ばした。

 

 だが。

 災害は、これで終わりではなった。まもなく、別の火山地帯でも複数の火山が同時噴火を起こし、大地震や集中豪雨が各地で相次いだ。異常乾燥と気温の急上昇で、たった一日の内に土地が干上がり、日照り状態になってしまった所もでてきた。

 魔界にはびこり始めた不穏な空気が、急速に広がり浸透し、住民達の気力体力を蝕み始める。それでも77戦士達はめげずに各地を飛び回った。必ず各地の惨状が回復し、元に戻ると信じて。

 

 

 

―――――全てが、ほんの始まりに過ぎない事など、誰も知らないまま。

 

            BACK                                                                                                               INDEX